軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

323.【sideルーナ】皆既日食

月明かりに照らされている東雲家の庭は、とても賑やかでした。

フウカさんがたくさんの食事を平らげ、ハルトさんたちが的当てで盛り上がっている声がよく聞こえてきます。

皆さんが楽しんでいる様子を、私は少し離れた縁側から静かに眺めながらも、頭の中にはここ一か月のことが浮かんでいました。

先月、オルンさんは術理の調査のために不死鳥の社へと赴き、そこでティターニアと再会したそうです。

以前の私は、彼女を大切な友人だと話していたようですが――今の私にはその記憶がありません。

オルンさんだけでなく、ピクシーも似たようなことを言っているため、私が忘れてしまったのでしょう。

忘れてしまったことは悲しいことのはずなのに、それを悲しいと思えず、しかし、心に穴が開いているような感覚は感じ取れます。

私はこの心の穴を埋めるためにも、ティターニアと逢いたい。

私が零してしまったものを取り戻したい。

そのために必要なことは――超越者に成ること。

先月からそのための修練を積んでいて、術理の壁に触れられるようにはなりました。

ですが、その先――壁を破る感覚だけが、どうしても掴めません。

超越者に成れるまで、あと一歩……。

けれど、その一歩の踏み出し方を、私は未だに掴めずにいます。

『……ルーナは、皆と遊ばないの?』

そんなことを考えていると、普段は自分から話しかけてくることの少ない妖精のピクシーが、私の肩元に寄り添ってきました。

ピクシーは、私が探索者になったころに出会った妖精で、それからずっと私の傍に在ってくれています。

探索者としての日々は楽しいだけのものではありませんでした。

時には孤独を感じることもありましたが、本当の意味で孤独になったことはありません。

それは、常に傍にピクシーが居てくれたからでしょう。

「私は、こうして眺めている方が落ち着くので」

皆さんが笑っている姿を見るのは、私にとって何より嬉しいことです。

けれど、あの輪の中に入って一緒になって騒ぐのは、自分の性に合いません。

育った環境のせいか、どこか控えめに過ごす方が落ち着きますし、皆さんが楽しんでいる姿を遠くから眺めているだけでも十分幸せでした。

夜空を仰ぐと、高く昇った月が澄んだ光を注ぎ、庭の賑わいを柔らかく照らしていました。

「……今夜の月は、とても綺麗ですね」

私がそう声をかけると、肩に留まった小さな光が、ふわりと揺れました。

『……うん。澄んでいて、よく視える』

月は、どこまでも穏やかに私たちを照らしています。

けれど、ふと思ってしまいました。

「ですが、この空も月も、術理が再現したものなのですよね。本物ではない、のでしょうか」

ピクシーは首を横に振るように、小さく魔力を揺らします。

『……偽物ってわけでもない。術理が作ったものでも、いま実際に輝いていて、風が流れていて……ここに在るんだから』

「……そう、なのですね」

そのまま空を見上げていると、ピクシーがぽつりと呟くように言いました。

『……わたしは ティターニア(女王様) から知識を分け与えられているから、外の世界のことも知識として持ってる。……この空も月も綺麗だけど、確かに外のと比べると、少し物足りないかもしれない』

「物足りない、ですか……?」

『……うん。月は、ただ満ち欠けして夜を照らすだけのモノじゃないから』

その言葉の意味を掴みかねて、私は思わずピクシーの方へ視線を向けました。

ピクシーは少しだけ迷うように魔力を震わせて、何かを言いかけては飲み込み――やがて、別の言葉を選ぶように続けました。

『……ルーナは、皆既日食って知ってる?』

「〝カイキニッショク〟……ですか?」

初めて聞く言葉(・・・・・・・) に、私は思わず首をかしげました。

『……太陽と月がぴたりと重なって、月が太陽の光を全部隠してしまう瞬間のこと。昼間なのに夜みたいに暗くなるんだ』

「昼間なのに……夜みたいに?」

『……うん。でもね――ぴったり重なっている時間はほんのわずかで、すぐに月と太陽はズレ始めるの。そして、その瞬間に一筋の光が輪みたいに輝くんだ。〝ダイヤモンドリング〟って呼ばれる現象で、当時の人たちを魅了していた光景の一つだったみたい』

思わず息を呑みました。

そんな現象が、本当に存在するのでしょうか。

「……想像もできませんね」

『うん。でも、外の世界には確かにあるらしいよ。わたしも実際に視たことは無いから、あくまで知識としての情報しか持ってないけど』

静かに語るピクシーの声は、夜の空気にとけこむように澄んでいました。

私はその話を聞きながら、胸がわずかにざわめくのを感じます。

(……私も、そんな光景を、見てみたい)

ふと、そんな思いが胸に浮かんでしまいます。

けれど同時に、冷静な声が心の奥で囁きました。

――外の世界へ行く資格なんて、私にはない。超越者に成れていないのだから。

けれど、ピクシーの言葉は胸に残り続けていました。

「太陽の光を隠す月と、ズレたことで生じる指輪のような光、ですか。そのような幻想的な光景は、さぞ素敵なものなのでしょうね」

『……なんで、そんな他人事な言い方なの? 気になるなら 見に行けばいい(・・・・・・・) のに』

「――え?」

『……? だって、ルーナは超越者に成るんでしょ? オルンと一緒に、外の世界に行くんでしょ? だったら皆既日食を見る機会なんていくらでもあるじゃん』

予想もしなかった言葉に、私は思わずピクシーの方を見つめました。

ピクシーは私の驚きをよそに、穏やかな声で続けます。

『……わたしは、女王様から〝色々な知識〟を与えられたけど、知識って、それ以上でもそれ以下でもないんだ』

ピクシーの魔力が、月明かりに溶けるように揺れました。

『たとえば皆既日食だって、どんな現象なのかは知識としては知ってる。太陽が隠れて、最後に輪みたいな光が出るってことも全部。でも――どんな光なのか、どんな暗さなのか、それを視てどんな気持ちになるのかまでは、知識だけじゃ分からない』

その声音には、彼女の実感が滲んでいました。

『……ルーナの傍に居るようになって、一緒にいろんなものを視てきて、わたし、気づいたんだ。……知識として知ってることと、実際に視て、感じて、そうして識ることって、全然違うんだって』

「……ピクシー」

『だからね。わたしには、実際に視てみたいものが、まだまだたくさんあるんだ。外の世界の空も、太陽の輪も。……そして、ルーナがこれから見るものも全部』

ピクシーはそっと私の肩に触れるように降り、続けました。

『……わたしは、常にルーナの傍に居るから、ルーナが見たものをわたしも視られる。これからも――ルーナと一緒にたくさんのモノを視たいと思ってる。色んなことを識りたいと思ってる』

胸の奥がじんわりと熱くなりました。

ピクシーがそんな風に思ってくれていたなんて、知りませんでした。

私は少しだけ息を整え、改めて空を見上げました。

――外の世界を、ピクシーと一緒に。

「そうですね。一緒に色々なものを視て、感じて、識っていきましょう」

その未来を思い浮かべた瞬間、胸の奥にわずかに灯った光が、次第に形を持ちはじめました。

(皆既日食。太陽を覆う月。そして、ズレた瞬間に見える光……)

私は視線をわずかに動かしました。

縁側の端に、雨戸がしまわれています。

それは太陽の光を遮る板戸。

けれど、少し横にずらすだけで、部屋の中に光が差し込む――。

(……術理の壁を破るのではなく――ズラす)

胸の中で、確信のようなものが静かに広がっていきました。

この一か月で、私は術理の壁に触れられるようにはなりました。

ですが、どうしてもその壁を破る感覚が掴めず、そこから先へ進めずにいました。

術理の壁を、押しても、叩いても、跳ね返されるばかりで、まるで分厚い戸に手を添えて、ただ押し続けていたような――そんな虚しさだけが残っていました。

ですが――。

「……ピクシー、少しだけ下がっていてください」

私が立ち上がると、ピクシーは驚いたように魔力を揺らしましたが、すぐに理解したように距離を取ってくれました。

私は深く息を吸い、周囲に漂う精霊たちへそっと意識を向けます。

精霊たちが、私に反応する気配がしました。

それは、不安ではなく、期待を含んだ震えのようにも感じました。

まるで「ようやく気づいたね」と言われているかのように。

私は目を閉じ、意識を〝術理の壁〟へと伸ばしました。

――そこにあります。

重く、冷たく、外を拒む気配。

確かに存在する、境界の感触。

……破る必要なんて、 最初から(・・・・) ありませんでした(・・・・・・・・) 。

「……ズレて」

囁くように呟いた瞬間でした。

精霊たちが一斉に駆け、流れとなって壁へ触れました。

空気が震え、微かな亀裂音が耳の奥で響きます。

押すでも引くでもなく、滑らかに――戸を横に引くように。

そして――。

――私の操っている精霊が、〝外〟に触れました。

「――っ」

直後、それは洪水のように流れ込んできました。

まるで初めて【 感覚接続(センスコネクト) 】をしたときのような。

到底理解の及ばない膨大な情報が、直接脳裏へ叩き込まれ、思考が一瞬で白く塗りつぶされる感覚に陥りました。

『ルーナ!! そのまま引っ張られちゃダメ!』

ピクシーの叫ぶ声が、真っ白になりかけた意識を引き戻してくれました。

「……だ、大丈夫……です……ピクシー」

膝が震え、呼吸さえも乱れます。

頭痛が一気に押し寄せ、視界が揺らぎました。

魔術を使いすぎたときに似ていますが、それよりもずっと深い場所を揺さぶられるような、奇妙な痛みでした。

ですが私は、確かに、触れたのです。

外の世界の魔力――魔の理に。

(……届きました……ついに……)

息を整えようとした、そのときでした。

頭の奥に流れ込んできた情報の奔流の中に、ひときわ強く、懐かしい響きがありました。

――忘れていたはずの、大切な名前。

胸の内側が強く掻きむしられるように震え、頬を一筋の涙が伝って落ちました。

「……ティター……ニア……」

私はその名前を呟きながら、耐えきれず崩れ落ちました。

遠ざかる意識の中で、ピクシーが必死に駆け寄ってくる光だけが、最後にぼんやりと揺れて見えていました――。