作品タイトル不明
第7話:『想書』
『 想書(メモリア) 』――それは『花コン』に登場する重要アイテムの一つだ。
ゲームを開始した直後、メインヒロインのお姫様から渡されて毎日書くよう勧められる代物である。
ゲームの機能としても使用され、『想書』に書くことでセーブができ、読むことでセーブデータをロードすることができる。ついでにアルバム機能もあってそれまでのプレイで表示されたイベントCGを閲覧することができる便利アイテムだ。
『想書』は表紙が重厚な茶色の革で作られ、装丁として銀と思しき塗料で幾何学的な模様と文字が描かれ、中身は真っ白なページが大量に綴じられている。『花コン』だとセーブ可能な数が百でページ数とイコールって小ネタがあったから、百枚かな?
レオンさんの執務室から退室した俺は自分用に宛がわれている部屋――というか生まれた時からずっと同じ部屋だが、ベビーベッド等の赤ちゃん用の家具に代わって普通のベッドや机が設置されるようになった自室へと向かい、『想書』と向き合っていた。
ちなみにナズナもアンヌさんも部屋にいない。俺一人だけである。『想書』を書くって話したら部屋から出て行った。
(ふむふむ……こうして見る分には普通の本だけど、実際は違うんだよな)
手触りはこの世界の本に使われている革や紙と大差ないが、『想書』にはセーブやロードといったゲーム的な機能以外にも特別な機能があった。
その機能はレオンさんが言った通り嫌なことや不満を書き込んだ際に発揮される。
嫌なことや不満――つまり 負(・) の(・) 感(・) 情(・) を書き込まれると反応し、徐々に消してしまうというものだ。植物が二酸化炭素を取り込み、光合成で酸素を出すような感じである。
この機能は『花コン』でも語られており、『魔王』の発生を少しでも先延ばしにするためにオレア教が作り出し、広めたという裏話があった。
人間、不満があっても愚痴として吐き出せば案外楽になることが多い。もちろん愚痴だけでは気持ちを消化できない者もいるし、不満の度合いによっては長く引きずることもあるだろう。
それでも『想書』に書き込むことで負の感情を低減させ、やがては忘れさせてくれる。中にはそれを良しとせずに自分の中で燃やし続ける人もいるが――というか『花コン』にも登場するし、ミナトとも関わりがある人がそのタイプだが。
(ゲームだとセーブやロードができたけど……書き込んだ時に戻れたりはしないよな?)
セーブしておいて、必要があればロードする。それはセーブ機能が存在するゲームなら当たり前のことだろうけど、見方を変えればタイムリープみたいだ。
試しに一文書き込んでみるか。嫌なことじゃないし、むしろ嬉しかったことだけど。
『コハクもモモカも可愛いし賢いし頭も良いし素直に育ってくれている。お兄ちゃんは嬉しい』
『想書』に付属している羽ペンでそんなことを書いてみる。この羽ペンも特殊で、インクがないのに『想書』の紙にだけ文字が書けた。それから『想書』を閉じ、机の上にそれまでなかった花瓶を置いてから心の中で『ロード』と念じてみた。
……うん、当然だけど何も起きない。口にして『ロード』と呟いてみるけど何も起きない。
ゲームみたいにステータスを閲覧できたりセーブやロードが可能だったりするなら、将来現れるかもしれない『花コン』の主人公を上手く誘導し、『魔王』を『消滅』させるルートに進ませられる可能性が高くなると思ったのに。
(せめて各キャラの好感度がわかればなぁ……)
恋愛シミュレーションゲームではお約束の、攻略可能キャラの現在における友好度や好感度がわかる機能。悪友なんかが教えてくれる、『お前それどうやって調べてきたんだよ』ってツッコミを入れたくなるアレが切実に欲しい。
(『花コン』でも条件を満たせばわかるようになるけど、そのためには王都……というか学園に隣接されているはずの王立図書館に行かないと……どっちみち無理かぁ)
サンデューク辺境伯家は辺境という単語が示す通りパエオニア王国の中でも外縁部、王都から見れば最東端に在る。そのため王都に行くには相当な距離があり、相応の理由がなければ今の俺が行くことはできないだろう。
俺は『想書』ではなく、自分用のメモ帳に文字を書いていく。暗号ってほどでもないけど、文字の練習に見せかけて縦読みになるよう書いたり、落書きとして下手な絵に見えるよう情報を書いてみたりと様々だ。
こうして書き出すことで自分の考えをまとめてみるけど、『花コン』の舞台までまだ十年近くあるのが地味にきつい。書いて思い出して読んで思い出して『花コン』の情報を忘れないようにしているけど、本当に全部が全部、ゲーム通りか保証はないのだ。
というか、ゲームのキャラが人間として現実に現れたら見た目で判断できるのかって話だ。
名前を聞いた上で特徴がある服装や髪形、顔立ちや体付きならわかるかもしれないけど、知人とも呼べない親しくもない間柄の個人がいたとして、似たような顔の外国人百人の中に紛れていたら絶対にわからんぞ、俺は。十人でも見分けられない自信があるわ。
ナズナもコハクもモモカも、何も知らない状態で出会ったら誰かわからないだろう。『花コン』に登場する他の主要キャラクターもそうに違いない――いや、特徴があり過ぎて絶対にわかるのが何人かいるわ。ゲーム通りなら絶対にわかるやつがいるわ。
(でも今は会えないしなぁ。会ってどうするのかって話だし……ゲームの重要キャラも、俺が会いに行っても会えないだろうし)
先ほど思い返していた王立図書館に行けば、ゲームのキーキャラがいる……はずだ。ただし、そのキャラはゲームの主人公以外には姿を見せないため、俺が行ってもただの徒労になる。
そこまで考えた俺は『想書』に視線を落とす。ちなみにこの『想書』、持ち主以外だと本を開くことができず、覗き見ても文字が読めないという謎のセキュリティが働いている。
それでもナズナとアンヌさんが退室したように、『想書』を書くところは他人が見ないようにするのがマナーらしい。文字が読めなくても羽ペンの動きで何を書いているか読み取れる人もいるだろうし、そのあたりを危惧してのことだろう。
『花コン』であった『想書』の説明でも、オレア教の影響下にある場所では字が書ける者のほとんどが毎日きちんと日記を書くとあった。この世界ではそれぐらい重要なアイテムなのだ。
識字率も漢字はともかくひらがなやカタカナなら読み書きできるって人が大半らしいし、ほぼ百パーセントの人が書いていると思えばすごいアイテムである。
もっとも、『想書』が『魔王』の発生を遅らせるためのアイテムだと知っている者は少なかったはずだ。それこそレオンさんみたいに貴族の当主や王族、大きな影響力を持つ大商人、オレア教のごく一部といった限られた層だけが知る情報である。
『魔王』に関して詳しい者や智者はある程度察しているものの、『想書』の性質上、上っ面だけで負の感情を込めずに書いても意味がないため世間に広めても仕方がない。そんな情報だった。
(さて、そうなると俺が書くべきことは……)
嫌なこと、不満に思うことを脳内でピックアップするが、すぐに思い浮かぶものは多くない。
辺境伯家の嫡男ということで生活は豊かなものだ。
風呂もあればトイレもある。さすがに全自動湯沸かし器やウォッシュレットトイレはないが、風呂は錬金術で生み出された道具を組み込むことでお湯を沸かせるようになっているし、トイレも水洗かつ陶器の洋式便座だ。その辺りは元がゲームの世界と思しき恩恵だと考えている。
食事も和洋中全て揃っている――とまではさすがに言わないが、香辛料もそれなりに使われているし日本人の魂である米もある。立場上料理をさせてもらえないものの、味噌も醤油もあるし植物油も豊富で天ぷら等の揚げ物も食卓に上がるほどだ。
俺が住んでいるラレーテの町もアンヌさんの話を聞く限り、道が糞尿で汚れていることもなさそうだ。それなのに汚物を避けるために誕生したという説があるハイヒールが普通に存在するのは不思議だが。
そういった生活上の不満に関して、わざわざ『想書』に書き込む必要があるものはない。普段の勉強や訓練も嫡男として、そして将来に向けての準備と思えば苦労というほどのことではない。やらなければ死ぬだけだ。手を抜けるわけがない。
(そうなると本当に何を書けばいいんだ? いっそコハクとモモカの成長日記にするとか……)
『花コン』だとルートによっては直接間接問わず殺しに来る二人だが、今は可愛い弟妹だ。
コハクは今のところ少し引っ込み思案なところがあるけど、それは思慮深くて優しいだけだし。
モモカは腕白に育ってるけど、子どもは風の子元気の子。あの子は大物になるよ、うん。
(俺が知っている『花コン』の攻略情報を書いておくか? でもなぁ……)
持ち主だけが読むことができる本なら、秘密にしたいことを書いておくのにうってつけだろう。負の感情を込めながら書くといずれ忘れさせると同時に書いた内容も消えるけど、その辺りは上手くやればいくらでも情報を残せる。
――この本が、本当に持ち主だけにしか読めないのならば。
(たしか、『想書』に書き込んだ情報って盗み見ることができるんだよな)
『想書』を作っているオレア教のお偉いさんがそれを可能としていたはずだ。全ての『想書』をリアルタイムで監視しているわけじゃないけど、見ようと思えば見ることができるものに『花コン』の情報を書き込むのは危険だろう。
『魔王』の発生を妨害している組織だから問題はないと思うけど、『魔王』側は『魔王』側で暗躍している存在がいる。それらにバレると……うん、詰むな。やっぱり駄目だわ。
今の状況で『花コン』の情報が漏れた場合、俺が『魔王』側だったらゲームの主人公を召喚するお姫様を真っ先に暗殺する。それが無理でもグランドエンドに必要なヒロインやヒーローを殺す。一部を除いて俺と同年代か前後一歳ぐらいの違いしかないから殺すのも簡単だろうし。
『花コン』ではほぼ確実に命を落とすミナトだが、俺は死にたくない。一度死んでしまった身としては、今度こそ大往生できるぐらい長生きしたいのだ。
(……よし、今日からお前は弟妹観察日記だ)
そう決めて、俺は今日あった出来事を『想書』に書いていくのだった。