軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

はじめての我儘

「シェリー、口を開けてください」

「そ、そんなこと……」

「ほら、あーん」

胸の苦しさと羞恥に耐えながら小さく口を開けば、ノエル様はころりと苺をわたしの舌に乗せ、満足気に微笑んだ。

ノエル様にこんなサービスをして頂けるなんて、わたしは今日誕生日か何かだっただろうか。幸せすぎて、訳がわからない。こうして彼に手ずから食べさせて貰うだけで、只の苺が砂糖の塊のように甘く感じてしまう。

……退院してからというもの、最初は照れていたノエル様も大分慣れてきたらしく、彼の態度は日に日に甘くなっていく一方で。わたしは毎日発作を起こすのではないかというくらい、心臓に負担をかけ続けていた。

こうして一緒に暮らしていれば少しくらいは彼に慣れるかと思っていたけれど、透き通るような肌はどんなに近くで見ても肌荒れ一つないことや、睫毛が驚く程に長いことだとか、日々新たな素敵すぎる発見をしてしまい、慣れるどころか悪化の一途を辿っていた。

「シェリー、俺に何かして欲しいことはありませんか?」

「こ、こんなにも幸せなのにこれ以上何かを望むなんて……バチが当たるどころか地獄に落ちてしまいます……!」

「地獄でも何処でも追いかけますから、安心してください」

ノエル様は、ずるい。こんなにもどろどろに甘やかされてしまっては、本当に駄目になってしまいそうだ。

「男というのは、好きな女性には少しくらい我が儘を言われたいものなんですよ」

「……か、考えて、おきます」

「はい。楽しみにしていますね」

毎日、これ以上ないくらいに幸せだと言うのに、一体何を望むことがあるというのだろう。そう思いながらも、わたしはそれから数日、頭を悩ませ続けたのだった。

◇◇◇

「基本的に男性と会話はしないでくださいね。俺の隣で適当な笑顔を浮かべているだけで十分です。ダンスなんて以ての外ですよ」

「はい、わかりました」

「いい子ですね」

そして今日は、ノエル様と久しぶりに社交の場に参加している。彼の知人が主催する夜会なんだとか。

こうして男性と関わらないよう言われるのも、愛されているのだと実感できて嬉しくなる。ちなみに屋敷でも、馬車の中でも同じことを言われたけれど、それでも飛び跳ねてしまいたくなるくらいには浮かれてしまう。好きが過ぎる。

そうして言われた通りに挨拶周りをし、一息ついたところで偶然、魔法学園時代の友人である令嬢を見つけて。わたしが彼女を見ているのに気が付いたらしいノエル様は、適当に話でもしているから行っておいでと言ってくれた。

お言葉に甘えることにしたわたしは、ノエル様と別れて友人の元へと向かう。シャンパングラスを片手に、学生時代の懐かしい話に花を咲かせていると、ふと視界の端で楽しそうに微笑むノエル様を見つけた。

そしてその会話している相手を見た瞬間、胸にちくりと鋭い痛みが走った。

彼のすぐ目の前にいたのは、息を呑むほどに美しい女性だったからだ。わたしとは全然違う、大人っぽくて色気のある素敵な女性で、二人は遠目からでもお似合いなのが見て取れる。そして何より、ノエル様は社交辞令ではない心からの笑顔を浮かべているように見えた。

二人を見ているだけで、心臓が握り潰されているみたいに息苦しくなっていく。今までは、彼が誰かと話をしていても気にはならなかったのに。だんだんと胸の中に、黒いモヤのようなものが広がっていく。

───ノエル様は、わたしのものなのに。

そしてそんな考えが頭を過り、わたしはなんて生意気なことを考えているんだと、慌てて自分の頬を叩いた。

それからは友人との会話の中身が全く頭に入って来ず、謎の美女ばかりを気にしてしまって。わたしは近くにあったシャンパンを一気に飲み干すと、少し外の空気を吸ってくると言って、その場を離れたのだった。

「…………はあ」

「どうしたんですか? 溜め息なんかついて」

「ひっ!?」

少し頭を冷やそうと一人バルコニーに出て、手すりにもたれかかる。一気にお酒を飲んだせいで、顔が少し熱い。

そうして溜め息をついた瞬間、耳元で聞こえてきたノエル様の声に、驚きすぎて変な声が出てしまった。

「ど、どうしてここに……?」

「君が一人で、バルコニーに出て行くのが見えたので」

いつから見ていたのかと尋ねれば、「ずっと見ていましたよ」と当たり前のように返されてしまった。チラチラと彼の方を見ていたけれど、全く気が付かなかった。流石ノエル様だ、何かきっとそういう技術があるのだろう。

「あの、先程話していた女性は大丈夫なんですか」

「大丈夫です。シェリーより優先すべきことなんて、何一つありませんから」

そんな彼の一言で、胸の中のモヤモヤがあっという間に晴れていく。本当に、単純すぎる自分が嫌になる。

「何か嫌なことでもありましたか?」

そう言って心配そうにわたしの顔を覗き込むノエル様を見ていると、だんだんと視界がぼやけていく。アルコールが入っているせいで、涙腺が弱くなっているのだろう。

なんだかもう、好きすぎて泣けてきた。

「……わ、我が儘を言ってもいいですか」

「もちろん、俺に出来ることなら何でもしますよ」

そう言ってわたしの頭をそっと撫でてくれるノエル様の優しさに、余計に涙腺が緩んでしまう。

「あ、あんまり、他の女性と楽しそうにしないでください」

そう言った瞬間、ノエル様の形の良い両眼が驚いたように見開かれ、彼はそのまま動かなくなってしまって。失言だったと、慌てて訂正しようとした時だった。

ノエル様によってきつく抱き寄せられ、わたしは大好きな彼の匂いに包まれていた。

「………うです」

「えっ?」

「嬉しくて、泣きそうです」

そう呟くと、ノエル様は抱きしめる腕に力を込めた。

どうやら、迷惑ではなかったらしい。それどころか喜んでくれているようで、心の中でほっと安堵する。

「め、迷惑でないのなら、良かったです」

「そんな訳ないでしょう? こんなにも可愛い我儘だとは思いませんでした。俺は君以外の女性とは、一生口が利けなくなってもいいくらいですから」

ノエル様は蕩けるような笑みを浮かべると、涙が浮かんでいるであろうわたしの目元に、軽くキスを落とす。

「ちなみに先程話していたのは、従姉妹です」

「いとこ……?」

「はい。先程偶然会って、君が友人との話が終わったら紹介しようと思っていたんです」

あの美女はまさかのノエル様の従姉妹だったらしい。納得の美貌だった。もしや彼の親類は、美しい人しかいないのだろうか。

それにしても親類の方に嫉妬をするなど、知らなかったとは言え何て馬鹿なことをしてしまったんだろう。今更になって恥ずかしくなってきたわたしは、両手で顔を覆った。

そんなわたしを見て、ノエル様はくすりと笑う。

「いつも君は、他の女性が俺の側に来たら変な気を遣って、離れて行っていたでしょう」

「は、はい」

「あれ、とても傷付いていたんですよ」

そう言うとノエル様は、こつんとお互いの額と額を合わせた。鼻と鼻がくっつきそうな距離に恥ずかしくなり、わたしは慌てて目を伏せる。

すると逃げるなんて許さないとでも言うように、ノエル様はわたしの顎を掴むと、自身の唇でわたしの唇を塞いだ。何度しても慣れない幸せなそれに、また涙が滲む。

「……あ、あまり甘やかされては図に乗りますよ」

「どうぞ、いくらでも」

「えっ」

「もっと我儘になって、もっと俺を求めてください。シェリーが望むなら、俺はなんだってしますから」

ああ、駄目だ。ノエル様の言葉に、笑顔に、本当に溶けてしまいそうになる。本当に幸せで、彼が大好きで。わたしは全力で彼の胸に飛び込んだのだった。

「……そしていつか、俺がいないと生きていけないくらいになってくださいね」

そんな彼の呟きは、わたしの耳に届くことはないまま、そっと夜に溶けていった。