軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

わたしのいま

私――アイシャ・ヴァレンティノは有頂天になっていた。

喩えるなら、私が芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタだったとしよう。天上から下りてきた蜘蛛の糸を猛スピードでよじ登り、追いすがってくる亡者たちをぶっちぎってゴールした挙げ句に、御釈迦様とハイタッチをする程度くらいには浮かれている。

理由は簡単だった。ほとんどの仕事の引き継ぎが完了したからだ。

馬鹿王子の婚約者に抜擢されて十年。苦労に苦労を重ねた後、華麗に婚約破棄をぶちかました私は、馬車馬のごとく働かされる日々から抜け出した。

とはいえ、なんだかんだと手許の仕事がなくならず、ワーカホリックな生活を続けて半年。

ようやくだ。ようやく待ち焦がれていた時がやってきた。

「確かに承りました」

引き継ぎ資料を持った従者が部屋を出ていくと、私は執事のヴァイスの顔色を窺った。

ヴァイスは白髪の狼獣人だ。私の幼馴染みで、誰よりも気心が知れている。そんな彼に視線で訊ねた。本当にこれで大丈夫? もう見落としはないよね? 実はまだ仕事が残ってます~みたいなサプライズは不要だからね?

ドキドキしながら彼を見つめていると、ヴァイスは南の海みたいに透き通った碧い瞳を柔らかく細め、優雅さすら感じる礼をして言った。

「お嬢、お疲れ様でした。後は最後の仕上げを残すのみですよ」

「よっしゃーーーーーーーーーーーーー!!」

瞬間、私はご令嬢らしからぬ喝采を挙げた。

窮屈なハイヒールを脱ぎ捨てると、ふかふかのソファに体を沈める。クッションを抱き締め、ごろんごろんと転がる。髪の毛がグチャグチャになろうとも、服が皺になろうとも構わない。だって私は――

「自由だ……!」

……ああ、本当に長かった!

これで、本当の意味で人生の休暇を楽しめるってもんだ!

本当にここ半年いろいろあった。

ブラックバス駆除に伴う騒動が終結してから、それなりの時間が経っていた。

世間はもう秋めいている。もろもろの後始末も終わり、騒動の大本となった淡水湖も静けさを取り戻していた。

馬鹿王子……ユージーンの爆弾発言のせいで、一時は私を次期王に! なんて声も上がったらしいけれど、今はすっかりなりを潜めている。

それどころではなかったからだ。

ブラックバス駆除騒動の後、現王――賢王とも呼ばれるヨハン・ゲオルグ二世……おじさまは、改めて諸々の調査を始めていた。第一王子ユージーンの周辺について、不審な点が多く見られたからだ。

それは、無理やりにでもユージーンを王太子にしたい勢力の存在。

そもそも、ユージーンを王太子に据えることはかなりのリスクを孕んでいる。なにせ、アイツの母親は隣国の王女様で、現状そちらの国とはあまり関係性がよろしくない。

当の母親自体もかなりの曲者だった。両国の友好の証に嫁入りしたはずなのに、子を産んだらとっとと帰国するような人である。しかも、我が子に接触しようとする様子もない。更には隣国から漏れ聞こえてくる本人の評判が最悪だ。なにより贅沢を好み、若い男を侍らせ、父王の溺愛を傘に、出戻りだということも意に介せずにやりたい放題。そんな人間の子を下手に王にしてしまったら、血縁を理由に様々な口出しをされかねなかった。

そういう背景があるにも関わらず、高位貴族の中にはユージーンを王太子に推す声が絶えなかったようだ。長子相続制度を排した時もかなりの反発があったし、ブラックバス駆除騒動の後、ユージーンの王位相続権剥奪が決まった時なんて、えらい騒ぎだったらしい。

隣国との関係性が改善されていない今、そして現王妃との間に男児を儲けることが出来ている現状、ユージーンを王太子にするメリットがないのにね。

……愚かな王子を傀儡にしたかったのかな?

それにしてもあからさまだった。ここ数ヶ月でおじさまや第二王子を狙う暗殺者がめちゃくちゃ増えたってんだから尚更。つまり、誰だかわからないけれど、ユージーンを利用して国家乗っ取りを考えていた輩がいる。暗殺者を放ったのは報復行動のつもりなのかな。

その人たちからすれば、ブラックバス駆除騒動は青天の霹靂だったろうなあ!

逆に、王子がやらかしてくれたお陰で我が国は命拾いしたとも言える。

おじさまとしても、だいぶ頭の痛い問題だったとは思うけどね。

賢王といえども我が子には情があったみたいだ。評判のよくないユージーンに、私を含めた優秀な人間を周囲に配してみたり、本人の成長を促してみたりしていたみたい。

生まれた時から王道を歩んできたあの人のことだ。ユージーンが有能だった場合、ちゃんと〝活用〟するつもりだったんじゃないかな。優秀な人材って貴重だもの。隣国に出戻ったユージーンの母親の横やりが入らないように、手を打つくらいの覚悟はあったに違いない。

だから、しばらく様子を見ていた。すぐに切り捨てずにね。彼は王であって、独裁者じゃないもの。私がおじさまの立場だったらそうする。

でも、そう上手くはいかなかった。ユージーンの性質はおそらく母親よりだ。

そう考えると、長子相続制度の廃止は既定路線だったのかも知れないとも思う。

ユージーンが使い物にならなかったら、すぐに廃止すると決めていたのだ。

ある意味ですごく為政者らしい判断とも言えた。

あ、そうそう。ユージーンを置き去りにした第二騎士団の件!

彼らはきっちり制裁されていたよ。風の噂で聞いたところによると、あの第二騎士団、元々あまり評判がよろしくなかったみたいだね。ユージーンを誑かす悪いお友達も所属していたようだし。仲がよくなかったにしろ、自国の王子を放置するってどういうこと? 国への忠誠心を感じられないよね。

もしかすると、国を乗っ取ろうとした奴らの企みのひとつだった可能性もある。

騎士の中には高位貴族の子弟もいたから大変だった。責任問題やらなんやらで城内の勢力図が一部書き換わったとかなんとか……。その立て直しにいっぱいいっぱいで、公爵令嬢の私を王位になんて与太話は、あっという間に忘れ去られたって訳さ。やったね!

ちなみに、ユージーンは男爵位を与えられ、王都から遠く離れた地方の領地に飛ばされることになった。生涯独身であることを義務づけられ、万が一にでも子ができないように魔法で処理までされて。

かなりキツいお灸だとは思うけど、本人は晴れ晴れとしていたな。

「もう女には懲り懲りだ!」

これからは、男爵領を側近ふたりと盛り上げていくつもりみたい。厄介な奴だけれど、素直に反省していたことだけは評価できる。新天地で彼なりの幸せを見つけられたらいいな、なんて私は思っている。

いやあ、新しい人生が始まった感あるね。ぜひ頑張ってほしい。

――うん? お前はどうなんだって?

馬鹿王子もいなくなったし、公爵令嬢なんだから結婚しなくちゃ駄目だろって?

はっはっは。なにを言うのか。

ヴァレンティノ家に、これ以上の権力は不要なのだ。むしろ、私がどこぞの貴族と縁づいたら、めんどくさいことになりかねない。自分で言うのもなんだけど、私自身が目立ち過ぎたからね。だから結婚はしない。跡継ぎの兄もいるし、私自身に財産もあるし、悠々自適な独身貴族生活を楽しませてもらう予定である。

合い言葉は――そう。

「世間体なんて知ったことかーーーー!!」

きゃっほう!

これが私の近況かな。

ぶっちゃけ王城でのアレコレはどうでもいいので、お好きにやってくださいって感じ。

それよりも秋になったということの方が肝心だ。

秋といえば、肉も魚も山菜もおいしい、一年の中で最もレジャーに向いている季節……!

楽しむための準備は万端だ。秋冬用のテントが、いまかいまかと出番を待っている。

……まあ、最後の仕上げが残っているんだけどね。

それも、そう近くないうちに完遂できるはずだ。