作品タイトル不明
32-06 9月11日旅行三日目 雨の朝
鉛色の空から落ちてくる雨粒。
風は白く泡立つ 波濤(はとう) を生じさせ、海面は大きくうねって、浮かぶものたちを翻弄していた。
『『ウォッチャー』からの観測によりますと、この雨雲は半日ほどで抜けると思われます』
『江戸』の食堂で朝食を摂った後、概況を確認している仁たち。
「まあ、こんな日もあるさ」
「昨日の夕焼けがちょっと毒々しい色だったのは西に雲があったからかな」
「せっかく来たのに天気が悪くて何も見えないわ。がっかり」
そんなぼやきを漏らしているのはビーナである。
「まあまあ。午後には晴れるそうだから、まずはのんびりしてくれよ」
と、仁が宥める。
「そ、そうね」
椅子の背もたれにもたれかかるビーナ。ようやく身体の力も抜けたようだ。
と、そこへリシアがやってきた。
「皆さん、ご無沙汰してます。ジンさん、本日はお招きありがとうございます」
食堂の入口で深々と頭を下げるリシアである。
「やあ、リシア」
仁が軽い挨拶をすると、リシアは仁のところまで歩いて来て、
「ジンさん、エルザさん、このたびはお招きありがとうございます」
と、深々と頭を下げたのであった。
「まあ、堅苦しい挨拶はそのくらいにして、座ってくれよ」
「はい、ありがとうございます」
「せっかく来たのに雨降ってるんだな」
「向こうは晴れてましたんですのよ」
さらにラインハルトとベルチェもやって来た。
ミロウィーナを除くメンバーが全員揃ったことになる。
まずは全員、食堂で顔合わせということになった。
「ええと、『ウォッチャー』からの映像によると、この雨を降らせている雨雲は昼頃には抜けるらしい。だからもう少しの辛抱だ」
仁は、今やって来たラインハルト夫妻や、リシアに説明する。
「だからまあ、昼まで暇つぶしでもしていればいいと思う。特に普段忙しい人たちはね」
そう言いながらラインハルト夫妻とリシア、それにクズマ伯爵夫妻の顔を順に見つめた。
「ああそうだ。もしよかったらちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだ。……みんなに」
ラインハルトが少し遠慮がちに口を開いた。
「何か困ったことでもあるのかい?」
仁が尋ねると、ラインハルトは首を振った。
「いや、困ったことというわけじゃない。……うーん、でも少し困っているのかな?」
「あなた、そんな言い方ではジン様たちには伝わりませんわ。もう少し詳しく説明なさいまし」
ベルチェに窘められ、ラインハルトは心を決めたようだ。
「う、うん、わかった」
そしてちょっと考えてから再度口を開いた。
「この船の上は暑いけど、季節は秋に向かっている」
まずは前置き、という口調のラインハルト。
「僕の領地であるカルツ村は、冬になるとそれなりに冷えるんだ」
「ああ、確かにね」
お隣さんであるサキが同意した。
「今のうちから、村民への冬対策を考えてやりたいんだ……」
仁は、この暑い環境にいるメンバーに向かって寒さ対策の相談は、ラインハルトといえども確かに言い出しづらかったろうな、と思った。
「そうですね、これから寒い季節に向かいますね」
リシアが同意する。
今のメンバーで冬が寒い地方在住なのは、ラインハルト夫妻の他はリシア、ハンナ、マーサであろうか。
ブルーランドは冬に雪も降らないような穏やかな気候だし、ポトロックはもっと暖かい。
だが、
「冬の寒さは辛いものね」
幼い弟妹を抱え、貧しい生活をしていたビーナは、その気持ちが理解できたようだ。
「冬の寒さ対策、いいじゃない。お昼まで話し合いましょうよ」
ビーナはそう言って、集まったメンバーの顔を順に見回した。そして、誰もそれに異議は唱えない。
こうした相談・会議が皆好きなのだ。
「おにーちゃんは窓に白雲母張ってくれたよね!」
真っ先に発言したのはハンナ。
山で見つけた透明度の高い 白雲母(モスコバイト) の板をガラス代わりに窓に嵌めたのだ。
これにより、日光が部屋に取り込め、かつ暖気を逃がさないで済む。
「白雲母か……」
難しい顔をするラインハルト。彼も、その存在は知っているが、ショウロ皇国ではあまり産出しないのである。
「かといって、ガラスは高いですわね」
魔法技術者(マギエンジニア) が作るにせよ、工場で作るにせよ、コストが掛かることは間違いない。
「どうせコストが掛かるなら、『 地底蜘蛛樹脂(GSP) 』を使わないかい?」
サキが一つの方向性を示す。
地底蜘蛛樹脂(GSP) を薄く引き延ばした板もしくはシートを窓に貼ったらどうか、というのだ。
イメージとしては透明なビニールである。もっとも、強度や耐熱性は比べものにならないが。一度張ってしまえば100年以上保つだろう。
「うーん……」
ラインハルトは考え込んだ。
イニシャルコストにさえ目を瞑れば、100年保つと仮定したなら1年あたりの単価はかなり低くなるはずだ。むしろ窓枠が保たないかもしれない。
「もう少し先になるが、ミツホからガラスを輸入する手もあるかな」
グースが言う。
ミツホでは、一般的に言う『ガラス』の製造プラントがあるのだ。いずれは技術交流で、ショウロ皇国や小群国でもガラスを安価に製造できるようになるだろうが、まだその日は来ていない。
「ラインハルト、蓬莱島産ほどじゃないけど、テンクンハンが持ち込んだ地底蜘蛛の糸はどうだろう?」
かつて、グースを巻き込んで一騒動あったのだ。
「うーん、単価がなあ……それに、まだ透明シートにする技術が一般的じゃないし」
「ああ、そうか……。くふん、難しいものだね」
「でも、そうした『庶民のためになる』モノ作りは有意義だと思うよ」
仁が口を挟んだ。そして、ビーナに振る。
「なあ、ビーナ」
「ええ、そうね。私も、そうありたいと思っているわ」
かつてブルーランドでビーナを手伝い、ライターや温水器、冷蔵庫を作ったことを思い出す仁であった。
「あの時は楽しかったな」
「そう? ……そうね。おかげでルイス様と巡り会えたのだし」
ちょっとだけ昔を懐かしんだ後、仁は一つの提案をする。
「そうしたら、ポータブルなストーブ、というのもいいんじゃないかな?」
「ぽーたぶる?」
「ああ、動かせる、移動できる、という意味さ」
「動かせる……つまり、据え置きや作り付けじゃないのね?」
「そう。例えば、食事の時は食堂に置き、寝るときは寝室へ持っていけば……」
「一つしかなくても有効に使えるわね!」
「そうそう。裕福な家なら幾つか備えてもらってもいいしな」
ビーナとそんなやり取りをしながら、仁はブルーランドでのことを思い出していたのであった。