作品タイトル不明
第二十七話「美味い酒とは」
ドワーフたちの貯蔵庫見学が終わると、既に日は傾き始めていた。
しかし、この見学ツアーはまだ終わっていない。
最後の仕上げに風呂に入ってもらい、旅の疲れを癒してもらおうと考えていたのだ。三つの班に分けて試飲を行っており、一班ごとに風呂に入ってもらう。しかし、ドワーフたちは風呂の文化に慣れていない。俺は三班までの試飲に付き合うため同行できないので、説明者としてダンを同行させる。
一応、男湯は自警団の訓練の後に全員が入れるよう、定員は三十人になっている。横幅が広い分、ドワーフたちにはやや狭いが、入れないほどではない。貯蔵庫での試飲が一班当たり三十分ほどなので、少し 忙(せわ) しい感じだが、汗を流すにはちょうどいい時間だろう。
三班までの試飲を終え、公衆浴場に向かうと、施設の前の広場は“立飲み屋”と化していた。
「こいつは最高じゃな!」とご機嫌なウルリッヒの声が響く。その手にはしっかりとジョッキが握られ、すぐに飲み干していく。
このツアーの締めは、“風呂上りのビールを味わう”だった。
シャロンがビールを樽ごと冷やし、風呂から上がったドワーフたちが自由に飲めるようにしてあったのだ。風呂に入る前にダンが説明したのだが、その時は懐疑的だったらしい。
しかし、風呂上りの火照った身体に冷えたビールが美味くないわけはなく、一口飲み始めると一気に立飲みの酒場となったとのことだった。
俺が笑いながら「ラスモア村名物“風呂上りの冷えたビール”だ」と言うと、「まさに名物じゃ。これほど美味いビールは、ここでしか味わえん」とウルリッヒたちが頷いている。
実際、この村以外ではこの組合せは難しいだろう。風呂自体、珍しいものだし、温泉があってもビールが置いてあることはない。あったとしても冷やす技術がない。
カエルム帝国の帝都辺りでは風呂文化があるそうだが、ビールを樽ごと冷やせるのは俺とシャロンだけであり、美食家として有名なイグネイシャス・ラドフォード子爵ですら、風呂上りに冷えたビールを飲んだことがなかった。
「酒はスコッチだけじゃないんだ。飲み方を工夫すれば、ビールも至高の味になる。そう思わないか」
俺がそう言うとドワーフたちは「そうじゃ、そうじゃ」とジョッキを上げて賛同する。
今回、見学ツアーの最後にこの企画を持ってきたことには意味がある。もちろん、風呂で旅の疲れを流してもらうという本来の意味もあるが、酒は飲むシチュエーションで美味くも不味くもなるということを伝えたかったのだ。
デーゲンハルトたちの“酒断ち”でも分かるように、ドワーフの鍛冶師たちの間では酒=スコッチという図式が出来上がりつつある。うちの村にとってはいいことかもしれないが、酒は様々な種類があって、それぞれ楽しむべきだと思っている。
俺は常々、スコッチをガブ飲みするだけでは酒を楽しんでいることにはならないと思っていた。しかし、人の酒の飲み方に口を出すことは野暮だ。だから、直接口に出すより実例をもって、そのことを伝えたかったのだ。
「確かにこんな美味いビールなら、毎日飲みたいぞ! これは夜の宴会が楽しみじゃわい」とゲールノートが何杯目かのジョッキを空けながら言った。
(しまったな。自分でハードルを上げたかもしれないな……まあ、いろいろ趣向は考えてあるから、何とかなるとは思うが……)
ドワーフたちと共にジョッキでビールを呷っていた王妃カティが「本当においしいですわ」と上品な仕草で言ってきた。上品なのだが、プハーと言いながらジョッキを呷るドワーフたちに混じっても全く違和感がないから不思議だ。
「ザックさんか、シャロンさんに宮廷魔術師になっていただければ、毎日これが飲めるのですよね。条件をおっしゃっていただければ陛下にお願いしますけど……どうかしら?」と冗談とも本気とも取れる勧誘をしてきた。
「残念ですけど、すべてお断りしていますので」と答えると、ウルリッヒが「無粋じゃぞ! カティ」と 窘(たしな) めてくれた。
カティは「あら、ごめんなさいね。冗談ですのよ。ホホホ」と誤魔化すが、どこまでが本心なのかは全く分からない。
第三班が満足するまで更に三十分以上掛かり、日が沈み始める頃に工房に戻っていく。
工房の集会室では既に準備が完了し、テーブルの上には美しいクリスタルのグラスが並べられていた。今回スコッチは十年物のザックコレクションと非売品の十一年物を出す予定でいる。
他にも十年物のブランデー、五年物のカルバ ト(・) ス――アップルブランデー。カルバートの名から名付けたもの――、更には帝国南部のシーウェル侯爵領のワインやカティが持ってきた貴腐ワインも用意されている。特にシーウェルワインは瓶熟成した最高の物を用意してある。
さすがに百人近い人数であり、すべてのグラスが最高のものではないが、ワイングラスは大振りのボルドータイプのものを二十ほど用意し、香りを楽しんでもらうつもりでいる。飲むほうはソムリエが使うオーソドックスなテイスティンググラスで、これは人数分用意していた。
最初に行うザックコレクションの試飲の給仕役は俺たちザックセクステットと義姉ロザリーの侍女の二人の八人で行う。
このメンバーは宴会慣れしているので問題はないが、ザックコレクションの試飲があるため、ジョナサン・ウォーター以外の鍛冶師ギルド職員では荷が重い。
もちろん、ザックコレクションの試飲が終われば、いつも通り職員たちが給仕を行う。といっても、俺は進行役も兼ねているので、その後もほとんど飲めないはずだ。
一人当たり五脚のグラスが灯りの魔道具の淡い光を受けて煌いている。
まずはザックコレクションではなく、シーウェルワインの試飲からだ。
「では、皆さん。今回の宴の前に当家の酒類の試飲を行いたいと思います。まずはカエルム帝国シーウェル侯爵家の誇る赤ワインです」
俺の言葉にドワーフたちから「あぁ」という落胆の溜息が漏れる。その思いを代弁するかのように、「儂らはザックコレクションが飲みたいんじゃが……」とウルリッヒが遠慮気味に口を開く。
「一応意味があるんだ。済まないが、この試飲は俺の流儀でやらせてもらう」と言うと、「そうか……」と言って腰を下ろす。
「ここはザックさんにお任せしましょう! 私(わたくし) の知る限り、この中ではザックさんが一番お酒に拘っている方ですから」とカティがフォローを入れてくれた。俺はカティに目礼すると、グラスにワインを注ぎ始めた。リディたちもそれを合図にワインを注いでいく。
赤ワイン独特の仄かに甘く、それでいて葡萄の果実味を感じさせる香りが集会室に広がっていく。
その香りにドワーフたちの表情が変わる。
「これがワインの香りなのか? 儂が知っておる香りとは全く違う……」
そんな呟きがあちこちで囁かれる。
全員にグラスが行き渡ったところで、「簡単に説明します」と言ってグラスを持ち上げる。
「このワインは特殊な方法、具体的には私の魔法で熟成させています。熟成期間は魔法を使わない場合の十五年分に当たります。まずは香りを楽しんでいただき、ゆっくりと口に含んでください」
俺の言葉に全員がグラスを持ち上げ、香りを嗅ぐ。
「「オウ!」」というどよめきが漏れる。そして、一口含むと一斉に目を見開いた。
「これは素晴らしいワインですわ! 私が今まで飲んだワインとは比較になりません! もちろん、シーウェル侯爵様から頂いたワインも含めて!」
カティが立ち上がり、そう叫ぶと、更に「何てふくよかな香りなんでしょう! それにビロードのような舌ざわり! これがワインとは信じられませんわ!」と大声で感動を表す。
「今までのワインは熟成させていませんし、細かな澱が含まれていました。このワインはじっくりとボトルで熟成させているのです。ワインも手間を掛ければ、このように優しい酒になるのです」
この世界のワインは発酵させた後、樽で数ヶ月熟成して、そのまま飲むだけだ。そのため、若い荒々しいワインとなり、香りと酸味のバランスが悪い。樽からタンクに移し、静かに澱を沈殿させた後、ボトルに入れてゆっくり寝かせることにより、荒々しさが取れ、香り豊かなワインとなった。ちなみに澱を取り除く工程だが、卵白やフィルターを使う方法があるが、具体的な方法を知らないため、タンクで沈殿させる方法を採っている。
「全員分なくて申し訳ありませんが、大振りのグラスで香りを感じてください。先ほどのグラスより更に黒葡萄の芳醇な香りが広がると思います」
俺の言葉に一人ずつ香りを嗅いでいく。嗅ぐたびに「オウ!」という感歎の声が上がる。
カティが再び立ち上がり、舞台女優のように両手を広げながら、「何という 芳(かぐわ) しい香り……本当にこれがワインですの。お酒の芸術品ですわ!」と叫ぶ。その右手にはしっかりとワイングラスが握られており、そのふくよかな姿から、 歌劇(オペラ) の歌手のように見える。
一通り、香りを楽しみながら味わったところで、次の酒に移る。最後までカティはグラスを離さず、鼻を突っ込んでいたが、「次はザックコレクションです」という言葉で渋々グラスを手放した。
長期熟成酒である“ザックコレクション”に明確な定義はない。俺のイニシャルが記された樽がザックコレクションと呼ばれているが、何年で出すかを決めていないためだ。今のところ十年物だけを出荷している。
「今回は四種類用意しています。まずはスコッチをどうぞ」と言いながら、グラスに注ぎ始める。
ドワーフたちの目がきらりと光る。既に数回飲んでいるはずのウルリッヒたちですら、目の色が変わっていたが、まだ飲んだことがないドワーフたちは爛々とした目で琥珀色の液体を見つめ続けていた。
(これがあるからギルド職員に任せられないんだよな。それにしてもアンジーもエレナも堂に入ったものだ……)
アンジーことアンジェリカ・コールリッジと、エレナことエレアノール・メイスフィールドは共に義姉ロザリーの侍女だ。
エレナの方はウェルバーンで俺が指導した侍女の一人だが、アンジーも五年以上ウェルバーン城の侍女をしているし、三月に帝国一の美食家といわれるラドフォード子爵の給仕を無難にこなしていることから特に問題はない。
しかし、良家の子女が田舎の村で鍛冶師相手に 給仕(ウェイトレス) をさせられていると知ったら、親はどう思うのだろうかと心配になる。
すべてのグラスに十年物のスコッチが注がれた。
「それでは香りをお楽しみください」と俺が言うと、当たり前のように一糸乱れぬ動きを見せる。その間に俺たちは用意していた耳栓を着ける。
この後はアルスでの出来事と同じだった。
口に含み、喉を流れていった後、唐突に立ち上がり、雄叫びを上げる。総本部の時より人数は少ないものの、部屋が狭い分、雄叫びの反響が凄い。
ロックハート家関係者にはきちんと耳栓を渡しているので問題なかったが、カティと共に来た官僚たちのことをすっかり失念していた。
以前のスコットと同じように官僚たちは失神しており、俺が素早く治癒魔法を掛けることで何とか復活した。
そんな中、普通の人間であるはずのカティだけは涼しげな顔でグラスを傾けている。もちろん、雄叫びの時には立ち上がって叫んでいたのだが、気付けば上品にグラスに口をつけていたのだ。
(この王妃様が一番の謎だな。あの騒音に耐えられることと、ドワーフと一緒に酒が飲めることを考えると、人間とはとても思えないんだが……)
「本当においしいですわね。先ほどのワインもおいしかったですけど、これが一番」と言ってご満悦という感じの笑みを浮かべていた。
俺は曖昧に「そうですか。それはよかったです」とだけ答え、ドワーフたちの興奮が収まるのを待つ。
特に初めてザックコレクションを飲む各支部のドワーフたちの興奮は凄まじく、顔見知りのペリクリトルのギーゼルヘールやドクトゥスのゼルギウスは俺のところまで来て、涙を流しながらバシバシと背中を叩きながら、「生きていてよかった」と言っていた。
数分後、立ち上がって歓喜の声を上げていたドワーフたちの興奮もようやく収まった。
「今のスコッチは十年物です。次は非売品のスコッチ、十一年物です」と言うと、集会室にどよめきが起きる。
「十一年物じゃと……」とベルトラム以外のドワーフたちが全員絶句していた。
「それが飲めるのか。飲ませてもらえるのか」とウルリッヒがうわ言のように呟いている。
「この十一年物は非売品と言いましたが、理由は後で説明します。先ほどと同じように飲んでみてください」
既にグラスは満たされており、先ほどより少しだけ濃い琥珀色のスコッチがテーブルに並べられる。
それでもドワーフたちは動かず、「どうぞ」と俺が言うまでグラスを見つめ続けていた。
俺の合図で全員が一斉に口をつけるが、先ほどとは異なり、微妙な表情の者が多い。口をつけてもスタンディングオベーションは起きず、隣同士でボソボソと小声で話している。
「皆さんもお分かりになったと思います。この十一年物は十年物より美味くない。さすがに三年物よりは美味いですが、十年物と比べると雲泥の差があるのです」
「どういうことじゃ」とゲールノートが代表して質問してきた。
俺は小さく頷くと、説明を続けていく。
「このスコッチは蒸留を始めた年の物。つまり、スコットが初めて作った物なのです。蒸留器も今より小型でしたし、樽もいろいろな物を使っています」
カティが「試行錯誤の時のお酒ということかしら? だから、安定していないということ?」とドワーフたちを代弁する。
「はい。この十一年物は僅かな在庫があるだけの貴重な酒ですが、味はこの通り、外れもあります。もちろん、更に長い期間熟成させるために大きな樽に入れた物もありますので、一概にすべてが悪いというわけではありません……」
全員が俺の話に聞き入っている。
「今回、この十一年物を試飲していただいた理由、それは貯蔵庫でスコットが言ったとおり、スコッチは未だに完成していない酒だということを知っていただきたかったのです。そして、熟成期間が長ければ長いほど良いというものではなく、作り手の腕で大きく変わると知っていただきたかったのです」
ウルリッヒが「あのワインを飲ませたのも同じ理由か?」と聞いてきたので、「そうだ」と言って頷き、
「スコッチがアルスで飲まれるようになってからワインやビールの評価が下がったと思ったんだ。だから、酒は蒸留酒だけじゃないってことを知ってもらいたかった。あの赤ワインなら酒精の強さはともかく、満足できる味だと思う……」
静かになった集会室に何人かの「確かにな」という声が響く。
「風呂上りに飲んでもらったビールも同じだ。酒は強ければいい、古ければいいってわけじゃない。作り手側だけじゃなく、飲み手側も工夫すれば、いくらでも美味くなるんだ。俺はそのことを知ってもらいたかった……」
俺の言葉に集会室が静まり返る。
(失敗したか……楽しい宴会に説教染みた話をしたのは失敗だったか……)
俺がそう思った時、カティがパチパチと拍手をし始めた。
「さすがはザックさんです。これほどまでにお酒を愛しておられる方を私は知りません」
カティに続き、ウルリッヒたちが拍手を始めると、集会室は割れんばかりの拍手に包まれた。
「さすがはザックじゃ! 確かに儂らはスコッチに拘り過ぎておったのかもしれん。酒を美味く飲むためには努力を惜しまんとは……こんな男がおったから、この村でスコッチができたんじゃろう!」
自分で言っておきながら、ここまで持ち上げられると赤面するしかない。
(そこまで拘っているわけじゃないんだが……蒸留酒だけじゃなく、醸造酒も美味いって話をしたかっただけで……まあいいか……)
静まるようにと両手を前に出してゆっくりと下げていく。
「能書きはこのくらいにして、美味い酒を飲みましょう。次は十年物のブランデーです……」
その後、ブランデーとカルバトスを出した。先ほどのスコッチと共に、この村にある最高の状態のブランデーとカルバトスだ。これはスコットたちと樽を確認して選んだもので、現在では世界最高の蒸留酒のはずだ。
五種類の酒を出し終わると、ドワーフたちはどれが良かったとか、あれをもう一回飲ませてほしいとかという話で盛り上がり始める。
そのタイミングでギルド職員の代表ジョニーに目配せを送り、宴会の準備が始まった。
「ワインに使った魔法でスコッチの熟成はできないのですか? あのワインであれほどおいしくなるのですから、スコッチならもっとおいしくなりそうですけど」とカティが聞いてきた。
その言葉にウルリッヒやゲールノートらも「儂もそう思う」と頷いている。
「残念ですが、あれはワイン専用の熟成法なのです」と 頭(かぶり) を振る。
カティは「どういうことかしら? ワインでもスコッチでも熟成はお酒を寝かせるのではないのですの?」と首を傾げており、聞き入っているドワーフたちも皆、同じように首を傾げていた。
「今回お出しした赤ワインはボトルに詰めて寝かせています。一方のスコッチは貯蔵庫で見ていただいた通り、樽で寝かせています。この違いが一番の違いですね」
そう言っても理解できないようだ。
「ワインはボトルに入った後も成長していきますが、スコッチは樽の中で成長していくのです……ワインは温度変化をできるだけ与えない方法で寝かせた方が美味くなりますが、スコッチの場合は逆に自然な温度変化があった方が美味くなるのです。実際、ボトルに入れて十年分の熟成を加えたものを飲んでもほとんど味は変化していないことを確認しています」
前世でも蒸留酒はオールドボトルの方が美味いという人は結構いた。俺自身、六十年代のブレンデッド・ウィスキーは二千年代のものより美味いと思っていた。しかし、これは熟成による味の変化ではなく、単にその時の作り手の違いだと思っている。
同じブランドのものでも蒸留する年によって味は変わるし、特にブレンデッド・ウィスキーはブレンダーが変われば味は微妙に変わる。
もちろん、それだけではなく、ノスタルジックな気分も影響しているとは思っている。
(六十年代のホワイトホースは二千年代とは全く違ったよな。それを言ったらグレンリベットなんか、八十年代で味が全く変わったしな……それにしても、ウィスキーのボトルに“特級”と書いたシールが貼ってあるだけで美味く思えるんだよな。まあ、実際美味かったんだが……)
そんなことを思いながら、忙しく準備を進めているジョニーたちを眺めていた。