作品タイトル不明
第四十一話「チョコレート」
二月三日。
昨日から降り続く雨のため、今日の視察は中止となった。
ラドフォード子爵たちはワインの品質向上と蒸留所建設計画の詰めを行うそうで、今日一日は完全にフリーだ。
雨が降っていなければ、街に繰り出すこともできたのが、本降りの雨の中、散策する気分にならない。
今日一日を完全休養日に当ててもいいのだが、貧乏性の俺としてはどうしてももったいないと思ってしまう。
そのため、エザリントンで手に入れた素材である物を作ろうと思っている。
エザリントンのパストン商会で手に入れた物、それはカカオだ。そう、チョコレートの原料を見つけたのだ。
このカカオは発酵させたものをローストしてあり、前の世界で見たことがあったカカオとほぼ同じだった。
商会長のトーマス・パストンに使い方を教えてもらうと、
「そのまま食べるか、粉にして湯に溶いて飲むと聞いております。滋養強壮に良いようで、疲れた時に飲むといいそうです。ただ、苦味が強くてあまり美味しいものではありませんが……」
食材というより薬のような扱いらしい。
カカオ豆を買ったものの、大した知識は持っていない。カカオ豆からカカオマスが作られ、それを精製してココアとカカオバターになると聞いたことがあるくらいだ。
それでもカカオ豆を買ったのは、魔法を使えば油脂分とココアに分離が可能だと考えたからだ。
俺には 抽出(アブストラクト) という魔法がある。この魔法はある一定の物質を抽出することができる土属性もしくは金属性魔法だ。
この抽出の魔法を使って油脂分を取り出せば、ココアとカカオバターに分けられるはずだ。
学院時代、ラスペード教授の手伝いで多くの物質を抽出した経験から、ある意味もっとも得意な魔法でもあり、やれる自信はある。
チョコレートの原料は俺の記憶が正しければ、カカオマス、カカオバター、そして砂糖だ。ミルクを加えればミルクチョコレートになる。
作り方はチョコレート専門店のパンフレットを見たくらいなのでうろ覚えで心もとないが、とりあえず原料は揃えることができたから、試行錯誤で何とかできると思っている。
今日の助手もルナを指名している。彼女ならチョコレートを知っているだろうし、もしかしたら、作り方も知っているかもしれない。
他にも暇を持て余しているリディやベアトリスが付いてくることは確実で、メルも手伝ってくれるだろう。
「今日はちょっと変わったものを作りたいと思っている」
「変わったものですか?」とメルが首を傾げ、ベアトリスが「酒のつまみかい?」と聞いてきた。
「ああ、スコッチやブランデーのつまみになる物だ。ビールやワインには合わないな。言ってしまえば甘い菓子だ」
そう言いながら、カカオ豆を取り出す。
リディが一瞬顔を顰める。
「エザリントンでいっぱい買っていたものよね。苦いし、口の中がザラザラするし、美味しくないナッツじゃなかった?」
買った時に彼女も味を見たが、あまりいい印象は残っていない。
「こいつはこのまま食べても大して美味くない。こいつを粉にして油脂分を加えて砂糖と混ぜて固める。そうするとほろ苦くて甘い菓子になるんだ」
ルナが「チョコレート?」と呟いている。やはり知っていたようだ。
「そう、チョコレートだ。俺も詳しい作り方を知っているわけじゃないから、成功するかは微妙だが、試行錯誤すれば食べられるものはできると思う。暇なら手伝ってほしいんだが」
そう言って助手を募集すると、リディ、ベアトリス、メル、ルナ、ソフィアの五人が手を上げてくれた。セオとセラにも声を掛けたが、屋内訓練場で訓練すると言って断られた。
厨房に向かう時、偶然エザリントン公爵令嬢のローレンシアとすれ違った。
「あら? 今日は訓練ではありませんの?」
「ええ、今日は新しい素材で菓子を作ろうかと。上手くできるかは分からないのですが」
そう言って笑いながら答えると、
「妹に声を掛けてあげてくださいね。あの子はあなたの作る甘いものに夢中なのですから。フフフ……」
「ええ、分かりました」
ローレンシア本人も見たいといっていたが、シーウェル侯爵夫人らとともに、母ターニャに貴族の夫人としての心構えなどをレクチャーすることになっており、時間が取れないそうだ。
シーウェル家のメイドにプリムローズへの伝言を頼み、そのまま厨房に向かった。既に厨房を使う許可は得ており、すぐに準備に取り掛かる。
準備を始めたところで、プリムローズが厨房に飛び込んできた。
「な、何を作られますの!?」と公爵令嬢とは思えないほど大きな声で聞いてくる。
「カカオを使った新しい 甘味(スイーツ) です。時間が掛かると思いますので、できたら声を掛けるとお伝えしたつもりだったのですが?」
「ええ、そう伺いましたわ。でも、どうしても気になってしまって……お邪魔はいたしませんので、ここで見ていてもよろしいでしょうか?」
甘味に目がない彼女らしく、好奇心が勝り来てしまったようだ。俺は苦笑しないように気をつけながら「構いませんよ」と了承した。
チョコレート作りだが、まず豆から皮や胚芽部分を取り除く。細かい皮や胚芽は残りやすいので、とても面倒な作業だ。
この作業を一時間以上続け、一キロくらいのカカオ豆を確保する。
「ここからが大変だったはずなんだが、とりあえず、すり鉢ですり潰してほしい。これは俺とベアトリスとメルで交代しながらやろう」
長時間練らないといいチョコレートにならなかったはずだが、どのくらいすればいいのか全く覚えていない。
最初は少量で試そうと二百グラムくらいをすり鉢ですっていく。
始めてみると、ガリガリという感じで乾燥させた硬い豆を強引に潰す感じだった。それを三人で交代しながら延々と続けていく。
一時間ほど続けたが、ねっとりとした感じになるものの、ザラザラとした感じが消える気配がない。ベアトリスがうんざりとした顔で聞いてくる。
「どのくらいにやったらいいんだい?」
「いや、全く見当がつかない。ただ、この感じじゃ、全然駄目だ」
「多分、何十時間もすらないといけなかったと思います……」
作業を見ていたルナがボソリと呟いた。彼女には俺の知らない知識があるようだ。
しかし、何十時間も混ぜ続けているのも面倒だ。
(混ぜるだけなら水車を使えばいけるんだが、それじゃ時間が掛かりすぎるな。細かく砕いていくだけなら、 改質(モディフィケーション) の魔法で何とかならないかな……)
改質の魔法は木属性魔法の一つで、紙の上質化に用いられる。俺の場合、コルクの栓を作る時にも使っている魔法で、木などの有機物の材質を変えることができる。
「改質の魔法を使ってみるよ。ただ、上手くいくか分からないから、そいつはそのまま混ぜていてくれ」
新たに別の容器にカカオ豆を百グラムほど入れる。
「森を作りし偉大なる 木の神(アルボル) よ。 御身(おんみ) の眷属に我の思いを伝えたまえ。代償に命の力を捧げん。 改質(モディフィケーション) 」
呪文と共にカカオ豆に精霊の力が加えられていく。
十秒ほど魔法を掛け続けると、カチカチだった豆の形状が崩れ、粉末状の物体に変化していく。更に魔法を掛け続けていくと、次第にねっとりとした感じの、粉末ともペーストともつかない状態の物に変わる。
結局三十秒ほどで何となくザラザラ感が消え、油を混ぜた粉のようになった。
「これでいいかな。ルナ、どう思う?」
器を覗き込み、「分かりません」と言うが、すぐに「多分大丈夫だと思います。自信はありませんけど……」と答えた。
ベアトリスがすっていたすり鉢の方も同じように改質の魔法で微細化する。
「最初から魔法でよかったんじゃなかったのかい」とベアトリスがだるくなった腕をさすりながら、不満げに言ってくる。
「最初は知っている方法でやらないと、どのくらいやらなきゃいけないか分からないだろ」
そう言うものの、抽出の魔法を使うつもりもあったので、粉にするところも魔法を使えばよかったと反省する。
その後、抽出の魔法で油脂分を分離する。思った以上に油があるのか、バターのような塊ができる。
その後、細かくしたカカオにカカオバターを加え、更に砂糖を少しずつ入れて練っていく。
この作業も全くの未知数でどのくらいやればいいのか分からない。
混ぜていくのだが、上手く混ざらない。
「湯煎をした方が……」とルナが言ったので、温度が低く粘度が高すぎることに気づく。
湯を用意してもらい、すり鉢ごと温めながら練っていく。今度は上手く練ることができ、徐々にチョコレートらしくなった。
しかし、どれだけ練っても照りが出てこない。舐めてみると、何となくチョコレートっぽいが、滑らかさがなく、若干油っぽい感じもする。
「上手くいかないな。これでも食べられないことはないけど……」と呟くと、ルナがすり鉢を覗きこむ。
「今度は温度が高すぎるのだと思います。温度計がないのでどのくらいにしたらいいのかは分かりませんけど」
今度ははっきりとした口調で話し掛けてきた。
チョコレートについては俺より遥かに詳しい。もしかしたら、菓子作りの職人だったのかもしれない。
それから湯煎を外して温度を下げ、下がりすぎると温め直して練っていく。何となく、照りが出てきたのでバットに入れ、擬似ペルチェ効果の魔法で冷却する。
「できたのですか?」とずっと見ていたプリムローズがおずおずという感じで聞いてきた。
「多分できたと思うのですが、一緒に味を見てみますか?」
「は、はい!」と物凄い勢いで頷く。その様子に思わず笑みが零れ、それに気づいた彼女が恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
最初に俺が食べてみる。
(まだ、ざらつきは残っているが、まあまあだな。結構ビターだが、今後はミルクを入れたり、砂糖の量を調整したりして、味を調えたらいいだろう……)
問題なかったので、その場の全員に砕いた欠片を渡していく。
「結構美味しいわね」とリディがいい、「少し苦い気はしますけど、いい香りだと思います」とメルにも好評だった。
ベアトリスも「甘いものはそれほど好きじゃないが、これはいけるよ」と合格点を出した。
九歳のソフィアは「苦い……」とお気に召さなかったようだ。
そして、ルナだが、「チョコレート……本物のチョコレート……おいしい……」と呟いている。
「どうだ? ルナのお陰でできたんだが、今度はミルクか生クリームを入れてミルクチョコレートにしよう」
「はい! また、手伝わせてください!」と今までになく、明るい声で返事をしてくれた。
当初、最も気合いが入っていたプリムローズだが、チョコレートを口に入れたまま反応がない。妙に静かだなと思い、彼女を見てみると、何やらブツブツと呟いている。
「何これ? ちょっと苦いけど、甘くておいしい……これは商品化されるのかしら? どうしよう……」
ちょっとトリップしているようなので声を掛けずに様子を見ていたら、「ザカライアス様!」と突然大きな声を出した。
「は、はい」と答えると、「これは何と言う食べ物ですの!」と言って、俺に詰め寄ってくる。
「チョコレートという名前ですが、どうしたのですか?」
「これはザカライアス様しか作れないものなのですか! だとしたら、私もラスモア村に行かないといけません! それから、これは他の 甘味(スイーツ) にも使えると思うのですが、何に使えるのでしょう! これを私に作ってください! ああ、こんな甘味があるなんて……」
ほとんど一人で叫んでおり、俺が答える隙がない。若干引き気味に質問に答えていく。
「今回は魔法を使いましたが、魔法を使わなくてもできるはずです。他のスイーツに使えるかとのご質問ですが、使えます。ジェラートに混ぜ込んでもおいしいですし、焼き菓子に混ぜても風味は上がります。まだ、カカオ豆はたくさんありますから、昼からプリムローズ様の分を作りましょう」
プリムローズは目を輝かせながら、「ああ、よかった」と安堵している。
どうやら、チョコレートの作り方も誰かに伝えないといけないようだ。
(候補はロビンス商会だな。作り方のメモを作らないといけないな……)
バート・ロビンスは昨年のドワーフ・フェスティバルに来た際、ジェラートの製法を一万クローナで買い取った帝都の商人だ。彼はシーウェル家の御用商人ということなので、チョコレートの作り方を教えてもいいだろう。
(試食させていくら出すか聞いてみるかな。別にただでもいいんだが、どのくらいの評価をするかが気になるし……)
昼食後、約束どおりプリムローズにチョコレートを作って渡した。午前中のものとは違い、抽出の魔法で水分を除去したミルクを入れたミルクチョコレートで、彼女はこちらの方がおいしいと絶賛した。
「一つだけ注意があります」と言うと、チョコレートを頬張っていたプリムローズは小さく首を傾げる。
「この菓子は非常に栄養価が高いので、食べすぎると太ります。お気をつけください」
その言葉に彼女はガーンという感じで手に持っているチョコレートを見つめる。
「どのくらいならよいのでしょうか?」と泣きそうな顔で聞いてきたので、
「今持っている分の半分くらいですね。だいたい二、三十 g(グラン) にしておいた方がいいと思いますよ」
「そんな……」と言って黙ってしまった。
その後、「疲労回復にいいお菓子です」と言って、朝から会議を続けているシーウェル侯たちにも出してみたが、非常に好評だった。
特にラドフォード子爵は商品化に乗り気で、
「五十万クローナで製法を買い取らせてくれないか。独占契約を結びたいのだが」
「五十万ですか!」と思わず叫んでしまった。五十万クローナと言えば、日本円で五億円ほどになるからだ。
「このチョコレートなる甘味には無限の可能性がある。この独特の香りは甘味だけでなく、料理にも使えると思えるのだよ。これを独占的に販売できれば、莫大な儲けが出るだろう。帝都に入ったら、早速カカオの生産地と長期契約を結ぶつもりだ……」
美食家の子爵はチョコレートの可能性に気づいたようだ。
(まさか、料理に使うことまで思いつくとは。さすがだな……しかし、五十万クローナっておかしくないか? いや、プリムローズ様の顔を見ればありえないことじゃないが、それにしても……)
結局、五十万クローナで子爵に売ることで合意したが、子爵家の私有財産では一括で払えないとのことなので、ロビンス商会に話を持ちかけ、子爵とロビンス商会の二者と契約することになった。
(軽い気持ちで作ったんだが……しかし、作れたのはルナの知識のお陰だ。どうするかな……)
このことを正直にルナに伝えると、「五十万クローナ?」と実感が湧かないようだ。
「帝都に大きな屋敷が買えるくらいの金額だな」というと目を丸くし、
「ザックさんが作られたんですし、私はいいです。大したことをしたわけでもないので……お酒を作ることに使ってはどうですか?」
さすがに子爵から金を受け取るのはどうかと思い、父に相談した。
「シーウェル家の方々には世話になっているからな。それに金がほしいわけでもないのだろう?」
「そうですね。私から作り方を買ったという話が広がると面倒ですし、今もらっている情報で充分に釣り合いますから。もし、それでもとおっしゃられたら、帝国南部の珍しい食材を送ってもらうくらいにしておきます」
こうして、チョコレートの製法はシーウェル家に無償で譲渡することに決めた。
詳細については、帝都に入ってからロビンス商会を交えて決める予定だ。