作品タイトル不明
第四十六話「命名」
トリア暦三〇一七年九月六日。
ベルトラムらドワーフ組に試飲をしてもらった翌日、スコットたち職人の意見も聞くことにした。
話は変わるが、スコットには俺に前世の記憶があることは伝えてある。
彼がどんな引抜きにも応じなかったことから十分に信用できると判断したことと、俺の知識を今後の酒造りに生かしてもらうためだ。父も祖父もスコットに明かすことについて反対しなかった。内政担当の従士、ニコラス・ガーランドは積極的に賛成してくれた。
そして、俺は“スコッチ”という名の由来も正直に話し、彼の想いを踏みにじったことを謝罪した。
「……あの頃は君が引き抜かれないことしか考えていなかった……そう、自分のことしか考えていなかったんだ。これは父もニコラスも知らないことだ。恨むなら俺だけにしてほしい……」
それに対し、スコットは笑顔を絶やすことなく、静かに首を横に振った。
「どのようなお考えがあっても、私の名にちなんだ名を付けて頂けたのです。これ以上の名誉はございません……まして恨むなど、ありえません」
俺はその言葉に返すことができず、頭を下げることしかできなかった。
そして今日、長期熟成酒の 試飲(テイスティング) ということで、主だった職人、最初期の蒸留所メンバーであるスコットと彼の助手ブランドンとカルバートの三人に限定するが、最初はスコットだけに確認してもらうつもりだ。
彼だけなら俺の秘密を知っており、思ったことをそのまま話せる。だから、最初に一人だけテイスティングをしてもらうことにしたのだ。
この世界の蒸留酒の第一人者であるスコットだが、長期熟成酒、つまり“ZL”の焼印が押された樽は彼にとっても全くの未知の酒だ。
本来、蒸留職人は樽の熟成度合の確認も仕事の一つなのだが、今まで一度も樽を開けておらず、中の確認は一切行っていない。もちろん、樽の外観は確認させていたが、栓を開けるリスク――不用意に開けて酸化が進むなど――がどの程度なのか、俺自身全く判らないことから、これまで開けることを躊躇っていたのだ。
全くの未知の酒ということで、彼もかなり緊張しているように見える。
昨日のベルトラムの工房でのテイスティングと同じく、五種類のボトルを持ち込み、彼の前に置いていく。
さすがに職人らしく、現物を見ると緊張よりも好奇心の方が優っているようで、色の違いを真剣なまなざしで見つめていた。
「比べてみると、色がかなり違いますね」
スコットが独り言のようにそう呟いた。
実際、今出荷している三年物は小型のクォーター樽――約百リットル――の新樽だけであり、薄い琥珀色だ。だが、目の前にある十年物は黒曜石のような濃い黒から、やや赤み掛かって見える赤銅色のような物もある。
その言葉に小さく頷き、並べたグラスにスコッチを注いでいった。
全て入れ終わるまで、彼は一言も喋らなかった。昨日のベルトラムたちも同じように沈黙していたが、それとは大きく異なる。
ベルトラムたちは期待に胸を膨らませ、十年物を飲めるという感動で言葉を失っていただけだが、スコットは違う。この十年間の努力がどのような形で結実したのか、その結果を知ることになるため、息を飲んでいるのだ。
昨日と同じように全てのグラスに金属製の蓋をしていく。
「飲む時だけ蓋をあけて欲しい。香り自体はかなり違うんだが、他の香りが移ると印象が変わる……」
俺の知る限りの知識でテイスティングについて説明していった。
そして、静かな時間が流れる中、スコットが一つずつグラスに口を付けていく。時々、溜息のような声が漏れる以外、何も言わずに黙々と 試飲(テイスティング) していった。
五分ほどでテイスティングが終わった。
スコットがフゥと息を吐き出した。
「……正直驚いています。これほど変わるとは……今だから言えますが、作り始めた頃は不味い酒だと思っていました。三年寝かせた物なら何とか飲めるのですが、十年でもそれほど変わらないだろうと……」
そこで深々と頭を下げ、彼にしてはやや興奮気味にしゃべり始めた。
「ザック様! この“スコッチ”について、もっと教えてください! どんな味があったのか。どんな香りがあったのか……私もザック様のいた“日本”という国、いえ、本場の“スコットランド”に行って、どんな作り方をしているのかを学びたい! ですが、それは叶いません。ですから、ザック様の記憶だけが頼りなのです……」
俺にとってはまだ荒々しく感じるが、彼には芳醇な香りのする極上の酒に感じているようだ。特に“ニューポット”と呼ばれる蒸留仕立ての酒の味を知っていることから、歳月が酒を美味くすることに感動しているのだろう。
俺は自分の知っていることを出来る限り伝えると約束し、その後はこの“ザックコレクション”候補について協議していった。
「……どれも一長一短なんだ……ベルトラムはどれでも旨いと言っていたんだが、それじゃ、“長期熟成酒”と銘打って売るには……」
俺が悩んでいると、思わぬことを聞いてきた。
「ところでザック様はこの“ザックコレクション”をどのような容器に入れて運ぶおつもりなのでしょう?」
突然話題が変わったことに首を傾げるが、その問いに対して、考えていることを伝える。
「腐食に強い金属製の容器で運ぶつもりだ。樽より小さいものをいくつか用意してある……それが何か関係あるのか?」
スコットは俺の言葉に頷くと、
「正直なところ、私にはどのような配合がいいのか全く想像できません。折角ですから、いろいろ作っても良いのではないでしょうか?」
「だが、それでは最高の物が出来ないが。折角だから、今できる最高の物を作りたいんだが……」
スコットは小さく頷き同意するが、別の提案をしてきた。
「今回は三つの樽の物を混ぜ合わせるのですから、最高の比率が判ったとしても、余りが出てしまいます。それならば、シングルカスクでしたか、単体の樽のものと、それだけではなく二種類だけ混ぜたものなど、いろいろ作ってみてもいいのではないでしょうか? 今回はザック様自らアルスに持ち込まれるのでしょう? その方が今後の参考になるのではないでしょうか?」
スコットの提案はこの利き酒と同じようにいろいろな個性のものを造り、ドワーフたちの意見を聞いて見てはどうかというものだった。
(確かにその方が面白いかもしれないな。俺の好みが世界標準であるはずは無いし、異種族であるドワーフたちの好みも知りたい……)
そういうわけでメインの配合三種類とシングルカスク三種類、更に極端に配合を変えた四種類の計十種類を作ることにした。
ちなみにザックコレクション用の容器だが、二十リットル用の樽型のもので、素材はステンレス――クロム十八パーセント、ニッケル八パーセントのいわゆる十八-八ステンレス――を使っている。これには蛇口とコック弁が付けられるようになっており、そのまま注ぐことも出来る。
ステンレスの素材だが、ニッケルはともかくクロムを集めるのが大変だった。最初は鉱石――クロム鉄鉱など――を探そうと思ったのだが、俺自身クロム鉄鉱を見たことが無く、誰もその存在を知らなかったため、探しようが無かった。だが、思わぬ場所に大量にあった。
それは遺跡から掘り出されたガラクタの中にあったのだ。
ドクトゥスのティリア魔術学院では、遺跡から掘り出される物はどのようなものでも買い取る教授がいた。そう、恩師であるリオネル・ラスペード教授だ。
ラスペード教授の助手をしていた時、倉庫に眠るガラクタの山から使われている元素を調べるという作業をしたことがあった。希少な魔法金属、アダマンタイトやミスリルなどはそれほど見付からなかったが、ステンレスはケースや容器の他、床材や壁材として使われており、剥がされて持ち込まれた物がたくさん保管されていたのだ。
それらは分析が終わるとゴミになるのだが、それを貰い受けて素材を金属性魔法で抽出して集めておいたのだ。鉄は鍛冶師の工房に卸したが、他のニッケルやクロム、モリブデンなどはしっかりと確保していた。もちろんチタンもあるが、これは別の用途で使うつもりなのでとってある。
そして、このステンレス容器だが、二十リットル用が三十個、十リットル用が十五個、水筒のような小型の物も多数作ってあった。素材はまだ十分にあるから量産は可能だが、空になった容器は回収して再利用するつもりでいる。
スコットとの話し合いが終わり、彼の部下であるブランドンとカルバートを呼び入れ、同じように試飲させる。
二人とも自分たちが作っていたスコッチの味がここまで変わることに、目を見開き驚いていた。
ブランドンだが、スコットより九歳若い三十五歳。がっしりとした体格と刈り込んだ金髪と太い眉の髭面で蒸留職人というより、大工の親方のようだが、葡萄酒の蒸留に限ればスコットを凌駕する腕の持ち主だ。
もう一人のカルバートだが、ブランドンより一歳年下の三十四歳。やや痩せ型の陽気な男で職人というより気のいい農夫のようだ。彼はりんご酒の蒸留が得意で香りのいい蒸留酒を作るのがうまい。
この二人にも何度も引抜きの話があったそうだが、スコットを慕っているため、この村に居続けている。
「ここまで変わるんですね……もしかしたら、葡萄酒も同じように変わっているんでしょうか」
ブランドンは香りを確かめながら、そう尋ねてきた。
「ああ、かなり香りが良い物ができている。まだまだ寝かせたいところだが、葡萄酒も一樽持っていくつもりだ」
カルバートも葡萄酒に興味を示すが、更にりんご酒も気になるようだ。
「りんご酒も寝かせればうまくなるんですかね……だとすると、まだまだ掛かりますね」
りんご酒についてはまだ四年しか経っていないから、十年物にするなら、あと六年は掛かる計算だ。確かフランスのカルヴァドスは五年以上寝かせる必要があったから、来年“五年物”として出荷してもいいかもしれない。
スコットも交え、四人でスコッチの配合について意見を述べていった。最終的に香りが強い物、味がまろやかな物、やや酸味を感じる個性が強い物に決まった。
メモを手にすると、館が丘に戻り、貯蔵庫で新たな三種類をボトルに詰め、屋敷に上がっていった。
父と祖父、そして、俺の蒸留酒造りに巻き込まれてしまった 犠牲者(・・・) 、ニコラスにも完成品の味を見てもらうことにした。
三人の前にグラスを置き、簡単な説明を行う。
「これがスコットたちと相談して決めた十年物の“ザックコレクション”です。三つの樽のものを混ぜています……」
父たちはその琥珀色の液体の入ったグラスに目を落とし、静かに持ち上げた。
そして、ゆっくりと口に運ぶ。
次の瞬間、三人とも大きく目を見開き驚きの表情を浮かべた。
「これがお前の目指したものか……これほどとはな……」
祖父が独り言を呟いた。
「まだまだ、この程度のものでは……私としては“長期熟成酒”と銘打つことすら躊躇われる味です」
三人とも何も言わず、首を振っていた。恐らく“酒に妥協しない”俺に呆れていたのだろう。
「話は変わりますが、父上にお願いがあります」
俺はスコッチのグラスを持つ二人に真剣な表情で話しかけた。
「ブランドンとカルバートのことです」
「あの二人がどうかしたのか?」
父は何の話か判らず、首を傾げている。
「彼らはこの十年間、よくやってくれました。二人ならどこに行っても、ここ以上の待遇で招かれたはずです。ですが、彼らはこの村の蒸留酒の品質を上げることに力を尽くしてくれました。私はそれに報いたいのです」
父も俺の想いに賛同し大きく頷く。
「うむ、確かに私もそう思うが……具体的にはどうするのだ?」
「スコットの名を取り、麦で作った蒸留酒に“スコッチ”という名を付けました。それに倣って、葡萄酒とりんご酒の蒸留酒に彼らの名を冠したいと思うのです。葡萄酒の蒸留酒を“ブランデー”、りんご酒の蒸留酒を“カルヴァ ト(・) ス”と。如何でしょうか」
実を言うと随分前から考えていたのだ。
麦の蒸留酒は“スコッチ”と呼ばれるのに、葡萄酒やりんご酒の蒸留酒に名前が無いのかとよく聞かれていた。特にスコッチと同時期に作り始めたマールタイプ――ワインの搾りかすから作った蒸留酒――と、その後始めたフィーヌタイプ――ワインをそのまま蒸留したもの――は、量こそスコッチに劣るものの既にかなり流通している。
スコットの蒸留所の初期メンバーの名がブランドンとカルバートと知った時、俺はその天の配剤に思わずほくそ笑んだ。そして、すぐにでもブランデーとカルヴァ ト(・) ス――カルヴァ ド(・) スではない――と名付けようと考えたのだが、その当時は二人とも二十代半ばの若者であり、時期尚早と諦めた。
だが、今ではその当時の悪戯心のようなものは一切ない。二人ともスコットを良く支え、品質の向上のためにいろいろと提案もしていたし、何より各国からの引抜きにも首を縦に振らなかった。その想いを考えれば、悪ふざけで名前をつけることは彼らの努力に対する冒涜だと思ったのだ。
十年と言うとそれほどでもないように思えるが、ゼロからのチャレンジで世界に轟く酒を造った。俺の助言があったとはいえ、彼らは名を残すだけの資格を十分に持っている。
父も祖父も二人の努力を知っており、快く了承してくれた。
特にニコラスは満面の笑みで、「二人は本当に良くやってくれました。私も大賛成です」と手放しで賛成してくれた。
ブランドンとカルバートの二人には領主であり、蒸留所の 持ち主(オーナー) である父から話をすることになった。
翌日、スコットとともにブランドンとカルバートが屋敷にやってきた。
三人とも呼び出された理由を知らず、首を傾げていた。
その三人を前に父が 厳(おごそ) かな表情で話し始めた。
「長期熟成酒がうまくいったようだ。これも三人の努力の賜物だろう……」
そこで言葉を切り、ブランドンとカルバートに視線を向ける。
「……今まで名を付けていなかった葡萄酒の蒸留酒にブランドンの名を取り、“ブランデー”と。同じく、りんご酒の蒸留酒にはカルバートの名を取り“カルヴァトス”とする」
二人は一瞬何を言われたのか判らず、きょとんとした顔をしていた。だが、横にいたスコットが「良かったな」と言うと、二人はようやく自分の名が酒につけられたと気付いた。
ブランドンは「わ、私の名など恐れ多いことです……」とあたふたとし、カルバートも途方に暮れた顔をしていた。
「……名をお付けになるなら、ご領主様かザック様、ガーランド様の方が……」
カルバートがオーナーである父や、小さな頃から蒸留酒造りに興味を示していた俺、そして蒸留酒の発明者だと思っているニコラスの名を付けるべきだと言い出した。
父はその言葉に 頭(かぶり) を振り、
「我がロックハート家では今後、職人に報いるために、新しく作る酒には最も貢献した職人の名を付けることにする。その先例となるのだよ。お前たちは」
スコットが「良かったな」と言って、二人の肩を叩いて嬉し涙を流していた。ブランドンもカルバートも同じように目に涙を浮かべ、しきりに頷いていた。
一分ほどそうしていたが、突然領主の前に居たことを思い出したのか、「も、申し訳ございません」と頭を下げる。
俺は舞い上がっている彼らに少しだけ釘を刺しておいた。
「これからが大変だぞ。長期熟成酒が世に広まれば、ますますドワーフたちは過熱するんだ。それだけじゃない。そのうち彼らの舌も肥える……」
三人は俺の言葉に頷く。
「……それにアルスやウェルバーンでも蒸留所が次々とできるんだ。そこに負けない味を作り続ける。これはかなり苦しいと思う……」
俺の言葉に対し、スコットが毅然とした表情で答えた。
「我々は味で負けるつもりはありません。どのようなライバルが現れても、ロックハート領の蒸留酒が世界一であり続けるよう努力いたします」
それは力強い宣言だった。
父はスコットの言葉に力強く頷いた。
そして、今後の話になり、父がこう切り出した。
「スコットにはザックとともにアルスに行ってもらうつもりだ……」
以前より鍛冶師ギルド本部より、スコットに対して直接礼が言いたいという話が出ていたそうだ。ただ、スコットが蒸留所を離れるとスコッチの生産に影響が出るからと断っていた。そう言われればドワーフたちも納得するしかなかったが、今回は長期蒸留酒の初出荷ということと、ウェルバーンから職人見習いたちが大勢やってきたため、ブランドン、カルバートの二人でも十分やっていけると判断したようだ。
スコットは突然の決定に慌てるが、
「良い機会だ。ザックがよく言う、 顧客たち(・・・・) の生の声を聞けるのだからな」
父にそう言われて頷くが、「生の声を聞くのが少し怖い気がします」と苦笑いに似た顔をした。