作品タイトル不明
第1話「転生先が幕末なんですが、しかも長州藩なんですが」①
死ぬ瞬間って、案外静かなもんだった。
午前一時二十三分。新橋駅の終電ホーム。電光掲示板が「本日の運行は終了しました」って表示してて、俺はそれをぼんやり見てた。タクシー代、自腹かな。経費で落ちるかな。いや無理だ、使途不明の深夜タクシー代なんて経理が通すわけない。そうだ、カプセルホテルに泊まろう。明日も朝イチで会議だし。財布の中、五千円あるか?
そう考えたところで、地面が近づいてきた。
いや、俺が倒れたんだ。足が動かない。視界が暗くなる。誰か叫んでる。ああ、駅員さんか。迷惑かけてすみません。
以上。村上恒一。享年三十二歳。独身。株式会社グローバルソリューションズ第三営業部・課長代理。死因は過労による心不全。遺産は三DKの賃貸マンションに散らばった缶ビールの空き缶と、ふるさと納税の返礼品でもらった一度も使ってないフライパン。フライパン、使っとけばよかった。
ぱちぱちぱち。お疲れさまでした。
……のはずだった。
蝉がうるせえ。
うるさい、じゃない。うるせえ、だ。頭のすぐ横で一匹、いや二匹、たぶん三匹、全力で鳴いてる。鼓膜を削りに来てる。殺意がある。
起き上がる。
天井が木だ。黒ずんだ梁が走ってる。蛍光灯がない。電気がない。この時点で「あれ?」ってなる。俺の部屋の天井は普通のマンションの白いクロスだったはずだ。間接照明のリモコンが枕元にあるはずだ。それがない。電気の紐すらない。時代を遡りすぎだろ。
手を見る。
知らない手だ。細い。若い。シワがない。爪が綺麗に揃ってる。俺の手じゃない。俺の手はもっとごつくて、爪は噛み癖でガタガタで、人差し指と中指にボールペンだこがあった。これは誰の手だ。
体を起こす。軽い。めちゃくちゃ軽い。立ち上がる。膝が痛くない。腰が痛くない。肩こりがない。三十二年間、俺の肉体と共にあった慢性的な肩こりと腰痛が消滅している。これは嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。でも何だこの身長。前世175センチ、今これ……160あるかないか。縮みすぎだろ。やり直すならもっとこう、せめて平均身長をくれよ。あとついでに顔面偏差値も。
周りを見る。六畳くらいの和室。障子。土壁。刀掛けに刀。文机の上に巻物。
巻物!?
紙がくるくる巻いてある。時代劇でしか見たことないやつ。開く。文字が読める。くずし字なのに読める。不思議だ。脳が勝手に変換してる。「夫レ天下ノ大勢ヲ論ズルニ——」なんか難しいこと書いてある。署名は「松陰」。
松陰。
待て待て待て。
「おい俊輔! 朝稽古じゃ! 何をしとるか!」
障子がバンと開く。若い男が立っていた。月代に丁髷、袴、日焼け、白い歯。いわゆる「元気な若侍」って感じの見た目だ。俺がこっちの世界で最初にできた顔見知り(前原というらしい)。つうか、体が覚えてる顔。この体の持ち主の同門で、なにかと世話を焼いてくれる兄貴分っぽい。
コイツ、今、俺のこと「俊輔」って呼んだ。
俊輔。松陰。吉田松陰。幕末……
伊藤俊輔。
後の伊藤博文。初代内閣総理大臣。大日本帝国憲法を起草した人。ハルビンで暗殺される人。
……暗殺!?
ちょっと待て。俺が転生した先が、最終的に暗殺される人!? 生き延びるのが目標なのに、確定で暗殺ルート!? おいおいおい、それはないだろ神様。もうちょっとマシな人生を……いや、総理大臣になるから出世ルートとしては最高峰なんだけど! でも最後に撃たれる! 駅のホームで! また駅のホームで死ぬのか! 俺は公共の場所で死ぬ星の下に生まれてるのか!?
「俊輔? 顔が白いぞ。大丈夫か」
「……あ、はい。行きます。すぐ行きます」
体が勝手に返事して、勝手に立ち上がる。驚くべきことに、俺の口は「行きたくない」じゃなくて「行きます」と言った。
社畜の条件反射である。
上司(かどうかは知らんが、なんか偉そうな人)に呼ばれたら、内容を聞く前にYesと言う。疑問を挟む前に立ち上がる。俺にもよくわからないけど行くと言う。これが十年間のブラック企業が俺の骨髄に刻み込んだ行動パターンだ。過労で死んでも、この反射は死んでなかった。皮肉すぎる。
着物に着替える。帯の結び方なんて当然わからない。でもこの体が覚えてる。手が勝手に動く。筋肉記憶ってやつか。すごいな人間の体。前世の記憶と現世の肉体が、俺の中で勝手に折り合いつけてる。転生って便利だな。……いや便利じゃない。巻き込まれてるだけだ。
下駄を履いて外に出る。
朝の城下町。瓦屋根の低い家々。土の道。行き交う人々は全員和装。刀を帯びた男が普通に歩いてる。犬がいる。痩せた柴犬。犬まで和風だ。
空気がうまい。排気ガスの匂いがしない。かわりに土と草と、どこかから味噌汁の匂い。コンビニもない。自販機もない。コーヒーが飲みたい。エナジードリンクは当然ない。つまり俺はこれから、コーヒーもエナドリもない人生を生きるのか。辛すぎる。
道場に着く。板張りの稽古場。十数人の若い男たちが竹刀を振ってる。全員、目がギラついてる。全員、多分俺より腕が立つ。俺は前世で運動部じゃなかった。体育の成績は常に下から数えたほうが早い。体力テストはビリから三番目が定位置。マラソン大会はいつも保健室で見学する理由を考えてた。
そんな俺が、竹刀を握る。
結果から言う。十本打って、十本負けた。
相手は前原だ。面、胴、小手、なんでもありの打ち込み稽古。全部入る。俺の竹刀は一回も相手に当たらない。避けられない。打ち返せない。防御すらできない。竹刀が飛んでくる。痛い。痛い痛い痛い。打たれるたびに転がる。
でも、起き上がる。
打たれる。転がる。起き上がる。打たれる。転がる。起き上がる。
なぜか。
単純な話だ。倒れてるとサボってると思われるから。サボってると怒られるから。怒られると評価が下がる。評価が下がると立場が悪くなる。立場が悪くなると給料が……待て、給料ってあるのかこれ。いや、給料じゃなくて禄高か。米だ。米が減る。米が減ったら飯が食えない。つまり俺は米のために起き上がっている。サラリーのために痛みに耐えている。やってることは前世と何も変わらない。
「俊輔、お前はいつも思うんじゃが」
稽古後、竹刀を片付けながら前原が言う。
「剣はからきしなのに、なぜそこまで立ち上がれるんじゃ。普通、五本目くらいで心が折れるぞ」
「……折れる余裕があればいいんですけどね」
「はっ。それを根性と言うんじゃ。お前は腕は立たんが、根性だけは化物じゃな」
根性じゃない。条件反射だ。しかし弁明はしない。「根性がある」という評価なら受け入れとく。マイナス評価よりマシだ。前世でもそうだった。「村上くんは粘り強いよね」と言われるたびに「いや単に断れないだけです」と心の中で思いながら、「ありがとうございます」と頭を下げてきた。それと同じだ。
稽古場の端で水を飲みながら、周囲の会話に耳を澄ます。情報収集だ。
「京都で天誅があったそうな」
「誰だ」
「幕府の役人じゃ。攘夷派の仕業だと」
「当然よ。夷狄と結ぶ奴は斬って然るべし」
天誅。暗殺のことだ。それを「当然」と言う人々。普通に怖い。新橋駅のホームで倒れるのも怖かったけど、暗殺されるのはもっと怖い。
「高杉さんはいま何を」
「上海から戻って以来、何やら大きなことを——」
「桂さんは京都で動いておられると——」
「攘夷の先鋒は我ら長州よ! 薩摩に遅れを取るな!」
攘夷。外国人追い払え。鎖国守れ。みんな熱狂してる。目がマジだ。
ちなみに俺は知ってる。歴史の結果を。攘夷なんてできない。あと数年でこの国は開国する。ペリーが来て、条約結んで、外国と交易する。みんな今「攘夷じゃー!」って叫んでるけど、十年後には「開国しようぜ」って言い出す。いや、お前ら手のひら返し早すぎない? 今燃えてるそのエネルギー、どこに消えるの?
でも言えない。
「いや攘夷は無理っすよ。歴史的に」なんて言ったら、その場で俺が天誅される。物理的に。刀で。痛いのは嫌だ。竹刀で十分痛い。真剣はもっと嫌だ。
つまり俺の生存戦略は決まった。
「目立たず、巻き込まれず、生き延びる」
伊藤博文は歴史上、最終的に暗殺されるまで生き延びる。つまり、余計なことをしなければ、少なくとも明治までは死なない。俺の当面の目標は「畳の上で死ぬ」だ。前世は駅のホームだった。次こそは布団の上で、老衰で、静かに目を閉じる。それが俺の人生目標。総理大臣になるとかならなくてもいい。生きてればいい。