軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第44話:忠誠か奇跡か

なんとか日暮れまでにトーグの村へ戻ることができた俺は、不在の間に進められていた防衛陣地の構築に関して確認し、ほっと安堵の息を吐いた。

「不格好だけど壁で村を囲うことができたか……でもリッチがいたし、少し遮蔽物を増やしておいてくれ。あとは篝火もだ。燃料は森から枯れ木を集めてもいいが、必ず護衛をつけろ」

「はっ!」

まあ、安堵の息を吐くだけで休む暇はないのだが。モリオンとゲラルドを連れて村のあちらこちらを歩いて見て回り、気になったところを兵士達に指示していく。

「ミナト様。わざと壁に隙間を開けておいた部分はどうされますか? リッチがいた以上、防衛に不安が残りますが」

「柵はしっかり作ってあるし、潰すには惜しいんだよな……遮蔽物で対応できるか?」

「リッチだと壁を飛び越えてくる可能性もあるかと。村の中に侵入された時にわかるよう鳴子を仕掛けてはありますが、この村全体で警戒するには広すぎます」

「回避されたら意味がない、か。村の中央広場にも簡単な防御陣地を作ってあるし、住民は全員そこにいてもらうか。代官殿の屋敷は手狭だしな……ゲラルドはどう思う? ……ゲラルド?」

モリオンと意見を交わしながら村の中を見て回るが、ゲラルドからの反応がなかった。そのため確認すると、前を向いてこそいるが視線が安定していない。

「ゲラルドッ!」

「っ!? わ、若様? どうかされましたか?」

いや、どうかしたのはお前の方だよ。慌ててこっちを見たけど、今の話を聞いてなかっただろ。

「ゲラルド殿、主君の話を聞き逃すとは何事ですか? 今は一分一秒が惜しいのですが?」

「あ、ああ……すまない。若様も申し訳ございません」

モリオンが嫌味を飛ばすが、ゲラルドは怒ることなく頭を下げた。それを見たモリオンが小さく眉を寄せ、気まずそうに俺を見てくるが……嫌味を言って素直に謝られたからってそんな顔するなよ。今回は仕方ないさ。

「謝罪は不要だ。疲れたか? もしくは初の実戦を乗り越えて気が抜けたか?」

俺も似たような感じになったから気持ちが理解できる。ただしモリオンが言った通り時間がないため、あまり悠長に構う余裕もない。

「……気が抜けた……のだと思います。足元がふわつくといいますか、夢見心地といいますか……幼い頃から訓練を積んできましたし、これまでの道中で初陣を乗り越えた気になっていましたが……リッチの、中級のモンスターの殺気に当てられて、無我夢中で……」

「ははは、そんなもんだって。俺なんて初陣を乗り越えたら数日意識が飛んでたからな。それだけ受け答えができるなら上等さ」

俺は意識して笑い、ゲラルドの背中を何度も叩く。おら、目を覚ませ。お前はきちんと生き残ったんだよ、なんて気持ちを込めながら。

「私は今のところそういった感覚はありませんが……そういうものですか?」

モリオンはゲラルドを心配そうに見ながら尋ねてくる。その問いかけを受けた俺は僅かに思考を巡らせると、納得できる理由を思いついた。

「モリオンは魔法使いだからな。それはそれで緊張があるだろうけど、敵と至近距離でやり合うとまた違うんだ。なんだろうな……手が届く距離で戦うと、命を削り合いながら理性も削れるというか……ま、そんな感じだ」

「なるほど……勉強になります」

モリオンは納得したように頷いてくれるけど、もしかすると『花コン』の主要人物らしく肝が据わっているだけなのかもしれない。あるいは単純に命がけで戦っている実感がないだけか。

「名代殿!」

そうやって俺がトーグの村を見回っていると、馬に乗ったキドニア侯爵家の兵士が駆け寄ってくる。幸いにも軽傷で済んだため、伝令兼村内の警戒を担当している兵士だ。

「馬上より失礼いたします。カリン御嬢様が目を覚まされたので、そのご報告に参りました」

「そう、か……それなら会わないわけにもいくまい。モリオンは防備が弱い部分があれば指示を出しておいてくれ。ゲラルドは供を頼む」

そんな指示を残し、俺は村の中央にほど近い民家へと足を向ける。負傷者をまとめて管理するべく、大きめの住居を徴発して病院代わりにしているのだ。そこに周囲の民家からベッドや寝具を運び込み、同時に三十人ほど寝かせられるようにしてある。

(さて……お付きの騎士が気絶させたって言ってたけど、どうなっているのやら)

『花コン』のヒロインだから、俺の婚約者候補になってもらわないと困るから、なんて打算は横に置いておく。錯乱されたままだと対応に困るし、相手は従者や兵士を失ったばかりだ。

そのため慎重に話をしなければ――なんて、思っていたんだが。

「貴方は……サンデューク辺境伯家の、ミナト様? 何故ここに? いえ、そもそもここは? わたしは一体何を……」

「…………」

ベッドの上で体を起こしたカリンが不思議そうな顔で尋ねてくる。まるで状況を理解していないような反応に、俺はカリンの護衛として付き添っていた騎士の男性へ視線を向けた。

「先ほどからこの調子でして……どうやら記憶に混乱が見られるようです。現状を説明しても受け入れていただけず……」

「……それだけ衝撃が強かった、ということだろう」

なんとか絞り出すようにして言うが、それ以外に何を言えというのか。カリンはぼーっとした顔で周囲を見回し、首を傾げる。

「何がどうなって……エミリー? エミリーはどこですか?」

おそらくは主人を庇って命を落としたであろう従者の名前を呼ぶカリン。名前を呼ぶその姿は弱々しく、これが本当に『花コン』で『女帝』と呼ばれた人物の姿なのかと疑問を抱く。

(やっぱりミナトの婚約者候補に さ(・) せ(・) ら(・) れ(・) た(・) から気を張っていただけ……か? 今の状況だと『花コン』通りの性格の方が助かったが……)

カリンからすれば、目を覚ましたら見知らぬ場所なのだ。誘拐だなんだと騒がれないのは家臣である騎士の男性がいるからだろうが、当の騎士は眉を寄せて歯を食いしばっている。

「騎士殿、こちらへ」

おそらくはカリンに対する不満。それもかなり強い不満を抱いていると判断し、俺は他の兵士にカリンのことを任せてから騎士の男性を促して部屋から出る。そしてそのまま外へと出ると、カリンに聞こえないよう声を潜めた。

「気持ちは察するが、カリン殿も混乱しているのだろう。貴公がその様子では余計に怖がりかねん。今すぐにとは言わんが、まずは気を落ち着かせたまえ」

「……お気遣い、ありがたく。その上で厚かましい要望なのですが、御嬢様に護衛をつけてこのダンジョンから脱出させるというのは……」

無理だとわかっていての質問なのだろう。俺は少しばかり思案するが、そりゃ無理だよ。

「既に救援を求めてまとまった数の兵士を送り出しているし、リッチがいたから護衛をつけても危険だ。責任者として許可できない」

軍監に関しては……あの人、場慣れした雰囲気があったから多分大丈夫だと思う。モリオンのところの騎士と兵士が一緒だし、最悪、単独でもダンジョンを抜けてくれそうだ。

ダンジョンを抜ける時、可能ならこの村からの距離を魔法で報せるとも言っていたけど、もうじき日が暮れる。途中で危険なモンスターと遭遇し、引き返してくる可能性もあった。

(出発から五時間以上経ってるけど、ダンジョン内で可能な限り急いだとして……何キロ移動できる? たしか平地だと四キロちょっとで水平線に隠れるんだよな。魔法は見えるか?)

平時の行軍と異なり、周囲を警戒しながらだと進める距離が短くなってしまう。地形も変化しているため回り道をしながらだとどれほど進めるか。

そうやって俺が考え込んでいると、遠目に光るものが見えた。そのため即座に民家の屋根へ飛び乗ると、遠くを見るように目を凝らす。

(あれは……『火球』か。数は……十……一、二?)

どうやら軍監は無事にダンジョンの端までたどり着いたらしい。暗く染まりつつある水平線の向こうから、花火のように火の玉が打ち上げられたのが見えた。

その数は見落としていなければ十二発で、これまでかかった時間から計算するなら一発で一キロだろうか。多少は誤差があるだろうが、トーグの村から十二キロメートル程度のところにダンジョンの端があるということだ。

(十二キロ……五時間でよくそこまで移動したな。もっと近いのなら護衛の兵士を捻出して、カリンや村人をピストン輸送してダンジョンから逃がすこともできただろうけど……)

索敵は最小限にして駆け抜けたのだろうが、軍監達の予想以上の移動速度に俺は思わず感嘆する。

ダンジョンは時間と共に地形が変化するし、何より 今(・) は(・) 十二キロ程度の移動で脱出できたとしても今後もそうとは限らない。今回の異常成長はイレギュラーすぎるため、明日になったら倍の広さになっていてもおかしくはない。

(モンスターを間引きして脱出路を確保して、村人達を死ぬ気で走らせれば短時間で抜けられるか? いや、無理じゃないけどたくさん死ぬな)

少なくとも夜間の移動は無理だろう。木々が生えて月明かりが遮られるため、モンスターの接近に気付けず大混乱に陥るのがオチだ。

(……よし、とりあえず今は無理ってことがわかった。まずは今夜を乗り切らないとな)

そう結論付けた俺は屋根から飛び降り、先ほどまで話をしていた騎士の傍へと着地する。

「今、軍監殿が合図を打ち上げた。どうやら無事にダンジョンの端までたどり着いたらしい」

「おお……それは朗報ですな」

「ああ。ただし、ダンジョンの端まで十二キロ前後だ。騎士や兵士が隊列を組んで抜けるのは可能でも、この村の者を守りながらとなると困難だろう」

トーグの村に引きこもって守り続けた場合、被害が出ないという保証もないが。しかしどこで誰が聞いているかわからないためそんな不安を煽る言葉は飲み込み、改めて眼前の騎士を見た。

割と若い風貌だったが、まじまじと見てみると二十歳を僅かに越えたぐらいだろうと思われる。そして数秒ほど眺めた俺は僅かな疑問を覚えた。

(なんか見覚えが……あっ、まさか……)

騎士の男性の顔を見た俺は既視感があったため内心で声を上げる。一瞬『花コン』の登場人物かと思ったが、主要なキャラの中に二十歳程度の男性はいない。

見覚えがあったのは、リッチに殺された者の中に似た顔立ちの人物がいたからだ。

(カリンのお付きの……エミリーだったか。あの子に似ている感じが……)

もしも兄妹だとすれば、妹がカリンを庇って死んだことになる。そして命を懸けて守られたはずのカリンがあの様子だとすれば、先ほど溢れかけた激情も理解できた。

「……そういえば、貴公の名前をまだ聞いていなかったな」

「っ……これは失礼をいたしました。キドニア侯爵家にて騎士爵を拝命しております、クリフ=ラトリッジと申します」

そう言って騎士の男性――クリフが一礼してくる。状況が状況だけに、クリフの名乗りを聞く暇がなかったんだよな。

「よろしく頼む。それでクリフ殿、もしかして……とは思うのだが。カリン殿の従者は……」

「……さすがはサンデュークの神童と噂されるお方ですね。お察しの通り、私の妹です」

「そうか……お悔やみ申し上げる」

やっぱり兄妹だったのか。騎士の妹という身で侯爵家の次女であるカリンの傍付きになるあたり、エミリーは優秀な女性だったのだろう。

「主君を命がけで守り抜くとは、まさに従者の鑑。私の妹にも見習わせたいぐらいですな。おっと、名乗るが遅れました。パストリス子爵家の長男、ゲラルド=ブルサ=パストリスと申します。今は若様の従者として動いております」

ゲラルドが感心したように呟き、クリフへと挨拶する。少しは調子が戻ってきたようだけど、ナズナだって頑張ってるんだからそういうことは言うんじゃないよ。

ゲラルドは子爵家の長男でこそあるけど現状だと無位無官のため、騎士として叙されているクリフに対してきちんと礼節に則って頭を下げている。

そんなゲラルドにクリフは苦笑すると、遠くを見るように目を細めた。

「自慢の妹ですが、叶うなら自分の命も守ってほしかったですよ」

「……失言でした」

本当だよ。他に言い方ってものがあっただろうに。

「すまないクリフ殿。部下が失礼をした。どうやら初陣の衝撃が抜け切れていないらしい」

そう言って俺が頭を下げると、クリフは苦笑を深めて頷いてくれる。どうやら聞かなかったことにしてくれるようだ。

しかしクリフは表情を引き締めると、遺体を安置してある物置へ目を向ける。布で包んではいても火葬するまで野晒しにするのは忍びないということで物置を借りたのだ。

「妹もですが、他の者達もあのままにはしておけません。ここがダンジョンの外なら凍らせて故郷まで連れて帰るのですが……」

「心情は理解できるが、何日かかるかわからない防衛戦で複数の遺体を凍らせ続ける余力はない。指揮官としてはそれだけの魔力があれば襲ってくるモンスターの迎撃に回したいからな」

その点、火葬なら木材などの燃料を用意して魔法で着火するだけで済む。ただし人ひとりを火葬するだけでも相当な火力が必要になるし、時間もかかる。そのため夜が迫る今から焼くわけにはいかず、明日、日が昇ってから焼くことになるだろう。

(死体を焼くとなると、その臭いでモンスターが寄ってくるだろうしな。ただでさえこの村を壊しに来るっていうのに、追加でモンスターが襲ってきたらどうなるか……)

そんな危惧を抱くが、今夜中に遺体が増えないよう注意しなければならない。指揮官として今夜ばかりは寝るわけにもいかないだろう。貴族というのはまったくもって大変な立場だ。

「あの……クリフ? エミリーはどこへ行ったのですか?」

俺がクリフを連れ出したことで疑問と不安が限界を迎えたのか、カリンが顔を覗かせながらそんなことを尋ねてくる。

さすがにこのまま黙っているわけにもいかないし、エミリーがクリフの妹だとわかった以上、彼に対応を任せるわけにもいかないだろう。なんとか自制心を保っているが、今の状況で暴発されても困るのだ。

「クリフ殿、私がカリン殿を案内しようと思うがどうする?」

「……申し訳ございませんが、お願いしても? 同行はしますが案内はお任せしたく」

不安そうにしながら、まるで迷子の子どものように尋ねてくるカリンを前に、俺は内心だけでため息を吐く。本当に、貴族というのは大変だ。

「これは……一体、何が……」

死亡した者達を寝かせた物置に案内したが、カリンは中を確認するなりそんな言葉を呟いて絶句してしまった。目を見開いて口元を両手で覆い、顔色を真っ青なものへと変える。

そんなカリンの様子に、俺はどうしたもんかと眉を寄せた。カリンも貴族の子女として教育を受けているはずだが、どうにも様子がおかしい。従者であるエミリーが命を落としたことがそれほどまでにショックだったのか、本当に記憶が抜け落ちているようだ。

モンスター化してもすぐさま対応できるよう、物置小屋に監視として置いていた兵士に頼んで遺体を包んでいた布をめくらせる。手と足を紐で縛っているため、見せるのは顔だけだが。

「っ!? え、エミリー!? なんっ、なんでっ!? エミリー!?」

カリンはエミリーの顔を確認すると、悲鳴のような声を上げながら膝を突いた。そして震える指先でエミリーの顔に触れる――その前に、俺は止めた。

「遺体に触れるのはおやめください。ここは既にダンジョンの中です。ふとした拍子に何が起こるかわかりません」

「い、たい……? え? だ、だって、エミリーはさっきまで……」

カリンの記憶が飛んでいるのなら、意識を失う直前までエミリーが生きていたのだろう。それがエミリーだけでなく他にも何人も死に、何故かトーグの村で目を覚ますことになったカリンの混乱は理解できる。理解は、してやれるんだが。

俺は無言で手をかざし、クリフが暴発しないよう制止する。妹が命がけで助けたのに、助けられた当の本人がそれを忘れているのだ。どんなに自制心が強い人間だろうと怒りが湧くだろう。

「エミリーは……私の妹は、御嬢様を庇って死んだのです! そうである以上、御嬢様には妹の死を背負っていただかねばなりません!」

そう思って制止したのに、クリフの怒りは堪えきれるものではなかったらしい。強い口調でカリンへと言葉を浴びせる。

「妹だけではありません! この地で命を落とした同僚、部下達も 貴(・) 女(・) の(・) わ(・) が(・) ま(・) ま(・) で死んだのです! それを御自覚ください!」

「わたしの……わがまま?」

敬語が崩れていないから最低限の自制心は残っているのだろう、なんて思っていたらクリフが妙なことを言い出す。カリンのわがままってなんだ?

「急に領地に帰ると仰られなければこのようなことには……っ!?」

一体何があったのかと話を聞いていると、クリフが目を見開いて視線をずらした。その先にはエミリーの遺体があるが……あれ? さっきと体勢が違う?

「オ、じょう、サま……」

それは一体、如何なる奇跡だろうか。 死(・) ん(・) だ(・) は(・) ず(・) の(・) エミリーが声を発しながら目を開いたのである。

「――――」

その瞬間、俺は無言で剣を抜いていた。そして内心で思わず苦笑してしまう。ダンジョンの悪意を目の当たりにして、心が急速に渇いて、笑わずにはいられない。

だって、そうだろう? 声を発したエミリーは間違いなく死んでいた。リッチの魔法で即死したのだ。

『花コン』だと状態異常を回復する魔法の中には蘇生魔法があるし、アイテムの中には蘇生薬なんてものもあるけど、そのどちらも使っていない。蘇生魔法は最上級の魔法で、蘇生薬は作成難易度が最高峰だ。蘇生薬は大規模ダンジョンで拾えるけどその確率は非常に低い。

「エミリー!? 良かった! やっぱり死んでなんて」

驚き、歓喜の声を上げてエミリーへと手を伸ばすカリン。俺はそんなカリンを左腕で止めると、強引にクリフの方へと押し出す。

「クリフ殿、カリン殿を連れて後ろへ」

そうしている間に、エミリーの遺体を包んでいた布の中からブチブチと紐が千切れる音が聞こえた。頑丈な紐で縛らせたはずだが、どうやら人間の膂力を上回る力を発揮しているらしい。

「ミナト様、何を!? 今はエミリーを!」

「離れてください御嬢様! エミリーは死んだのです! 名代殿、ここは私が……」

クリフはカリンを止めながら剣を抜こうとする。その後ろではゲラルドが事態に気付き、外の兵士を呼んでいるのが聞こえた。いいね、指示なく動けるようになったのは実にいいよ、なんて軽く現実から目を背けたくなるが……そうもいかない。

「兄である貴公に彼女を斬らせるわけにはいくまいよ。斬るのは俺だ。恨むなら恨め」

紐を引き千切ったエミリーがゆっくりと立ち上がる。その瞳は白く濁った虚ろなもので、こちらをどうやって認識しているのかもわからない。

だが、確実に言えるのは。

彼女(エミリー) はもう、モンスターと化しているということだ。

(本当に……ダンジョンってのはクソだなぁ、おい)

おそらくはゾンビになったのだろう。それでも俺は人型の生き物を前にしてランドウ先生から渡された剣を抜いた。抜いてしまったのだ。

物置小屋はそこまで広くない。むやみやたらに剣を振り回せば物に当たるだろう。それでも、今の心境なら何の問題もなく振るえる。エミリーを斬り、心情的に避けたかったが残った遺体も首を落とし、早急に火葬しなければならない。

「やめてくださいミナト様! エミリーは――」

カリンが何かを言おうとして、その言葉を途切れさせる。モンスターと化したエミリーがカリンの声に反応したように視線を向けたからだ。

『花コン』では前世であったホラーゲームやホラー映画のように、ゾンビに噛まれた人間がゾンビになる、というような話はなかった。それでも人間を襲うという点で変わりはなく、エミリーの口元からよだれが零れ落ちる。

命を懸けて、身を呈して守った主君を獲物だと認識したのか。それとも叫び声が興味を惹いたのか。どちらにせよ、カリンに手を出す前に斬らなければエミリーが命を懸けて守った意味までなくなってしまう。

それでも、仮に本物の奇跡があるとすれば。

「ッ……」

カリンへと襲い掛かろうとしたエミリーが、突如として動きを止めて隙を晒す。まるでカリンを襲うことを拒むように、歯を食いしばって。

そして、見えているのかわからない瞳を俺へと向けてきた。その視線を受け止めた俺は一度だけ、しっかりと頷く。

「貴女の忠誠、このミナト=ラレーテ=サンデュークが見届けた」

聞こえているのかもわからない。それでも俺はそう伝えるべきだと思い、言葉を紡いで。

――振るった刃が、エミリーの首を切り落とした。