軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第21話 モブ、図書室で学園アイドルに「ねぇ悠真くん、これどうやるの?」と頼りっぱなしにされる

あの一人の部屋で感じた静けさと、妙な物足りなさ。

あれに気づいてしまってから、俺は自分が思っていた以上に、今の状況に「慣れて」しまっていることを自覚せざるを得なかった。

あの橘の事件からもう、三週間。

昼休み前の授業中、ノートの端に無意味な線を走り書きしながら、俺はぼんやりと考えていた。

藤川と中村さんのからかいにも、ちらちら飛んでくる視線にも、慣れた。

「はいはい」で流せる程度には。

四人で昼を食べるのも、放課後ちょっとどっか寄るのも、俺の中で完全に普通の光景になってしまった。

先週も、橘のリクエストでまた別の穴場まで連れていかされたくらいだ。

ただ、一個だけ気になることがあるとすれば。

あの親戚の集まり以来、橘兄からは一度も連絡がない。

あれだけ「覚えておく」だの「料理を教えてやれ」だの言ってたくせに、ぱったりだ。

逆に、不気味なんだよな……。

「悠真、今日の放課後、図書室だってよ」

授業が終わり、隣の席で矢野が伸びをしながら声をかけてきた。

「橘たちの勉強会か」

「おう。さっき宮田からLINE来た。『放課後、図書室で合流しよ』だとよ」

「……相変わらず仕切るな、あいつ」

「全くだ。まあ、一人だと寝るし丁度いいけどな」

結局、昼休みはいつものように四人で屋上で弁当をつついた。

橘に卵焼きをねだられるのにも、すっかり慣れてしまった自分がいる。

放課後、特別教室棟の一階。

本館より、廊下が静かだ。

図書室に向かう途中、橘と宮田の二人と合流した。

「あ、悠真くん」

橘がこっちを見て、片手をひょいと上げた。

宮田が一歩後ろで「よ」と挨拶してくる。

「お前ら、来るの早くないか?」

矢野が、軽く聞いた。

「玲奈が無理やり引きずってきたの……」

「あんたが来るって決めたんでしょうに」

橘は宮田の意見を全力で聞き流して、図書室の扉を押した。

中は予想通り、満席気味だった。

期末前だしな。

ページをめくる音、シャーペンの細い音が小さく聞こえる。

四人で奥に進むと、ちょうど四人席が一つ空いていた。

「ここでいっか」

橘が椅子を引いて、当然の顔で座る。

そして、隣の椅子をポン、と叩いた。

「悠真くん、こっち」

いや、なんでだよ。

なんで当然みたいに隣指定なんだ、こいつ。

宮田と矢野が、一瞬だけ目を合わせた。

何か言いたいなら言えよな……。

「はいはい」

宮田が小声で言って、橘の正面の椅子を引いた。

矢野は、肩をすくめて俺の正面に座る。

「いつものやつだな」

「うるせえ」

俺は仕方なく、橘の隣に腰を下ろした。

毎回これだよな、こいつ。

四人で教科書、問題集、ノートをそれぞれ広げる。

紙の擦れる音だけがしばらく続いて、図書室の静けさに混ざった。

ノートを開いて、最初の問題に向き合った。

その直後。

「ねぇ悠真くん、これどうやるの?」

橘が、もう降参した声で聞いてきた。

早すぎるだろ。

俺は仕方なく、シャーペンの先で式の途中を指す。

「ここ、両辺二乗してから整理。それだけ」

「へえ、そっかー」

橘が、ノートをすうっと俺の方へずらしてきた。

肩が、ちょっと、こっち寄りになる。

近いだろ!

相変わらずコイツの距離感どうなってんだ。

「もうちょっと、ゆっくり教えて~」

うるせえ、ちゃんと聞け。

俺はため息を吐き、もう一度、同じ手順を繰り返す。

二問目も、同じ調子で答える。

終わるか終わらないかのうちに、橘は三問目を指してきた。

「悠真くん、えっと……これ、全然わかんない」

今度は、上半身ごと、こっち側に傾いてきた。

ちょっと待て! 近い近い!

なんか匂いがする。

頭が動かねえ……。

シャーペンを持つ手に、勝手に力が入った。

橘の方をうまく向けない。

そんな状態で、なんとか教えた。

橘が、小さく「……あー、なるほど」と呟いた。

そのあとしばらく橘は考えていたみたいだが、ギブアップしたのか、質問してくる。

「ね、悠真くん、ここも見て?」

「ねぇ紗月。自分で一回考えよ」

宮田が、声をひそめて言った。

目が笑ってない。

「でも悠真くんが教えてくれるもん」

橘が当たり前みたいに言う。

なんで俺が教える前提なんだ。

ていうか、それだと勉強にならんだろ……。

矢野が、ちらっと俺を見た。

「お前、まだ公開処刑続くのな?」

「黙れ」

公開してねぇし。

そのとき、通りかかった図書委員が、俺たちのテーブルの脇で立ち止まった。

「すみません、もう少しお静かに」

一瞬で静まる。

橘だけが、小さく「はーい」と返事した。

そのまま、ふっと橘が髪を耳にかけた。

無造作な動作だったのに、何故か目についた。

見るな。

いや見ちまった。

なんで今これが目に入るんだ。

橘がしばらくシャーペンを動かしていたが、小さく唇をとがらせた。

「悠真くん、これ……やっぱりわかんない」

次の瞬間、橘が肩ごと、こっちの領域に入り込んできた。

覗き込む顔が、近い。

無理だ。

こいつ距離感バグってる。

俺の集中力が、もう、もたねぇ……。

俺はノートを、自分側にずずっと引き寄せた。

上半身も少しだけ、後ろに引く。

俺の視線が勝手に、宮田の方に流れた。

助けてくれ、と念を送る。

宮田と目線があって、ふっと、短く息を吐いた。

ノートに視線を一回落として、それから橘を見た。

声を、もう一段ひそめる。

「紗月さ……あんた昔、人に頼るタイプじゃなかったじゃん」

橘の、シャーペンを動かす手が、止まった。

「中学のときは、全部自力で解いてたよね」

……え。

こいつ、昔そんなだったのか。

今と違いすぎないか?

「変わったよね、最近」

橘の視線が、宮田と合う。

橘は一瞬、不思議そうな顔をしてから、宮田に返した。

「え、そうかな? 昔から……こう、だったと思うけど」

橘が、ノートに戻ってシャーペンを動かし始めた。

「ふーん」

宮田は、それだけ短く返して、自分のノートに視線を戻した。

そのあとは特に何もなく、勉強に戻った。

隣で、橘がシャーペンを動かしている音だけ、やけに小さく聞こえた。

矢野が、ちらっと俺を見た。

それだけだった。

俺は、シャーペンを持ったまま、動けない。

数字が、頭に入ってこない。

何だ、これ。

ノートのマス目に、無意味なシャーペンの線を引く。

こいつ、俺には最初から「頼るタイプ」だった。

彼氏って勝手に決めて、俺を振り回す。

……っていうか、それしか、俺は知らねぇんだよな。

けど、昔は違ったのか?

深く、息を吸って、吐いた。

それから、四人とも、黙々と問題集に向き合ってた。

橘は宮田のひと言のあと、質問がぱたりと止んだ。

橘が、ふと壁の時計を見て、ペンを置いた。

「あ、私、そろそろ帰るね」

「じゃああたしも一緒帰るよ」

宮田が、当然みたいに腰を上げる。

矢野は、ちらっと顔を上げて軽く言った。

「テスト頑張れよ」

「あんたもね」

宮田が短く返す。

橘は、鞄の中にノートをしまいながら、そこで一回だけ、俺の方を見た。

「悠真くん、また明日ね」

いつもよりテンション低い気がする。

気のせいか?

「……おう」

橘と宮田は、図書室の扉の方へ歩いていく。

扉が、閉まる音がした。

校門を出て、駅前まで。

矢野と並んで、街灯がつきはじめた通学路を歩いた。

矢野は、鞄を背負い直しながら、何でもない顔で口を開いた。

「なあ、悠真、あれさ」

「何?」

「宮田のあの話。さっきの」

俺は、一瞬、黙る。

「ああ」

「俺も、ちょっと気になってた」

矢野の方を見る。

矢野は前を向いたまま、続けた。

「橘、中学どんなだったんだろうな」

それ、俺も今日、初めて思った。

声には出さない。

代わりに、俺はぼかして返した。

「さあな」

「気になるなら、直接聞けば?」

「聞けるかよ、そんなこと」

矢野が、ふっと小さく笑った。

「だよな。ガチャでも天井までは出ねえもんな」

意味わかんねぇ。

けど何となく伝わるのが嫌だ。

駅前の交差点で、俺たちは別れた。

「じゃあな」

「おう」

矢野が信号を渡って先に行くのを見送って、俺は一人で西口方面へ歩き出した。

住宅街の通りに入ると、さっきまでの駅前の喧騒が遠のいた。

どこかの家から、炊飯器の保温音みたいな電子音が、かすかに漏れている。

俺の知ってる橘は、勢いとノリで押し通して、俺を巻き込む。

けど、たまに真面目な顔になる。そういうやつだ。

でも、昔のあいつは違ったって、宮田が言った。

……マジか。

街灯が、一つ、また一つと先に灯っていく。

あいつ、昔、どんなだったんだ。

そんなことを考えながら、家までの道を歩いた。

夜。

机の上、数学の問題集。

今度こそ、自分で解く。

ペンが止まった。

頭に浮かぶのは、図書室の机の、隣の席。

玲奈の声が、耳の奥に、まだ残ってる。

机の上の問題集、白いままだ。

「……昔の私って、こんなに聞いてばっかり、だったっけ?」