作品タイトル不明
第二十三話:未知
今川が突きつけた「オープンなものにしたい」という条件に、室内の温度が一段下がった。
佐藤は、困惑を隠せない。
「……今川先生、お言葉ですが。仕様を無償で公開するというのは、弊社にとってあまりにリスクが大きすぎます。これは一度、持ち帰って検討するのが筋です。流石に現場の私の一存では、返答できません」
佐藤の言うことは、組織人としてあまりにも真っ当な正論だった。
だが、今川は眼鏡の奥で知的な光を湛え、静かに首を振った。
「佐藤さん、勘違いしないでくれ。私が公開したいのは、大元のアーキテクチャだ。別にゲーム機用に改変させたコードまで公開しろと言っているわけじゃない。」
今川は、ホワイトボードに力強く『オープンアーキテクチャ』と書き殴った。
「システムの機能を定めた仕様書もソースコードも公開し、入手した人はどのように使っても、改変しても構いません。入手したことを言わなくていいし、自分たちのために作り変えたものを公表する必要もない。‥‥つまり自分達で作った部分の知的所有権は守れるんだ。」
佐藤は絶句した。それは「独占」を是とする当時の常識を、根底から覆す思想だった。
沈黙の中、忠夫がホワイトボードに書かれたOSの構造図を見つめていた。
「佐藤さん、先生の言う通りに仕様が広まれば、世界中のプログラマーがこのOSの上でソフトを書くのが『当たり前』になります。そうなれば、他社がどれだけ独自の工夫を凝らしたハードを出しても、誰も見向きもしなくなりますよ」
「……どういうことだ、忠夫くん」
「だって、わざわざ一から勉強し直すなんて、面倒くさいじゃないですか。慣れてるやり方で作るのが一番速い。もし他社が同じOSを載せてきたら、それは土俵ごと僕らが乗っ取ったってことです。同じ道具を使わせておいて、このOSを一番使いこなせるチップを僕らだけが持っている。……そうなったら、他社は一生、任天堂の背中を追いかける二番手で終わりますよ」
今川は、忠夫の言葉に苦笑いした。
「佐伯くん、私はそんなえげつないことを言っているつもりはないんだがね。……まあ、結果的にそうなる可能性もあるかもね」
佐藤の背筋に、冷たいものが走った。
今川は「自由な未来」のために開放を説き、忠夫はその「共通ルール」がもたらす圧倒的な優位性を説明した。
その破壊的なまでの合理性に、技術者としての血が騒いでいた。
(……やってみたい。この理論で、世界を相手に勝負してみたい)
未知の巨大なシステムが組み上がる瞬間に立ち会いたいという、技術者として抑えがたい本能だ。
(……俺は、とんでもない怪物の誕生に立ち会っているのかもしれない)
高揚感が、佐藤の足元を突き動かした。
「……先生、わかりました。私が、なんとしても説得してみせます」
その顔には、一人の男としての覚悟が刻まれていた。