作品タイトル不明
第十話「貯蔵庫見学」
トリア暦三〇一八年三月十日。
蒸留酒定期便(スコッチライナー) と共にカエルム帝国の上級貴族シーウェル侯爵家の馬車が到着した。昨年九月の兄ロドリックの結婚の式典で侯爵家の嫡男がベアトリスに絡んだことから、その詫びとして高級ワインとして有名なシーウェル家の赤ワインを持ってきたのだ。
スコッチの貯蔵庫でザックコレクションの出荷準備を行っていた俺が、侯爵家の名代、イグネイシャス・ラドフォード子爵を屋敷に案内することになった。
ラドフォード子爵は渋い感じの壮年の男性で華美な感じはない。俺が知る上級貴族に仕える文官はラズウェル辺境伯家の家宰、フェルディナンド・オールダム男爵だけだが、老練にして温厚という印象を受ける男爵に対し、子爵は“辣腕”という言葉を思い浮かべるほど鋭利な感じがする人物だ。
父たちとの挨拶を終えると、子爵は俺に向かって「侯爵閣下よりシーウェル家の最上級のワイン五樽をお預かりしております。お納めください」と優雅な礼と共に右手で荷馬車を指し示した。
俺が代表して「ありがたく頂戴いたします。侯爵閣下へのその旨、お伝えください」と頭を下げる。子爵は父ではなく、俺が受け取ったことに満足げに頷き、「閣下への伝言、確かに承りました」と言って微笑んだ。
父が「粗末な屋敷ではございますが、こちらへ」と言って、子爵と随行員十名ほどを屋敷に案内する。
本来は俺ではなく、ロックハート家当主の父が受け取るべきだ。しかし、今回の騒動は俺の“婚約者”であるベアトリスに対し、シーウェル家の嫡男ジョナスが絡んだことが原因であり、ロックハート家とは関係なく、ベアトリスと俺が“個人的”に受け取ることにしている。ちなみにベアトリスは使者と会うのが面倒だからと言って、森に偵察に出ているため、ここにはいない。
個人的に受け取る理由だが、シーウェル家から事前に俺個人と懇意であることを示したいという意向が伝えられており、それに合わせた形にしたことが一番の理由だ。シーウェル家が俺を取り込もうとすると共に、鍛冶師ギルドに対してザカライアス個人と良好な関係にあることを示したいという狙いがあることは明白なのだが、あえて相手の要求を呑んだ。
最初は結構悩んだ。シーウェル家は侯爵家であり、現皇帝とも縁戚関係にある名家だ。その侯爵家が爵位持ちの貴族に対しても譲らないと言われる最上級ワインを、爵位の無い一介の騎士に贈り、更に贈られた方も謝罪の品とはいえ正当な対価を払うことなく受け取るということは、ロックハート家が驕っているように見え外聞が良くない。
更にその量が問題だ。
荷馬車に積まれていたのは、大型のバット樽――五百リットルほど入る大型の樽――であり、それが五樽もあるのだ。金額的には一樽三千 C(クローナ) (=三百万円)は下らないと聞くし、ボトルに詰め替えて小売をすれば、一本当たり最低十C(=一万円)にはなるらしい。
一樽辺り六百本取れるとして、六千Cほどの価値になる。それが五樽あるから、単純に金銭的に考えても三万C、つまり三千万円相当の贈り物ということになる。更に言えば、シーウェル家のワインは子爵以下の貴族が望んでも滅多に手に入らない。伯爵であってもボトル詰め――ガラスではなく陶器のボトルに詰めている――のものがダース単位で手に入る程度で、樽で手に入れられるのは侯爵以上だけだ。
これほどのワインが毎年贈られるとなれば、侯爵家以上の大貴族ならともかく、騎士の家には過分すぎると言われかねない。更に言えば、父や祖父が毎年贈られることを遠慮する可能性が高い。
侯爵としても帝都での政略に利用するため、鍛冶師ギルドを動かしうる俺と懇意であることを示したいから、一年や二年で受け取りを拒否されるとあまり意味がない。抜け目のない侯爵はその辺りも含め、酒に目のない俺が受け取った方が笑って済まされると考え、俺を指名してきたのだ。
侯爵の考えは何となく分かるが、上級貴族に対し、こちらから断ると角が立つ。ラズウェル辺境伯家との関係もあるし、シーウェル家の申し出を断るという選択肢はなかった。こちらにとっても充分なメリット、つまり、うまいワインが手に入るというメリットがあるので、問題はないのだが、相手の思惑通りに動かされるのはあまり気分の良いものではない。意趣返しをするつもりはないが、あることで驚かせてやろうとは思っている。
ワインはもう一度丘を下り、スコッチの貯蔵庫で受け取ることにしている。これはロックハート家の屋敷にバット樽を置くスペースがないことと、数百キログラムの樽を取り扱うには揚重設備のある貯蔵庫の方が便利だからだ。
ワインの受け取り場所の指示をした後、父たちに合流する。訓練場で自警団の訓練を行っていた祖父と兄も既に合流しており、ロックハート家の大して広くないホールは人で溢れかえっていた。
父たちが子爵の相手をしている間に、ニコラスら従士たちが随行員の宿泊場所の手配をしていく。さすがに辺境の騎士の家ということで遠慮したのか、子爵家当主が侯爵の名代として訪問したにしては屋敷に来た随行員の数が少ない。本来なら護衛も含めて少なくとも三、四十人はいるはずだが、護衛たちは村の宿に分宿するらしく、館ヶ丘のふもとで指示を待っていた。
兄嫁のロザリーや侍女のアンジー、エレナの三人が久しぶりにドレスを着ていた。ここ最近は騎馬隊の訓練に参加していることもあり、革鎧か乗馬服で過ごしていることが多かった。ロザリーにとってシーウェル家は親戚関係――当主クレメントは母方の叔父に当たる――であり、ラドフォード子爵もシーウェル家と縁戚関係にあるので、敬意を表して着飾っているようだ。
弟たちも普段より着飾っており、この中で作業服姿は俺くらいだった。俺の場合、ザックコレクションの出荷作業があったことと、父たちが挨拶している間に着替えようと思っていたのだが、屋敷に案内するだけでなく、そのままの流れでワインの受け渡しをすることになり、着替えるタイミングを逃してしまったのだ。仕方がないとは言え、浮いていることに変わりはない。
とりあえず、祖父や兄が挨拶を交わしたところで、着替えに向かった。
今回はベアトリスへの謝罪ということもあり、彼女と俺の二人が今日の晩餐に出席する。今日は旅の疲れを癒すという名目で、子爵と主だった随行者だけを屋敷でもてなすが、ホールが狭すぎてベアトリスだけになった。出席しなくてもいいと聞いたリディは「その方が気楽でいいわ」と嬉しそうに笑っていた。明日は学校の教室を使って随行員を含めた宴会を予定している。
服を着替えて戻るが、まだ午後三時過ぎと夕食の時間には時間がある。父がラドフォード子爵に「我が村自慢の風呂でもどうですかな」と聞くと、先にスコッチの貯蔵庫を見たいと言ってきた。
父は風呂に行く途中で見てはどうかと提案し、子爵も「ぜひとも」と快諾する。こうなると、当然案内は俺の仕事になる。
「ザカライアスに案内させましょう。ザック、頼んだぞ」
ラドフォード子爵と随行の騎士三人、更に文官らしき人物二人が見学に行くようだ。騎士三人は護衛なのだろうが、文官はスコッチの貯蔵量を確認しにいくのだろう。
(見せても全く困らないが、さすがに二千個近い数の樽を見たら驚くだろうな。逆にこれだけあるのに一樽や二樽回せないのはなぜだと言われそうだな……)
屋敷から丘を下り、スコッチの貯蔵庫に向かう。
途中で子爵が西側にある学校に気づき、「あの建物は何ですかな?」と尋ねてきた。
「あれは学校です。今は十歳くらいまでの子供のほとんどが通っています」
学校と聞き、目を丸くする。このような辺境の小さな村に学校があること自体驚愕に値する。それだけでなく、これだけの規模の校舎は大都市でもほとんどないことも驚きの原因だろう。
「ちなみにいつからあるのだろうか? それと村人の識字率はどの程度なのだろうか?」
同行している文官の一人、細面で眼鏡を掛けた真面目そうな男――レドリー・サザーランドがそう聞いてきた。
学校自体は八年ほど前からあること、識字率は七割ほどであることなどを説明していく。そして、苦笑交じりに、
「大人にも教育を推奨しているのですが、どうも面倒がる者が多くて……我々としては村人全員が簡単な読み書き程度はできるようにしたいと考えているのですが……」
巡回授業も含めれば十年以上続いているのだが、やはり四十代以上の大人は今更面倒な勉強をしたくないと考えている者が多い。子供と一緒に勉強して、自分の方が憶えが悪いとプライドが許さないということもあるのだろう。
俺の説明に対し、サザーランドは「七割……」と絶句し、それ以上何も聞いてこなくなった。更に子爵たちも目を見開いて言葉を失っていた。
彼らが驚く理由は十分に理解している。学術都市と言われるドクトゥスですら、新市街を加えれば識字率は五割程度だ。
さすがに学院や私塾がひしめく旧市街では識字率は九割以上だが、辺境の村がそれに匹敵する識字率を目指していることが異常であり、そのため言葉を失ったのだ。
カエルム帝国の識字率は知らないが、恐らく都市部でも二割に達しないはずだ。うちのような開拓村なら一パーセント程度ということもあり得る。文字の読み書きができる者が村に一人か二人しかいないというのは、それほど不自然ではないそうだ。
無言のまま、スコッチの貯蔵庫に到着した。
今日は 蒸留酒定期便(スコッチライナー) が到着したところであり、出荷作業はまだ始まっていないが、蒸留責任者のスコットとスコッチライナーの責任者ネイサン・バーロウが積み込みの打合せをしていた。
昨年の九月から長期熟成酒ザックコレクションを出荷しているが、さすがに半年も経つと、バーロウたちも最初の時のようなおっかなびっくりという感じはなくなっている。それでも未だに細心の注意を払っていると言っていた。
「……もし、ザックコレクションに何かあったら、鍛冶師方がどうなるのか……予想できないだけに恐ろしいのです……」
遠い目をしながら言う彼の言葉に頷くしかなかった。
スコッチの貯蔵庫は現在四棟にまで増えているが、すでに五棟目の建設も始まっている。学校の体育館の建設と並行作業であるため、五月頃に完成する予定だ。
ラドフォード子爵たちを貯蔵庫に案内すると、スコットがバーロウとの話を切り上げ、下がろうとした。帝国有数の大貴族の関係者ということで遠慮したようだ。
俺はスコットを手招き、「蒸留責任者のスコットです。ここにある最高のスコッチは彼の手によるものです」と紹介する。子爵も同行者もスコットという名は知っているようで、「ほう、この者があの有名なスコット殿か。思ったより若いですな」と子爵が感想を言った。
スコットは四十四歳だが、百歳を優に超えるドワーフの鍛冶師たちが下にも置かない対応をしたことから、もっと年老いていると思っていたそうだ。
「今日は貯蔵庫だけですが、明日には蒸留所のご視察も考えております」と言ってから、スコットに「済まないが案内に付き合ってくれ」と同行するよう依頼する。
俺が説明してもいいのだが、子爵たちも世界一の蒸留職人であるスコットから説明を聞いたほうが納得するだろうと考えたのだ。
そのまま、貯蔵庫に入っていくのだが、大きな扉を開けた瞬間、子爵たちから「おぉ!」という感嘆の声が漏れた。目の前に数百個の樽が整然と並べられており、その数に圧倒されたのだろう。
「ここには五百十五個の樽が保管されています。今年出荷する三年物が百、それ以外が長期熟成用のもので、最も古いものは十一年前の三〇〇六年物となっております……」
スコットの説明に子爵はしきりに頷き、後ろにいる文官たちは必死にメモを取っていた。説明を終えると、ラドフォード子爵が「これほどあるとは……」と唸り、俺の予想通りの質問をしてきた。
「これほどの在庫があるのであれば、我らにも多少融通が利くのでは? 閣下からはアルスに回すだけしかないと断られたと聞いているが?」
その問いに俺が答えると、スコットに目で合図する。
「確かに普通の方には大量に見えると思います。私も最初は同じことを思いましたから」
子爵は俺の言葉の意図を掴めず、僅かに首を傾げるが、特に口を挟まなかった。
「閣下はドワーフたちが消費する酒の量をご存知でしょうか?」
子爵は首を横に振り、「想像もつかぬな」と答える。俺はその答えに笑みを浮かべる。俺は近くにあるクォーター樽をポンポンと叩き、
「一人のドワーフが消費するスコッチは 現在(・・) 、この樽の三分の二、すなわち、八十リットルほどになります。これはスコッチだけでビールやワインなどの消費量は含みません」
子爵は小型のクォーター樽ということで「思ったより少ないな」と呟く。
「ここにあるスコッチの 酒精(アルコール) は標準的なビールの八倍、ワインの四倍ほどになります。ですので、ドワーフ一人が飲む量をワインに換算すると三百リットル以上となります。つまり、この一つの樽と、シーウェル家から頂きましたワインの樽は酒精の点で言えば、ほぼ同じと言えます……」
この事実に子爵たちは大きく目を見開いた。俺はそれに構わず、更に話を続けていく。
「そして、この年間三分の二樽という量はドワーフたちにとっては少な過ぎるというのです。少なくとも今の三倍、年間二樽分は欲しいと言われています」
子爵は「うちのワインを二樽だと……それが最低必要な量と言うのか……」と誰に言うでもなく、そう呟いていた。
「そして、アルスにいる鍛冶師方は親方クラスだけで三百人、それ以外の方も含めれば、優に千人を超えます。更に近郊の町や村を入れれば、数千人に膨れ上がります。それだけではありません。今スコッチを送っているペリクリトルには五百人近いドワーフがいます。また、ウェルバーンには……」
ここまで言ったところで、子爵が右手を挙げ、「十分に理解した。確かにこれだけあっても全く足らぬというのはよく分かった」とやや焦り気味に俺の話を止めた。
スコッチを待っているドワーフたちが多数おり、シーウェル家はそのドワーフたちを敵に回してまでスコッチを手に入れたいのかと示唆したことに気づいたようだ。
実際問題として、全世界のドワーフの需要をラスモア村だけで満たすことは不可能だが、これだけの樽を見せられると賄えてしまいそうに思える。俺自身、大手メーカーの蒸留所を見学した際に、凄い量だと感心し、これだけあれば日本中の消費を賄えるんじゃないかと思った記憶がある。
「ここにある物は長期熟成酒、一般的には“ザックコレクション”と呼ばれている物が大半です。つまり、十年、二十年と熟成させて初めて商品になる物で、在庫に見えるのですが、実際にはまだ“製造中”なのです……」
そう言うと子爵は「なるほど。まだ“作りかけ”ということか」と納得したような顔になる。
「無粋な話はこれくらいにして、少しだけ試飲なさいますか? もちろん、ザックコレクションも含めてですが」
「飲ませて頂けるのか! いや、飲んでもよいのですかな。鍛冶師たちに恨まれるようなことは……」
脅しが効きすぎたようで口をつけることに及び腰になっている。
「今回の出荷用の品質を確認する分から、ほんの少し味を見るだけです。量に影響があるほどではありません」
笑いながらそう言うと、安堵の表情を浮かべていた。