作品タイトル不明
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アナと間違われサフィニアに抱かれたまま、まんじりともせずに夜の間中起きていたシリウスだが、明け方にとうとう限界がきて意識を失うように眠りについた。
そして目覚めると、今度はなぜか立場が逆転し、シリウスの腕の中にサフィニアがいて相変わらず気持ちよさそうにすやすや熟睡してた。
見かけによらず神経が太い。そして、鈍感だ。
ここにいるのが理性的なシリウスだからいいが、他人ならばこうはいかないだろう。これほど無防備なのだ。彼女の貞操など日を跨ぐ前になくなっている。
「まったく……。相手が私でよかったな」
緩くウェーブを描くようにのびた髪は艶があるからか案外指通りはいい。ひなたの匂いがするアナとは違って、彼女は森林のような爽やかな匂いがする。
貴婦人たちの主流である、あまったるい香水の匂いでないことがいい。
そのままなんとなく、シリウスは自分の妻である女性を観察した。
そう、驚くべきことに妻なのだ。
今後シリウス以外の誰のものにもなることのない女性ということだ。
なぜか彼女が自分の妻ということに、今日は不思議と胸が満たされた。
はじめて目にする寝顔。かわいらしいのひと言に尽きる。
肌は白く、唇は桃色だ。アナはもう少し赤い色をしているので、みな一様に似ていると言うが、こうした些細な違いがふたりが親子でないことの証明だと言えるのではないか。
両親とあまり似ていないシリウスが言えることでもないが。
見た目は別としても、サフィニアとアナの内面はかなり違う。
サフィニアが月なら、アナは太陽だろうか。……いや、ナスラン聖教的に言えば、アナは星かもしれない。無数の賑やかな星の子たち。大聖堂で見た子供たちが着ていた星の子の衣装をアナが着たらかわいいだろう。
そんなことをつらつらと考えていると、唐突に、サフィニアの目がぱちりと開いた。
寝起きのよさに驚き慄く。サフィニアは間近にあるシリウスの顔と、その腕に抱き締められているという事実に気づくと、なにを思ったのか、慌てて身を起こして一心不乱に祈りを捧げはじめた。
「待て待て待て、祈るな祈るな!」
必死の懇願によって祈りを中断したサフィニアは、シリウスの顔をじっくりと見つめてから、ことりと首を傾げた。
「……旦那様?」
「ああ、私だ。侵入者などではない」
目が覚めたときに男に抱かれていたら誰だって驚く。そう理解を示すシリウスに、サフィニアの顔はなぜか、みるみる熟れた果実のように真っ赤に染まっていった。
「申し訳ありませんっ、その……違うのです」
「違うとは?」
「目覚めてすぐにあまりに整ったお顔があったので、わたしはてっきり、神かと……」
「か、神……?」
目を剥くシリウスの前でサフィニアはしなしな萎れていった。
「わたしもとうとう神の御腕に抱かれる境地に到達したのかと思い平常心を失いました……申し訳ありません」
「それは……逆に、すまない」
神でなくて申し訳ないという、よくわからない謝罪をするはめになったシリウスだった。
シリウスと神を見間違えたことがよほど恥ずかしいのか、並んで歩く距離感がいつもよりも遠い。
言わせてもらえれば、神と間違われたシリウスの方が気まずいのだが。
神と顔立ちなど全然似ていないというのに。寝起きでシリウスをシリウスと認識できるようになるまで一緒に寝る訓練をした方がいいのではと思いながら、すでに起きて遊んでいるというユーリとアナのいる子供部屋に入る。
朝から元気な子供たちは、ぎこちない大人たちとは対照的に、昨日よりもいっそういちゃついていた。
子供部屋の柔らかいカーペットに座ったユーリの膝にアナが乗り、まるで恋人同士のように、お互いの耳元でこそこそと囁いてはくすくすと笑い合っている。
ジェノベーゼは普段通りアナの手に抱かれてはいるが、完全にふたりの世界だ。
(……この一夜になにがあった?)
「あ、ママー!」
サフィニアに気づくと、ユーリから離れてとたとた駆け寄って来るあたり、まだ母親が一番のようでほっとする。
屈んで腕を広げたサフィニアの胸に飛び込んだアナだったが、シリウスの足が寂しそうに見えたのか、ジェノベーゼの鼻先でちょんちょん突かれて慰められた。
ジェノベーゼの憐憫のこもった眼差しを右下から受けながら、正面に立ったユーリと向き合った。
「おはようございます、叔父様、叔母様」
「ああ、おはよう。アナの世話を任せてしまったが、しっかりと休めたか?」
「はい。アナは泣くこともなく、とてもいい子でしたよ」
本当だろうか……とアナを疑惑の目で見やる。とてもではないが素直に信用できない。
「あなねー、いいこなの」
アナがいい子かはさて置き。
(……まあ、ユーリが迷惑だと思っていないのなら、いいが)
「絵本を読んだら朝までぐっすりでしたよ」
どうやらアナもサフィニアに似て寝つきのいいタイプらしい。
そういえば遊び疲れたときも、気絶したかのように寝落ちしていたか。
「ユーリ様、ありがとうございます。お兄様に絵本を読んでもらってよかったね、アナ」
「あのねー? こぐましゃんがねー、おくつをねー」
アナの説明ではなにを読んだのかさっぱりわからないが、サフィニアは思い当たる絵本があったのか、にこにこしながら、うんうんとうなずいている。
「あなねー、ゆーりとねー、うたうの」
(突然話が変わったな)
今にはじまったことではないが。
サフィニアの腕から出て、ユーリに地面に座るよう身振り手振りで示したアナは、品よく座ったユーリの隣に、どたっと転がるように座った。
早くマナーの講師をつけたいと思うシリウスをよそに、ユーリが子供用のおもちゃの木琴を鳴らすと、アナはジェノベーゼを膝に置いた。そして、頭をゆらゆらさせながら、手のひらをひらひらと振り、童謡を歌いはじめた。
「♪ほーしーのーこー、きーらーよー」
歌詞は間違っているが、音程は合っている。きらよ、ではなく、きらり、だ。
まあ! と感動するサフィニアに倣い、シリウスも余計な口を挟まず耳を傾けることにした。
「♪かーわーいー、てーんーしー」
たどたどしくも元気に歌う幼子の愛らしさに、子供部屋の前を通りかかった使用人たちが骨抜きにされてしまい、玉突き事故が勃発した。
やはりかわいいは正義どころか、危険だった。
午前中いっぱいアナと遊んでくれたユーリは、昼食後、かしこまった顔で話しかけてきた。
「叔父様」
「どうした?」
「少しお話できますか?」
なにか大事な用件があるのだと察して、もちろんだと答えたが、ユーリにべったりだったアナを引き剥がすのには苦労した。
サフィニアに抱っこされてむくれているアナに苦笑しながら、シリウスの執務室で応接セットに向き合って腰かけた。
深刻な話なのだろうか。シリウスで解決できる問題ならばいいが……。
(まさか、学院でなにかあったのか?)
内心落ち着かずにそわそわするシリウスに、ユーリは真剣な面持ちで思い切ったように尋ねてきた。
「叔父様が養子を取ることになったのは、やっぱり、僕のせいでしょうか?」
思ったのと違う話に少々拍子抜けした。
「いや、そういうわけではないが」
「ですが、アナから、叔母様はずっとアナと寝ていると聞きました。叔父様は、僕が後を継ぐときにご自分の子がいると、後々後継者争いになるかもしれないと危惧しておいででしょう?」
「それは否定できないが……」
ユーリにつつがなく爵位を譲り渡すために自分の子供を作らないと決めていたが、どうやらそれが逆にユーリの負担になっていたらしい。
「養子を取ったことを否定しているわけではないのですが、もし僕のためだったのなら、なんか、申し訳なくて……」
「アナを引き取ったのは、ユーリのためとかではなく、妻の強い希望だったからだ」
「それは叔父様の意思に合わせてご自分の子を持てないからで……」
「それは違う。彼女は……たぶんだが、結婚前からすでにアナのことを知っていて、ずっと気にかけていたのだと思う」
信心深く教会によく通っていたサフィニアが、教会で産まれたアナのことを知らないはずがない。しかも自分とよく似た色を持つ娘だ。もしかするとアナが産まれたときから知っていたのではないだろうか。アナの実母とも面識があるのかもしれない。
「だからアナを引き取ったのは、ユーリのせいとかそういうわけではなく、彼女がアナを娘にしたいと願ったからだと、そう考えていてほしい」
ユーリは少し考える仕草をしてから、おずおずと考えを口にした。
「もしかして、アナと叔母様には、血の繋がりがあるのではないでしょうか?」
「隠し子ではない」
間髪をいれずに言ったシリウスに、ユーリが驚いたように慌てて否定した。
「えっ、隠し子? いいえ、全然違いますよ! 確かに似ていますが……叔父様はそんなことを考えていたのですか?」
「私ではなく、使用人たちが勝手に噂していたからだ」
シリウスが不満げに鼻を鳴らすと、ユーリは苦笑いで肩をすくめた。
「使用人たちは、わかっていて言っているだけですよ。だって叔母様からは、なんというか……子供を産んだ母親特有の匂いがしないでしょう?」
「は? 匂い?」
「母親の匂いというか……ちょっとあまい匂いです。幼い弟妹のいる友人たちの家に何度か行ったことがあるのですが、どこのお母様もそういう匂いがしていましたよ?」
シリウスは絶句した。
まさかそんな簡単に子供を産んだかどうか判断できるとは。
(……いや、ユーリが特別匂いに敏感な体質なだけかもしれない。きっとそうだ)
「それにメイドたちだって、その……洗濯をしていればわかりますよ」
(あ……)
確かに。
母乳は意志関係なく出るものなのだ。胸当てが濡れていたら、さすがに気づく。アナがここに来たときにはすでに乳離れしていたかもしれないが、もしサフィニアが実母だったのなら、時期から考えるとまだ母乳は出ていたはずなのだ。
(なんてことだ!)
そんな簡単なことにも思い至らなかった。シリウスが母親というものから縁遠かったせいで。
そう考えると使用人たちは、はじめからすべて承知の上で、仕事ばかりのシリウスが少しでもサフィニアとアナに関心を持つように噂話を聞かせた可能性まで出てくる。
ひとりふたりの共謀ではない規模の噂だった。これは組織ぐるみの犯行だ。
そんなことを画策しそうなのは、ひとりだけ。
(執事長……!)
もしや今まで、シリウスは執事長の手のひらの上で踊らされていたのだろうか。
真相を知って戦慄きながらも、ユーリがいる手前、表面を取り繕いながら知っていた体で話を続ける。
「私も妻がアナの実母でないことはわかっている。もちろん、アナの実母がすでに亡くなっていることも把握している」
「そうなのですか……。亡くなって……」
「アナにはもう少し成長してから話すつもりだ。だからアナには――」
「心得ております。アナの実の母親の素性がわかっているのなら、そこからたどれば叔母様との関係がわかるかもしれませんよ? たとえば、歳の離れた異母妹とか、隠された親族の可能性も、ないとは言い切れませんよね?」
「歳の離れた、異母妹……?」
なぜその可能性を一度も考えなかったのか。
サフィニアは実家と縁を切っている。
叱るときは怖いが基本的におっとりとした性格の彼女には似つかわしくない冷たい態度のように思えたが、それがもしアナに関係しているのなら、なくはない話だった。
「僕と叔父様も髪と瞳の色が似ていますし、親兄弟でなくとも、親族なら似ていてもおかしくはありません」
「……なるほど」
学院に入り、ますます聡く賢い子に成長している。このユーリの姿を、できることなら兄に見せてあげたかった。
どうにもならないことを思いながら、眩しげに甥っ子を見つめていると、思いもよらない発言で現実へと強制的に引き戻された。
「叔母様の親族なら貴族ですし、僕とアナが結婚しても問題ありませんよね?」
「……うん?」
シリウスの脳は理解を拒否したが、ユーリは続きを促されたと判断したのか話を進めてしまう。
「ずっと考えていたんです。叔父様の懸念を取り除くにはどうしたらいいのかを。僕は叔父様が爵位に固執するどころか拒絶するような人だと知っていますが、周りがそれを信じるかというのはまた別の話だということも、きちんと理解しています」
ユーリに信用されているのは嬉しいが、まだ頭がついていかない。シリウスが絶句しているのを、ただ黙って耳を傾けている大人の余裕だと勘違いしたままのユーリは突き進む。
「それに学院を卒業したからと言って急に爵位を譲られても、困ると思うんです。若いからほかの家から侮られるでしょうし、叔父様が退いたらここぞとばかりに老獪な親戚が口を挟んで来るかもしれません。つけ込まれて、利用され、搾取されて、没落するところまで想像できてしまって……。叔父様にはせめて僕が一人前になるまでそばにいてほしいですし、そのことで周りにとやかく言われたくないんです。だけど僕とアナが結婚したら、問題が一気に解決します」
そうでしょう? というように子供らしくかわいく小首を傾げられても、シリウスの頭は相変わらず衝撃で思考を止めてしまっている。
執事長の企みなど一瞬でどこかへと飛んで行った。
「け、結婚……? 待て待て、早まるな。そんな簡単に決めてしまっていいのか? いや、だが、アナはまだ、二歳で……」
「だからこそです。アナが結婚できる年齢になるまでは婚約者になりますが、きっと叔父様が父親なら、ほかの女の子たちとは違ってまっすぐな子に育つと思うんです。叔父様とは理由が違いますが、僕も学院にいるような女の子は、ちょっと苦手で。僕自身ではなく、僕の背後にある爵位しか見ていなくてぞっとするというか……」
この歳で女の子に辟易してしまった甥になにがあったのか問い詰めたい気持ちもあったが、この年齢にはすでに何人かに襲われた経験を持ち、他人に恐怖心を抱いていたシリウスに言えることはなにもなかった。