作品タイトル不明
第六十六話 家族
貴族としての振る舞いを覚えたり、義父の牧場を手伝ったり、ジークとのんびりとした時間を送ったりと、異国で過ごす初めての冬はあっという間に過ぎていった。
ここに来てから早くも五ヶ月目となる。ジークのお腹もすっかり膨らんでいた。医師の診断によれば妊娠七ヶ月目位だとか。夏の始めに新たな命は誕生するという。
安定期に入るとジークは国へ帰りたがったが周囲の猛反対があり、出産まで実家で過ごすことを二人で話し合って決めた。
辺境の地を愛してくれることはこの上なく嬉しい。けれど、村には医師が居ないし、出産の知識のある義母や使用人などが居れば安心だと思ったので、このまま夏まで滞在する事となった。
◇◇◇
本日は若葉が生い茂る春の森を、お屋敷の小さなお姫様二人とジークを連れてのんびりと散策をしていた。
エーデルガルドとアーデルトラウトは部屋に飾る花を摘むために籠を持ちながら歩いている。
早速、活発な方のお姫様がこちらを振り返り、質問をして来た。
「リツハルド叔父様、あの紫色のお花はなあに?」
「あれはマローブルー。香草茶に使うお花だね」
「本当!?」
「花色と同じ青いお茶なんだけどね、レモンを入れたら綺麗な薄紅色に変わるんだ」
「へえ、凄い、見てみたいわ」
「だったら、帰ってから作ってみようか。乾燥させないといけないから、飲めるのは数日後になるけれど」
マローブルーは喉が痛い時に飲むと良いと言われている。粘膜を保護する効能もあるので、胃痛になった時も服用する香草だ。
姉妹は指示をした通り、花部分だけを摘んで籠の中に入れている。
「ちょっと飲みにくいけどねえ」
マローブルーは特に味も香りもしないという、美味しい部類に入らない香草茶だ。子供時代、風邪になったら蜂蜜を垂らしてから飲まされていた。
そのお花のお茶は美味しくありません。そんな夢のない言葉は、はしゃぎながら花を集めている二人には届いていなかった。まあ、色の変化を見るだけでも楽しめるか、と思って味について伝えることはさっくり諦めた。
ゆっくりとした歩みで進むジークが追いついて来る。背後に続く、日傘を差していた使用人が汗を拭う為のハンカチを手渡していた。
「ジーク、辛くない?」
「ああ、平気だ」
上着を脱いで地面に置き、その場に座るように勧める。
「すまない」
「いえいえ、とんでもないことでございます」
二人並んで草の地面に座り込み、太陽から透けて輝く木漏れ日を見上げて目を細める。
森の中にはたくさんの鳥がひそひそ話をするような囀りが聞こえていた。木の上では 栗鼠(リス) がときおり顔を覗かせて、こちらの様子を窺っている。木の葉を揺らして流れる風は柔らく、澄んだ空気を運んでくれた。
しばらく長閑な森を楽しんでいると、元気の良い声が近くまで迫っていた。
「叔父様、これ位でいいの?」
「たくさん採れたね」
姉妹の持つ小さな籠の中は紫色の花でいっぱいになってしまった。
「そろそろ帰ろうか?」
「そうだな」
この国の森は奥に進めば進むほど木々が複雑に重なり合って、鬱蒼とした深く暗いものとなっていく。明るい森の散歩などを楽しめる場所はごく僅かと限られていた。
更に長い時間ジークを連れて歩く訳にもいかなかったので、早い段階で屋敷に帰ることにする。
森から持って帰って来たマローブルーは数日間花を乾燥させた後、低温の湯で花の成分を抽出させれば、美しい色をした香草茶が出来上がる。
「綺麗~~!!」
淹れたての香草茶を前に、エーデルガルドとアーデルトラウトは目を輝かせていた。
そして香草茶の中にレモン汁を垂らし、匙でかき混ぜれば青い液体は薄紅色へと代わっていく。
「わあ!!」
「すごい!!」
珍しくエーデルガルドも声に出して反応を示していた。
「マローブルーは夜明けの香草とも言われていて……」
「リツハルド叔父様、これ、魔法なんでしょう!?」
「え?」
数ヶ月間一緒に暮らしてきても、妖精認識は変わる事もないようで、思わず苦笑してしまう。
期待に満ちた二人のお姫様の視線を受けて、キラキラとした目を曇らせたくなかったので香草に関する無駄知識をひけらかす。するとアーデルトラウトから「さすがは妖精さん!! 森の植物のことなら何でも知っているのね!!」というお言葉を頂いたという。
おっさん妖精はありがた過ぎて涙目になってしまった。
◇◇◇
季節は瞬く間に移ろい、あっという間に夏を迎える。
そして、沈んでいった太陽が顔を出すような時間帯に、新しい命が誕生した。
産まれたばかりで赤ら顔の子は、一生懸命に産声を上げている。すっかり憔悴していたジークに労いの言葉を掛ければ、この位なんてこともない、という力強い言葉が返って来た。
生まれたばかりの子供は集まった女性陣の手によって綺麗にされ、柔らかな布に包まれて、義母より手渡される。
髪の色は白く、瞼は腫れたようにぷっくりとしていて、開くまで時間が掛かりそうだった。異国人との混血でも、必ず白い髪の子供が生まれるというのは村の七不思議の一つでもある。
「まだ、どちらに似ているか分からないわね」
「でも、とても可愛い、です」
義母が赤子の顔を覗きこみながら言う。
「ねえ、リツハルドさん、あなたこそ大丈夫なの?」
「は、はい」
まだ、気分がフワフワとしてしまって、子供が産まれたということをいまいち実感出来ていない。しっかりと腕の中で抱いているというのに、夢のようだと思ってしまう。
産後の処置の終わったジークの枕元に子供を連れて行く。
「ジーク、見て、子供が」
「ああ、良かった」
ジークは子供の顔を見て、ホッと安堵したかのような表情を見せていた。
「ジーク、ありがとう。二人とも元気そうで、嬉しい」
何回感謝の気持ちを伝えても足りない程に嬉しかった。
「しっかり家族を守ってね、お父さん」
「!!」
義母からの激励の言葉を受けて我に返ることが出来た。
それからようやく実感する事となる。長い間、待ちに待っていた、新しい家族が増えたということを。
◇◇◇
産まれた子供は男の子で、名前はアルノー。
名付け親は祖父だ。『鷲のように 強(したた) か』という意味だという。
祖父はすっかり曾孫にデレデレとなっていた。
「猛禽の名に相応しい子だ。見よ、この鋭い目付き」
アルノーは白髪に青い目と自分の特徴と全く同じだったが、顔はジークに似ている。妖精村と呼ばれている辺境の地に暮らす住人の特徴は全て揃っているのに、妖精の子というよりは勇ましい鷲の雛と表現した方が正しいような気がしていた。祖父も同じ事を思っていたので、互いに顔を見合わせてから笑ってしまう。
「この子ならば、辺境の地でも強く生きていくだろう」
「そうだといいな」
「そうに決まっているさ」
「ありがとう、お祖父さん」
祖父が抱いていたアルノーは突然泣き出してしまう。お乳は先ほど飲んでいたので、おむつの方かもしれないと確認する。
「そういえば、船は洗濯も出来るのか?」
「出来るみたい」
使用人が新しいおむつなどを持って来てくれたので、ささっと交換しながら会話を続ける。
明日、約九ヶ月振り位に故郷の村に帰ることになっていた。
義父などはここに残ればいいと言ってくれたが、村の状態が心配だったし、ジークも辺境での暮らしを強く望んだので、悪いなあと思いつつもお断りをさせてもらった。
それに、代理領主の様子も心配の一つであった。月に数回届く父からの手紙には「全然大丈夫~」みたいなゆるいノリの報告が送られてきていたが、残念ながら村人の声は届いていないので、悲惨なことになっていないかと、戦々恐々としていた。
「あの件について、本当に了承したのか?」
「い、一応」
父と母は自分達と入れ替わるようにこの国に来て、暮らすように決めていた。長年溜めていた研究を発表して欲しいという要請があったとか。二人だけだったら不安でしかないが、祖父の監視があるので安心だ。
翌日。
国に帰る朝となり、祖父に見送られて旅立つ事となった。
「リツハルド、餞別だ」
「?」
帰り際に祖父から小さな机の上に置かれた四角い黒鞄を示される。侯爵家の執事が書類を持ち出し、署名を書くようにと言ってきた。
「え、なにこれ?」
「チョコレートだ」
「え?」
「特別なチョコレートだから、国を渡る際には手続きが必要なだけだ。つべこべ言わずに署名しろ!」
「は、はあ」
言っていることがよく分からなかったが、執事の指差す欄に名前を書く。馬車までは従者が鞄を運んでくれた。
「チョコレートって、どうして?」
「あれだ。今流行っている成金仕様の」
「ああ~アレね」
数日前に義兄から聞いた話を記憶から蘇らせる。貴族の間で成金のように金塊を模したチョコレートを机の上に積んで酒を楽しむ事が流行っていると。
「元より家にあったものだ。私には要らぬ品なので、文句を言わずに受け取れ」
「わ、分かりました」
執事が少しだけ鞄を開いて中のチョコレートをみせてくれる。眩いばかりに輝く包装紙は、本物のように見えた。
「あれ? これって、本物みたいな」
祖父の咳払いでハッとなり、別れの時を再開させる。
「お祖父さん、色々ありがとうございました。また、遊びに来ます」
「分かったから早く行け」
深く頭を下げて、先に馬車に乗っていた家族の元へと走って行く。
走り出した馬車の流れる景色を眺めながら、ジークの故郷に別れを告げた。
◇◇◇
二日間にも及ぶ船旅の途中、チョコレートでも頂こうと祖父より賜った鞄を掴めば、不審な程にずっしりと重い。十代前半の子供と同じような重さがあるように思える。船室までは侯爵家の使用人が運んで来てくれたので、触れるのもこの瞬間が初めてだった。
「え、なに、これ、なんか重たい、けど」
鞄の前から動かない自分の隣に、息子を抱いたジークがやって来た。
「この鞄は何が入っている?」
「お祖父さんからの、チョコレート、かな?」
持ち上げた感じがお菓子の重さではない事は明らかである。
恐る恐る鞄を開けば、隙間なく詰め込まれた金塊が出てきた。
「こ、これは!?」
「間違いなく本物の金塊だな」
「……」
なんとまあ、お祖父さんからの餞別はチョコレートではなく金塊三十本だった。鞄の中からは金の他に数枚の書類と、要約すれば返品不可と書かれた祖父からの手紙が入っていた。
「騙された……」
「いや、書類を書かされる地点で気がつかなかったのか?」
「まあ、ちょっとは。でも、早く帰れって急かされて」
「……」
息子と金塊、大いなる財産を得てからの帰宅となってしまった。