作品タイトル不明
第五十三話「宰相府へ」
二月十日の夜。
シーウェル侯爵、ラドフォード子爵を交えて、シャロンたちが得た情報について話をした。その際にはシャロンが独断で鍛冶師ギルドを動かしたことも正直に話している。
「それは危険だな」とシーウェル侯が呟く。
「宰相閣下は自らの権威に拘る方ではありませんが、帝国の権威に傷がつく場合には厳正な対処をされます。純朴なドワーフたちが自分の想いを吐露しただけであれば、閣下も脅しを口にする程度でお許しになられる。しかし、今回はロックハート家が関わっています。それが問題ですな」
ラドフォード子爵も厳しい表情でそう言った。
「おっしゃられることの意味は理解しています。しかしながら、私としましては今回のことはよかったと考えています」
「それはどういう意味かな、ザカライアス。閣下を侮れば、単なる火傷では済まぬぞ」
「侯爵閣下のおっしゃることも理解しております。宰相閣下を侮るようなことはいたしません。ですが、大きな暴動や騒乱になる可能性はなくなりました。人が死んだり傷ついたりすることを思えば、我々が窮地に陥ったことなど大したことではございません」
正直な気持ちだ。
もし、皇太子がリディたちに手を出そうとすれば、ドワーフたちは穏便な手段に出ることなく暴走するだろう。そうなったら、宰相は間違いなく強硬な手段で鎮圧する。カウム王国のような温情を掛ける必要も理由もないからだ。
もちろん、その件でドワーフたちを処分すれば、鍛冶師ギルドとの関係は完全に冷え込むが、大義名分は宰相にある。
仮に皇太子がロックハート家の者に手を出したからといって、鍛冶師ギルドのドワーフが暴動を起こしていいとはならない。匠合長であるウルリッヒは酒が絡まなければ理性的だ。実際に起きていたら、対応に苦慮したことだろう。
そう考えれば、俺が宰相と対決して何とかなるのであれば、その方が遥かにいい。
「息子の言う通りです。我らのために友人が傷つくことは看過できません」
父も俺の意見に同意する。誠実な父の本心だろう。
「そうは言っても宰相閣下が相手だ。どのような要求が来るか分からぬぞ。それにこの件に関しては私もアレクシス殿もロックハート家に手を貸すことはできん」
「この件はあくまでロックハート家の不始末。閣下はもちろん、エザリントン公爵閣下にもご迷惑を掛けるつもりはございません」
父がきっぱりと言いきる。
「よかろう。では、今後のことだが、先ほど閣下から伝達があった。明日の朝一番に卿らは宰相府に向かわねばならんとのことだ。陞爵の式典の打ち合わせという話であったが、ザカライアスも召喚されている」
「私もですか」
「そうだ。その際に確認させたのだが、宰相閣下の明日の午前中の予定はすべて空いているということだ。お忙しい閣下の予定が空いているなど聞いたことがない。恐らく、今回の件で閣下から厳しい詰問があるだろう」
呼び出されたのは父と兄、そして俺の三人だ。陞爵の式典の打ち合わせだけなら、父と兄だけでいい。
「ザカライアス殿はどうするつもりだ? 宰相閣下に無策で挑むつもりではないのだろう?」
「ご心配なくと言いたいところですが、今のところ打つ手は思いつきません」
ラドフォード子爵にそう答えるが、実際には少し考えがあった。しかし、この場で話すことは宰相に筒抜けになる可能性がある。
その後は明日以降の予定が話題となった。
シーウェル家の家宰であるラドフォード子爵から説明を受ける。
「式典の打ち合わせ後は屋敷に戻り、園遊会などの調整になります。既に十を超える家から招待状が届いています。当家が出席する家を選別しますが、その際に出席者の調整が必要となり……」
シーウェル家はロックハート家の後見役として貴族たちの間に入ることになっている。そのため、園遊会や茶会などの招待状はシーウェル家が一旦受け取り、ロックハート家に渡すことになるが、出席するかはシーウェル家の意向で決まる。このことは貴族たちも分かっており、招待を断ったとしてもロックハート家が恨まれることはない。
これは下級貴族を守るための苦肉の策だった。
上級貴族は自らの派閥を大きくするため、新興の下級貴族を取り込みたいが、無制限にそれを始めると、下級貴族の奪い合いが始まる。貴族は面子に拘るから、誘いを断った下級貴族に嫌がらせをすることもあるし、最悪の場合、上級貴族間の争いに発展する。
そのため、力を持つ上級貴族が取り仕切り、そのことに他の派閥の上級貴族は文句を言わないという暗黙の取り決めになっているのだ。
「了解しました。私としましては可能な限り、私と妻、ロドリックとロザリンドで対応したいと考えております」
「承りましたが、難しいかもしれませんな。天才と名高いザカライアス殿もぜひともという申し出が多く来ておりますので」
ラドフォード子爵はそう説明するが、恐らく鍛冶師ギルドとのコネクションを狙ってのことだろう。これまでの感触では帝国貴族は思った以上に情報を重視しており、抜け目がない者が多い。
「まあ、ザカライアス殿については鍛冶師ギルドに呼び出されているという説明で誤魔化せないこともありませんからな。できるだけやってみましょう」
今後の予定だが、公爵家以上からの申し込みは無条件で受諾する。その上で序列に従い、決めていくのだが、二月一杯は帝都にいる予定なので、ほぼ毎日どこかに顔を出す必要があるらしい。
翌日の二月十一日。
いつも通り訓練を行うのだが、いくら大きな屋敷でもさすがに貴族街で早朝からの訓練は近所迷惑になるということで、帝国軍本部にある訓練場を借りることになっていた。
本来なら訓練場は第一軍団、すなわち皇帝直卒の軍団専用であり、田舎の騎士が使えるような場所ではない。そのため、手配はラドフォード子爵がエザリントン公爵家を通じて行っており、そのおかげもあって問題なく許可されている。
夜明け前の早朝ということもあり、貴族街は静かだが、それでも朝食の食材を配達する商人や使用人たちがおり、無人というわけではない。
軍本部も緊急時に対応する宿直者がいるため、窓からは灯りが漏れている。
宿直の騎士に訓練場の使用を申し出て、そのまま訓練に向かう。
ここでもロックハート家のような訓練は珍しいのか、宿直の兵士たちの多くが見物に来ていた。
昨日は落ち込んでいたシャロンだが、朝には吹っ切れたのか、いつも通りの笑顔を見せている。吹っ切れたとは思えないので、うまく隠せるようになっただけだろうが、それでも落ち込んでいるよりはいい。
従士や自警団員たちは帝国軍の第一軍団が見ているということでいつも以上に気合が入っていた。
ロックハート家の自警団は第四軍団の軍団長であるエザリントン公が辺境最強の兵と称したことと、旅の途中でゴブリンを討伐した話に尾ひれがついたことから、ロックハート家の立ち上がる獅子の紋章を見て手を振られることもあった。
しかし、従士たちに驕りはなかった。
父や兄が厳しく諌めていることもあるが、第四軍団との集団戦で完敗したことが効いているようだ。
厳しい訓練を続けていくが、第一軍団の兵士たちは興味を失ったように次々と消えていった。
彼らは皇帝直卒の精鋭と言われているが、実際には実戦経験がない儀仗兵に過ぎない。兵士としての質もあまり高くなく、閲兵時の見栄えを重視していると言われているほどだ。
俺自身も今日は訓練に集中できていない。
訓練が終わり、朝食を摂った後、皇宮にある宰相府に赴いて宰相に謁見しなければならないからだ。
そのため、父や兄から何度も叱責を受けていた。
父と兄も謁見する可能性があるのだが、武人としてきちんと割り切っている。羨ましく思うが、俺にはそこまで割り切ることができない。
朝食後、身支度を整えて皇宮に向かう。
案内役はラドフォード子爵で、彼が式典を仕切る儀典局との間に入り、調整を行うことになっていた。
「事前に説明した通りですので、緊張する必要はありません。今日は謁見の間の見学程度と考えておいてください」
子爵がそういうのも、父と兄は皇宮を前にしてガチガチに緊張していたからだ。
(訓練の時は余裕そうだったんだが、さすがに皇宮に入ると緊張するのかもな。しかし、今日はリハーサルなんだが……本番が心配になる……)
儀典局には俺も一緒に行き、宰相からの呼び出しを待つことになっている。いくら午前中に予定が入っていないとはいえ、帝国を差配する宰相が暇なはずはない。決裁事項はいくらでも出てくるだろうし、最悪の場合はキャンセルということも考えられると言われていた。
皇宮は軍本部の建物を貫くように作られた大通りの先にある。この大通りは北門から続く凱旋通だ。
皇宮の最奥部まで続くまっすぐな道は防御施設として考えるなら減点材料だが、皇帝の権威を示す政治の道具としては合格だろう。
外征で活躍した皇帝や皇太子がパレードに使うには最適だからだ。
軍本部の中を通る感じで皇宮の門に到着する。貴族街の門より更に華美になり、ラピスラズリのような深い青色と白亜の壁が美しい。
今日はシーウェル家の馬車を使っているが、ここでも厳重なチェックが行われる。騎士階級であるため、武器の携行は認められているが、許可のない者が潜んでいないか馬車の下まで念入りに確認された。
「いつもこれほどの確認をされるのですか」と子爵に聞くと、彼は大きく頷く。
「徒歩の場合はそうでもないのだが、馬車は特に厳重に調べられるのだよ。ルークスの獣人奴隷のような例もあるからね」
祖父が戦ったルークスの獣人奴隷は神出鬼没と言われ、対ルークス戦の前線では恐怖の対象となっている。今まで忍び込まれた実績はないそうだが、念には念を入れているらしい。
門をくぐると正面に三本の尖塔を持つ天空宮と呼ばれる宮殿が見えた。この宮殿もカエルムの国家カラーである青を基調としており、どこかエキゾチックな雰囲気がする作りとなっている。
天空宮を見ながら右に曲がると、そこには宰相府の建物があった。ちなみに左側には近衛騎士団の本部があり、五千名の騎士が皇宮を守っている。
宰相府は宮殿や門とは異なり、比較的地味な建物だ。といっても白を基調とした石造りの四階建ての建物であり、皇宮の美しさを損なうものではない。
宰相府の前で馬車を降りると、子爵が先触れとして中に入っていく。すぐに担当の役人が現れるが、僅かに焦っている感じがした。
「宰相閣下がお待ちだ。すぐに執務室に向かってほしい」
到着予定時間より十分ほど早く着いており、遅れたわけではない。
「ラドフォード殿はこの場にて待つようにとのことです。ロックハート家の者のみ私についてきてほしい」
この展開に父が困惑したような表情を浮かべているが、即座に役人の後に続く。
宰相府の廊下には待合用の長いすや予備の書棚などがあり、役所の雰囲気が漂っているが、それを見ている余裕はない。
宰相の執務室は一階の奥にあり、他の扉と同じで一国の実質的な支配者がいる部屋の前という気がしない。
先導していた役人がドアをノックし、「ロックハート家の者を連れてまいりました」と言って扉を開ける。
俺たちは片膝を突いて扉の前で待っていた。
「入れ」というしわがれた声が聞こえた。その距離は思ったより近く、扉のすぐ近くにいるようだ。
役人に促され、一礼した後に部屋に入る。
作法に則り、再び片膝を突き、頭を下げて相手の言葉を待とうとした。
「大仰な作法は不要じゃ。前に参れ」
役人は一礼して出て行き、俺たち三人が残される。
部屋は五メートル四方ほどで、大きな執務机と書棚、応接セットのようなソファとローテーブルがあった。思った以上に狭いことと、護衛の騎士が一人もいないことに驚きを隠せない。
そして、正面の執務机に白髪で痩身の老人が座っていた。その瞳は灰色で俺たちのことを静かに見つめている。
父が慌てて頭を下げ、
「騎士マサイアス・ロックハートでございます。後ろにおりますのは嫡男ロドリック、次男ザカライアスにございます」
「うむ。フィーロビッシャーじゃ。それでは用件を話す」
宰相はそう言っていきなり話し始めた。
「その方らを呼び出したのは、いくつかの懸念を確認したいためじゃ……」
見た目の印象とは異なり、老人らしさの欠片もない迫力がある。
「……まず、そなたの領地を襲ったアンデッドについて聞かせてくれぬか。あれは魔族の手先であったと思うか?」
父は想定していなかった質問に一瞬戸惑う。
「はっ! 魔族の手先であるという証拠は見ておりません。ですが、率いていたアンデッドは明らかに知性を持ち、言葉も使っておりました」
「うむ。証拠がないか……その方らの存念を聞かせよ」
「では……私自身、魔族と戦った経験はございませんが、我が配下に魔族との戦いを経験した者がおります。その者が申すには魔族の戦い方とは異なるとのことです。また、スケルトンが所持していた剣は鬼人族が使うものではなく、二千年ほど前に帝国で使われていた剣に酷似しております。これらのことを考え合わせますと、魔族ではなく、偶発的に発生したアンデッドではないかと考えられます。以上でございます」
戦いのことであり、父は思ったよりしっかりと答えていた。
「そうか。魔族の可能性は低いか……この件はみだりに広言することを禁ずる。理由は分かるな」
父はそこで困惑し、「申し訳ございません!」と頭を下げる。
「ロドリック、貴公はどうだ?」
兄は「お答えいたします」と言ってから、いつも通りの口調で報告を始める。
「理由は二点あると考えます。一点目は魔族ではないという証拠がないことです。魔族の関与を疑っておいた方が彼らに対する警戒を強めることができます。そしてもう一点ですが、アクィラ山脈の東に魔族以外の敵がいるという事実は帝国のみならず、カウム王国、ラクス・サルトゥース連合王国、ペリクリトルに強い衝撃を与える可能性があります。政治的な影響は分かりかねますが、それを考慮すべきと考えます」
「その通りじゃ。ザカライアスよ、付け加えることはないか」
俺にも問いかけが来るとは思っていたため、即座に「ございます」と答え、
「アンデッドという点が人々に不安を与えることを考慮すべきと考えます」
そう言うと宰相は小さく頷き、先を促す。
「アンデッドは人々の恐怖の対象です。特に都市部では実際の脅威以上に恐怖を感じると聞いております。もし、アンデッドの王国、つまり死者の国があるという噂が立てば、人々は神々に助けを求めるでしょう。アンデッドに対して最も効果がある属性は光属性と言われております。 光の神(ルキドゥス) を絶対神とする光神教にとっては絶好の宣伝材料となります。この点が懸念されることでございます」
辺境にいる者はスケルトンやグールなどのアンデッドを見慣れているから、他の魔物と同列に考えることができる。
しかし、魔物がほとんど出ない都市部では古戦場でのアンデッド同士の戦いの話や墓場から這い出るスケルトンの話など、怪談に近い噂が信じられ、特に女性や子供などの恐怖の対象になっている。
実際、ウェルバーンという大都市出身の母はアンデッドに対して強い恐怖を感じていた。
「その通りじゃ。魔族は魔物を操る。それがアンデッドになっただけであれば、さほど奇異には映らぬ。アンデッドの王国などという話になれば、帝国南部のような平和な土地におる民は動揺する。そこをルークスが突いてこぬとも限らんのじゃ」
俺はアンデッドの襲撃から考え続けていたからこの結論に達したが、さすがは一国の支配者だけあり、少ない情報で同じ結論に達していた。
「この件はこれでよい。では次の話じゃ。ロックハート家が増長していることについて、その方らの意見を聞かせてもらおう」
遂に本題に入った。