軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

42 孤児院のシシリィ・マイリィ6

飛び込もうとしていた川を離れ、下の子を背負い上の子と手をつなぎ、足を引きずりキルトは家に引き返そうとした。

ふと

道中に孤児院があるのを思い出した。

道でくず拾いをしている子供たちを見て

どうしてあの子たちはこどもなのにお仕事をしているの?と上の子が言ったことがあった。

親のない子を見下すような娘に育ってほしくなくて

寝る前のお話で、孤児院のお姫様の話をした。

何がそんなに気に入ったのか、何度もせがまれて、同じ話を繰り返す羽目になった。

つないでいる手を見た。

もうふっくらとしていない、火傷の跡が痛々しい娘の頬を見た。

薄い生地に包まれた体は骨ばって、腕などもうマッチ棒のようだった。

親のある子なのに

この子はもう、彼らよりずっと痩せてしまった。

こらえてもこらえても涙が落ちた。

死のうとした。

そしていったんは思い直し、このまま家に帰っても、きっとまた同じことをする。

だってただ一つの銅貨も、それを手に入れるためのすべも、もうこの引き攣った手にはないのだから。

「10数えて、お母さんが見えなくなったら、すぐに門を叩きなさいと言いました。もう凍えて冷え切って、足の先も紫になっていたから」

死ぬなら一人で

あの子たちを連れてはいかない

あの明るい孤児院ならばきっと、きっと子供たちを受け入れてごはんを与えてくれる。

上の娘に下の娘を抱かせ、頬を両の手で挟んだ。

顔をじっと覗き込んだ。

『おかあさん』

『うん』

『まんなかまた食べようね』

『……うん』

涙で娘たちの顔が見えなくなるのが嫌で、ごしごしとぬぐった。

『……さようなら』

視線を振り切るように走った。振り向いたらもう手を離せず、きっとまた一緒に死にたくなると思った。

「わたしはあの子たちを愛していました。でも同時に心のどこかで、お荷物だと思っていたのです。この子たちがいなければもっと働けるのに、こんなに飢えはしないのにと。でも間違いでした」

震える指が顔を覆う。

「荷物じゃない、杖だったのだと気づきました。二人がいなくなったら、働こうとも、ご飯を用意しようとも、体を洗おうとも思わなくなりました。あの子たちがいたからこそ、わたしはぎりぎり立っていられた。人間でいられたのだと気づきました」

ふたたび死ぬために家を出る力もなく

ついに家を追い出されキルトは路上で寝起きするようになった。

「自分が生きているのか、死んでいるのかわからないまま、ここに。ただ少しでもあの子たちの近くにいたいという一心で」

ぐぅと嗚咽を漏らした。

「自分で捨てたくせに。愚かな女のお話を聞かせて申し訳ありません」

「――お嬢様たちのお名前は?」

「シシリィと、マイリィです。夫が、出身の国にあるきれいな島の名前を付けたのです」

うわぁとレイモンドがのけぞった。

お顔がよく似ていらっしゃるものねえとうんうんクレアが頷いた。

ソフィがスッと立ち上がり、腕まくりをした。

「どうでしょう、指は動きますか?」

火傷を癒され現れたキルトの顔は、まさにクレアがいう通りシシリィマイリィにそっくりだった。

恐る恐るという様子で、これまたソフィに癒された指を動かす。

「……動きます……ええ動きます!」

「骨や腱に何かがあればわたくしの力では癒せていません。動かして痛みはないですか?」

「ありません……まるで夢のようです」

「そうですかよかった。しばらく動かしていなかったのですから最初からは無理せず、徐々に慣らしてください。ところでキルト様申し訳ございませんがわたくし急いでいるのでいくつか端的に申し上げます」

「はい?」

「まず、シシリィさんとマイリィさんはお元気です。母親から語られた『蓮の花の王女』のお話を、宝物のように抱きしめて、前を向いてお過ごしです。それとアラストラ孤児院は正式に『孤児院の子』となるのは預けられてから三年経ってからだそうです。あらあと一年でございますわ生活の基盤を築くにはあまりにも時間がございませんわね。そして今町では花の刺繍の服が流行っております。我が家の優秀な侍女の予想では今後より緻密で数の多い刺繍が流行することになるでしょう。今優秀なお針子がいればどこでも求められることと思います。ところでアラストラ孤児院の院長は子供たちへの愛ゆえに相当手ごわいお方です。もしも、万が一、一度捨てたものを取り戻したいとお考えならば相当のご覚悟とご準備が必要です」

キルトが息を飲む。

治ったはずの手は小刻みに震えている。

「キルト様、いい孤児院にお子様をお預けになりました。きっとこれからお二人はあそこですくすくと育ち、いい養父母やお店に引き取られることでしょう。ですが」

「……」

キルトが恐ろしいものを見るようにソフィを見ている。

きりとソフィがキルトを見据えた。

仕方なかった、それしかなかった。それでよかったのよと

この女性を励ましたい気持ちはある。でも

『好きなおやつはドーナツのまんなか』

イチゴのたくさんのったケーキを前にして、そう言ってあの子は嬉しそうに笑った。

「もしも、どうしてもそこから取り返したいという強い意志がおありなら。あなた様には己を責めている時間がございません。一刻も早く身を清めごはんをいっぱい食べて力をつけて、お仕事をしてお金を貯めて、小さくてもいい親子三人が幸せに暮らせる家を借りる必要がございます」

親のない子供だって、見守る誰かの優しい目があれば、健やかに育てる。

あたたかいあの場所ならば、シシリィとマイリィはきっとすくすくと育てることだろう。

でもシシリィは待っている。

『蓮の花の王女』の話を妹に繰り返し聞かせ、抱きしめてなぞりながら

途中で終わったその話の続きを聞かせてくれるはずのただ一人の人を待っている。

「孤児院に預けられた日、シシリィ様は10数えて、お母さんが見えなくなっても門を叩きませんでした。朝になるまで、マイリィ様を抱いたままそこに立っていたそうです」

口をおさえキルトがボロボロと涙をこぼした。

「もしかしたら道の先から、ひょっこりお母さんが戻ってくるのではないか、そう思って、寒くても怖くても待っていたのでしょう。また温かいまんなかをお母さんと笑って一緒に食べようと待っていたのでしょう、あれを食べれば、お母さんが笑うから。今もあの子は妹を守りながら、必死に床と窓を磨きながら、妹を励ましながら、物語りながら迎えを待っておいでです。マイリィ様は天真爛漫に、そんなお姉さまを心から慕って信じておられます。あのけなげなかわいい子たちは、いったい、いつまで、待てばよろしいのでしょうか」

「わたし体を洗ってきます!」

急に走ったら危ないですよとクレアが言った。

今の時期は西の広場の井戸のほうが水があったかいよとレイモンドが言った。

遠ざかっていった女性の姿が消えたのと同時にソフィは振り返る。

「孤児院に戻りましょう」

目の前のお餅のような白い頬を、にこにこと微笑んでソフィは見つめた。

孤児院に戻ったときにはシシリィもマイリィもすでに夢の中で、子猫のようにくっついて丸まっていた。

起こさないように癒そうと思っていたのに、魔術は光るので大変ヒヤヒヤした。が、二人とも疲れているのかピクリともせず、光が収まり、そこにはこども二人分の柔らかな頬が現れた。

明日の朝きっとびっくりするわとソフィは想像して、何度でもにこにこする。

ドアが開きランプの光が差し込んだことに気づき、ソフィは二人を起こさないよう、抜き足差し足で部屋を出た。

「お話はクレア様からお伺いしました」

院長室。院長が眉間を揉みながら言い

カッ!と目を見開いた。

「いい度胸です。今更のこのこと引き取りに来られるものなら来てごらんなさい」

「お二人にはお話しになるのですか?」

「まさか!」

またカッと院長が目を見開いた。

「何もないところから女が一人で生活の基盤を作る。たった一年で? 何の保証もありますまい。子供達には期待をさせるだけ酷でございます」

「それでもキルト様が万事整えて現れたら」

「……実に勝手な話ではらわたが煮えくり返りますが、実の母親なのですから引き渡すほかありますまい。ですがこちらも養子や奉公先の準備は予定通り進めます。おかげさまで健康で容姿、性格とも優れている子らですから、きっといいお話があることでしょう。その上で母親にはわたくしこと『ネチネチマーガレット』が、本領を存分に発揮して温かく対応させていただきます」

ふんと鼻息を吐いた。

やっぱり手ごわいわ、とソフィは思った。

彼女は壁だ。

屋根を失った子供たちを守り

生きていくための知恵と日々の糧を与える

この孤児院の塀に似た血の通う生きた壁だ。

「……キルト様は二人を手放したこと、大変後悔しておいででしたが、わたくしは正解だと思いました。ここはあたたかな、素晴らしい孤児院ですわ」

「もちろんです。ところでソフィ様、オルゾン家に侍女の不足はございませんか?」

「手ごわいわ」

頑張れ、頑張れキルトさん。

今頃井戸の冷たい水で必死に体を洗っているだろう女性に

白目を剥きながらソフィはエールを送った。