軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

19

「やっぱりそうだ。そうだと思った……」

サフィニアはシリウスのような、背が高いだけのシュッとした男になど興味がないのだ。あの均整の取れた完璧な筋肉を持つナスラ神の彫刻を毎日見ていたから、あれが理想の男性像になっていてもおかしくはない。

「い、いえ、そんなことは……」

「きみのナスラ神に向ける瞳は、初恋の男を見る目だと前々から思っていた」

「わ、わたしは敬虔な信徒です! 崇める神をそのような邪な目で見るはずがありません!」

誤解を解くために神に一心不乱に祈りはじめたサフィニアに、さすがに言い過ぎたと慌てて祈りを止めに入った。

「待て、邪推した私が悪かった! 邪推というか、嫉妬心からだが……いや、だから、本格的な祈りはやめてくれないか!? あまりにも長過ぎる!」

サフィニアが祈っている間、虚無の状態で待たされ続けるのはさすがにつらい。自業自得ではあるが。

その体を抱きしめるように止めると、腕の中でサフィニアがうなだれた。

「神様だけだったのです、わたしの存在を許し、認めてくださったのは……。わたしの中にあるのは恋とかではなく、純粋な崇拝や敬愛の念なのです」

「だが、私とナスラ神ならば、ナスラ神の方が好みなのはその通りだろう」

「神と人を比べるものではありませんよ」

サフィニアが言うことは正論だが、わかっていても比べてしまうのだ。嘘でもシリウスの方が好みだと言ってくれればいいものを。

(正直者め……)

「ナスラ様はわたしの存在を否定せずに、教会にいることをお許しくださいましたが、わたしは未熟者で、そのお姿を見ることもお声を聞くこともできませんでした。だから、わたしを本当の意味で救ってくださったのは……旦那様の方なのですよ?」

予想外の言葉にシリウスは瞬いた。

「私が? なにかした記憶は特にないが……」

「たぶん旦那様にとっては深い意味のない言葉だったのだと思います。それでも旦那様だけが、わたしを必要だと言ってくださいました。ここにいてくれるだけで助かる、と」

確か初夜にそんなことを言った気がするが、彼女の推察通り、そこまで深く考えての言葉ではなかったので返答に躊躇った。

サフィニアはほのかに微笑む。美しいが、諦観のにじむ切ない微笑みだった。

「わたしは実の親に選別されて捨てられたのです。だから小さな頃からずっと、誰かに必要とされたかったのです」

親に捨てられたという残酷な事実が、未だ彼女の心に深く傷を残しているのだろう。当然と言えば当然か。ふたごの片割れは親元に残っているのだ。サフィニアは選別されて、不要とされて、捨てられた。幼い子供が抱えるにはあまりにも酷な話だ。

シリウスはその小さな頭を引き寄せて、守るように胸に抱えた。サフィニアは相変わらず、ぽそぽそと語る。

「結婚のお話を聞かされたとき、最初は頭が真っ白になりました。わたしはシスターで、いずれは修道女になるつもりだったので、結婚など考えたこともなかったのです。だけどそのときにはもう、ふたごの姉が亡くなっていて、わたししか……」

サフィニアはそこで感情を押し殺すような沈黙を挟んでから、嘆息した。

「両親は、乗り気でした。お相手はとても冷たい人だと聞いていたのに、喜ばしい、と……。本当にこの人たちは、わたしのことだけでなく姉のことさえもどうでもいいのだなと、いっそ呆れたほどです」

シリウスの噂が地方まで届いていたのなら、それは恐ろしかったことだろう。人間の皮をかぶった悪魔と結婚しろと命じられたようなものだ。敬虔な彼女が、よく心労で倒れなかったなと思う。

「……いえ、違いますね。もうずっと前から、彼らには失望していました。旦那様も前におっしゃっていましたが、どうしたってわかり合えない人は確かにいます。わたしにとってそれが両親だっただけのこと。どうせ断れないのならと、自分の都合のいい条件を提示して両親と取引しました。エスターに言われていたのです、自分の権利を奪う連中から搾取だけはされるな、と。それで」

彼らしい助言だ。おそらく警戒心とは無縁のサフィニアが、礼拝堂のガマガエルのような輩から迫られたとき、きちんと拒絶して逃げろと遠回しに言い聞かせたのだろう。

単なる幼馴染ではなく、本当の兄妹のように育ったのかもしれない。もしかするとふたごの片割れよりも、ずっと。

「せめて結婚前に顔を合わせる機会が持てたらよかったのだが……」

機会があったところでシリウスはシリウスなので、逆に怯えさせた可能性もある。初夜に震えていたサフィニアを思い出して後悔の気持ちでいっぱいだった。

なにせ時間がなくて、未だに結婚式もできていないのだ。

人の集まる場がそもそも好きではないので、時間があってもしたかはわからないが、サフィニアの花嫁姿は美しかったことだろうと、見れなかったことを惜しむ気持ちはある。

今からでも間に合うだろうか。ただ、今から計画したところで、実行までに年単位の時間がかかりそうだ。

「旦那様がお忙しいのは十分理解しております。それに王太子妃様や執事長さんや使用人のみなさんの話を聞いて、冷たく見える人かもしれないけれど、悪い人ではないのだとわかりましたから。実際お会いして、確信に変わりました。旦那様はお顔立ちが冷たく見えるせいで損をしているのだと。そのせいでみなさん、誤解をしているのだと」

(誤解……ではないが?)

シリウスは自分を評判通りの人間だと思っている。大臣たちから煙たがられ、役人たちから怯えられるのは、そういう対応をしているからで、大袈裟に悪口を吹聴されているとは思っていない。

当たり前の話だが、妻への態度と他人への態度は、根本的に違うに決まっている。

サフィニアやアナと同じように他人に接していたら、くだらない予算の申請で溢れて王太子の執務室は崩壊し国が破綻する。

シリウスの噂は、一種の防波堤の役割を果たしているのだ。

だいたい結婚に際して条件をいろいろつけたシリウスを、冷たいと言わずしてなんと言うのか。

「実は、自分が選ばれるに至った条件を聞いたとき、ちょっとだけ嬉しく思ったのです」

「嬉しかった……? あんな自分本位な条件を?」

我ながらどこの亭主関白だと耳を疑うような内容だったというのに。

「わたしが選ばれることなんて、これまで一度もなかったので」

はにかむサフィニアを見て、王太子に条件を出しておいてよかったと過去の自分を褒め称えた。砂漠から一本の針を見つけるように、困難を極めながらサフィニアを見つけてくれた王太子妃には感謝しかない。

「最初はわたしではなく姉を望んだのではないかと思っていたのですが、王太子妃様がはっきりとわたしだとおっしゃってくださいました。普通の貴族令嬢にはあの条件を呑むのは絶対に無理だと」

「ということは、妃殿下はきみがシスターだったことを知っていたのか?」

そう言えば、教会で会ったと言っていたか。それならばその時点でサフィニアの事情を知っていてもおかしくはない。

「そうですね。事情を知った上で、わたしの身分を取り戻させるために尽力してくださったそうです。王太子妃様とはじめて会った当時は、まだ姉も生きていましたし、わたしが貴族籍を得るには結婚しかないと思われたようで……。もちろんわたしは彼女の素性は知りませんでしたし、詮索もしませんでした。お忍びの貴族の方かな、と思っていれば十分でしたので」

慰問や視察ではなく、お忍び。サフィニアがそう感じたのなら、そうなのだろうが……。

「あの方はそんな地方の教会に、一体なにを……」

教会に訪れる人たちの事情について守秘義務があるだろうと期待していなかったが、サフィニアはあっさりと答えをくれた。

「結婚が嫌で逃げて来たそうです」

納得の理由だった。

王太子はすっかり忘れているようだが、彼女は結婚前にしばらく行方をくらましていた時期があった。三年ほど前のことだ。

「ひと月ほど匿っていたのですが、ある日お迎えに来た自称婚約者の方に連れて行かれてしまったので、その後のことが気になっていたのです」

(自称婚約者……)

絵本のときといい、サフィニアは『王子様』に対してたまに辛辣なところがある。全部王太子のせいだった。

まあ、理解はできる。シリウスですら、王太子妃を憐れに思ったのだ。王太子に一目惚れされてしまったのが運の尽きだった。

結婚を拒絶して逃げた彼女を、居場所を突き止めて迎えに行ったときも、側近たち全員で街道を封鎖し、彼女が逃げないよう追い詰めて捕獲した。犯罪者相手でもそこまではしない。

今思えば少しやり過ぎだったように思う。命令とはいえ、結婚を嫌がる女性に対する仕打ちではなかった。

しかしまさか、あの捕獲作戦を遂行した田舎町がサフィニアの地元だったとは。重大任務と罪悪感でそれどころではなかったので、町の名前までは記憶していなかったことが悔やまれる。

もしかしたらどこかでサフィニアとニアミスしていたかもしれないが、当時は職務で頭がいっぱいだったので、すれ違っていたとしても覚えていなかっただろう。残念だ。

「王太子妃様は本当に優しい方ですね。そのような尊い身分の方なのに、ただのシスターでしかないわたしにも分け隔てなく接してくださって」

(優しい……優しい?)

同じ人物の話をしているのか不安になったが、サフィニアは誰に対しても優しいと評価をすることを思い出して疑念を取り払った。

きっと王太子妃はサフィニアに対しては優しく親切な対応をしているのだろう。

王太子とその側近には未だに当たりがきついが、彼女への仕打ちを思えば当然のことだった。

「その王太子妃様に、あなたしかいないの、あなたがだめならもう後がないのよ、と切々と語られてしまって」

あの王太子妃のことだ、サフィニアのような純粋な娘を説得するなど、赤子の手をひねるよりも容易かっただろう。

サフィニアの人から必要とされたいという承認欲求を満たすようなあまい言葉をかけて籠絡したに違いない。

こういう女性を閨で屈服させるのがいいのだとのたまっていた王太子とは、一生理解し合えないだろうと思っている。

シリウスは獰猛な肉食獣を調教するよりも、無害な草食動物とほのぼのと触れ合いたい。

「ですが、アナのことだけが気がかりで。両親に教会に毎年寄付をすることを約束させたので、アナの生活が困らないように金銭面だけは確保しておいたのですが、神父様に頼んで信頼できるところがあれば、養子に迎えてもらえるようお願いをして。……それでもわたしの考えはあまく、現実はまともな里親先はなかなかないのだと知って、焦っていたのかもしれません。ほとんど初対面でしたのに、あんなことを言って、驚きましたよね?」

「確かに驚きはしたな」

「わたしも自分で驚いたくらいです。とんでもない要求をしてしまったと。ですが一度口から出てしまったものは取り消せませんし、必死に言い繕って、旦那様から許可をいただいたとき、本当に感謝したのです。神ではなく、旦那様に」

サフィニアは祈りのポーズをする。

もしかして初夜の寝室から逃げ出した後、彼女は感謝の祈りをシリウスに捧げていたのだろうか。できればあずかり知らないところで人のことを祈るのはやめてほしい。もちろん目の前で祈るのも遠慮願いたいが。

「そういう事情を聞いていたら、アナを引き取ることに最初から反対はしなかったが……まあ、気軽に話せるような内容ではないか」

場合によっては弱みになる。伏せておく方がいいと判断したのは間違いではない。

「執事長さんもそうおっしゃっていました。旦那様は周囲のせいで少々ひねくれて育ったところもありますが、根は素直で善良なので、事情を話せばすぐに絆されたでしょうに、と」

執事長とは後でしっかりと話し合わなくてはならない。

「ですが最初は環境の変化からか、アナも夜泣きが酷かったですし、わたしたちの事情で、ただでさえいつ眠っているかわからないくらいに働いている旦那様に、これ以上迷惑はかけられませんでした。わたしたちのことは気にされないよう、旦那様にはあまり報告しないようにお願いしていたのです」

だから最初の頃はアナの姿を見かけることもなかったし、執事長からも慎ましく暮らしているとしか報告がなかったのかと合点がいった。

「確かに疲れているときに赤子に泣かれたら、言葉が通じないとわかっていても叱りつけたかもしれないな……」

そうつぶやきため息をこぼしたシリウスに、サフィニアは曖昧な苦笑をしながら否定した。

「いえ……執事長さんは、旦那様ならアナが泣き止むよう夜通し下手な試行錯誤をして疲れて倒れるでしょう、と……」

どうやら執事長とは一晩かけてじっくり話し合わなくてはならないらしい。

「きみたちの事情はわかった。私はふたごは不幸を招く云々の世迷言を元から信じてはいないし、きみたちに出て行ってほしくない。……今さらと都合がいいと思われるかもしれないが、できればきちんとした夫婦、家族に、なりたいと思う」

(だが……)

シリウスは少しだけ身を引いた。

「私は普通の家族というものを知らないから、きちんとした夫、きちんとした父親になれるかは、わからない」

自分は今、情けない表情をしているだろう。自信がないのだ。

冷えたシリウスの手を、サフィニアの手がそっと包み込んだ。

「旦那様。そういう意味では、わたしも普通の家族を知りません。ですが教会にいらっしゃるご家族は、それぞれの家族の形があって、だからひと括りに家族と言っても、よそのお家と違ってもいいのだと思います」

「そういうものか?」

「ええ。それに、これまでもきちんと家族でした」

そう断言されると、少し前向きになり、こういう家族の形があってもいいように思えてきた。

「だが……夫婦ではなかった」

ユーリにつつがなく爵位を譲るために、自分の子供は必要ないと思っていたが、ユーリがアナと結婚するのなら、また事情が変わってくる。

シリウスに子供がいたとしても、後継争いになることも、それを懸念されることもない。なにせ娘が嫁ぐのだから、争う理由がなくなるのだ。ユーリに爵位を譲り、その後も支え続けることを明確に示せる最良の形となった。

ユーリは賢い。そのあたりをしっかり考えた上でアナを婚約者に選んでいる。

シリウスとて、甥にいきなりすべてを丸投げするつもりはなかったが、引き継ぎを終えたら家からは一線を引こうと考えていた。その考えを見透かすように先手を打ってきたユーリが、易々とシリウスを手放すわけがない。

つまりなにが言いたいのかと言うと。

子供ができても問題なくなった、ということだ。

シリウスの言いたいことを察して、サフィニアがみるみる頰を染めていく。

「きみが嫌なら構わないが……」

「い、嫌とかでは、ないのですが……」

「もちろん物事には順序があるから、いきなり押し倒すような野蛮なことはしないし、私個人としても、きみたちとは一緒に寝られるようになったとはいえ、まだ人と触れ合うこと自体には抵抗感がある。だからすぐにという話でもなく、もし少しずつでも私と夫婦になってくれるのなら……嬉しい。いきなり宗旨替えされても不信感があるだろうし、とりあえず、きみの意見が聞きたかった」

それを聞いたサフィニアは、ほっとした顔で、胸に手を置いた。

「少しずつ夫婦に……。それは、素敵だと思います。わたしも旦那様と夫婦になれたら……嬉しい、です」

「本当か?」

「ええ」

「それはつまり、将来的に私と結ばれる覚悟がある、という認識で合っているか?」

最終確認のためわずかに詰め寄ると、サフィニアがやや身を引いた。

「は、はい……」

しばらくアナに手がかかりそうなので、子供をもうけるとしても、ユーリに爵位を譲り渡した後になるだろう。

とはいえ子供は授かりものなので、無理して作ろうという話でもないし、できなくとも構わない。

夫婦らしいことを自分たちのペースで進めていくという話で合意し、シリウスは改めてサフィニアに向き直った。

「少しずつ夫婦になるためにも、お互いに触れ合うことに慣れておく必要がある」

サフィニアはのんきそうに、そうですね、と微笑んだ。あまり深く考えていなさそうなその顔に優しく触れる。

「キスを……してもいいだろうか?」

「! え、ええ。……どうぞ?」

サフィニアがきゅっと目を閉じ、いっぱいいっぱいの顔をこちらに向けてきた。

シリウスが提案したのは頬とか額とかへの軽いキスだったのだが、艶々の桃色の唇が啄まれるのを待つかのように誘っている。明らかに唇へのキスを待つ顔だ。

(最初から唇でいいのか? これが普通なのか?)

王太子や側近たちは下世話な会話も垂れ流しにしているが、ベッドに入ってからの話が多く、初歩的なところは基本的に割愛するのでなんの参考にもならなかった。

シリウスは意を決して、サフィニアの頰を両手で包み込んだ。ぴくりと彼女の体が揺れたが、たぶん、やり方は間違ってはいない、はず。

そっと顔を傾けて、触れるだけの口づけを落とす。

ほんの一秒にも満たない短い時間だったが、胸いっぱいに多幸感が広がった。

サフィニアもきっと同じように感じているのだろう。互いにしばらく見つめ合い、再び顔を近づけてようとしたとき、すぐそばから幼い声がした。

「ちゅー?」

バッと離れてふたり揃ってそちらへと顔を向ける。眠っていたはずのアナが、腕にジェノベーゼを抱え、こちらをじっと見上げていた。

「あなもー」

顔を紅潮させながら慌てふためくシリウスとサフィニアをよそに、アナはソファをよじ登って真ん中を陣取ると、ふたりの頰にそれぞれキスをした。

サフィニアと顔を見合わせ、どちらともなく笑う。

不安に思うことなどなにもなかった。

確かに自分たちは、とっくに家族だったのだから。