作品タイトル不明
第284話 ~永訣の時~
俺たちが和木たちより少し遅れて飛行艇に到着したとき“その時”はすでに迫っていた。
俺とラティスネイルが飛行艇に飛び乗った瞬間、すでに準備はできていたのか、ホバリング状態から船が上昇し徐々に魔族領から離れる。どういうわけか、飛行艇のそばにそびえ立っていた土の壁もそのまま飛行艇を守るようについてきていた。どういう原理なのか聞きたいところだが今はそれどころではない。
「アメリア様! アメリア様お願いします! 何でもします! 私に差し出せるものならなんでも! だからクロウ様を、クロウ様を『蘇生魔法』で助けてください!!」
喉から血が出そうなほどに悲痛なリアの言葉が、ソノラたちも含めて動ける人間は全員出てきているはずなのに誰も喋らない飛行艇の甲板に響いた。甲板に寝かされたクロウのそばで膝をついたまま涙ながらに頭を下げて懇願するリアにアメリアはびくりと身体を震わせたあとそっと視線を逸らす。
おそらくリアも含めてここにいる全員が分かっていた。クロウはマヒロとの戦闘で胸の中心に穴が開き致命傷を負ったが、死にかけているのはそれだけの理由ではないと。リアも頭ではわかっているが感情が追い付かないのだろう。
「……リア、いくら私の『蘇生魔法』でも、神アイテルが定めた寿命を覆すのは不可能なの」
「じゅみょう……。そんなっ! クロウ様!」
唇を噛み締めて悔しげな表情で言葉を絞り出すアメリアの小さく震える肩を抱く。俺の肩の上にいる夜が慰めるようにアメリアに頭をすりすりと寄せた。
クロウはアメリアにとって初めての師匠だった。できるのならリアに言われる前に『蘇生魔法』を使用していただろう。だがもう無理なのだ。魔王城へ行く前からクロウの老化は最終段階まで進んでしまっていた。リリスの薬は動けていたようにみせていただけでその身はすでに限界で、その上戦闘で魔力と生命力を消費し致命傷を負ってしまった。
命の終わりは誰にも覆せない。たとえこの世界の神であっても。
「……いい。アメリア、様を、困らせるな。私の選択だ」
「クロウ様!!」
少しずつ脈が弱まっていくクロウが声を出そうとヒューヒューと喘鳴を響かせながら口を開いた。
クロウの青い瞳とアメリアの赤い瞳が合う。
「アメリア、様。私の、憧れ、私のさいごの、弟子。あなたに会えて、よかった」
「っ私もよクロウ。私の唯一の師匠。ありがとう、私もあなたに出会えて良かった。本当に、本当に良かった」
アメリアの瞳からはらはらと雫がこぼれ落ちる。
続いて隣にいる俺に目が移った。
「アキラ、私の仇を、罪を、背負わせて、すまない」
「構わない。どうせ早いか遅いかの違いだった」
グラムを殺さなくても俺はモルテの人間を手にかけていただろう。俺が背負うと決めた罪は俺だけのものだ。
瞳が夜に向く。
「夜、私はお前を、恨んでいない。その、身の、呪縛が、解けるよう、祈っている」
『……ああ。礼を言う』
夜はそっと視線を落とした。
体を震わせてゲホッと口から血の塊を吐き出したクロウは力を振り絞って今度はノアの名を呼んだ。ノアは慌ててクロウの近くに寄る。まさか自分が呼ばれるとは思ってもみなかったようだ。
「母さん、……俺を、うんでくれて、ありがとう」
「…………お前は、私の自慢の息子だ。お前もアリアも、ずっと愛しているよ」
ノアは震える声でそう言ってクロウの頭を撫でる。
クロウは目を丸くして、だが嬉しそうにその手を受け入れた。もしかすると子どもの頃はこうして頭を撫でられていたのかもしれない。
「りあ」
「……はい! クロウ様、リアはここにおります」
ゆっくりと伸ばされた手をリアが強く握る。
クロウは悔いなどないとばかりに静かにほほ笑んでリアに最期の言葉を残す。
「私の、最愛。しあわせに。どうか、しあわせ、に」
「クロウ様っ……!」
そしてクロウは返事もできないくらいに泣きじゃくるリアを優しい目で見た後、嫌味なほどに晴れた空を見上げて、憑き物が落ちたような笑顔を浮かべた。
「ああ、ようやく、届いた」
妹の死にも親友の死にも届かなかったその手が初めて届いた。あの日獣人族領で手が届かないことが一番怖いと言っていた人間の手が、命が尽きる瞬間にようやく届いたのだ。
そのとき、リアの返答も聞かないままクロウの瞳から光が消えた。繋がれた手から力が抜ける。リアは目を見開いてその力が抜けた手に縋りついた。
「ああ、いやああああああああああああ! クロウ様、クロウ様!!」
悲痛なリアの叫びが木霊する。
アメリアは口に手を当てて嗚咽を押し殺しながら涙を流し、俺の肩口に顔を埋めた。その震える体をそっと抱きしめる。
「……クロウ様、大好きです。あなただけを愛しています」
涙を流す細山に促され、リアは震える手でそっとクロウの開かれたままになっている瞳を閉じた。
俺もそっと目を閉じる。
「おやすみなさい、クロウ様」
獣人族の平均寿命を軽く超え295年も生き抜いたクロウは、この日ようやく眠りについた。
「リアの返答を聞かないのもクロウらしいっちゃらしいな」
「確かにそうかも」
クロウの遺体は火葬後、残った骨をノアが持ってきていたうさ子1号の中に格納し、どこかの大陸に上陸したあと、ノアの手によって妹アリアの隣に埋葬されるそうだ。本当は火葬ではなく妹と同じように土葬が良かったんだろうが、設備もない空の上で遺体の保存は難しいとノアが主張したので母親であるノアが言うのならとリアも納得した。
火葬は京介が行った。リアは甲板や船に燃え移らないように結界を張り、ラティスネイルが水魔法でその補助を担当する。クロウに致命傷を負わせたのと同じ魔族だからと遠慮していたラティスネイルだったが、「仲間以外を船に乗せた覚えは無い」と言ったノアの言葉に根負けしていた。
その時に懐かしそうに目を細めるノアから聞いたのだが、うさ子3号の身体にあったラクガキは幼い頃のクロウが描いたものだそうだ。最初に作成したらしいうさ子1号にも額部分に第3の目やうさ耳に猫耳を追加したり、散々なラクガキが施されていた。幼い頃は随分とやんちゃだったそうだ。だが頭を撫でると嬉しそうに笑う子だったらしい。
クロウの火葬が終わってすでに視界に魔族領はなく、夕日が触れそうな海を眺めながら俺とアメリアは共にクロウを偲ぶ。魔王城で何があったのかとか、これからどこへ向かうのかとか、飛行艇のそばに浮かんでいる土の壁はなんだとか、話すべきことは山ほどあったのだが、それでも今日だけはこうしていたかった。
「でもこれからリアは大変ね」
「なんでだ?」
「だって、生半可な幸せな生活だと死んでもクロウは会ってくれそうにないでしょう? クロウが満足するくらい幸せになるのって大変だと思う」
会えて嬉しいと尻尾をブンブン振るリアの前で仏頂面の顔を背けるクロウの姿が自然と思い浮かんだ。
思わず口角が上がる。
「それは確かに。でも結局クロウだってリアの事が好きだったんだろ。なら、どんなに辛いことがあっても最期に笑っていればいいって思いそうだけどな」
「アキラは私が笑っていたら幸せ?」
「そうだな。俺はアメリアが笑ってくれてたらいいと思う」
頷いてアメリアを見ると、いつから見ていたのかアメリアも俺を見上げてにっこりと笑っていた。
「なら、私もそう!」
「ん?」
「アキラも、私の幸せの為に笑って」
「んな無茶な……」
「ほら、にっこり」
「に、にっこり」
アメリアに促されるまま固まった表情筋を動かす。
すると、花が開くようにアメリアが笑った。
「そうそう!」
「まあ、アメリアがいいならいいよ」
「……ねえアキラ、クロウは幸せだったと思う?」
俺が知っている限りでもクロウの人生は常に他人に振り回されるものだった。あいつは伸ばした手が届かないことの他にも、自分の想定の範囲外で何かが起こることをずっと怖がっていたように思う。だから自分の人脈で情報を集めたりしていたのだろう。リンガたちの偽の情報をつかまされたりしたあたり、そちらの才能はあまりなかったようだが。
獣人族よりも長く、エルフ族よりも短いその一生は穏やかな生活を好む彼とは裏腹に波乱に満ちていた。
「それでも、最期の顔がその答えだろ」
穏やかに笑ったその顔がクロウ本来の顔だったのかもなと夕焼け空を見上げて思う。
「そっか。そうだね」
おやすみ、クロウ。