軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

消えた思い出

「――婚約破棄されたんですって」「ええ、聞いていますわ。なんでも妹のフィオナ様と」「なんでもマリサ様には悪い噂があるらしくて――」「まあ、でも完璧な仕事をされるかたですわ」「笑っているところを見たことがないわ」「なんでも人の物を盗むらしいですわ」「デイビット様も昔は違う方と付き合っていましたわ」

放課後までの時間は、妙に長かった。

教室の令嬢のざわめきは気にしない。噂が大好きな生き物だから仕方ない。

「マリサ嬢、ぜひ今度の夜会は私と踊ってくれないか?」

「いやいや、この俺と一緒に過ごしてほしい」

「まて、僕の家でパーティーがあるんです。ぜひマリサ嬢に――」

貴族子息からのお誘いの方が厄介だった。下手な断り方をすると後々面倒が起こる。

「結構です。私は部活が忙しいので」

自分でも驚くほど、冷たい声が出ていた。貴族子息は苦笑いをして後ずさる。

私はため息を吐いた。人との関わりは面倒なことが多い。ふと、今朝の出来事を思い出した。

ユウト・アルバトロス。公爵家の次男。

アルバトロス公爵家は大貴族だ。その中で一番有名人は長男のユリアス・アルバトロス。

帝都の英雄と呼ばれている、優秀すぎる兄を持つユウト様。

(でも、ユウト様のあの魔力と魔導工学力は帝都で一番だと思いますわ)

私はお世辞がいえない。それをデイビット様に貴族としては欠点だと言われた。

頭を振る。どうも考えが散漫しちゃう。私は今朝書いた、自分の小説の続きの展開を考えることにした。

……手紙じゃないから水晶端末で打ち込んでいるけど、水晶ネットワークに投稿してみようかしら。

今日のやることが出来た。なんだか、それだけで肩の力が抜けた。

デイビット様は、今、この教室にいない。本来はデイビット様はこの中流貴族クラスの生徒じゃない。ロゼッタ様やユウト様と一緒の上流貴族クラスだ。

創立祭が終わり今日からデイビット様は元の上流貴族クラスへと戻った。

だから、教室の子息令嬢が騒がしいんだ。デイビット様は自分がうるさくしてもいいけど、周りがうるさいのが嫌いだから。

信じてもらえなかったのは……一度じゃない。三度の浮気、三度の誤解。

そして、最後の別れ。

「なんで、信じてくれたのでしょう……?」

思わず独り言をしてしまった。ユウト様は、私と似ていると思った。きっと人に裏切られたことがあり、悲しい過去がある。あの特有の重さは当人にしかわからない。

なら、絶対に信じるなんて、言わないと思っていた……。だって、私は……人を……信じられるって断言できるの?

鐘が鳴り、私は鞄を抱えて、まっすぐ研究部の部室へ向かった。

扉を開けると、部員たちが私を見るなり、元気に挨拶をしてくれた。部室の中央では、ユウト様が作業台の上にシロにゃんを寝かせて、外装の確認をしているところだった。

「やあ、マリサさん、来てくれましたね」

「私も部員の仲間、でいいんですよね?」

朝のやり取りを思い出してしまった。冗談なんて、滅多に言わない私なのに、ユウト様の前だと、少し素直になってしまう。

「もちろんです。さて、一緒にシロにゃんのメンテナンスと、ブラックボックスの解明をしましょうか?」

胸の奥が温かくなったと思ったら、予想外の言葉で困惑が先に出る。

「ブラックボックス?」

「ええ。マリサさんの見立て通り、シロにゃんは大変貴重な古代遺産です。現在の技術では解明できない回路が沢山あります。まあ、あとは、デイビット君の婚約者がシロにゃんを攫ったので、一度点検をしたかったですしね」

私はユウト様の隣へ立って、そっとシロにゃんを覗き込んだ。

白い毛並みは少し乱れていたけれど、大きな破損はない。青い瞳の魔石も、ちゃんと澄んだ光を宿している。

「はい……、妹のフィオナは……時折とんでもない力を発揮します。運がいい、というか、高性能なのにポンコツといいますか……あっ、失礼しました。失礼な言言葉使いでしたわ」

「はは、問題ないですよ。フランクに行きましょう」

その後、シロにゃんのメンテナンスを教わったり、ブラックボックスの仕様を調べたり、充実した時間を過ごした。時間はあっという間に過ぎてしまった。

「今日はここまでにしましょう。マリサさん、ちょっとシロにゃんの起動を見てもらえませんか?」

部員たちは微笑みながら、足早に帰っていった。

扉が閉まると、部室の中は私とユウト様、それから作業台の上のシロにゃんだけになる。

しばらく沈黙があった。

でも、その沈黙は不思議と居心地が悪くなかった

「……昔話、してくださるんですよね」

私がそう言うと、ユウト様はシロにゃんの頭を撫でながら、小さく笑った。

「ええ。……たいした話ではないんですけど」

「聞きたいですわ」

ユウト様は少しだけ目を伏せて、それから静かな声で話し始めた。

「公爵家には、とても古い魔導人形がありました。今の技術では再現できないほど精巧な、古代遺産のSS級魔導人形です。人とほとんど変わらない動きをして、受け答えもできて……僕の教育係の一人でもありました」

私は思わず息を呑む。

「魔導遺産が……教育係……」

「はい。彼女は母の友達でもあり……母が亡くなった後、彼女はずっと僕のそばにいました。変な話ですよね? でも、彼女は感情があったんです。勉強も、礼儀も、魔導の基礎も、全部その人が教えてくれたんです。……僕にとって彼女は母であり、先生で、友達でした」

ユウト様はそこで少しだけ言葉を切った。

「14才の頃に起きた『帝都無差別転移災害死亡遊戯』……僕と彼女は巻き込まれました。そして、事件の最後に彼女は……『エリー』は壊れたんです。最後に僕を庇って――」

まさか、公爵家の子息があの事件に巻き込まれていたなんて……。

ユウト様はシロにゃんを優しい目で見つめていた。

深い悲しみがこちらにまで伝わってくる。一瞬だけ垣間見えた瞳の暗さは、人生の何周してもたどり着かない境地にいたっているようにも見えた。

「――あの事件のせいでもう何も信じられない、と思っていました。でも、希望が残りました。核だけは無事だったんです。だから僕はずっと思っていました。いつか、自分の手で新しい器を作って、その核でエリーをもう一度この世界に立たせたいって」

あれ? おかしい? 私、なんで、こんなに聞き入って、感傷的になって……。人の話なのに、他人の経験なのに……。

ハンカチが目元に当てられた。

「マリサさんは優しいですね。あなたは冷たい人ではありませんよ」

「…………っ」

声が出せなかった。だって、こんなの悲しすぎて――

「人は簡単に壊れるし、簡単に裏切る。僕はそういうものを、たくさん見てきました。だから、正直に言うと、この学園の生徒のことをあまり信じていませんでした」

ハンカチを私に押し付けて、言葉を続ける。

「なんででしょうね? マリサさん、あなたを見て不思議な気持ちになったんです。初めは同情かと思っていました。でも、何か違います。……まずは、あなたから人を信じてみよう、と思えたんです」

「だから……」

「ええ、私はマリサさんを信じます。ははっ、あの地獄を生き抜いた直感ですかね? 何か感じるものがあるんです。それに、あなたはまだ、完全に壊れていない」

私は意味がわからなくて、ただ、彼の見つめた。

「だって、あなたは、とても優しい人ですから――」

私は言葉を失った。

そんなふうに見てもらえたことが、今まであっただろうか。

私は自分で自分の感情のあり方がわからなくなっていた。デイビット様に言われるがまま、行動して、自分の気持ちを抑えて……。

侯爵家に嫁ぐ令嬢としてでもなく、婚約者としてでもなく、便利やでもなく、嘘をつく、人の男を取る女でもなく――ただの私として。

涙が出そうになって、私は慌てて目を伏せた。

「……ずるいです」

「何がですか?」

「そんなことを言われたら、嬉しくなってしまいます」

ユウト様は少しだけ困ったように笑った。

「嬉しくなってもらえるなら、言ってよかったです」

その言葉に、今度こそ私は笑ってしまった。ぎこちないけれど、作った笑顔ではないものだった。

私は今、誰かの婚約者としてここにいるのではない。

私自身として、この場所にいて、信じてもらえている。

その事実だけで、胸の奥の氷が少しだけ溶けた気がした。こうして誰かの大事なものを一緒に直している時間が、なぜだかとても心地よかった。

窓の外が夕焼けに染まり始めた頃、ユウト様がそっとシロにゃんの胸元に指を添えた。

「……では、起動してみます」

部室の空気がぴんと張る。

小さな魔力の波が、ユウト様の指先からシロにゃんへ流れ込んでいく。

しばらくの静寂のあと――

「にゃあ」

小さな声が響いた。

「……っ」

シロにゃんの青い目がふわりと灯る。

前足がぴくりと動いて、次の瞬間、ゆっくりと身体を起こした。

「ふう、成功ですね」

ユウト様の声が、いつもより少しだけ弾んでいた。私まで嬉しくなってしまって、思わず笑ってしまう。

「本当に、本物の動物みたい……」

シロにゃんは机の上で一度だけ伸びをするみたいに背中を丸めて、それから私の手の甲に小さく頭を擦り寄せた。

「わっ……」

「……気に入られましたね」

ユウト様が誇らしそうに言った。

私はくすくす笑いながら、そっとシロにゃんの頭を撫でた。

「こんなに可愛い子なら、誰だって好きになりますわ」

「ええ。でも、今日は少し頑張りすぎましたね」

ユウト様はそう言って、窓の外へ視線を向けた。

夕焼けの色が深く変わり始めている。

「……少し休みませんか。屋上でも行きましょう」

「屋上、ですか?」

……脳裏に浮かんだ思い出は……なにも無かった。

それでも私は少しだけ迷ってから、頷いた。

ユウト様がシロにゃんを抱え、私はその隣を歩く。

部室を出て階段を上る間、不思議なくらい心が静かだった。

屋上の扉を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でた。そこには見慣れた庭園と、夕暮れ色の空が広がっていた。

そして――先客がいた。

ベンチにひとり座っていたのは、デイビット様だった。顔を手で覆い隠し、そのまま、手を空に向けて天を仰ぎ、大きなため息を吐いていた。

私たちに気づいた瞬間、その顔が強ばる。

視線はまず私に、次にユウト様へ、そしてユウト様の腕の中のシロにゃんへ移った。

「……マリサ」

なんでそんなに悲しそうな声なんですか?

意味がわからなかった。だから、私はその声を聞かなかった。

そして、いつも通りの挨拶を――

「ごきげんよ、デイビット様」

それだけを告げる。

デイビット様は苦い顔をして何か言いたげに口を開きかけた。何度も何度も、言いかけ、胸に手を当てて、ため息だけ吐いた。

その顔は、ひどく苦しそうだった。

昔、この場所で、私は彼の隣に座っていたと思う。美しい思い出ではない。ただの休憩時間だった。

何も話さなくても、それが当たり前だと思っていた。

でも今、その沈黙の隣にいるのはもう私ではない。

「ユウト様、場所を変えますか?」

ユウト様が、いつも通りの静かな声で言った。

「ああ、そうですね。……中庭で休みましょう」

私は頷く。デイビット様が何故か私に向かって手を伸ばす動作をしていた。

私は特に気にせず、デイビット様から視線を切り――背を向けた。

その時、シロにゃんが小さく「にゃん」と鳴いた。

まるで、もう振り返らなくていいと言うみたいに。

夕暮れの風の中、私は前だけを見て歩いた。

背中に痛いほど視線を感じたけれど、もう足を止める理由はなかった。

だって、デイビット様との思い出なんて……もう悲しみで消えてしまったのですから。