作品タイトル不明
ラヴィニア姫が壊れた
幼児ーズからキスをされたラヴィニア姫は、何故か思春期の娘みたいにボーッとしてしまった。
ダヴィ坊やはともかくとして、同性の幼児にキスをされてボーッとしてしまうなんて、どうにも自分が許せない気持ちになった。
(これじゃ、恋する乙女みたいです。信じられない。相手はガキですよ…。それは…。わたくしも、身体はガキですけれど…!)
他者との交流がない軟禁状態から、いきなり激しいスキンシップに晒されて、ラヴィニア姫のアタマは混乱していた。
何とか正常に戻ろうと頑張るのだけれど、直ぐにぼんやりと惚けてしまう。
胸の内がふわふわとして、意識を集中できない。
何もかもが、どうでも良くなってくる。
多幸感である。
相手も定かでないのに、キスのショックで恋愛スイッチが作動してしまったのだ。
ラヴィニア姫は女児だけれど、厳密に言えば人からかけ離れた存在である。
精霊樹の葉から造りだされた身体が、どこまでヒトを模したものなのか保証の限りではない。
そう考えてみると未成熟な女児なのに、モヤモヤしてしまうのもあり得る話だった。
実に難儀なコトである。
「ラビー。おーい。らびぃー!」
メルが声をかけても、返事をしない。
トロンとしている。
「こまった…。ラビー、こわれた」
「えーっ。壊れたって、どういうコトよ?」
「しあわせそぉーな顔で、ヘンジせんヨ!」
「しっかりしろぉー、ラヴィニア!」
「………えっ。なんで叩くの?わたくし、ダヴィに何かしましたか?」
ダヴィ坊やに頬っぺたを叩かれて、我に返ったかと思われたラヴィニア姫だが、タオルで身体を拭いている最中に再びフリーズ。
「アカーン。ままぁー。助けてくらはい!」
メルは素っ裸で、アビーを呼びに行った。
ちょうど『酔いどれ亭』に到着したユリアーネ女史とアビーが、惚けてしまったラヴィニア姫の介抱に当たった。
「メル、いったい何があったの…?」
「わらし、知らんヨ」
メルはキョドリながら、しらばっくれた。
何となく思い当たる節があったけれど、それを口にするのは躊躇われた。
皆でキスしたらアホになったとか、滅茶クチャ言いづらい。
前世記憶の男子高校生が、全力で嫌がっている。
「あーっ。ウソつきの顏してる」
「やっ、しとらんヨ…。わらし…。いっつも、こんな顔デス!」
ちゃんとアビーの目を見て喋りたいのに、視線が泳ぐ。
「なんで腕組みをしているのかなぁー?普段は、そんなポーズしないのに…」
「ややっ…。オカシですねェー。もしかしてハダカ、サムイかも…?」
「その言い訳の方が、寒いよ!」
腕組みをするのは、真実を隠そうとする心理的な自己防御の表れだった。
「アビーさん。メルさんを責めないでください。姫も惚けているだけで、別段これといって異常はありません。いきなり沢山の友だちが出来て、興奮したのではないでしょうか…。詳しい事情は、落ち着いてから姫に訊ねてみましょう」
「えーっ。でもさぁ。メルは、何か隠してる…。嘘つきは悪い子だよ。コラッ、白状しなさい!」
「ィヤッ!」
メルは走って逃げだした。
向かう先は、精霊樹の休憩室だ。
籠城である。
その後アビーは、服を着て食堂に姿を見せた幼児ーズから、詳細を聞かされた。
タリサとティナの説明は実に理路整然としていて、時系列も明確で分かりやすかった。
ダヴィ坊やの説明でさえ、メルの話を聞くよりずっとマシだった。
だがしかし、幼児ーズの話を信じるとなれば、小さな女児がキスで興奮してしまった事になる。
「そんなことが起こり得るの…?」
「はぁー。ラヴィニア姫の特殊な状況を考えるなら、無いとは言えません」
「トクシュ…?」
「姫は三百年も、封印の巫女姫を務めていらっしゃったのです」
「えーっ!」
アビーはひっくり返りそうになった。
ユリアーネ女史はポーッとしたラヴィニア姫を抱っこして、帰路についた。
メルが引きこもってしまったので、幼児ーズはアビーにお昼ゴハンを出してもらった。
一見してハンバーガーのようだが、バンズの間に挟まっているのは柔らかい薄切りカルビ肉とレタスだ。
幼児ーズでも食べやすいように、子供サイズで小さめなハンバーガー。
マヨと甘辛い焼肉のタレが、メインの味つけである。
「これっ、美味しいねェー」
「肉がたくさんだぁー。ソースが、うめぇー!」
「パンにお肉と野菜を挟んで食べるの、初めてかも…」
「それ、メルちゃんが用意してたの…。あたしは、挟んだだけだよ」
アビーが焼肉バーガーを齧りながら、精霊樹の方を眺めた。
「あの子…。どうして隠したのかしら…?何も悪いことをしてないのに…」
アビーには、何でメルが逃げだしたのか理解できなかった。
◇◇◇◇
チルは遊民の子だ。
帝都ウルリッヒの貧民窟で生まれた。
チルがチルなのは、親から名前を付けてもらったからだ。
小さな頃には両親が居た筈なのだけれど、もう忘れてしまった。
今となっては、名前も顔も思いだせない。
朧な記憶をたどると、父親は何人も居たような気がする。
だけど…。
そんなのは、どうでも良い事だった。
チルを助けてくれない親には、少しも興味がわかなかった。
(おなかがヘッタ…!)
所謂(いわゆる) 、孤児であるチルは、何とかしてゴハンを食べないと倒れてしまう訳で、それはもう毎日が死ぬほどに大変なのだ。
ウスベルク帝国が定めた遊民保護制度は、申請者に年齢制限を設けていた。
チルの母親はチルが生まれたときに、養育費援助の申請をしていた。
けれど遊民保護管理事務所から手当てを貰うのは、保護者だ。
だからチルは、素寒貧だった。
一ペグの手持ちもない。
ある日、失踪した母親は、それっきり姿を見せなくなった。
要するに、チルは捨てられたのだ。
よくよく推理してみるに、チルの母親は養育費援助など必要なくなるほどの 金づる(イケメン) を捕まえたに違いなかった。
(そんでもって、あたいがジャマになった…)
『野垂れ死ね!』という話だ。
特に酷い親だとは思わなかった。
何となれば、酷くない親なんて見たコトもなかったからだ。
自慢にも救いにもならないけれど、チルの思考は明晰だった。
死にたくなければ、自分で頑張るしかない。
チルにとって幸運だったのは、気の良い妖精に助けられたコトである。
チルの母親は、チルに優しくなかったけれど、ひとつだけ素晴らしい贈り物をくれた。
それは妖精使いの血だった。
精霊を祀る巫女の末裔だったチルの母親は、ちょっとした占いやマッサージによる治癒を得意げに見せびらかしていた。
大した才能も無ければ努力もしない、己の美貌だけを武器として男に取り入る遊び女だった。
母親にとって巫女の能力は、男とねんごろな仲になるためのネタでしかなかった。
だが、先祖がえりとも言えるチルは、ハッキリと妖精を認識していた。
幼すぎて、チルに備わった母親譲りの美貌は、なにも用をなさない。
それどころか 貧民窟(スラム) にあっては、悪党に捕まって奴隷にされる危険さえあった。
だけど妖精使いの才能には、無限の可能性が詰まっていた。
チルは死にたくなかった。
生きていれば、ゴハンが食べられるのだ。
お腹いっぱいになったときの、幸せな気分は最高だ。
(死んでしまったら、あの満足感が味わえなくなってしまうデショ…。なにより、腹ペコなんて大嫌いよ!)
それがチルの生きる動機だった。
そしてチルを助ける妖精たちは、余りにもシンプルなチルの欲望を是とした。
人を助けて感謝されるのが大好きな妖精たちにしてみれば、複雑でわかりづらい願いごとは好ましくない。
ゴハンを食べられるようにして上げれば、チルは大喜びしてくれる。
『なんて素敵なちびっ子だろうか…!』
こうしてチルと妖精たちは、ウィンウィンな関係を築いていった。
「セレナ、キュッツ。おはよう…!」
「おはよう、チル」
「よぉー。いい天気だな」
「きょうは天気が良いから、遠征する」
チルが宣言した。
「エンセイ…?」
「あたい、引っ越します。こんなトコロ、もうイヤ!」
「あーっ。オレのせいか…?」
キュッツが悲しそうに言った。
「キュッツは悪くないじゃん…」
「だけど…。せっかく拾い集めた銭を横取りされたのは、オレが弱かったからだろ!」
チルたちは妖精に教えられて、あちこちに落ちている銭や銅貨を拾っていた。
それを年長組の孤児たちに、脅し取られたのだ。
チルのチームで用心棒的な存在を自認するキュッツとしては、面目の立たない状況だった。
「悪いのは、自分で稼がないゴロツキだよ!」
「セレナ、それは違うと思うよ。あいつらは、あたいたちから奪うのが仕事です。奪われたヤツが間抜け!」
「そんなこと、言わないでよ…」
「誰かが悪いとか言うのは、自分が弱いのをごまかしてるだけだよ。そんな余裕ないし…。あたいは、ゆうべのゴハンが食べられなかったことを許せない!」
チルは夜も寝ないで考えた理屈と、己の気持ちを仲間たちに伝えた。
「もっと、まじめに考えなきゃだよ。あたいら、ペグなんか集めてもダメなのよ。どぉーせ、パンを買いに行っても、足元を見られてふんだくられるしさ」
「まあ、それはそうだけど…。だったら、どうするんだよ。引っ越して、どうなる?」
「知りたければ、ついて来ればぁー。セレナは連れて行くからね」
「おい。オレを置いていくつもりかよ!」
ショックを受けたキュッツが、プルプルとコブシを震わせた。
「ついて来れば良いでしょ。嫌なら、来なくても良いって話だよ。隠れ家を探すところから始めなきゃいけないし、面倒くさいでしょ…。あたいは、あんたの愚痴を聞きたくないんだよ」
「いやいや…。愚痴なんか言わない。約束するから、連れて行ってくれよ」
「だから…。勝手について来れば、良いでしょ。そうしたらさぁー。ひとっ言でも愚痴を耳にしたら、ソッコーで蹴りだせるから…」
「うわぁー。ひどいよチル!」
セレナがチルの癇癪を止めた。
キュッツは泣きっ面だ。
ときどきチルは、こうやって切れる。
お腹が空くと、どうしようもなくなるらしい。
ちゃんとゴハンさえ食べていれば、優しくてヨイ子なのだ。
「でもさぁー。ペグを拾わないなら、どうやって食べるの…?」
「妖精さんが、引っ越せって言うのよ…。そこへ行けば、美味しいゴハンを毎日のように食べられるんだってさ」
「まじかよ、おい!」
夢のような話だった。
だけどチルが言うのだから本当なのだろう…。
『チルについて行こう!』
セレナとキュッツは、そう考えた。
こうして三人の孤児たちは、最低最悪の貧民窟で手に入れた暮らしを捨て去り、ヤクザの抗争で人が死にまくる繁華な区域へと拠点を移すのだった。