軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12

長期休暇を領地で過ごした甥から、学院に戻る前に一度屋敷に顔を見せるとの連絡が届いた。

それと同時に、孤児院からようやく問い合わせへの返答が到着した。

シリウスは自室で封を切り、時節の挨拶からはじまるそれを一読した。

どうやらアナを産んだのは、教会の若いシスターだという。

しかもアナを産んでしばらくしてからその娘は亡くなったそうだ。

教会で産まれたためか、どうやらアナは孤児院ではなく教会の方で養育されていたらしい。

父親については、アナの母親が頑なに口を割らなかったこともあり、誰も知らないとのことだった。

てっきりわけあって孤児院に預けられた子供だと思っていたが、まさか教会で産まれていたとは思いもしなかった。

若いシスターが、父親のいないまま子供を産もうと決意するだけでも大変なことだったろう。それなのに幼い子を残して旅立たねばならなかったのだ。彼女の心情を思うと胸が痛む。

亡くなった理由までは記されていなかったが、出産が原因ということも、可能性としてはあり得るのではないか。

この事実だけでも屋敷内に蔓延る隠し子説は払拭できるだろうが、それを周知させて、万が一アナの耳にでも入ったら……。

今はいい。まだなにもわからない幼子だから。

だが物心がついてしまえば、サフィニアが本当の母親でないこととともに、実の母親が自分を産んだせいで亡くなったかもしれないという悲しい事実を知ることになる。

アナのことを考えれば、本当のことを知らせるのは分別がつくくらいに成長してからの方がいいに決まっている。

使用人たちはアナのことを隠し子と噂しながらもかわいがっているようだし、サフィニアにもしっかり仕えてくれている。

(しかし……執事長だけには話しておくべきか)

執事長の耳に入れておけば、単なる噂話でも目に余るようなら彼から嗜めてくれるだろう。

ひとまずアナの件と、甥を迎える準備の話し合いもせねばならない。

やることは山ほどある。

だが今だけは、この安堵感に浸っていたい。

アナはサフィニアの子ではなかった。

容姿が似ているのは、ただの偶然だったのだ。

もしかすると自分に似ているからこそ、アナを選び、引き取ったのかもしれない。

とにかく、サフィニアが結婚前に誰かと子供ができるほどに愛し合っていたわけでもなく、無理矢理襲われて望まぬ妊娠をしたわけでもなかった。

それさえわかれば、もはやアナの父親がどこの誰かなど、どうでもいいことだった。

その男がサフィニアと愛し合ったのでなければ、どこでどのように暮らしていようがシリウスには関係ない話である。

サフィニアはシリウスの妻で、アナは娘だ。

接するようになって日は浅くとも、さすがに自覚は芽生えている。

実の親だからとアナを返せと言われても厄介だ。できればその男が娘の存在を一生知ることがなければいいと思いながら、シリウスは執事長を呼ぶべく執務机の隅に置かれたベルをチリンと鳴らした。

**

シリウスの甥であるユリウス・バロウ――ユーリは、学院に通う十一歳の少年だ。

髪や瞳の色はシリウスと同じく、バロウ家の特色を強く受け継いでいる。だが残念なことに、サフィニアとアナのように親子に間違われたことは一度もなかった。

色彩のせいで冷淡に見えがちな一族の中で、ユーリだけは母親譲りの優しげな目元と穏やかな性格を引き継いだおかげで、近寄り難さを感じさせない親しみのある雰囲気を持っている。

シリウスとは一見真逆のようにも見えるが、甥との相性は悪くなかった。むしろ良好と言ってもいいだろう。

寄宿舎に入ってからは顔を合わせる機会がほとんどなかったせいか、少し見ないうちに背が伸びていて驚いた。シリウスからすればまだまだ小さな子供だが、甥の成長を感じられて嬉しくなる。

さすがに抱き合うことはしなかったが、シリウスは玄関先で再会を喜んだ。

「おかえり、ユーリ。元気だったか?」

「はい。お久しぶりです、叔父様。それと遅れてしまいましたが、改めてご結婚おめでとうございます」

シリウスとともにユーリを迎え入れたサフィニアは、相手が子供だからだろう、あまり緊張した様子はなく、嬉しそうに微笑んでいる。

「ありがとう。彼女が妻のサフィニアだ。こっちが甥のユーリ。サフィニアはその辺の会話すらままならない女どもと違ってキィキィ喚いたりしないから安心するといい」

シリウスがそう言うと、ユーリは相変わらずだなぁと、困ったように曖昧に笑った。そして視線を下げたとき、シリウスの足に後ろからちょっとだけ顔を出しているアナの存在に気づいたのか、目を丸くした。

「わぁ、この子が手紙に書いてあった子ですか?」

「そうだ。アナと言う」

ユーリには事前に養子を取ったことと、サフィニアに容姿が似ていることを伝えてあった。

根が優しく純粋な子なので、隠し子という発想は思い浮かびもしなかったらしい。アナに目線を合わせるようにしゃがんで笑顔を見せている。

「おにいちゃ、だあれ?」

アナはユーリをじっと見つめ、ジェノベーゼを抱きしめながらことりと首を傾げた。

「かわいい……」

ユーリが感嘆をもらす。

中身は少々難ありだが、見た目は文句なしにかわいいのだ。騙されるなと言いたいのをどうにか我慢した。

「ユーリお兄様、だ。文字数が多いが、言えるか?」

「ゆーり、おにぃ、しゃ?」

「なかなかいい線を行っている。……ちなみにだが、そろそろお父様が言えたりしないか?」

「おうましゃん」

なぜだ。

しかも後退している。

ジェノベーゼと目が合うと、笑われた気がした。

「ユーリでいいですよ、叔父様。ユーリだよ、ユーリ」

「ゆーり?」

うん、とユーリが優しくうなずくと、アナは挨拶がわりのジェノベーゼの自己紹介をした。

「おうましゃん、じぇのべーぜなの」

「かわいいぬいぐるみだね。あ、もしかして目が翠色で綺麗だから、ジェノベーゼなのかな? いい着眼点だね」

そう言ったユーリに、アナが見たこともないような、ぱぁっと輝く満面の笑みを見せた。

どうやらジェノベーゼの名前の由来は、目の色だったらしい。はじめて知った。

てっきり蹄に踏み締められた草の汁からのイメージだと思っていたが、違ったのか。

サフィニアなど、響きがかっこいいからだと思っていたなどとわけのわからないことをつぶやいているので、ふたり揃って見当違いの解釈だったわけだ。

(しかしユーリ、この一瞬でよくわかったな)

やはり子供のことは子供にしか理解できないのだろうか。

ジェノベーゼの件もあり、アナはユーリに秒で懐いた。ユーリに向かって両手を広げる。抱っこしてほしいときのポーズだ。

「抱っこしても大丈夫ですか?」

ユーリに確認されて、まあ大丈夫だろうとシリウスはうなずいた。

ユーリに抱っこされたアナはその細い首にジェノベーゼごと腕を回して、しっかりと抱きついた。

ユーリに対しては、顔面に馬を走らせたりしないらしい。

しかしよく思い返してみたら、シリウス以外の誰にもやっていないことに今気がついて愕然とした。

「ゆーり、あそぶ?」

「うん、いいよ。なにをして遊ぶ?」

「じぇのべーぜにねー、のるの」

(絶対に無理だろう)

ジェノベーゼが潰れて死ぬ。ぬいぐるみに死という概念があるのならだが。

「ゆーり、おうじしゃま」

「え?」

「おうましゃん、のるのー」

疑問符を浮かべるシリウスに、サフィニアがそっと要約してくれた。

王子様は馬に乗って登場するので、ユーリにも馬に乗って登場してほしいのだとアナは訴えているらしい。残念ながら聞いてもまったく意味がわからなかった。

「絵本の王子様は白い馬に乗って登場しがちなのです」

「しがちって……」

その通りなのだろうが、言い方……。王子様になにか恨みでもあるのだろうか。

白馬に乗った王子様が一気に滑稽に見えて来るではないか。

そもそもジェノベーゼは白馬ではない。普通に茶色い馬だ。ちなみに四肢の先と鬣としっぽの毛は黒である。

「えぇと……? 僕は王子様じゃないよ?」

現実的なことを言えばユーリは次期バロウ家当主であり、王族とは過去を遡ってもおそらく繋がりなどないのだが、アナが言いたいのはきっとそういうことではないのだろう。

「ゆーり、おうじしゃま」

「違うよ?」

「あなのー! おうじしゃまなのー!」

足をばたばたさせてごねるアナは、わかって言っているのだろうか。いや、あの顔はおそらくわかっていない。パパをパパという名前の人だと思っているような娘だ。理解しているはずがない。

しかしユーリの心臓は的確に撃ち抜かれたらしく、まだあどけなさの残るその頰を赤くしながら視線を泳がせた。

「えっ、え、えぇと……そういう意味……? えぇ……?」

アナの愛嬌の前に、賢い甥の語彙力が死んだ。

アナのかわいさは危険だ。野に放てば純情な少年たちを無意識に弄んで最悪殺しかねない。

(なんて恐ろしい娘だ)

これは早めに婚約者を決めておくことも考えておかなければ、アナを巡った男たちの壮絶な争いがはじまってしまうかもしれない。

そんな無駄な心配をするシリウスをよそに、ユーリの腕からずりずり降りたアナへと、サフィニアからやんわりとした教育的指導が入る。

「お兄様を困らせたらだめよ、アナ。それと、ジェノベーゼをいじめるのはいけませんって、いつも言っているでしょう?」

「いじめ、ちがうの……」

「だったら、乗るなんてかわいそうなことを言ったらだめ。乗ったらジェノベーゼが潰れちゃうわよ?」

アナは腕の中のジェノベーゼを一旦床に置いて、しゃがんでしばらくじっと観察してから、つんつん背中をつついたりして、ようやく、乗るのは不可能だと理解したようだった。なぜいけると思ったのかは謎でしかない。

ジェノベーゼを再び腕に抱き、アナは反対の手でユーリの手を握って引っ張った。

「おそと、いくー」

「うん、いいよ。なにをしようか?」

仲良く手を繋いで庭へ向かうふたりを、シリウスとサフィニアは揃って不安な面持ちをしなから後からついて行く。

「お馬さんごっことか、泥んこ遊びだとか、無茶を言い出したら絶対に止めてください」

お馬さんごっこは提案されたことがあったシリウスだが、泥んこ遊びは知らない。アナはそんな、汚れるだけでなにも得ることのない遊びになにを求めているのだろうか。

水たまりでさえ顔を顰めて避けて通るシリウスには一生理解できないなにかがあるのだろう。理解したいとも思わないが。

庭に出てすぐに、アナはいつものように駆け出そうとしたが、ユーリと手を繋いでいたことを思い出し踏み留まった。シリウスやサフィニアのときは振り払ってでも駆けていくのにと思ったが、まだほぼ初対面なのだから遠慮があって当然だった。

そう考えると、シリウスはアナの中で、遠慮なく接することのできる親しい大人の範疇にいるわけで。

父親だと認めてくれているのかはわからないが、少なくとも、家族だと思われているようで安心する。

「女の子だと、どんな遊びをするのですか? おままごととかでしょうか?」

ユーリに尋ねられたシリウスは、気まずげに視線を逸らした。アナとそんな女の子らしい遊びをした記憶は、残念ながら皆無だった。

「アナは好奇心旺盛で活発な娘だから……ボール遊びとかだろうか?」

ぎりぎり女の子でもいける、はず。

シリウスが前に賄賂であげたボールを執事長に持ってきてもらい、ユーリに手渡した。

「小さい子だと、鞠つきとかがいいかな?」

ユーリはアナの前で身を屈めて、地面にボールをぽんぽん突いてみせる。

それを目にしたアナは、見事なぽかんとした顔を晒していた。

なぜならアナにとってボールとは、壁に投げて跳ね返って来るのを楽しんだり、蹴って転がし、一緒に駆けずり回って遊ぶものだったからだ。おとなしくその場でつくという考えは微塵もなかったに違いない。

サフィニアも衝撃を受けたらしく、ユーリを見ながらぽつりとつぶやいていた。

「ボールって……人にぶつけて遊ぶものだと思っていました」

シリウスは静かにサフィニアを二度見してから、聞かなかったことにした。

アナはユーリにボールを手渡され、見よう見真似で手でつくが、さすがにはじめからうまくいくことなく、あっちへこっちへ転がっていく。

それでへこたれる娘ではないのだが、その飛んで行ったボールを拾って来る大人はたまったものではなかった。

運動不足のシリウスが早々に子供たちの遊びから離脱することになったのは、至極当然のことだった。