軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 貴族とは

一週間と経たずに、またアルバートは東の大陸へと旅立っていった。この屋敷にいると太る、いやお前を見て言ったわけじゃない、と言い訳を残して。

同じ馬車で、アマベルもベオフリックとともにイヴェルタリー領へ向かった。途中まで仲良く親子水入らずの時間を過ごそうとしたようだが、アルバートはどうにか変更できないかと最後まで足掻いていた。無駄な足掻きとはこのことだ、と私は黙って見ていた。

そうして、時間を空けずにニリュフェルも無事東の大陸へと渡った。ウーリゼン帝国へ到着したら手紙を送る、と言っていたこともあり、私はいい知らせを待っている。

あれから半月が経つ。

夏のバカンスシーズンを迎え、カルストン伯爵邸でのイベントも少なくなってきた。多くの貴族たちは領地や避暑地へと一、二ヶ月ほど羽を伸ばしにいく。

この時期、人の少なくなった王都は閑散としていて、王宮にも足を向けやすかった。今年は特に、ある程度懸案事項がなくなったため、王妃マルタのもとへお菓子を持参しようかと計画を立てている。

戦(そよ) ぐ風に青々とした草の波を見ると、自然の強い生命力をこの目に捉えたかのようで、私はこの時期が好きだ。

郊外の風通しのいい土地に建てたため、カルストン伯爵邸はどこであっても涼しく、西日さえ避ければ昼夜問わず心地よく過ごせる。

そのため、毎日のようにやってくるプルケリアと、今日ばかりは私に厳命されてやってきた長兄ウルフスタンを連れ、私は牧場の一角にいた。

白を基調とした日除けの傘と唾広の帽子、それにデイドレス。どれもが上等な綿と麻でできており、足元のフリルはサマーシルクで涼やかに彩られている。プルケリアも似たような格好で、今日ばかりは乗馬服ではなかった。

そのことに長兄は気付いても何も言えず、結局放牧地の白い仔馬——二人に結婚祝いとして贈ろうとしていた——を三人で眺めていた。

「トリッシュ様、本当にあの仔馬をいただいてもよろしいのですか?」

「ええ、もう少し大きくなってからね。白くて可愛いでしょう? しっかり訓練してあなたの馬にしなさいな」

「わあ……ふふっ、とっても嬉しいですわ。最近はようやく、馬に好かれるようになりましたから」

まだ尻尾の毛が伸びていない当歳の仔馬は愛らしく、母馬から離れて遊んでいる。

プルケリアはよほど気に入ったらしく、カルストン伯爵邸へ来るたび仔馬を見に足を運んでいたし、結婚の話が出たらきちんと贈ることを伝えようとしてたのだが、今日の今日まで遅れに遅れたのだ。

それもこれも長兄が悩みに悩んだからであり、仕事が忙しかったせいでもある。

私は突っ立ったままの長兄の脇を小突いた。

「お兄様もそれでよろしくて?」

「あ、ああ」

心ここに在らず、とばかりに上の空の返事だ。

だが、私は知っている。

長兄のジャケットのポケットには、仕立てたばかりの金の指輪が二つ入ったままだ、ということを。

なので、私からプルケリアへと水を向けることにした。

「私はアルバートに、結婚するならこの屋敷を建てるよう要求したけれど……あなたは何を要求するのかしら?」

私は、プルケリアへ考える暇も与えなければ、と配慮するつもりだった。

じっと待つつもりでいた私の横で、プルケリアはくるりと長兄へ向き直る。

「ウルフスタン様。お願いがございます」

一歩後ずさった長兄は、十七歳のレディの迫力に圧倒されているかのような形だ。

熊でも取っ組み合って勝てそうな体躯の男性が、凛とした線の細い令嬢に見上げられて、どうして怯むのか。

とっくに、立ち向かうと決めたのなら、大丈夫なはず。

私は横で、成り行きを見守ることにした。

プルケリアはもう、いちいち手を取って誘導しなくてはならないような深窓の令嬢ではないし、長兄は三十路だ。父も兄たちからも、早く二人をくっつけろと急かされている身としては、これが最後の見守りであってほしかった。

焦ったいとはこのことで、そばにいるだけなのに、妙にそわそわとする。

やがて、プルケリアはしっかりと長兄を見据えて、口を開いた。

「その、結婚するなら」

「結婚、するなら……?」

「たくさん子どもを儲けましょう。四人でも五人でも、とにかく家族を増やすのです」

長兄は固まっていた。プルケリアは赤面を隠せず、それでも凛と見上げている。

大胆なプロポーズの言葉だ。私よりもずっと貪欲で、罪深い。

けれど、待ちに待ったプルケリアらしくもあるし、長兄にはこれなら効くだろう。いい作戦だ。

長兄がベオフリックと遊ぶ姿を見てきた私やプルケリアにとっては——子どもが、長兄の心を柔らかく動かすに足るものだ、と身をもって知っているからだ。

「そうすれば、寂しくありませんわ。いつでも帰ると愛しい子どもが家にいるなら、ウルフスタン様もよき兄として、よき父としての顔をずっと見せてくださるでしょうから」

言い切ったプルケリアは、ふうと一つため息を吐いていた。

一方、長兄はそっとその場を離れようとした私の手を掴んでいた。あまりにも必死で、私の手はびくともしない。

「トリッシュ、行かないでくれ」

「私を野暮な女にするおつもり?」

「だめだ、俺一人だとどうにもならない。頼む」

「はあ、まったく」

私は、空いている手で長兄のジャケットのポケットを指差して急かす。

長兄はうんと一つ頷き、ポケットから大きな指先で小さなスエードのポーチを摘み出した。

そして、夏の日の光の下、輝く金の指輪が手のひらへ転がり出る。

「プルケリア、これを。結婚指輪だ」

長兄は大小の金の指輪のうち、小さいほうをプルケリアの左手へとおそるおそる、親指と人差し指で摘んでもっていこうとした、そのときだった。

二人の間に、牧柵を越えて白い仔馬の首が伸びてきて、食べ物と勘違いしたのかパクッと長兄の指先をくわえてしまったのだ。

しかも、白い仔馬は指輪を奪い取り、食べ物でないと分かると草地に吐き出した。

「あらあら、食べてはいけませんよ」

「あああ!? こら、放るな!」

賑やかに、二人は草地の中を探し回る。幸い、このあたりは放牧中の馬たちに食べられて草の背丈は高くない。這いつくばればすぐ見つかる。

長兄とプルケリアの初めての共同作業は、馬に奪われた指輪を探すこと。

何とも締まらない、牧歌的な光景は、イヴェルタリーが二人もいるこの場を和やかにさせてくれた。

あれから、何年経っただろう。

舞踏会会場隣室のサロンは私と白髭を蓄えた老人の二人、そして給仕たちだけだ。

会場のほうはだんだんと静かになり、ひとけもまばらになってきた。まだまだ宵の口だというのに、これでは主催者の顔が立たない。

それに、私も老人も、最後まで居座るほど暇ではないし、義理もなかった。

「今宵は、収穫がございませんでしたわね」

「うむ。こんなこともあろう」

「お送りしましょうか?」

「気遣いは無用だ。ではな、また」

「ええ、また」

飲み干したワイングラスをテーブルへ置き、老人は去っていった。

私は空になったアペリティフの皿を下げさせ、カクテルグラスも、と思い、給仕へ目配せした。

だが、その間に割って入った赤毛の青年がいた。

燕尾服の青年は申し訳なさそうな顔をして、私へと挨拶する。

「カルストン伯爵夫人、こちらにいらっしゃいましたか」

「あなたは?」

「申し遅れました。ネードリュー公爵家の者です、名は」

「当ててみせましょうか? そうね……現公爵三男のハモン、カドニス男爵閣下ね」

どうぞ、と私は隣の席を譲った。

「もう帰る時間ですから、手短にね」

そう言われ、名を当てられた青年ハモンは、律儀にも早速本題へ入る。

「最近、聖女オリサヴァと名乗る者がルーヴァ連邦同盟からやってきたことはご存知でしょうか。実は、父が呼び寄せたとの噂で、僕はそれを確かめようとしたのです——」

ああ、そういえば聞き覚えがある。

私は頭に浮かんできたいくつかの情報、確定したものもあれば真偽不明の噂程度のものもあるが、それらをハモンの話と並べつつ見定める。

先日来た手紙の一つ、ニリュフェル 貿易特区領主(サンジャク・ベイ) からの私信に、そういう不届な教団紛いがいるという警告があった。東の大陸ではその手の詐欺が横行しているようだ。

「ふふっ」

「どうかしましたか?」

「いいえ、何でもないわ。さて」

私は酔い覚ましを兼ねて、ハモンへと問いかける。

「貴族とは、何なのでしょうね」

(了)