軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六話「ファネル峠」

トリア歴三〇一九年一月三日。

アルスでの滞在を終え、今日帝都に向けて出発する。

この世界では日本のような三が日という考え方がなく、元日に新年を祝ったら翌日から仕事が始まる。俺たちも元日にドワーフたちの宴会に付き合ったが、昨日は大きな宴会はなく、集会所で行われた送別会に付き合っただけだ。なぜか王妃がお忍びで来ていたが、誰も違和感を抱くことは無かった。

アルスから南の国境ファネル峠までは更に標高が上がっていく。そのため、寒さがより厳しくなり、この季節のファネル峠はカウム王国一の難所となる。

幸いなことに積雪自体はアクィラ山脈の麓に比べて少なく、雪による通行の障害は少ない。しかし、凍結による事故が多く、荷馬車の通行には細心の注意が必要になる。

ファネル峠を越えた先にある帝国領ファーフリーまでの二百キロを、十日間掛けて移動する行程で計画している。

アルスの南大門の前でドワーフたちの盛大な見送りを受けた。

「帰りも寄るんじゃぞ!」というウルリッヒ・ドレクスラーの声が響き、その声に「待っておるぞ!」という声が重なる。

「状況にもよるが、五ヶ月は掛かると思う。まあ、気長に待っていてくれ」

今回の行程では帝都プリムスで陞爵の式典に出た後、中央街道を北西に向かい、北部総督府のあるウェルバーンに行くことになっている。

このウェルバーン行きだが、キルナレックが領地になることが一番の理由だ。

キルナレックは商業ギルドが作った都市国家連合の一都市ではあるが、ラズウェル辺境伯家の領地でもある。このため、名義変更でもないが、いろいろな手続きが必要になり、ウェルバーンに行く必要があったのだ。

もちろん、それがなくとも兄嫁ロザリーの実家であり、更に祖父を騎士に叙任した“寄親”でもあるため、キルナレックのことがなくても挨拶にいくことになっただろう。しかし、ウェルバーンはプリムスから千百キロ以上離れており、移動だけでも四十日近く掛かる。

更にウェルバーンからラスモア村に戻るには、商業都市アウレラと冒険者の街ペリクリトルを繋ぐアウレラ街道を使う方が距離が短く楽なのだが、現状では治安の悪化が酷く、劇的に状況がよくならない限り、傭兵の国フォルティスを経由してカウムに入るルートを採ることになる。

この場合、ウェルバーンからアルスまでは千三百キロ以上になり、更に険しい山道が多いフォルティスを通ることから二ヶ月程度は必要になるはずだ。

つまり、五ヶ月というのは最短に近い日数であり、俺たちの予想では半年以上は掛かると見ていた。

ドワーフたちに見送られながらアルスを出発する。

厳しい寒さが身を切るが、今は冬の晴天の下、晴れやかな気分で馬を操っていく。

アルスを出発して五日で、街道は険しい山道に入っていた。

この五日間は、盗賊はおろか魔物の襲撃すらなく、平和そのものだった。更に心配していた天候の悪化もなく、右手に見えるポルタ山地から吹き付ける風が冷たい程度で全く問題は発生していない。

翌日の一月八日。ロックハート家一行は針葉樹が生い茂る深い森に入り、切り立った崖の間を進んでいる。この辺りは大河ファータス河の源流に当たるが、川幅も狭く、悠々たる大河の面影は全く見られない。

針葉樹の大木とポルタ山地の山陰のため、昼間でもほとんど日が当たらず、街道の路面は踏み締められた雪が凍りつき、馬が足を取られるようになった。

「全員、下馬せよ! 馬車には先導の者をつけ、慎重に進ませるのだ!」

父がそう命じると、全員が馬から下りる。ブーツの底から感じる感触は雪というより硬い氷だった。

その日は慎重に進んだため、十五キロほどしか進めていないが、それまでに充分な距離を稼いでいるので、行程的には問題はない。問題があるとすれば、明日以降の天候だけだ。

この辺りからは険しい山岳地帯ということで農村などはない。しかし、街道の通行を考え、宿場が整備されている。

この宿場だが、二百メートル四方ほどの大きさで、周囲は木の壁で覆われている。施設は五十人ほどが泊まれる宿が数軒と厩舎及び荷馬車の保管場所、それに街道警備隊の詰所があるだけだ。街道警備隊には五十名程度の兵士が詰めているが、積極的に魔物の討伐を行っているわけではないらしい。

宿に入った後、宿の主人でもある老人に、明日以降の天気を聞いたところ、この冬一番の冷え込みになるとのことだった。

「三日ほど冷え込みが続くはずですじゃ。街道も完全に凍りつくでしょうな……」

宿に入った後、ロックハート家の主要なメンバーとイグネイシャス・ラドフォード子爵、護衛隊長のオズボーン・タワーディンとで明日以降の予定を確認する。

「帝都への行程に余裕はありますが、ここで何日も足止めされるのはいささか面白くありませんな」

子爵がそう言うと父も大きく頷いている。

「次の宿場までは十五 km(キメル) 。山道ですが徒歩でも充分に移動できる距離です。荷馬車がいささか不安ですが、幸いにして息子の作った車輪は木製の物より滑りにくい。ならば、明日は出発すべきかと」

子爵も「そうですな」と頷くが、俺の方に視線を送り、「ザカライアス殿の意見は?」と聞いてきた。

「私も父と同意見です。この状況は予め想定されていましたから、荷馬車の荷は通常の半分ほどに減らしています。イグネイシャス様の馬車にも細工をすれば何とかなるかと」

俺の考えている細工とは車輪にスパイクを取り付けることだ。

通常の馬車の車輪は木製だが、外側に鉄の枠が嵌められている。その鉄枠に金属性魔法でスパイクを付ければ、滑り止めに充分なる。

簡単な概念を説明すると、「ならば、ザカライアス殿に細工をお願いしよう」と子爵が承認し、明日も進むことが決定した。

夜の間に子爵の馬車の車輪にスパイクを付けていく。スパイクといっても棘状のものではなく、昔あったスパイクタイヤを参考に二、三ミリの突起を付けているだけだ。

翌日は宿の老人の予報通り、朝から厳しく冷え込んでいた。午前八時頃に出発するが、小雪がちらつき、時折強い寒風が吹き付ける。

昨夜の厳しい冷え込みで積もっている雪がバリバリに凍り、馬車が作る 轍(わだち) は完全に氷になっていた。

今日は最初から馬を引いて歩くため、それほど危険はないが、やはり馬車はフラフラと横滑りしている。それでも制御できないほどのスリップではない。

子爵の馬車も時折滑ってはいるものの、大きな問題は無さそうだった。

休憩時間に全員の体調を確認するが、特に問題もなく、午後四時頃には次の宿場に到着した。

「これならば問題は無さそうだな。馬たちにも負担は掛かっていないようだしな」

俺たちは出発したが、多くの商隊は出発を見合わせていた。商人たちの場合、一輌当たりの積載量を上げてコストを下げる必要があり、今日のような状況で凍てつくファネル峠に挑めなかったのだ。

もし、途中で馬車が破損すれば、商品を放棄するか、野営する必要がある。正確には分からないが、氷点下十度近くまで下がっていそうな峠で野営することは命に関わる。

一月十日。

今日も厳しい寒さで目が覚める。外は時折晴れ間は見えるものの、粉雪のような細かい雪が絶えず降り続けていた。

「あと二日でファネル峠を越える。明日には天候も回復するだろうから、今日一日の辛抱だ。全員、気を抜かず、慎重に進め!」

父の言葉に「オウ!」という声が上がる。既に二日間馬を引いて山道を登っているが、若い従士や自警団員に目立った疲れは見えない。

「ここから先はカウム王国軍もほとんど入っておらん。足元だけではなく、周囲の森にも注意を払え! ダンは馬を預けて先行しろ! ザックとベアトリスはダンのフォローだ! では出発!」

ファネル峠は標高が高く、この先は特に勾配が厳しくなり、 九十九(つづら) 折れの道が続く。そのため、見通しが利かない。

危険な大型の魔物は少ないと言われているが、ここ二日の冷え込みで商隊がほとんど動いていないため、護衛が多い俺たちでも狙われる可能性がある。

午前中は順調に進み、予定通り七キロほど進んでいる。この辺りは十五キロごとに宿場があるため、あと八キロを残すだけだ。

何度か街道のところどころにある休憩所代わりの広場に入り、休憩を取っている。標高が高いためか、昨日よりも息が上がるまでの時間が短い。

単なる休憩なのだが、擬似ペルチェ効果の魔法が非常に役立っている。昼食時に火を熾すことなく温かい食事が摂れるため、体力の維持・回復が楽なのだ。

いつもより人数は多いが、大鍋を荷馬車に入れているため、材料さえあれば問題なく温かいスープが作れる。

これには旅慣れたラドフォード子爵も大いに感心し、

「冬の旅にはぜひザカライアス殿に同行してもらいたいものだ。寒さに震え続けるのは苦痛だからな」

「あたしもドクトゥスで一緒に森に入るようになったときには驚きましたよ。でも、夏もいると便利ですよ、ザックは。温い水を飲む必要がないんですから。それに何といってもビールをキリキリに冷やしてくれるのはやめられません」

そう言ってベアトリスが笑い、「確かにそうだな、ベアトリス殿」と子爵も笑っている。

休憩を終え、再び街道に戻るが、十分ほど進んだところでベアトリスが警告の声を上げた。

「この先から血の匂いがするよ! 御館様! ご指示を!」

俺には感じないが、風上から血の匂いが流れてくるらしい。先行しているダンもまだ敵の姿を見つけていない。

「この場で迎え撃つ! 全員、武器を構えろ! 馬はジョンたちに預けるんだ! ロッド! お前は後方の指揮を執れ! イグネイシャス殿の方にも気を配ってくれ! ザック! お前はダン、ベアトリスと共に先行してくれ! 分かり次第、報告を! リディアとシャロンは馬車の横で待機! メル! お前は私と共にここで迎え撃つ! 分かったな!」

矢継ぎ早に出される命令にそれぞれが「了解」と答え、持ち場に散っていく。

俺もベアトリスと共にダンに追いつき、慎重に街道を進んでいく。二百メートルほど先行すると俺の鼻でも血の匂いを感じ、苦しげな馬のいななきが聞こえてきた。

「この先のようだな」というと二人も同意するように頷く。

「三人で様子を見に行く。手に負えない敵なら俺とベアトリスが時間を稼ぐ。ダンは父上に報告だ。俺たちだけで何とかできそうなら、始末してしまうぞ」

二人の「了解」という声を聞いた後、木の陰を利用しながら接近していく。

更に三十メートルほど進むと、休憩場所になっている広場が見えてきた。

ハンドサインでダンに偵察を命じ、俺とベアトリスはすぐに飛び出せるよう武器を握り直す。

ダンが這うように進んでいく。手には愛用の合成弓を持ち、その姿はまるで獲物を狙う猟師だ。

彼は弓を構えながらゆっくりと周囲を見回していった。そして、ハンドサインで敵の姿がないことを伝えてきた。

俺たちも姿勢を低くしてダンがいる場所に向かう。

襲撃があったばかりなのか、この寒さの中でも血と内臓の匂いがむせるほどで、息を殺して広場を覗き込む。俺の目に映る光景は無残に引き裂かれ、血塗れになった人間と馬の死体だった。

「恐らく 雪大猿(スノーエイプ) の仕業だね」というベアトリスの声が聞こえる。

その問いには答えず、「周囲に敵は?」と二人に確認する。

「気配はありません」というダンと「あたしも同じだよ」というベアトリスの声が同時に返ってきた。

俺自身、気配がないことを確認した後、ゆっくりと広場に入っていく。

「生存者がいないか確認してくれ。助けられるかもしれない」

そう声を掛けるが、俺自身、この状況で生存者がいるとは思えなかった。

一、二分確認したところで、ダンに報告に行くよう指示を出す。

「父上に、商隊がスノーエイプに襲われ全滅。生存者なし。俺とベアトリスは更に周囲を探る。こう報告してくれ」

無残な光景だった。

鋭い爪で引き裂かれた商人風の男。力任せに首を捻られたのか、明後日の方向を向いている傭兵。首から血を流し、泡を噴いて死んでいる馬たち……。数頭の馬がまだ息をしていたが、俺の治癒魔法でも助けられそうにないほど傷付いており、剣で安楽死させる。

「スノーエイプは時々面白半分に人を殺すんだ。もちろん、腹が減っていれば別だが。死体の数が足りないからねぐらにでも運んだんだろうね」

ベアトリスにしては口数が多かった。彼女自身、この状況に憤っているのだろう。

スノーエイプは大型の猿の魔物で、体長は二メートルを超える。真っ白な毛皮と長い腕が特徴で、強力な膂力と鋭い爪と牙が武器だ。十数頭で群れを作り、自分たちより強いと判断すれば手を出さず、弱い敵を徹底的にいたぶる嫌らしい魔物だ。

周囲を警戒しながら父が到着するのを待っているとすぐにダンと共に父がやってきた。

「惨いものだな……」と一瞬絶句するが、すぐに気を取り直し、

「ダンは引き続き、周囲を警戒してくれ。ザックとベアトリスは魔晶石とオーブの回収を頼む。身元が分かる物があればそれも確保しておいてくれ。だが、遺体と荷馬車はこのまま放置する」

荷馬車の荷を確認したが、ガラス製品や工芸品の類でほとんど荒らされていない。そのため、俺の収納魔法で回収することも可能だが、血の匂いが立ち込めるこの場所に留まることはリスクが高すぎると判断し、遺体を含めすべて放置する。もちろん、身元確認の時に見つけた金貨や宝石類は回収している。

父は俺たちに指示を出すと、すぐに戻っていった。恐らくラドフォード子爵と協議するためだろう。

十分ほどで一行がやってきた。中にいるルナに見せないため、馬車の木窓はしっかりと閉められていた。

商隊は帝国の商人のものだった。帳簿類からカウム王国を抜け、ラクス王国に向かうつもりだったようだ。

(この辺りの事情に疎い商人だったのかもしれないな。何人連れ去られたかは分からないが、護衛の人数が少なすぎる……)

弟のセオ、妹のセラは無残な遺体に真っ青な顔になっていた。それでも嘔吐することなく、しっかりとした足取りで歩いている。

(十一歳の子供には刺激的過ぎるが、さすがに実戦を経験しただけのことはある……やはりここは命が軽い世界だな……)

感心しながらもこの世界の命の軽さを感じていた。

俺たちは魔物に襲われることなく、宿場に到着した。父は宿場の役人に商隊が襲われていたことを報告し、回収した魔晶石とオーブを手渡す。

四十代後半の人の良さそうな役人は有名なロックハート家と知り驚くが、殺された商人のことを思い出し、表情を暗くする。

「帝都の若手の商人でしたね。他の商隊が見合わせる中、どうしても出発すると聞かなかったんですよ。それで護衛が少なすぎるから危険だと言ってやったんですが、この辺りさえ抜ければ治安はいいからと言って……スノーエイプは護衛が多いと手を出さないんですよ。それも教えたんですけどね……」

アウレラ街道が封鎖されたことから、野心と根拠のない自信だけを頼りに賭けに出た若手だった。そして、自らの命というチップをすってしまったようだ。

遺体と荷物は明日以降に街道警備隊が回収するらしいが、苦すぎる酒を飲んだような後味の悪さを感じていた。