作品タイトル不明
第七十話「敵の拠点へ」
三月二十九日の朝。
魔将(アークデーモン) アシュタルとの戦いが終わり、負傷者たちも徐々に回復していた。
最も危険な状況だったダンだが、内臓を痛めたためか、高熱を発し続けた。血液を浄化するイメージの治癒魔法を掛け続けたことにより、今では落ち着いているが、未だ意識は戻っていない。
一方、出血多量で意識不明だったメルは夜半過ぎに意識を取り戻している。治癒魔法では血液を増やすことができないため、 収納魔法(インベントリ) に入っていた栄養のある食材を与えて様子を見ている状況だ。
メルの回復は何とか目処が立ったが、ダンは予断を許さない状況のままで、明日の朝の移動に間に合うのか不安になる。
俺の状況だが、魔力はほぼ回復した。ただ、強敵との戦いとそれに続く治癒師の仕事で精神的な疲れは残っている。
バイロンやガイたちもほぼ完治しており、負傷者はダンとメルに加え、左腕を失ったニコラスの三人だけだ。そのニコラスも腕を失ったものの、体調自体はそれほど悪くない。
魔力が戻った後、もう一度腕の再生を試みたが、やはり腕を生やすことはできなかった。
「仕方がないですよ。命を落とさなかっただけ幸運でした」
ニコラス本人はサバサバとした感じでそういうが、彼の剣術士としての能力が大きく失われたことは間違いない。
俺の考えが伝わったのか、
「私は片手剣を使っていますから、利き腕があればまだ戦えますよ。それに文官としても教師としても働けますし」
あくまで自然体でそう言っているが、不便になることは間違いない。
「村に戻ったら義手を作ってみるよ。魔法陣を使えば多少は動かせると思うしな」
「その時はよろしくお願いします」と笑っていた。
戦死したブレットとリッキーの遺体だが、協議の上、埋葬することになった。
俺のインベントリに入れれば村に持ち帰ることは可能で、そのことを祖父に伝えたが、
「遺体を永く残しておくことはアンデッドになる恐れがある。もちろん、お前の魔法なら時間を遅らせることができることは知っておる。しかしじゃ、遺族たちが不安に思うことは避けた方がよい」
魔晶石を残したままの遺体はアンデッド化しやすい。特にアクィラのような魔物が多い場所ではその傾向が強い。
アンデッドになることは魂が救済されないことと同義で、遺族に更なる苦痛を与えることになる。その可能性があることすら思わせない方がいいと祖父は判断したのだ。
朝食後、周囲を警戒しつつ、ブレットとリッキーの遺体を埋葬する。
見張りとダン以外、全員がその埋葬に立ち会った。
二人を埋葬する穴は俺が魔法で作る。そして、祖父と兄、俺が遺体を収める。
「ロックハート家従士、ブレット・ハーツ、同じくリッキー・バートン……世界を守るためによく戦ってくれた。お前たちはロックハート家の誇りじゃ……家族のことは我がロックハート家が責任を持って面倒をみる。安心して 闇の神(ノクティス) の下で休んでくれ……」
ブレットは三十一歳で、リッキーは三十三歳だ。
いずれも幸せな家庭を築いていたと従士を束ねるウィル・キーガンから聞いている。
ブレットには三人の子供が、リッキーには二人の子供がいるそうだ。
特にリッキーはこの世界の人間にしては晩婚で、五年ほど前にようやく結婚したばかりだった。
今回選抜された者たちだが、出発前から危険なことは重々承知している。実際、祖父を含め全員が生きて戻れぬかもしれないと言って村を出ているそうだ。
当然家族も覚悟しているだろうが、俺がいなければ彼らは死ぬことはなかった。
ブレットの末っ子は三歳、リッキーのところは三歳と一歳らしい。
俺が幼い子からたった一人の父親を奪ったも同じだ。そのことがズシリと心に圧し掛かる。
「ブレットとリッキーはノクティスの下に旅立った。だが、まだ危険は去っておらぬ! 気を引き締めて警戒に当たるんじゃ!」
歴戦の祖父は既に気持ちを切り替えていた。羨ましい反面、それでいいのかという気持ちにもなる。
そのことが顔に出たのか、リディが俺を抱き締めた。
「あなたのせいじゃないわ。二人は家族のため、仲間のために戦って亡くなったの。そのことを忘れないようにしなさい。それが亡くなった人への一番の供養だと思うわ」
「そうだな。俺がここで悔やんでも二人は生き返らない。割り切れないが、今は引きずらないようにするよ」
二人の埋葬を終えた後、祖父が主要なメンバーを集め、作戦会議を行った。
「昨夜決めた通り、漆黒の魔族に戦いは挑まない。但し、この状況を放置することもできん。明日の朝、ここを引き払うが、ザックとガイにはあの洞窟に向かってもらう」
そこで全員を見回し、更に言葉を続けていく。
「それまでに敵が襲ってくることは当然考えられる。既にザックの作った罠は撤退用の通路のものしかない。その罠ではアシュタルにすら効かぬ……」
脱出用の通路に作った罠は傾斜を利用して岩の球体を転がすという単純なものだ。入口側の通路の罠よりも殺傷力は弱く、漆黒の魔族には全く効かないものだ。
「……そして今から拠点を作り直すにも時間と魔力が足りぬ。更にザックはあの者に通用するものはできぬと断言した。そこで漆黒の魔族が襲撃してきた場合の対処方法について話しておきたい」
今のところ漆黒の魔族は一度も姿を見せていない。何らかの事情で動けないのか、それとも既にこの辺りにいないのかは分からないが、襲ってこないことに期待するのは危険すぎる。
そのため、祖父はその方針を決めておこうとしたのだ。
「まず、この状況を冒険者ギルド、ラクス王国、カウム王国に伝えねばならん。ロッドはイーノスとシムを連れ、本日中に出発せよ」
「それはあんまりです、おじい様!」と兄が抗議の声を上げる。
兄としては最後まで一緒にいたいのだろう。
「これは命令じゃ。何と言おうが異論は認めん」と即座に否定される。更に兄が声を上げようとすると、それを手で制し、
「あの存在は危険すぎる。誰かが警告せねばならんのだ。そのためにはロックハート家の嫡男のロッド、次の家宰であるイーノス、帝国軍で騎士として名を上げておるシムが最適じゃ」
「しかし、戦力を分散することはよくないのではありませんか」と兄が反論する。
「あの敵に戦力を集中しようが無駄じゃ。それにお前たち三人なら、この辺りの魔物であろうと切り抜けられる。一日先行するだけじゃ。儂らもすぐに追いかける」
祖父の考えはリスクの分散だった。
「私も賛成です。世界を守るために、少しでもできることはしておきましょう」
兄はまだ何か言いたそうだったが、小さく頷いた。
「分かりました。ですが、最後の拠点で待つことにします。私たちだけが先にリッカデールに戻ったら不自然ですから」
「そうじゃな。竜退治を行った者がバラバラに戻るのはおかしい。全員で凱旋した方がよいじゃろう」
今ではほとんど忘れているが、リッカデールを出る時の口実が竜退治だった。
「次に漆黒の魔族が現れた場合の対処じゃが、儂、ウォルト、バイロン、ガイ、ヘクターで足止めをする。ザックは残りのものを引き連れ、全力で撤退せよ」
祖父は勝利の可能性がないと考え、ベテランだけを率いて足止めをすることを提案してきた。
兄と同じく反論したくなるが、部下に過ぎない魔将アシュタルを相手に大苦戦していることから判断自体は正しいと諦める。
「了解です。懸念は敵が飛べることです。おじい様たちを無視して私の方に来る可能性もありますから、私とリディ、ベアトリスが更に囮になることも考えておきます。その場合、おじい様たちは独自に撤退、残りの者はシャロンが指揮してリッカデールに向かい、兄上と合流するというのではいかがでしょうか」
祖父が「そうじゃな」と言った直後、メルが声を上げる。
「私は嫌です! 一緒に連れていってください!」
更にシャロンも「私もご一緒します。その方が少しでも時間を稼げますから!」と必死に訴えてくる。
「駄目だ。それにこれは可能性の話に過ぎない。もし、そうなったらこう動くという話であって、必ずやるというものじゃない」
更にメルが声を上げようとするが、それを祖父が「静かにせよ」と声を張り上げることなく制し、
「ザックとシャロンを分けることに儂も賛成じゃ。今後の対策を立てるのに、どちらかは残っておらねばならんからな」
「なら私は……」とメルが言い始めるが、
「病み上がりのお前がおっては逆に足手纏いじゃ。森の中で逃げ回るなら、リディアとベアトリスの方がよい。可能性は低いが、三人なら逃げ切れるかもしれんのだからな」
その言葉にメルががっくりとうなだれる。
「これで決まりじゃ。時間が惜しい。ロッドは直ちに出発せよ」
兄は既に割りきったのか、「はい!」と言って準備を始めた。
兄たちを見送ったものの、警戒する以外にすることがない。
まだ正午にもなっておらず、体力を回復させる必要がある怪我人以外に仕事を割り振ることにした。
「竜退治をしたのですから、地竜の皮や爪などは剥いでおいてはどうでしょうか」
「そうじゃな。どうせやることがないなら、地竜たちの素材を回収しておくのも一興じゃの」
それからガイの指揮の下、地竜の剥ぎ取りが始まった。
夕方までに剥ぎ取りを終え、更にヒドラと四手熊からも素材を回収する。ちなみにサイクロプスは使える部分がないわけではないが、他の素材の方が質がいいため放置されることになった。
夕方になり、ダンがようやく目を覚ました。
「……ザック様?」と言った後、
「戦いは……メルはどうなりましたか!」と焦ったような口調で起き上がろうとした。
彼の身体を押さえ、
「魔将は倒した。メルは無事だ」と言って、横で休んでいるメルの方を指差す。
「よかった……」
それだけ言うと再び目を瞑った。高熱の影響がまだ抜け切っていないのか、すぐに寝息を立て始める。
「……ダンも意識が戻ったみたいですね……」とメルが囁くような声で聞いてきた。
「ああ、もう大丈夫だ。後はゆっくり休むだけだ。これはお前もだぞ」
「はい」といって、ダンと同じように目を瞑るが、「よかった」と小さく呟き、閉じられた瞼から一筋の涙が流れていた。
二人の様子を見た後、リディたちのところにいく。
「明日は私も一緒に行くわ」とリディが言ってきた。
「唐突だな」と苦笑するが、彼女の表情は真剣なままだった。
「死ぬなら一緒よ」
その言葉に「俺も死ぬ気なんてないぞ」と笑い、
「あくまで敵が居るかどうか見るだけだ。俺とガイなら奴がいれば気配で分かるからな」
「それでもあなただけを行かせるつもりはないわ。それに敵が襲ってきたら一緒に囮になるのよ。それなら一緒でしょ」
「いや、状況が違うだろう。敵が来たらどこにいても生き残れないが、明日は敵がいるかどうか確認するだけなんだから」
そう言って笑いながら説得するが、心配そうな表情を浮かべ、
「でも、気配がなかったら洞窟に入るつもりなんでしょ。もし待ち伏せしていたら……」
不安なのか最後まで言葉が続かない。
俺は手をひらひらとさせながら、「あり得ないよ」と否定する。
「相手は絶対的な強者なんだぞ。待ち伏せする必要性なんてないんだ。それに俺の考えじゃ、奴はもういないはずだ」
「どうしてそう思うんだい」とベアトリスが話に加わる。
「まず、今日一日何事も起きなかったことがおかしい。俺たちは奴の持っている戦力のほとんどを倒した。報復する気ならもうやっている。それにこの場所のことは知っているし、第一奴は空を飛べるんだ。つまり、その気になったらいつでも来れたということだ。そう考えれば、この近くにいないと考えた方が合理的だ」
ベアトリスは「確かにそうだね」と俺の言葉に納得するが、まだ疑問があるようで、
「でも、動けないっていう線もあるんだろ? だったらまだいるかもしれないじゃないか」
「確かにその可能性はある。だが、奴がいるなら洞窟に入らなくても分かるはずだ。あれほどの力を感じられないはずはないんだから」
二人に言っていることは本心だ。
確信はないが、いない可能性が高いと思っている。理由は今言ったことの他にもある。
一つにはアシュタルと共にここに来なかったことだ。俺たちを殲滅するつもりなら、奴自身が出向いた方が確実だ。
それにもし俺たちを侮ってアシュタルに任せたのなら、集めた戦力を失ったのに何もアクションを起こしていないこともおかしい。
あれほどの戦力を使い捨てられるなら別だが、アシュタルが戻らない状態が一日以上続いているのに何も行動を起こさないのは、何らかの理由で動けないか、この辺りにいないかだ。
動けないならあの洞窟にいるはずで、それなら近づけば気配を感じる。いないなら、この近くではなく遠くにいるはずで、洞窟に入っても問題はない。
唯一の懸念はあの洞窟が奴の力を遮断するような特殊な場所で、かつ動けないという状況だが、それを言い始めたらどのような可能性も考えられることになる。
「本当に大丈夫なのね」とリディが念を押してくる。
「ああ大丈夫だ。それにリディには負傷者、特にダンについていてもらわないと困る。ベアトリスもダンとメルが動けなくなった時に運んでもらわないといけないしな」
それで一応納得してくれた。
翌日の三月三十日。
六日間過ごした拠点を後にする。
心配していたダンの容態だが、若さのお陰か、一晩寝たことで更に回復した。激しい運動はさすがに難しいが、元々体力があるから次の拠点までの移動だけなら何とかなりそうだ。もちろん、誰かのサポートを受ければという条件は付くが。
メルは更に回復し、血色もよくなっている。動きに精彩はないものの、格下相手の戦闘なら問題はない。
祖父たちが出発する前に、俺はガイと共に敵の拠点が見える尾根に向かった。できれば今日中に祖父たちと合流しておきたいためだ。
夜明けと共に出発したが、天候に恵まれただけでなく、魔物の気配もないため、順調に進んだ。
尾根に着くと望遠鏡を取り出し、洞窟を観察する。
「何もいないな。どうだ、奴の気配は感じるか?」
俺の問いにガイは「私も感じませんね」と答え、「どうされますか」と聞いてきた。
「予定通り、ここを下る」
ガイは少し緊張した表情で「了解です」と答え、
「あの杉を目印にして、次はあの岩を目指しましょう……」とルートを指示してくれた。
こういうことはガイの方が得意なので予め決めてあったが、俺にはそのルートを選んだ理由はよく分からなかった。
尾根を降りていくが、敵の気配は相変わらず感じない。
それどころかあれほど減っていた魔物の数が少し戻っている感じすらしている。
洞窟の手前、渓谷の谷底部分に到着した。
慎重に調べていくが、地竜やサイクロプスがいた痕跡は残っているものの、特に変わった様子はない。
それでもすぐに行動できなかった。中にあの漆黒の魔族がいたらと思うと、折角拾った命を捨てることになるからだ。
「入りますか」とガイが聞いてきた。
彼の声も緊張のためか、僅かに掠れている。恐らく俺と思いは同じだろう。
「ああ。ここまできて確認しないわけにはいかない」
俺たちは洞窟に向かって慎重に進み始めた。