軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

15

「あなねー、ゆーりのねー、およめしゃんなのー」

シリウスの考えが纏まらなかったので、甥と娘の婚約の話は一旦持ち越しという結論にしたというのに、アナは一体どこから聞きつけてきたのか周囲へと盛大に暴露した。おかげで飲んでいた紅茶を噴き出すという大失態をおかしてしまった。

むせるシリウスの上着を、執事長が速やかに脱がして新しいものを着せる。

少し目を離したその隙に、ユーリとアナの親密度はますます増していた。膝の上が定位置となり、手ずからボーロを食べさせてもらい、人の気も知らずにいちゃいちゃしている。

「でもその前に、婚約だよ。アナはずっとそのままでいてね」

ユーリは外堀から埋める作戦に切り替えたのだろうか。ふたりの仲を見せつけられた使用人たちが、それは素敵ですね! と、勝手に盛り上がりを見せている。

いや待て、と。シリウスが言ったところで、本来の当主はユーリである。使用人たちがユーリに従うのは本来あるべき姿なのだが、この件に関しては聞き流してはおけなかった。

サフィニアはユーリの性格をよく知らないせいか、子供同士がするかわいい将来の約束程度に思って微笑ましげにしているが、使用人たちはそれこそ産まれたときから知っているせいか、そこに垣間見える本気に気づいているはずだ。

ユーリは気持ちの優しい子だ。自らの意思を押し通すことで誰かが傷つき悲しむのなら、その気持ちを封じて引き下がるような子なのだ。

だがそうでないのなら、遠慮することなく行動する子でもある。

賢いのでどうしたら望み通りの結果が得られるか考える力もある上、最善の努力をすることを苦としない根気強さも持っている。

娘の結婚相手として考えると、これ以上ない相手ではあるのだ。

先のことは成長したユーリとアナの気持ちに任せるとしても、今のうちにユーリの婚約者を据えておくこと自体は悪くないのではと前向きに検討してみる。

すでに爵位目当ての有象無象がすり寄って来ていると言うし、既成事実を作ろうと強引な手に出る者もそのうち現れることだろう。甥にはシリウスのような悲惨な少年時代を送らせるわけにはいかないのだ。

ただひとつ悔いがあるとすれば、アナに、「おとうしゃまとけっこんするのー」とか、普通の父親が言われるようなことを一度くらいは言われたかった気もしなくはない。

お父様と呼ばない時点で儚い夢なのだが。

ユーリの膝の上で幸せそうにボーロを食べているアナを見ながら肩を落としていると、サフィニアに慰められた。

「背中が寂しそうですよ、旦那様」

「せっかく懐いた娘が嫁ぐと思うとな……」

「嫁ぐと言っても、実際にはまだ十年以上も先のことではありませんか。その間に、いっぱい楽しい思い出ができるでしょうし、うんざりすることもたくさんあると思いますよ」

「うんざりするのは勘弁してほしいが、不可避なのが目に見える」

あのアナだ。上品な淑女になるとは思えない。適齢期になってもジェノベーゼを引き連れて、屋敷に飽きたらず街中を駆け回っていそうで不安しかない。

ユーリにそんな娘でいいのかと、もう一度問いたいところだ。

(……まあ、仲が悪いよりはいいが)

しかし仲良し過ぎるのも問題だ。

問題が起きないよう、しっかりと目を光らせておくように、ジェノベーゼに無言の圧で念押しをする。

光の加減か、ちょうどジェノベーゼの翠色の瞳がきらっと煌めいたので、了承の意味だろうと都合よく解釈しておくことにした。

「というわけで、この度、甥と娘の婚約が決まりました」

「待て待て待て! 急展開が過ぎる!」

ひっくり返りそうになっている王太子を、側近たちが慌てて両側から支える。

その重厚な椅子がそう簡単にひっくり返るとは思えないが、と思いつつ、シリウスはユーリが学院に帰ってからのアナの大泣きっぷりを思い出してうんざりとした。

サフィニアの予言がこんなにすぐに的中するとは。

嫌がるアナを無理矢理引き剥がして、また会いに来るからと困り顔で言うユーリに、最後は泣きながら再会の約束を交わしていたが、翌日からなにかにつけて赤ん坊のように激しく泣きじゃくるようになってしまった。

シリウスの耳には今も、アナの悲痛な泣き声がこだましているほどである。

正直、泣き止むのならなんでもする。そんな心境だった。

「そんなに簡単に決めていいのか?」

「簡単に決めたわけではありませんが……身内同士で婚姻を結ぶのはよくあることでしょう。そこまで驚くことですか?」

「あの変な娘が身内とはいえ見初められた事実に震えている」

「見初められた……のかはわかりませんが、甥はすでに同年代以上の少女たちの隠しきれない野心に辟易しているそうです。私ならば娘を真っ当な感性を持った淑女に育てられると信じているらしいので、その期待に応えようかと」

「難儀な一族だな……。もっと遊ぶことを覚えたらどうだ?」

「純粋な甥を悪の道に誘うような者は、私が持ちうるすべての力を駆使して排除する所存です」

今後はユーリだけではなく、アナに近づく輩も排除せねばならない。

物理的に排除するのなら執事長がいればこと足りるのだが、問題はアナが悪い男からの誘いにふらふらついて行かないかという精神面での不安だ。

今から気が気でないシリウスとは対照的に、サフィニアはのんびりと構えている。アナはシリウスの顔を見慣れているから、たいていの男には騙されないだろうと根拠のない気休めを言うほどだ。

ユーリのことを王子様だと思っているので、そうそう心変わりもしないだろうとも言っていたが、十年後も同じことを思っている保証などどこにもない。

(なにかあればジェノベーゼが牙を剥くだろうが……)

いや、ぬいぐるみになにを期待しているのか。冷静になって考えるとおかしな話だが。

「もちろん甥にも娘にも政略結婚させるつもりはないので、将来のことは将来の当人たちに任せることにして、ひとまず、という形なのですが」

ユーリに押し切られたわけではなくて、シリウスとしても冷静に考えた上での決断だった。

「身内なので将来的に合わないようなら婚約解消も楽でしょうし、婚約者がいることでよそからの政略結婚の打診を、角を立てず穏便に躱わすことが可能なのです。下級貴族や、うちのような爵位はあっても家自体に大した力のない弱小貴族などは、上からの圧力にはどうしても屈さなくてはなりませんから。婚約を利用して望まぬ婚約を回避し、甥と娘の両方を適齢期まで守り通すことができるわけです」

「そういうものか……?」

王太子に圧力をかけられる人間などそう多くはないのでピンと来ないかもしれないが、側近たちはやはり同意してうなずいていた。

「殿下も人ごとではありませんよ。公爵にも幼い孫娘がいるではありませんか。公爵家は第二王子の後ろ盾とはいえ、現時点で第二王子の王位継承権は第三位。殿下の排除に失敗したときに備えて、継承権第二位のご子息の婚約者に、その孫娘を据えようと目論んでいるのは間違いないでしょう」

王太子の息子の婚約者候補として、家柄だけ見れば相応しい相手だ。

想像したのか、王太子が露骨に顔を顰めた。

「息子に政略結婚をさせるつもりはないぞ。俺と同じように、恋愛結婚をさせる」

その発言を聞いた側近一同、耳を疑った。

王太子はいつ恋愛結婚したのだろうかと、引き攣った顔で目配せし合う。

王太子妃は当時、自分は国母になる器ではない、責任が大きすぎる、などと、それっぽい理由をつけて辞退しようとしていたが、本音ではしつこい王太子のことを本気で嫌がって拒絶していた。

扇子で隠していたが、「うざっ……」というつぶやきを何度も耳にしていたので間違いない。

それを押し切って、王太子が実力行使で婚姻まで漕ぎ着けたのだ。

王太子が王太子妃のことを好きなのは嫌と言うほど知っているが、その逆、王太子妃が王太子のことを好きだったことなど、おそらくただの一度もない。

王太子の頭の中では相思相愛になっているのかと、誰ひとり口を挟むこともできずに震えていた。

王太子妃が結婚が嫌で逃げ出したことさえも、きっともう記憶にないに違いない。

シリウスは自らが招いてしまった重苦しい雰囲気を払拭するために、空気の読めない人間のように無理やり話を切り替えるほかなかった。

「それでなのですが、殿下。もう一度休暇を申請してもよろしいでしょうか? 牧場に行く予定でしたが、甥の帰宅と重なってしまったので」

王太子は休暇申請の書類を見て軽くため息をついた。

「そんなに休んで……と言いたいところだが、最近なぜかおまえに怯えて無茶を言いに来る役人が減ったから、一日ならいいぞ」

「怯える、ですか? なぜ今さら?」

前々から怯えているように見えたあれはなんだったのか。怯えるふりだったのだろうか。もっときつく当たってもよかったのなら、今度から手加減せずにそうする。

「なんか、変な噂が立ってるぞ。どこかのご令嬢に暴れ馬をけしかけて顔に傷をつけた挙句に、その顔では傷があってもなくても嫁ぎ先などないだろうと冷たく言い放ったとかなんとか」

「それが事実ならば犯罪ですが」

「だから平然と城内を歩いているおまえにみな怯えるんだろうが」

噂の犯罪者が野放しにされていたら、確かにそれは怯えもする。

「私に不利益な噂でないのなら構いません。……まあ、概ね事実ですが」

ぽそりとそうつぶやくと、周りから音が消えた。

「……噂、なんだろう?」

けしかけたのがアナで、馬がジェノベーゼなだけで、それ以外はほぼその通りだ。

なぜだろう。側近たちの体がかたかたと小刻みに震え出した。寒いのだろうか。それともまだ王太子の恋愛結婚発言を引きずっているのか。

「まさかポニーも娘のためと言いながら、人に危害を加えるために飼う気じゃ……」

さすがにポニーでは難しいのではないだろうかと思ったが、ジェノベーゼがやれるのだから、ポニーにも秘めたポテンシャルを期待していいかもしれない。

(……待て待て)

危ない。目的を見失いかけた。

アナのためのポニーだ。そこを間違えてはいけない。

最近はジェノベーゼで十分な気もしているが、情操教育のために、本物と触れ合わせる機会も必要だ。

「……本当に妻とうまくやれているのか?」

「? ええ。最近はアナが泣いたり落ち込んだりで大変なので、一緒に寝ています」

「あのシリウスが!? 嫁と同衾を!?」

ざわつくほどのことなのか。

「間にアナを挟んで、ですが」

そうつけ加えると、ほっとした空気が広がった。なぜだ。

彼らの心情は相変わらず読めないままだが、ひとまず、休みがもらえたから、よしとしよう。