軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

15話 姉と過ごした最後の夜

そして、あの夜がやってきた。

リリアーヌが悪役令嬢として断罪され――

王太子によって婚約破棄が宣言された、その広間でのことだった。

リリアーヌが連れていかれた後も、ざわめきはまだ収まっていなかった。

貴族たちは互いに顔を寄せ合い、ひそひそと囁き合う。

「あの完璧な令嬢であるリリアーヌが悪役令嬢だなんて……」

「まさか、王太子殿下が婚約破棄をなされるとは……」

「あの名門のホワイト家が……」

誰もが、今しがた起きた劇的な出来事に湧きだっている。

その時だった。

「……少し、良いだろうか」

静かな声が、広間の端で上がった。

振り向いた先にいたのは、カイルだった。先ほどまでロザリーの隣に立っていた、婚約者。

「な、なに。カイル……」

「このような騒動の最中で大変恐縮だが」

カイルは淡々と続けた。

「今回のリリアーヌ令嬢の一連の事態を鑑み、我が家としても一つ、決断を下さねばならなくなった」

胸の奥が、ひやりと冷える。嫌な予感がした。

その予感は、あまりにも早く現実になった。

「君との婚約を――ここで白紙にさせてもらう」

あまりにもあっさりとした声音だった。

広間が、再びざわめく。つい先ほどまでリリアーヌに向けられていた視線が、今度は一斉にロザリーへと集まった。

「……え」

思わず声が漏れる。

あまりにも、唐突だった。

「今回の件で、ホワイト侯爵家の立場は大きく揺らぐだろう。残念だが……このまま婚約を維持するのは難しい」

ロザリーの指先が、冷たく震えた。

「えっ、待って!」

踵を返しかけたカイルに、ロザリーは追いすがる。

ドレスの裾が石床を擦り、乾いた音が広間に響いた。

「どういうこと……? わたしたち――愛し合ってたじゃない……」

カイルは振り返る。

その表情には、困ったような笑みすら浮かんでいた。

「愛?」

わずかに肩をすくめる。

「もともと政略結婚だろう。利がなければ、結婚なんて成立しないさ」

胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。

「……後ほど、改めて正式に連絡する」

それだけ告げると、彼は颯爽と歩き去った。振り返ることもなく。

つい先ほど、姉が同じ広間で切り捨てられたばかりだというのに。その余波が冷める間もなく。

ロザリー自身もまた――同じ場所で、同じように婚約を破棄されたのだった。

まるで、リリアーヌの罪が連鎖するように、ロザリーの人生にまで影を落としたかのようだった。

これまでも、そうだった。そして――きっと、これからも。

姉の存在ひとつで、進むはずだった道が歪められ、積み上げてきたものが、音を立てて崩れていく。

(この先もずっと、姉の影に振り回されながら生きていくしかないの……?)

そんな考えが脳裏をよぎり、背筋が冷えた。

立ち尽くす暇すら与えられないまま――ロザリーは、すぐさま姉のもとへ向かうことになった。

夜会の最中の断罪という異例の事態の直後だ。

関係者の貴族たちはそれぞれ控えの間へ通され、王宮の指示があるまで待機するよう命じられていた。

ロザリーもまた、その一人だった。

長椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと床を見つめる。これから先のことなど、考えようとしても、うまく思考がまとまらなかった。

そのとき、控えの間の扉が叩かれる。入ってきたのは、王宮の侍従だった。

「ロザリー様。少々よろしいでしょうか」

名を呼ばれ、ロザリーは顔を上げる。

「……何でしょう」

侍従は一礼し、静かに告げた。

「拘束されているリリアーヌ様が、面会を希望されております」

「……面会?」

「はい。妹君に会わせてほしいと」

「……どうして」

「まだ正式な処分は決まっておりません。王宮としても、家族との面会を完全に禁じる理由がございませんので」

「……分かりました」

(……顔なんて、見たくないのに)

姉が面会を望む理由は分からない。

だが――ただ、一言。言ってやらなければ、気が済まなかった。胸の奥に渦巻く怒りも、惨めさも、裏切られたという思いも。

すべて、誰かに……姉さまにぶつけてやらなければ。そうでもしなければ、自分が自分でいられない気がした。

侍従の後に続き、ロザリーは王宮の回廊を歩いた。

夜も更けた城内は静まり返っている。磨き上げられた石床に、靴音だけが乾いた響きを落としていた。いくつもの廊下を曲がり、人気のない一角へと案内される。やがて侍従が立ち止まり、重厚な扉の前で一礼した。

「リリアーヌ様はこちらに」

部屋の前に立つ護衛の男に許可を求め、扉が開かれる。

その男がカヴェインであることに、ロザリーは気づかなかった。それほどまでに、感情は荒れ狂っていた。

「……ロザリー?」

扉の向こうに立っていたリリアーヌは、ロザリーの姿を見て、驚いたように目を瞬かせた。

けれど、その表情はすぐに、ぎこちなく歪み、無理に形作られた笑みへと変わる。

「ロザリー……!」

その笑顔は、あまりにも痛々しかった。

「来てくれたのね。……心配してくれたの? 嬉しいわ」

(……心配?)

違う。そんなわけがない。

ここに来たくなどなかった。顔を見るのも、声を聞くのも、嫌だった。

「……用は、なんなの?」

吐き出すように言うと、リリアーヌは少し驚いたように瞬いた。

「え?」

「面会を望んだって聞いたの。だから来ただけよ」

次の瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、堰を切ったように溢れ出す。

「なんてことをしてくれたの!」

思いもよらぬほど大きな声が、狭い部屋に反響した。

「嫉妬に駆られて、王太子と仲良くしている令嬢に加害を加えるなんて……ありえないわ。そんな人だなんて、思わなかった!」

言葉は、刃となって次々と飛び出す。

止める術もなく、ロザリー自身の胸さえ切り裂きながら。

「ロ、ロザリー……違うの。聞いて。わたくしは、決してアンジェリカを虐めなんてしてないわ。すべて誤解なの……。信じて、ロザリー」

縋るように伸ばされた声に、ロザリーの瞳はほんの一瞬だけ揺れた。

幼い頃、転んで泣いたとき。夜、怖い夢を見たとき。

いつもそうやって、姉は自分の名前を呼んだ。

あの時と、同じ声だった。

――けれど。

「今も、そんなことを言ってるの?」

涙が滲み、視界が歪む。

「あれだけ証拠も証言も揃えられて、断罪されて……婚約まで破棄されて……それでも、自分は悪くないって言うの?」

ロザリーの声は震えていた。

そこにあるのは、怒りだけではない。恐れも、絶望も、縋りたい気持ちも。すべてが絡み合って、息苦しいほどだった。

「姉さまのせいで……わたしまで、婚約破棄されたのよ……」

「……そんな……」

言葉を探すように開きかけて、けれど何も紡げないまま、音だけが零れ落ちる。

それでも――ロザリーは、止まれなかった。

「姉さまのせいで、わたしの人生は、めちゃくちゃよっ!」

胸の奥で、何かが弾ける。

それは、決して言ってはいけない言葉だった。

「――悪役令嬢の姉さまなんて……」

喉が、ひくりと鳴る。

一度こぼれ落ちた言葉は、もはや引き返せない。

「……はじめから、いなければ、よかった!」

その瞬間。

リリアーヌの表情から、血の気が引き、まるで色彩そのものが、音もなく剥がれ落ちていく。

驚きも、戸惑いも、悲しみさえも――すべてが凍りついたように消え失せ、そこに残ったのは、感情を失ったかのような凍てついた表情だった。

「あっ……」

リリアーヌの喉から、ひきつった声がわずかに漏れた。

「ごめんなさい……」

リリアーヌの謝罪に、ロザリーが返したのは冷たいまなざしだけだった。

そのまま踵を返し、部屋を立ち去る。

姉に投げつけた、たった一言の言葉の重さを、ロザリーは、まだ理解していなかった。

その言葉はすでに崖の縁に立たされていたリリアーヌの背を、ほんのわずかに押すには十分すぎた。そのことを、ロザリーは知らなかった。

彼女が部屋を立ち去ったあと、静まり返った深夜。リリアーヌはテラスから飛び降り、命を絶った。