作品タイトル不明
第二十八話「前夜祭」
ドワーフの鍛冶師たちを歓迎する宴が始まった。
先ほどまでの儀式に似た試飲会が終わり、楽しげな会話のざわめきが集会室を包んでいた。
立食形式でもないが、自由に動けるスタイルにしており、そこら中で談笑の輪ができている。
特にベルトラムと彼の妻ミーナことヴィルヘルミーナのところにはアルスの鍛冶師たちが多く集まり、祝福の声を掛けていく。ミーナは防具職人のゲールノート・グレイヴァーの孫だそうで、ゲールノートは今回のラスモア村行きを楽しみにしていたと笑っていた。
いつもは作業服に革製のゴツイ前掛けをしているミーナだが、今日の宴では故郷アルスの赤を基調とした民族衣装のようなスカートとチュニックを纏い、とても華やかだ。アルスのドワーフだけでなく、他の都市のドワーフたちからも祝いの品を贈られ、さながら数年遅れの披露宴のようになっている。
(ベルトラムがウルリッヒの甥で、ミーナがゲールノートの孫か。子供ができたら、鍛冶師界のサラブレッドだな……)
俺はそう考えていたが、ドワーフたちに言わせると、血筋より努力と経験の方が大事で、すべては作ったもので判断されるのだそうだ。それでも才能は遺伝するので、俺は楽しみにしているが、残念なことにまだ子供はできていない。
ロックハート家の女性たちもミーナに劣らず、着飾っていた。むさ苦しいドワーフの男たちが多いため、華やかさを出そうと母が画策したようだ。
母や義姉ロザリーは華美ではないシンプルなドレスを、メルとシャロンは明るい色のワンピースを身に纏い、華やかさを出している。
リディとベアトリスはいつも通りの男装だ。まあ、これはこれで艶やかと言えるかもしれない。
宴会で飲む酒だが、ザックコレクションではなく三年物の蒸留酒だ。その中でもスコッチとブランデーがよく飲まれている。カルバ ト(・) スもあるのだが、ドワーフたちの好みより少し甘いためか、人気はそれほど高くない。
ザックコレクションとしなかった理由は量が少ないこともあるが、宴会で鯨飲するには三年物の方が遠慮なく飲めるだろうという配慮だ。出し惜しみではない。
飲み方はもちろんストレートだ。しかし、ここでは俺の流儀に従ってグラスで飲んでもらっている。
そう告げた時、「ジョッキで飲むわけにはいかんのか」とゲールノートがおずおずと言ってきた。前匠合長であり、どのような権力者にも毅然とした態度で接するといわれる彼がそんな風に聞いてくるとギャップで笑いが込み上げてしまうが、真面目な表情を崩すことなく断っている。
「済まないが、今日はグラスで飲んでほしい。もちろん、理由はある」
俺がそう言うと、ゲールノートは「それなら仕方があるまい」とすぐに引き下がった。
カティが「どのような理由ですの?」と聞いてきたので、立ち上がって全員に説明していく。
「ジョッキで飲みたいところをグラスでお願いし、申し訳ありません」と言って頭を下げ、「今から、その理由を説明します」と続ける。
「スコッチやブランデーはお分かりの通り酒精が非常に強い酒です。ジョッキで飲む場合、その酒精が鼻を突きます。そうなると、スコッチ本来の香りを感じにくくなり、味のバランスが悪くなります」
「そんなことはないぞ。儂にはスコッチの香りは充分に分かる!」という声が上がる。
「確かにドワーフの皆さんなら強い酒精の中からスコッチ本来の香りを嗅ぎ分けられるかもしれません。ですが、今回の宴会ではつまみとの相性も考えてあります。スコッチの強い酒精が残った状態ではつまみの香りと味が十全に生かせないのです」
今回用意したスコッチ用のつまみは香りのあるチーズや爽やかなオリーブの実のオイル漬け、ほのかにスモークを利かせたマスなど、繊細な香りや味の物が多い。更にスパイス類をふんだんに使った煮込み料理や乾燥ハーブを混ぜ込んだ塩を振ったクラッカーなど、俺が思いつく限りのつまみを用意している。
スコッチ、特にストレートで飲む場合に合うつまみというのは結構難しい。本当につまむだけなら、シンプルなサンドウィッチやスモークサーモン、チーズ類だが、さすがに宴会料理というにはボリュームがなさ過ぎる。
本場スコットランドのつまみに“ハギス”というもの――羊の胃袋に内臓のミンチや香草類を入れて煮込んだ料理――があり、ボリュームはあるのだが、さすがに作り方を知らず出すことができない。
そこで考え方を変え、スコッチはグラスで飲むことにし、ビールやワインに合う料理をメインで考えたのだ。
とはいっても、俺は料理人でもなかったし、料理を趣味にしていたわけでもなかったので、大した料理は提案できていない。精々、冷めてもおいしいローストビーフや蒸し鶏、ポテトサラダなどを提案したくらいだ。
そのポテトサラダだが、マヨネーズを使っているため、これが結構大変だった。
生卵を使うのだが、サルモネラ菌による食中毒のことを思い出し、殻をきれいに洗ってからアルコールで消毒し、更に通常より 酢(ビネガー) を多めに使っている。
最初は魔法で殺菌できないかといろいろ考えてみたが、紫外線を光属性魔法で再現することが難しく、更に殺菌できているか確認できないため、昔ながらの一般的な方法を用いた。もちろん、氷冷蔵庫で保存するなどの温度対策は行っている。
ちなみにマヨネーズは帝都プリムスにあるそうだが、他の地域ではほとんど使われず、帝都でも一般家庭ではあまり使われていないらしい。その珍しさもあって非常に評判がよかった。
温かい料理も当然用意されているが、これも奇をてらったものはなく、パブやビヤホールにありそうなものが多い。具体的にはフライドチキンやコロッケなどの揚げ物、ジャーマンポテトやスパニッシュオムレツなどで、むしろ居酒屋メニューといったほうがいいかもしれない。
これが意外と好評だった。
ドワーフたちは酒を大量に飲むが、食べるほうも人間とは比較にならないほど食べる。そのため、アルスの居酒屋では味より量に主眼が置かれており、素材は良いものの工夫が足りないそうだ。
特に揚げ物は小さなフライパンで揚げ焼きに近い形の料理が多く、フライヤーで揚げる料理はないらしい。
「この魚のフライという奴はビールに合うな! この芋もうまい!」とアルスの鍛冶師、俺の防具を作ってくれたゲオルグ・シュトックがご機嫌な顔でフォークに刺さったフライを掲げる。
魚のフライと軽く粉をはたいたジャガイモのフライで、いわゆる“フィッシュ・アンド・チップス”と呼ばれる料理だ。魚は白身魚を使いたかったが、海が遠いラスモア村ではよいものがなく、 黒池(ブラックラフ) で取れる大型の鱒で代用している。タルタルソースも用意し、これにラスモア村産のブラウンエールを合わせる。
(確かに美味いが、隣の調理場では戦場になっているんだろうな……人数は百人くらいだが、ドワーフは普通の人間の二、三倍は食う。そう考えると鍛冶師ギルドの職員たちは本当に優秀だな……)
そんなことを考えているが、俺自身ゆっくり料理を楽しんでいるわけではない。次から次へと鍛冶師たちが訪れ、その都度乾杯をし、酒や料理の話に花を咲かせていたからだ。
そして、ドワーフたちが必ずいう言葉があった。
「ここは天国じゃ。美味い酒に美味い肴。それに最新の工房。ロックハート専属の鍛冶師になりたいもんじゃ」
さすがに鍛冶師の仁義があるため、独り言のように言っているだけだが、ラスモア村の鍛冶師ベルトラムは何人ものドワーフから「いつでも代わってやるぞ」と冗談めかして言われていた。ただ、その目は真剣で俺には冗談に聞こえなかった。
いつの間にか、父とカティが意気投合したかのように楽しそうに話しこんでいる。なぜか横にシャロンがおり、一緒に談笑していた。
何の話をしているのかは分からないが、知らないうちにカティに取り込まれなければいいがと思わないでもない。まあ、さすがにこの楽しい宴会の場でそんな無粋なことはしないだろう。仮に父に何か吹き込んで変な約束を取り付けたとすれば、俺だけでなくウルリッヒたちが敵に回ることは百も承知だ。そんなリスクをあの“女王”様がするはずがない。
そして、この宴会では数少ない人間であるカウム王国の官僚たちが話をしにきた。代表者であるオットー・エルウェスは二十代半ばの若者で、栗色の短い髪に秀でた額、それに丸い眼鏡をかけた秀才型の文官という印象を受ける。優秀そうだが、カウム王国の命運を左右する重要な法律を策定する責任者としては若すぎる気がしていた。
「ザカライアス卿は本当に酒を愛しておられるのですね」と敬語で話しかけてくる。「敬語はいりませんよ。エルウェス卿」と言っても、真面目な性格なのか「妃殿下のご友人ですので」といって譲らない。
「あの法律について真意を伺おうと思ったのですが、妃殿下のおっしゃるとおりでした」とやや酔っているのか、見た目より陽気な声でそう言ってきた。
「カティさん、いえ、王妃殿下が何かおっしゃっていたのですか?」と疑問を口にする。
「あの法律の真意といいますか、目的がいまいち分からなかったのです。今まで品質を維持するために法律を作ったことなどありませんから」と笑う。
確かに食品の品質を維持するための法律は、この世界にはどこにも存在しない。
「そこで思い切って妃殿下に相談したのですが、殿下はこうおっしゃるだけで教えていただけなかったのです。“ラスモア村に行けば分かりますわ”と……」
確かに“スコッチ・ウイスキー規則(The Scotch Whisky Regulations)”を基にした“蒸留酒及び長期熟成酒の品質に関する法律”は蒸留酒の何たるかを知らなければ理解できないだろう。
しかし、それでは答えになっていない気がする。
「妃殿下のおっしゃるとおり、今日の見学とこの宴会で何となくですが理解できたと思います。蒸留酒の品質のためには譲れないものがある。そこさえ法律で押さえておけばよいのだと……」
さすがにカティが直々に選んだだけあり、優秀な若者のようだ。
「それにしても、あの素案を見たのですが、さすがは“ドワーフの友”ですね。スコット殿が言っていた 要素(エッセンス) がすべて入っていました。私はあの素案どおりに法律を作るだけで済みます」
そう言って笑っている。確かに法律として必要な要素は全て入れてあるが、それでは片手落ちだ。
「それでは困りますよ、エルウェス卿」と言うと、彼は「えっ?」と言って俺の顔を見直す。
「あの法律は施行させれば終わりというものではありません。世の中には儲かるなら不正を行うことを厭わない者が多くいます。不正に対しては確実に罰を与えなければなりません」
「それは当然ですが……」と首を傾げる。
「つまり、不正を 確実(・・) に見つけ出さなければならないのです」
エルウェスは「なるほど」と頷く。
「つまり、不正を見逃さないことが重要だと。そのためには不正かどうかを判別する能力が必要だとおっしゃりたいわけですね」
俺は大きく頷く。
「貯蔵庫で試飲していただきましたが、半年しか寝かせていないものなら見分けがつくかもしれません。ですが、二年物でしたらどうでしょう。あの二年物とここにある三年物の違いを判別しなければならないのですよ」
エルウェスは「そ、それは難しそうですね」と目を伏せ、「私には全く分かりません」と呟いた。
「何も味で判別しなくてもいいのです。不正をさせない仕組み、例えば樽に管理番号をつけ、そこに政府公認の印をつけるとか、抜き打ち検査を行うとか、いろいろとやりようはあると思います」
「なるほど……」と呟いた後、顔を上げ、「法律に実効性を持たせる運用が重要ということですね」と納得した顔で言ってきた。
俺は「その通りです」と真面目な顔で大きく頷いた。
エルウェスと話をした後、工房の外で警備をしているはずの祖父と兄のことを思い出す。
(今日一番の貧乏くじはじい様と兄上だな。さすがに隣国の王妃様の護衛を従士だけに任せるわけにはいかない。いや、自警団の連中もいい迷惑か。まあ、交代で明日は羽目を外せるはずだから、大丈夫だろう……)
宴会の盛り上がりが最高潮に達した時、いつも通りのドワーフたちの合唱が始まる。ジョニーが準備していたのか、いつの間にか楽士が演奏を行っており、ドワーフたちの歌声に弦楽器で伴奏していく。
(本当に平和だ。こんな日がいつまでも続けばいいんだが……あの時と同じ感じがしている……何が起きるかは分からないが……)
半年前、ルナを助けた時と同じように何かが起きるという焦慮感にも似た思いがあった。ただ、あの頃より弱く、焦りを感じるほどではない。
そのルナだが、宴会に連れ出すわけにもいかず、だからといってアルスのドワーフたちに気に入られているメルやシャロンを屋敷に残すわけにもいかなかったため、メイド長のモリーが世話をしているはずだ。屋敷は従士頭のウォルトが守っている。
俺の思いとは関係なく、宴会は進んでいく。
周りにはリディ、ベアトリス、メル、シャロン、ダンがおり、それぞれ自分の好みの料理を食べながら、楽しそうに談笑していた。
ふと、リディと目が合う。
「あなたと一緒にいる前は、こんなに人が多い宴会に出ることなんて考えたこともなかったわ」
対人恐怖症だったリディは宿の食堂ですら敬遠していたほどで、俺と一緒にドクトゥスに行ってから徐々に人との付き合いをするようになっている。
「そうだな。まあ、こういうのも楽しくていいんじゃないか。ここにいる連中はいい奴ばかりだからな」
リディは「そうね」と言って俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
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イグネイシャス・ラドフォード著の「トリア大陸における酒食文化の変遷」には、以下のような記述がある。
『トリア暦三〇一八年四月二十日。その日、料理の歴史は大きく変わった……ロックハート領ラスモア村にて開催された鍛冶師歓迎の宴は、後の料理に多大な影響を与え……ロックハート家の料理に感銘を受けたドワーフの鍛冶師たちが、随行していたギルド職員たちに料理のレシピを持ち帰りギルドでの宴会で出すよう命じた。特に食用油をたっぷりと使った揚げ物はドワーフたちの好みに見事に合い、揚げ物を中心とした料理はギルドでの宴会では欠かせない一品となった。そのため、ビールに合う揚げ物中心の料理を“鍛冶師料理”又は“ドワーフ料理”と呼ぶようになる。その後、ギルドで調理を担当した職員たちが独立すると瞬く間に“ドワーフ料理”は世界に広まっていった……』
更に翌日に行われた野外でのイベントについても言及されていた。
『同年四月二十一日に行われた、鍛冶師ギルドによる酒類品評会、通称“ドワーフフェスティバル”における屋台料理は、各都市の食文化を変えたと言われるほどの衝撃を与えた。鍛冶師相手の商売を考えていた食品関係の商会が多数参加しており、彼らはロックハート家主催の祭典を目の当たりにし、外食産業に将来性を見出したのだ……』
その章の最後にラドフォードの言葉が記されていた。
『……鍛冶師歓迎の宴、そして、翌日の祭典に参加できなかったことは、私の生涯で最も悔いの残る出来事だった。酒神の申し子といわれるザカライアス・ロックハート卿が拘り抜いた酒を提供しただけでなく、酒との相性を徹底的に追求した料理を供したのだ……私がその話を聞いたのはラスモア村からシーウェル侯爵領へ帰還した直後だった。旅の途中、帝都プリムスの鍛冶師たちとすれ違った際に話を聞き、彼らに同行してラスモア村に戻ることも考えた。しかし、私には主君に対しロックハート家との関係について報告する義務があり、泣く泣く諦めたのだ……プリムスに戻ってきた鍛冶師たちからその時の様子を聞いた。彼らの拙いながらも楽しげな説明を聞き、私は不覚にもその場で跪き、そして慟哭した。どのくらいの時間、慟哭していたのか記憶にはない。ただ、部下の一人が手渡してくれたハンカチが血の涙で赤く染ったことだけが鮮明に記憶に残っている……』