作品タイトル不明
第二十三話「石鹸の完成」
十月十三日。
数日前まで蒸留器の設置と蒸留の試験で忙しかったが、ようやく安定的に蒸留ができるようになり、落ち着いた生活に戻っていた。
その日の朝もいつものように朝稽古を済ませ、朝食を取っていた。
そこにニコラスと彼の妻のケイトが飛び込んできた。
「お館様! 石鹸が、石鹸ができました!」
いつも冷静なニコラスが、一つの壷を抱えて父に駆け寄っていく。
父もその様子に驚いたものの、石鹸が出来たという事実に驚き、「本当か!」と立ち上がる。
俺も一緒に立ち上がりそうになったが、お子様用の高い椅子であるため、テーブルに手を置き、伸び上がるような形でニコラスを見ていた。
祖父の「落ち着かんか」という一言で、ニコラスは祖父に頭を下げ、父はバツの悪そうな顔をしながら、椅子に座りなおす。
「先月作ったものが固まっていたのです。恐らく完成ではないかと……」
ニコラスも少し落ち着いたのか、俺が確認していないことに気付き、少し自信無さ気な口振りになる。
父が「確認したのか?」と俺の方をちらりと見ながら、彼に問い掛ける。
「少しだけ削って水の中で擦ってみたところ、泡が立ちました。汚れも落ちていくようですので、間違いないと思われます」
食事もそこそこに父がニコラスを連れて水場のほうに向かっていく。
俺も付いていきたかったが、食事が終わる前に行くのは不自然だと思い、食事を食べ終わってから、急いで水場に向かった。
(もうそろそろ、兄様にもカミングアウトしたほうが楽だよな。それにしても本当に出来たのか?)
井戸の横では、ニコラスが石鹸をナイフで削り、父に見せていた。
「水につけて擦ってみてください。泡が立つはずです」
ニコラスの言葉に父は頷き、石鹸の欠片を水につけてから手で擦りだす。
僅かに泡っぽい感じがするが、きれいな泡とは言い難かった。
俺はニコラスに目で合図をして、石鹸の欠片を貰う。
手に取った感じは石鹸に近いが、普段使っていた滑らかな石鹸ではない。全体的にやや柔らかく、少しざらつきがあるという感じだ。
俺も父と同じように水につけてから、手を擦り始める。
(ザラザラした感じはするが、泡は立つな。後は肌が荒れないかの確認か。それにしても本当にできるとは……)
俺が手を擦っている姿を父とニコラス、ケイトの三人が真剣な表情で眺めている。
俺は「出来ています、父上」と父に頷いた後、「ニコラス、ケイト、よく頑張ってくれた。本当にありがとう」と二人に頭を下げる。
二人は抱き合って喜び、父は二人に、「よくやった。本当に良くやったな」と声を掛けていた。
ニコラスとケイトの二人が「ありがとうございます」と涙を浮かべて、父に頷いている。
二人が落ち着いたところで、俺たち四人はそのままニコラスの家に行った。
彼の家に入ると、まず、ニコラスたちが書き留めていた作り方のメモを確認する。
そのメモを見て気付いたのは、九月の半ばに与えた二つの指示がきっかけだということだった。
その指示とは、灰汁の元を麦藁から黒池の水草に変えたこと。そして、塩を入れたことだ。
更に、もう一つ加えた工程が完成に寄与した可能性が高い。
九月の終わり頃、ニコラスがある報告をしてきたのだ。彼はどう報告していいのか悩むように状況を説明してくれた。
「十日ほど前にご指示頂いたものの様子が少し違うのです。今までは麦の 粥(ポリッジ) のような感じだったのですが、今回のは……そう、 チーズの元(カード) のような感じで……」
彼の説明では、ドロドロ具合がどうも違うようなのだ。
俺は“百聞は一見にしかず”と言うことで、すぐに彼の家に行き、状態を確かめた。
(確かに状態が違うな……おぼろ豆腐に近い感じか?)
そして、そのおぼろ状態の物体を掻き混ぜてみると、僅かに泡立ちを感じる。俺は思い切って、布にとって擦ってみた。
感触は最初ぬるっとした感じで、次第に泡が立ち始める。
(もしかしたら、液体状の石鹸ができているのか? それならば……)
このおぼろ状の物体の水分を抜けば、固形石鹸になるのではないかと考えた。水分を抜く方法は、木綿豆腐を参考に布で包んで、上からゆっくり圧縮する方法で水分を分離する方法を試すことにした。
その方法を試した結果、水分はゆっくりと抜けていったのだが、まだ、ドロドロ状のジェルのようなものにしかならず、しばらく様子を見ることにしたのだった。それが半月ほどで、ようやく固まったようだ。
加えた素材については、海草を使ったという話を思い出したため、近くで手に入る水草を利用した。塩については、何となくナトリウムを加えてみようと思っただけで、明確な根拠は無かった。
俺は石鹸に必要な成分を正確には知らないし、作り方も不正確なものだったので、何が良かったのか判断のしようが無い。だが、ニコラスたちの努力が石鹸を完成させたことだけは間違いない。
メモをニコラスに返し、もう一度礼を言った。
「本当に頭が下がる思いだ。ありがとう。二人がいなければ俺の中途半端な知識では絶対にできなかった。本当にありがとう」
俺が頭を下げると、「ザカライアス様の指示に従っただけです」とニコラスが謙遜する。
俺はもう一度だけ礼を言い、今後のことを父に説明していく。
「とりあえず完成ですが、まだ、肌への影響を確認しないと使えません。私が実験台になりますので、一ヶ月くらい様子を見ましょう」
俺の言葉にニコラスとケイトが驚き、「ザカライアス様を実験台になど。私たちで試してみます」と言ってくれた。
「子供の弱い皮膚の俺の方が都合がいいんだ。それに屋敷にはリディもいる。もし、肌が荒れたら、リディにすぐに治してもらえるから」
二人は納得し難いのか、まだ難しい顔をしているが、それに構わず、次の指示を出していく。
「この成功した配合を基本に、混ぜ方などを微妙に変えたもの、配合を少し変えたものなどを作って欲しい。これが最適とは限らないからね」
二人はそれに頷くが、ニコラスが「香料を入れるのはどうしましょうか?」と尋ねてきた。
確かにこの石鹸は匂いがきつい。独特の動物臭さというか、生臭さを感じる。
「そうだね……基本の配合をベースに香りの強い香草のエキスを加えてみて。使うものは二人に任せるから」
父はもう一度、二人を労い、俺と共に屋敷に戻っていく。
歩きながら、「どの程度、作れそうなのだ?」と聞いてきたため、
「そうですね。ニコラスの家だけで作るなら、一日当たり五十個分くらいというところでしょう。ヘクター――メルの父親――や、ガイ――シャロンの父親――のところも手伝ってくれれば、その倍は作れるでしょうね」
「月に三千個くらいはできるのか……一つ十 C(クローナ) で売ったとしても、三万C(=三千万円)の売上が……」
父の言葉に「材料がそこまで続きませんよ」と釘を刺しておく。
「今ある材料なら、数百個作ったら材料がなくなります。近くの街で脂を買ってきてもいいですが、この近くの豚や牛の数に限界がありますから、それほど多くは作れませんよ」
父は少し残念そうな顔になるが、すぐに「これを特産品にするのか?」と聞いてきた。
俺は当初の予定通り、特産品化するつもりはなかった。帝都の業者と争うことのデメリットが大きいからだ。
「特産品にはしません。これはあくまで疫病の発生を予防するためのものですから。使えると判断したら、手の洗い方の説明と共に、子供や妊婦に使うように配ってください。それから石鹸の転売も禁じ、無料で配布してください」
無料で配布すると聞き、一瞬勿体無さそうな顔をするが、すぐに領民のためだと考え直しているようだ。
「領主として石鹸での手洗いを命じよう。だが、もし行商人が欲しがった時はどうするのだ?」
「直接、領主に申し出るように指示を出してください。価格は流通価格の五分の一、二Cとして、少量ずつ売るようにしてください」
父はその値段設定に納得できないのか、少し渋い顔をしている。
「破格だな。もう少し高くても良い気がするが……それに、少量ずつにするのはどうしてなのだ?」
「安く売るのは我々がその価値を正しく理解していないと思わせるためです。そして、少量ずつ売るのは一気に噂が広がることを防ぐためです」
俺の説明に父はまだ首を傾げている。
「少ししかなければ、商人たちも売る相手を厳選するでしょう。当然、相手は知り合いの金持ちになるわけです。そして、金持ちたちの間に噂が広まれば、彼らが取引している商人たちに伝わります。金持ち相手の商人、つまり、資金力のある商人がここに来た時点で、ストックしておいた石鹸を大量に売り捌いて一気に利益を上げます」
父は俺の説明に納得したようで、うんうんと頷いている。
俺は更に製造方法を売りつけることを付け加えていく。
「ある程度利益を上げたところで、商人たちに製造方法を売り渡します。ある一定の金額を支払った者には、人数制限を付けずに製造法を書いたものを渡します」
最初、入札で売り渡し先を決めようかと思ったが、それでは公開したことにならないだろうと、ロイヤリティを支払った者にはすべて公開してしまおうと考えたのだ。
それに対し、父は少し欲が出たのか、
「やはり製造方法を売り渡すのは惜しい気がするが、どうしても、この村の特産品に出来んのか?」
「一年か二年なら可能でしょうが、長期間は無理ですね。まず、ここでは大量に製造することができません。それに力を持つ帝都の業者が介入してくる恐れがあります。自分たちの利権を守るために何をしてくるか判りませんから。それより、商売に無知なふりをして、さっさと広めてしまったほうが安全でしょう」
父はまだ勿体無いと考えているようだが、すぐに俺の秘密のことを思い出したようだ。
「下手なことをすれば、お前の秘密が漏れる。どうせ、商人でもない我らが商売したところで、本物の商人たちには敵わんか」
父は俺のことを本当に心配してくれているようで、鼻の奥が少しツンと来た。それを誤魔化すように俺は話を続けていく。
「はい。ですから、製造方法を売ったほうが儲かります。複数の業者に一業者当たり一万Cくらいで売りつければ、それで充分ですよ」
「一万……そんなに高くしても大丈夫なのか?」
「現在の石鹸の価格は一個十Cですし、作る量にもよりますが、商業ベースなら材料費と人件費はその数十分の一くらいで充分なはずです。つまり、売上のほとんどが利益に繋がるのです。需要がどの程度あるかは判りませんが、半額の五Cで売り出せば、二千個強で回収できます。その程度なら顧客を百人ほど持てば、一年ほどで回収できます」
父は感覚的なところが理解できないのか、少し首を傾げている。
「最初は高いと渋るかもしれませんが、買い付けに来る業者が増えれば、必ずその値段で手を打ちます。確実に儲かるのが判っているのに、 商売敵(ライバル) が手に入れるのを、指を咥えて見ているなど、商売人としては失格ですから」
父もようやく納得できたようだ。
更にこの先の価格の動向について、俺の予想を説明していく。
「石鹸の価格ですが、私が商人なら最初は一個五Cで売り出しておいて、大量に買ってくれるお得意様には二Cくらいで売りますね。要は継続的な需要を掘り起こしたほうがいいですから。その後、競争相手が出てくれば、徐々に値段が下がるでしょうが、一個一Cくらいで落ち着くと思います。そのくらいになら、購買層が広がっていますから、薄利多売ですが、儲けは出ますし」
「よく判らんが、その辺りはお前とニコラスに任せる。それより気になったんだが、肌が荒れることはよくあることなのか? お前が実験台になると言ったが、本当に大丈夫なのか?」
父は俺のことを心配してくれているようだ。
「成分が肌に合わないことがありますし、そもそも石灰自体が体にいいものではないですから。ですが、うちにはリディがいますから大丈夫ですよ。それにどういう症状が出るかは大体想像できていますから」
まだ、心配そうに見る父に、俺は笑って大丈夫だと伝える。
数日間、使い続けるが、特にかゆみや肌荒れを起さなかったので、メイドのモリーやトリシアにも使ってもらうことにした。
水を使うため、いつも手が荒れている二人の肌に問題なければ、大丈夫だろうとの考えからだ。
一ヶ月ほど使ってみたが、俺を含め誰にも異常は見られなかった。そのため、屋敷だけでなく、従士たちの家でも使ってもらうことにした。
その間にも、ニコラスとケイトの改良は進んでいき、ラベンダーとカモミールなどの香り付けに成功している。
そして、品質についても最適点を見つけたようで、満足いく石鹸が完成した。
十一月十五日。
俺は石鹸の使用方法について、従士たちに説明していく。
まずは手の洗い方を説明し、食事の前、トイレの後に使うことを徹底させる。そして、うちにはいないが、乳児を触る時もできるだけ手を洗うよう指導していく。
「石鹸ですべての病気の元がなくなるわけじゃないが、かなり減らすことが出来る。特に指先、爪の間なんかには病気の元が溜まりやすいから、きれいに洗うこと。食器類や衣類に使ってもいいが、石鹸の成分が残らないようきれいにすすぐ必要がある……」
俺の説明に納得したのかは判らないが、皆が頷いたので、
「ここでうまくいったら、村の人たちに配るつもりだ。ニコラスが説明する予定だが、屋敷やみんなのところで使っていると説明するつもりなので、しっかりとやり方を覚えて欲しい。判らないことがあったら、私かニコラスかケイトに聞いて欲しい」
各家にとりあえず五個ずつ配り、今年一杯様子を見るつもりでいた。
そして、年明けから石鹸を村人たちに配布していく予定としている。
今回のことで、反省点がある。
中途半端な知識で事を始めると、やらせる人に迷惑が掛かるということだ。
祖父の命令でニコラスが手伝ってくれているが、尊敬する祖父の命令でなければ、ニコラスも早々に投げ出していただろう。逆に言えば、祖父が命じれば相当無理なこともやってくれるということだ。
材料費や機材などの費用は父に言って出してもらっているが、ほとんど俺のために働いてもらっている。本来なら村の運営に欠かせない人物であるのに、これだけの時間を割かせたことを俺は反省している。
次にやることをどうしようかと考えているが、出来るだけニコラスたちに負担が掛からないことにすべきだと思っている。
その点、ドワーフのベルトラムも同じなのだが、彼にとっては新しいものを作るということは、職人魂を揺さぶる楽しいことのようなので、その点だけは気が楽だ。
次の改革プランは暇そうにしている人物、リディを中心にしたものにしようと思っている。
全く関係ない話だが、石鹸を使い始めて大きく変わったことがある。
父が髭を剃ったのだ。
俺が石鹸を使って髭を剃ると、きれいに、そして痛みも無く剃れると説明したら、その日のうちに髭を剃っていた。
話を聞いてみると、母は髭があまり好きではないらしく、父は母に言われて髭を剃ったそうだ。
髭を剃った父は、肩まである茶色い髪を軽く後ろでまとめ、澄んだ青い瞳のイケメンだった。
(確かに母上が髭が無いほうがいいって言うのは判る気がするな。これで惚れ直して、兄弟が増えてくれればいいんだけど……)
父が髭を剃ったことから、五日後の十一月二十日にニコラスの娘ジーンと結婚するイーノス――従士頭ウォルトの息子――も髭を剃った。
髭を剃ると若々しい感じになり、短く刈った父親譲りの薄い色の金髪が映え、結構いい感じになっている。
(髭があると老けて見えるんだよな。イーノスなんて二十歳そこそこなのに、最初に見たときには三十くらいだと思ったし。しかし、この村で髭を剃るのが流行するかもしれないな……)