作品タイトル不明
疑心暗鬼の夜-3
「…………懐かしい話だ」
「…………ん? 急にどうした?」
ふいに謎の言葉をつぶやいたメノウに対し、レックスは怪訝な視線を送る。
一同は現在、閉じられた空間といってもそれなりに広大な地下施設ノア内にある、三ヵ所しかない浴場の内、レジスタンスが占有している場所へと足を運んでいた。
到着後は男女で分かれ、メノウとレックスは二人だけで男性側の浴場の湯船に浸かって一息ついていた。
「いや、昔のことを思い出してな」
「どうして今なんだ? 一応、今も危機的な状況には変わりないんだぞ?」
「それはそうだが、この私がまさか人間の、それも勇者の役割を持った男と風呂に入るとは、昔の私から考えればありえないことだと思ってな」
湯の熱で少し頬を紅潮させ、頬に汗を垂れ落としながら、メノウは苦笑する。
「しかし、中々に広いな。もっと狭苦しいイメージがあったが……まあ、我々魔族の暮らしからすれば広いというだけで、レックス殿からすれば狭いのかもしれんがな。なんせ私は、人間が使用する風呂といえばヴァルマンの街の風呂くらいしか知らんのでな」
「いや、充分広いとは思うぞ? 恐らくあの人数を一気に収容できるように広めに作ってあるのだろう。狭ければ次の者が入るのにも時間が掛かるからな」
タイルではなく石を敷き詰められて作られた雰囲気のある空間の中で、二人は木材で作られた趣のある湯船に浸かりながら、背を伸ばして一日の疲れをとろうとする。
せめて風呂くらいはリラックスできる空間であってほしい。そんな地下施設を作ったであろう偉人の意図を感じ取られ、レックスは「なるほどな」と、小さく言葉を漏らした。
「それで? 昔の何を思い出していたんだ?」
「なんだ? ……聞きたいのか?」
「話したいから言葉にしたと思っていたが違うのか? いやだが……お前の昔の話には個人的にも興味はある。よく考えれば……お前のことは会ってからのことしか知らないしな」
「そんな大した話ではないぞ?」
「大方予想は出来るさ。師匠と初めて会ってからすぐに魔王軍から離れて仲間として行動を共にしたくらいだ。元々アリスと一緒で人間を悪くは思っていなかったんだろう?」
「いや? 家畜以下のゴミだと思っていたぞ?」
予想外の返答に、レックスは思わず「えっ?」と素っ頓狂な声をあげてメノウに視線を合わせる。至って真面目な表情を見せるメノウからそれが嘘ではないと判断し、レックスは「本当なのか」と、意外そうな表情を見せた。
「何なら、鏡殿と初めて会ったあの日……ヴァルマンの街に魔王軍の一部を連れて攻めた時、私はやる気満々だったぞ? ようやく人間を滅ぼせるとな」
「意外だな……そんな奴が、どうしてすぐに師匠の仲間になったんだ?」
「あの時は仲間のつもりはなかったが……でもまあそうだな。色々とおかしい点が目立って慎重になったというのもある。アリス様が鏡殿の傍にいたというのもあったが……一番は、鏡殿があまりにも異質すぎたせいだろうな。私が思っていた人間のイメージとまるで違ったのでな」
その日を思い出して微笑を浮かべるメノウを見て、レックスも「違いない」と苦笑する。
「慎重になったというのは……魔王が利用されているかもしれないという件に関してか? 僕たちと戦う気満々だったのなら、別にそうだとしても手を止める必要はなかったんじゃないのか?」
「あるさ、私は魔王様の意志に従うと誓ったのでな。その魔王様の意志で人間と戦うと決めたわけでないのに私が人間を血祭りにあげたのであれば、それは大きな過ちになってしまう」
「……よくわからんが、その昔とやらに何かあったんだな」
「……ああ、ずっと昔にアリス様と約束をしたのだ。アリス様を信じ、守り通すと。そして、人間と戦う時は己が欲望の意志には従わず、魔族のために、魔王様の判断と命に従って戦うとな」
そう言いながらメノウは瞼を閉じて、過去を思い出そうとする。鮮明に脳裏に焼き付けられた記憶は、まるで昨日のことのように感じられた。
「私が昔、アリス様の世話係をしていたのは知っているな? その時の話なのだが……私は最初、アリス様を嫌悪していたのだ。めんどくさい小娘だとな」
衝撃の事実を述べ、メノウがふとレックスに視線を向けると、レックスは口を半開きにしながら、「何言ってんだこいつ」とでも言いたげな表情で、メノウを半信半疑に見つめていた。
「なんだその顔は」
「いや、全然想像できなくてな。お前とパルナは父親である魔王以上にアリスを溺愛しているだろう? いや、無理だ。想像できん。ありえん。嘘はよくないぞ?」
「いやまあ、そう言うのもわかるが……事実だ。さっきも言ったが、私は人間なんて家畜以下のゴミだと思っていたのだ。私自身はな」
神妙な面もちでレックスの言葉を肯定すると、我ながら随分と考え方が今と昔で変わったものだとメノウは再び苦笑する。
「知ってはいると思うが……魔王様は人間を悪く思っていない。昔は私も好戦的だったのだがそれ故に人間と戦うことを禁じられ、アリス様の世話係と称して、普通の人間なら近寄らない山奥の村でひっそりと暮らす生活を強いられていたのだ」
「世話係は不本意だったと?」
「ああ、今なら喜んで引き受けるが……昔はそうじゃなかった。そしてその生活は耐えがたかった。どうしてこんな小娘と共に私がこんな山奥でひっそりと暮らさなければならないのだと、常にイライラしていたよ。モンスターで憂さ晴らしなんかもしてな」
今のメノウからはかけ離れたイメージに、レックスは困惑する。
それは冷静かつ温厚で、誰よりも真摯に、そして的確に物事を対処し、アリスを自分の娘のようにようとするメノウとは異なる存在だった。
「なんで、今みたいになったんだ? きっかけがあるのだろう? アリスと生活をする内に情が移り、考え方が変わったとかか?」
「いや、違う」
急に暗く重い口調になり、レックスは口を閉ざしてメノウの言葉に耳を傾ける。
「人間が現れたんだ。普通の人間なら足を踏み入れないような場所にも関わらずな」
「人間? ……攻めてきたのか?」
「いや……逆だ。私から奇襲をかけた。力を持て余していた当時の私は、たまたま迷い込んだ人間を見て、『こいつでストレスを発散しよう』と考えたんだ」
そして、それが大きな失敗だったと、メノウは辛そうな表情で語った。
その人間は、たまたま迷い込んだ人間ではなく、その山奥でモンスターを相手にするだけではなく、山奥という厳しい環境の中で修行をしようと訪れていた武闘家だった。
レベルも決して低くなく、魔族の中でも強い力を誇っていたメノウを相手にも逃げ惑わずに応戦し、数十分もの長い時間の間、善戦を繰り広げた。
「だが、それでも私の方が遥かに強かった」
しかしそれは、メノウがそうなるようにあえて手を抜き、弄ぶためだった。強いには強かったが、それでもメノウには遠く及ばず、徐々に、まるで蝕むようにメノウはその武闘家の男の命を削って行った。爆破魔法を放って一瞬で葬り去ることも出来たが、それではつまらないと、ただ自分の欲望を満たすために、残酷なまでにその武闘家を痛めつけた。
「……逃げられたのか?」
「……ああ」
レックスはそれを聞いて、それが失敗だったとなるならそれしかないとすぐに気付いた。
そして、そこからの展開もなんとなくだったが、かつて魔王と魔族を滅ぼす使命を負っていたレックスには予想がついた。