軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

24

「牧場はどうだった? いい馬はいたか?」

入室直後に挨拶すらなく王太子にそう問いかけられたシリウスは、いつものことだと割り切り、なるべく端的に答えた。

「ええ。高貴な種馬様がいらっしゃいました」

牧場の最後、シリウスたちは雄々しくも気高い、独特の雰囲気と風格を合わせ持つ素晴らしい馬に出会った。

オーナーが言うには、数多の牝馬を虜にしてきた種牡馬らしい。アナが、「お、おうましゃんの、おうしゃま……」と、圧倒されていたほどに、立派な馬だった。

しかし王太子は第二王子への皮肉として受け取ったのか、露骨に顔を顰めた。

「おまえ……それ、よそで言ったら不敬罪で捕まるぞ?」

「私はあくまで馬の話をしただけで、誰、とは言っておりません。殿下こそ深読みし過ぎです」

シリウスは馬の話をしているのであって、どこぞの乗馬が趣味の放蕩王子の話をしているわけではないのだ。

まあ、少しも含みがないと言うと、嘘になるが。

第二王子イザークは留学から帰って来てからというもの、女性関係が目に余る酷さだという噂がある。とっかえひっかえ、飽きたらポイ捨て。最近ではそのせいで評判がガタ落ちし、第二王子周りの人たちは頭を抱えていると聞いている。

シリウスは王太子の側近ゆえに第二王子とは面識はあれど個人的なつき合いはなく、人柄などは知りようがないのだが、芸術的な分野に秀でた自由気ままな王子様、というのが王太子側の彼に対する見解だった。

第二王子があまり優秀では周りから無駄に担ぎ上げられるのが目に見えているので、わざと放蕩王子に徹して自ら評判を下げている側面もあるとシリウスは考えているが、彼が政務に興味がないのもまた事実だった。

そんなことよりも。

ただでさえ筋肉痛で痛む体を引きずって来たのだから、一刻も早く座らせてほしい。会話が続く前に、適当に朝の挨拶を済ませて深々とため息をつきながら腰を下ろした。

「なんか、やたらぐったりしてるな。乗馬したのか?」

「いえ。娘がポニーに乗っただけです」

「牧場に行ったなら乗馬しろよ! それと、あんな子供をポニーでも乗せるなよ! 落ちて怪我するぞ?」

シリウスは、くっ、と眉を寄せ、目頭を揉んだ。

「娘の身体能力は、私よりも遥か上空にあるので問題ありません」

アナは最終的に支えなくポニーに乗り切った実力者だ。ポニーがおとなしかったのもあるが、はじめからやたらと乗り慣れていたので、お馬さんごっこは侮れないという結論に至った。

「それに運動不足の私が軽率に馬になど乗ったら、間違いなく振り落とされて即死します」

黙って会話を聞いていた側近たちが、わかるわかる、とうなずき合う。なにせここにいる全員、日々書類仕事に追われて運動不足なのだ。全員深窓の令嬢並みに体力がない。

シリウスの机にも筋力をつけようと入手したダンベルが置いてあるが、結局ほとんど使われることなく、現在はペーパーウエイトとして現役でバリバリ活躍している。

「ポニーには乗れましたが、飼うのは少し様子を見ることにして、しばらくは馬はぬいぐるみでいいだろうということで妻と合意しました」

「まあ、ぬいぐるみは無難だよな。うちの子もひとつお気に入りがあるし。確か、ジェノベーゼ、だったか?」

「ええ。やはり私としても意思疎通できる方が助かるので」

なにげなくつぶやいた言葉に周囲がざわついた。ぬいぐるみと意思疎通? どういうことだ? と戸惑う囁きが聞こえた気がしたが、すでに溜まっていた書類と向き合っていたシリウスは軽く聞き流した。

ある程度書類を捌き終えてから顔を上げたときにも、さっきのざわめきが後を引くように残っていたが、特に気に留めることなく、そういえば……と、質問を切り出した。

「殿下に聞きたいことがひとつありました」

「こっちもぬいぐるみと会話できる件について詳しく聞きたいが?」

「なにをおっしゃっているのですか? ぬいぐるみと会話などできるわけがないでしょう」

なぜぬいぐるみと話せることになっているのか。アナはいろいろと話しかけたりもしているが、ジェノベーゼが答えたことなど一度だってないし、アナも答えが返って来ることを期待して話しかけているわけではない。

ぬいぐるみとできるのは、あくまで心での対話のみだ。ジェノベーゼが話しはじめたら、それこそ自分の精神状態を疑って長期休暇を申請するだろう。

「そんなことより。たとえば爵位を持った上級貴族の令息などが、下級貴族の若い娘などと知り合う機会はあるのでしょうか?」

「は? 急になんだ? 学院があるだろう」

「殿下は、下級貴族の娘が学院に通えるとお思いなのですか? 幼少期から充実した教育環境が整っていないと、試験になど受かりませんよ。だからあそこは上級から中級貴族の子息令嬢が多いのではないですか」

「それでも、いないわけではないだろう」

「学院は除外してください」

もちろん多額の寄付金を積めば試験などないに等しいし、その逆、金がない下級貴族でも試験の結果が飛び抜けていれば入学可能だ。

だがサフィニアの姉にはそのような経歴はなかった。

となると次に考えられるのはデビュタントだが、あれも金とコネがない下級貴族だと参加が難しいと聞く。華々しく社交界デビューできる娘はほんのひと握りなのだ。

「下級貴族の娘ですと、王家主催の夜会やパーティーには呼ばれませんよね?」

「まあ、普通そうじゃないか?」

「それなのに、かなり高位の貴族と懇意になることなど、可能なのでしょうか?」

サフィニアの姉が、なぜ王族と知り合いだったのか。その理由がわからず、ずっと喉に小骨が引っかかったように気になっていたのだ。

貴族同士とはいえ、上位と下位には明確に差があり、普通は顔を合わせることもない。それなのに、イザークはサフィニアの姉の顔をしっかりと覚えていた。多少なりとも近くで顔を合わせて言葉を交わすくらいはしていないと、そんなことは起きないだろう。

ゆえにサフィニアと王太子妃の例はかなり特殊なのだ。友人関係が築かれたこと自体が奇跡に等しい。

「さっきから質問が漠然とし過ぎだ。つまり、同じ貴族だが、明確に階級差のある男女が知り合う場所があるか、ということか? しかも女の方が下位の場合で」

「ええ、そうです」

「あるには、あるぞ。なぁ?」

王太子が側近たちに同意を求めると、全員が、なにやら察した顔をして目配せし合う。

「私はまったく心当たりがないのですが……」

「いや、よく考えろよ。視察なんかであちこちの領地に滞泊するときに接待を受けるだろう?」

領主の屋敷などに招かれることはよくある。王太子が相手ならそれは顕著だ。その土地の名産などを使った料理を饗されることもある。

「ああ、なるほど。その屋敷で行儀見習いをしていて知り合うということでしょうか?」

「……シリウスおまえ、本気か? 無垢な乙女か?」

「種馬よりは無垢な乙女の方がましだと思いますが」

無垢な乙女は侮蔑でもなんでもない。むしろ褒め言葉だ。

そう言うと王太子は面倒くさそうに手を振った。

「もういい、わかった。直接的な表現をしないと伝わらないんだな? つまり、夜の接待だ」

「夜の、接待……?」

「平たく言えば閨の接待だな」

頭が理解を拒むのに体は正直で、ぞわ、と背筋が震え、暑いわけでもないのに手のひらに嫌な汗がにじんだ。

「たいていは下級貴族の親が、領主なんかに話を通して逗留する貴族の男の寝室に娘を送り出す。手をつけられれば正妻にはなれずとも愛人になれるかもしれないし、客人を喜ばせることができれば領主の評価も上がる。接待を受ける方は若い娘で一晩楽しむことができる」

シリウスからしてみれば、ぞっとする話であった。

「しょ、正気ですか……? そんなの、純潔を失うことになるのに……」

「今どき純潔にこだわる方が変態っぽくないか?」

「そのような考えの男が多いから、この国は孤児で溢れているのです! それでは……それではまるで、下級貴族の娘を娼婦扱いして――」

シリウスはそこで言葉を止めた。

今の話が本当だとすると、サフィニアの姉は。

(……いや、違う。そんなはずは……)

ただの仮定の話だ。それでも、不快感で胸が詰まって急激に吐き気が込み上げて来た。

サフィニアの姉とは会ったこともないが、サフィニアやアナの一部のように感じている。

(つまり、アナは……、アナは)

シリウスは慌てて口元を手のひらで押さえた。

「だ、大丈夫か? 吐くのか!? 誰か洗面器持って来い!」

側近のひとりが洗面器を探しに部屋を飛び出して行くのを横目に、うずくまるようにして膝に額を押し当てた。

「すまない……無垢な乙女の三十路男にする話じゃなかった」

こちらから訊いた話なので王太子が謝る必要はないのだが、そう口にすると必死に堰き止めているものが込み上げて来そうで、なにも言えずにうめくことしかできなかった。

王太子に背中をさすられながらも、意識が子供の頃へと無理やり引きずり戻され、体が小刻みに震えだした。

屋敷に訪れた高位貴族の男に部屋に連れ込まれたあのときのことを、たった今起きていることのようにまざまざと思い出してしまうと、もうだめだった。

あの男は、シリウスが逆らえるような相手ではなかった。

それでも逆らわずにはいられなかった。

部屋に来るよう言われて拒否したら、今度は力ずくで部屋へと連れ込まれて、格上の貴族に逆らったら処刑だと脅されながらベッドに突き飛ばされたのだ。

子供の力では敵うはずがなかった。

最悪の事態になる前に執事長に救われたが、あのときの恐怖は忘れない。屈辱もだ。

シリウスは過去に自分を性の捌け口にしようとした者たちを決して許しはしないし、今では弱みを握っているこちらの方が有利に立っているので交渉を進めるときに過去の件をちらつかせて脅せるくらいの強かさを身につけている。

そうだ。自分は強くなったのだ。精神的にも、肉体的にも。

一度瞑目し、どうにか自力で気持ちを落ち着かせた頃、ようやく洗面器を取りに行った側近が戻って来たと思ったら、なぜかその後ろに続くように、サフィニアと、アナを抱っこした執事長が血相を変えて飛び込んできた。

「旦那様! 大丈夫ですか!?」

「なぜ城に……」

困惑するシリウスをよそに、執事長がてきぱきと煎じ薬を用意して水に溶かす。こちらへと差し出されたそれを、なにも考えることなく習慣で一気に飲み干した。苦いがよく効く薬だ。昔から飲み慣れた薬なのでそれだけで安心でき、気分も少し落ちついた。さすが執事長だ。

それに比べてサフィニアはというと、シリウスの手をしっかりと握りしめ、

「わたしは旦那様のために平癒のお祈りをします!」

そう宣言して祈りはじめてしまった。祈りで回復したふりをした方がいいのだろうかと、変な気を遣う。

そしてアナはというと、

「パパ、おうましゃん? おうましゃん?」

うずくまっていたせいか、お馬さんごっこをしていると思われていた。

ジェノベーゼだけが心配するようにこちらを窺っている。まったくよくできたぬいぐるみだ。

背中に乗ろうとしているのかぴとりと張りついて来たアナの頭を、サフィニアに握られていない方の手でひと撫でしてから、一番まともな回答を得られそうな執事長へと尋ねた。

「それで、なぜここに……?」

しかし執事長が口を開くよりも先に、戸口から別の声がそれに応えた。

「わたしが呼んだの」

その凜とした声を訊いた瞬間、シリウスを含め側近全員反射的に跪いた。

上品だが女性らしいメリハリのある曲線美を隠すことのない最高級のドレスを着こなし、裾のドレープを靡かせながら悠然とこちらへと歩いて来るのは、艶やかな長い髪に、すべてを見下すような切長の冷ややかな目元が印象的な、気位の高そうな美女。王太子妃だ。

突然の王太子妃の登場に、吐き気が治まったばかりの胃が今度はキリキリと痛んだ。

王太子だけがだらしなく頬を緩めている。自分が妻に睥睨されていても気にならない図太い神経の持ち主だ。シリウスがサフィニアにされたら、たぶん心が折れる。

「めがみしゃまー」

(め、女神?)

アナが無邪気に駆け寄って行くのをハラハラしながら見守る。アナなど、あの高すぎるヒールの靴で、ボールのように蹴飛ばされてしまうのではないだろうか。

だが予想に反して、王太子妃は見たこともないような嬉しそうな笑みを浮かべてアナを抱き上げた。側近たち全員、絶句した。

「あらぁー! かわいいわねー、アナは」

そしてあまやかすような声から一転、今度は冷徹な声で跪く自分たちへと命令した。

「そんなところで膝をついている暇があるのなら、さっさと席に着いてちまちま働きなさい。働き蟻ども」

「つれないなぁ。そんなところもいいが」

王太子はアナを抱っこする妻の腰に腕を回す。心底嫌そうな顔をされているのに気づかない、世界一幸せな頭の持ち主だ。

「それにしても妻よ、子供に女神なんて呼ばせてるのか?」

「そんなわけがないでしょう? なぜか最初から女神様だったの」

それを黙って聞いていたシリウスは、内心、アナが王太子妃に対して不敬な名前で呼ばなかったことに心底安堵していた。シリウスからしたら女魔王みたいな人だが、アナの無垢な瞳を通すと女神に見えるらしい。

「おまえ、なかなか見る目があるな」

王太子がアナの額を小突こうとしたのを、王太子妃が間一髪で体の向きを変えて阻止した。

「汚い手で触らないで。……ほら、アナ。穢れるといけないから、ママのところにお逃げなさい」

王太子妃からアナを渡されたサフィニアを、シリウスはそっと自分の方へと引き寄せた。このままふたりを連れて部屋を出て行きたいが、そうは問屋が卸さない。王太子妃は無慈悲な眼差しで執務室をぐるりと見渡してから、冷ややかに問う。

「それで? なぜか洗面器を持ったあなたの側近が駆け込んで行ったと思ったら、この子達も後に続いて行くし、なにかあったのかしら?」

彼女の長い髪を指にくるくる巻きつけ相好を崩す空気の読めない王太子が、考えもせず適当に答えた。

「ああ。シリウスがいろいろあって、催した」

シリウスは王太子をにらんだが、すぐに王太子妃に向き直って誠心誠意謝罪をした。

「申し訳ありません。殿下の話に吐き気を催しました」

王太子妃の嫌味の矛先をうまく王太子へと逸らし、我が身を守った。卑怯とそしられようが、女魔王に目をつけられる方が怖い。

「……パパ、おもらし?」

心配そうなアナの声に側近たちがこぞって噴き出したが、にらみひとつで黙らせた。

「おもらしではない」

「おねしょ……?」

「おねしょでもない。あの人の言うことは、話半分に聞いておくように」

アナはちらりと王太子を見やる。

「おじしゃん、うそつき?」

おじっ……、と王太子が心に致命傷を負い、王太子妃がそれをせせら笑った。自分は女神なのでさぞ気分がいいことだろう。

「俺はおじさんでも、おまえの叔父でもない。王太子のゲオルクだ」

「げ……く?」

なんとなく、この展開に既視感を感じつつも、好奇心が抑えきれずに無言を貫いた。サフィニアはタピオカ、シリウスはプリンス。果たして王太子は。

「ゲオルクだ、ゲオルク。特別に、ゲオルク様と呼ばせてやる」

アナはなぜか一度王太子妃の方を見てから、王太子へと目を戻し、ことりと首を傾げた。

「げぼくしゃん……?」

シリウスは最初、我慢した。だが、耐えきれず噴き出してしまった。しかし幸いにも側近全員が腹を抱えて笑い出したので、ひとりだけ不敬罪になる最悪の事態を免れた。

なにより、王太子妃が大きな声をあげて笑っていた。こんなに大笑いする彼女をはじめて見たかもしれない。

「ねぇ、聞いた? 下僕ですって! ふ、ははっ、一国の王太子に、下僕っ……! あははっ、本当子供っておもしろい!」

王太子は妻のめずらしい一面にうっとりしていたおかげで、笑ったことに対して怒りを買うことはなかった。

「確かに、俺たち夫は、ある意味妻の下僕だ」

一部同意する側近たち。みな、既婚者だった。

シリウスはサフィニアの下僕になれるほどまだ深い関係には至っていないので、とりあえず冷めた目だけを向けておいた。