軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第2話 肩書は関係ない

「触るな! その女に触れさせるな!」

兵士の一人が叫んだ。

私の手から溢れる金色の光を見て、彼らの顔に浮かんだのは安堵ではなかった。恐怖だ。

「闇の魔女だぞ! 呪いをかけるつもりだ!」

腕を掴まれた。

強い力で引き離される。金色の光が途切れた。担架の上の兵士が呻く。傷口からまた血が溢れ始めた。

「やめ——今、止めたら死にます!」

怒鳴り返した瞬間、頭の中に声が響いた。

——動脈の損傷が深い。止血が先。感染を防ぐために傷口の異物を除去して。

誰の声だろう。私の声だ。でも私はこんな言葉を知らない。動脈? 感染?

考えている場合ではなかった。

「離せ」

低い声が、騒ぎを断ち切った。

指揮官の男——灰色の髪の男が、私の腕を掴んでいた兵士の手首を握っていた。

「治せるなら治せ。肩書は関係ない」

それだけだった。

命令でもなく、信頼でもなく。ただの判断。合理的で、冷たくて、けれど今の私にはそれで十分だった。

兵士の手が離れる。

私は担架に駆け戻った。

医務室に運び込まれた兵士の傷は、腹部を斜めに深く裂かれたものだった。

内臓が見えている。砦の軍医は顔を青くして首を振っていた。

でも——知っている。

知らないはずなのに、わかる。

手をかざすと、また金色の光が溢れた。今度は私の意志で。温かい光が傷口を包む。

(まず深部の損傷を塞いで……そう、この層から。表層は後。出血源を先に)

頭の奥から湧いてくる知識に従って、手を動かす。光が傷の深い場所から順番に組織を修復していく。

不思議な感覚だった。

これは魔法であって魔法ではない。私の手は確かに治癒の光を放っているけれど、頭の中でそれを導いているのは——別の何かだ。

白い廊下を歩いていた誰かの記憶。

手術台の上で、メスを握っていた誰かの手つき。

メス?

今、私は何を考えた?

「……っ」

光が揺らいだ。集中が途切れかけて、慌てて意識を傷口に戻す。

(今は考えるな。目の前のこの人を助けることだけ考えろ)

自分に言い聞かせた。

光を注ぎ続けた。

どれくらい経っただろう。

兵士の呼吸が安定した。傷口が塞がっていく。完全ではないけれど、出血は止まった。内臓の損傷も、致命的な部分は修復できたはずだ。

軍医が息を呑んだのが聞こえた。

——よかった。

そう思った瞬間、視界が暗転した。

膝から力が抜けて、床が近づいてくる。

倒れる直前に見えたのは、灰色の瞳だった。

目を覚ますと、天井が見えた。

木の梁。石の壁。小さな窓から差し込む朝の光。

ここは——医務室のベッドだ。

身体が重い。指一本動かすのがやっとだった。

魔力を使い果たしたのだと、頭の隅で理解する。

「飲め」

声がした。

視線だけを動かすと、ベッドの横の椅子に灰色の髪の男が座っていた。

水筒を差し出している。

起き上がれない私の口元に、無造作に水筒の口を近づけた。雑だ。ぶっきらぼうだ。でも、水筒の角度は——唇にちょうど触れるように、正確に傾けられていた。

冷たい水が喉を通って、体の芯まで染み渡る。

「……ありがとう、ございます」

声がかすれた。

男は何も答えず、水筒を引いて立ち上がった。

「お前の名は」

背を向けたまま、男が言った。

「……ベアトリクスです」

「ゼルギウス・ヴァルデン。この砦の騎士団長だ」

名乗った。

初めて。三日間一緒にいて、初めて名前を交わした。

——騎士団長。護送任務を騎士団長自らが?

疑問は湧いたけれど、口にする体力がなかった。

ゼルギウスが扉に手をかけたところで、足を止めた。

「昨夜、あの兵士が目を覚ました」

それだけ言って、出ていった。

……助かったのだ。

天井を見つめたまま、息を吐いた。

右手を持ち上げてみる。昨夜あれだけ光を放った手は、今は何の変哲もない。細くて白い、侯爵令嬢の——いや、元侯爵令嬢の手だ。

扉の向こうから、声が聞こえた。

兵士たちの声だ。

「おい、昨日の流刑囚の女……」

「ああ。闇の魔女、だったか」

「闇の魔女が、なんでアルトを治せるんだ? 軍医が匙を投げた傷だぞ」

「さあな。でも——」

少しの沈黙。

「——アルトは生きてる」

それ以上は聞こえなかった。

でも、それだけで十分だった。

午後になって、来客があった。

まだベッドから起き上がれない私のところに、ゼルギウスが客人を連れてきた。

大柄な老人だった。

白髪を後ろに束ね、日焼けした顔に深い皺が刻まれている。纏っている空気が違う。兵士でも官僚でもない。領主の空気だ。

「グレーフェンベルク辺境伯だ」

ゼルギウスが短く紹介した。

——辺境伯。この領地の主。

ベッドの上で身を起こそうとして、腕が震えた。起き上がれない。流刑囚が領主の前で寝たままというのは、さすがに無礼が——

「寝てろ寝てろ。流刑囚の礼儀なんぞ知らん」

辺境伯は大きな手をひらひらと振って、部屋の椅子にどかりと座った。ゼルギウスが持ってきた椅子ではない。もともと置いてあった椅子だ。遠慮がない。

「ゼルギウスから聞いた。腹を裂かれた兵士を治したそうだな」

「……はい」

「うちの軍医が匙を投げた傷を、お前一人で」

「はい」

辺境伯の目が細くなった。

品定め、ではない。もっと率直な——好奇心だ。

「ほう」

その一言に、値踏みも侮蔑もなかった。

「面白い娘だ」

それだけ言って、辺境伯は立ち上がった。ゼルギウスに向き直る。

「使えるなら使え。肩書は──なんだったか」

「関係ない、と言いました」

「そうだ、それだ」

辺境伯はからからと笑って、部屋を出ていった。

……なんなのだろう、この辺境の人たちは。

(王都の貴族は肩書しか見なかったのに。ここの人たちは——)

その先の言葉は、まだ見つからなかった。

夕暮れ。窓の外が橙色に染まる頃、廊下でゼルギウスと軍医が話す声が漏れ聞こえた。

「あの光は治癒魔法か」

「治癒魔法ではあるのですが……団長」

軍医が言いよどんだ。

「私が知る治癒魔法とは、根本的に違います」

それきり、声は聞こえなくなった。

ベッドの上で、私は自分の手のひらを見つめた。

金色の光。闇ではない。けれど、普通の治癒でもない。

——私は、何なのだろう。

答えはまだ、どこにもなかった。