軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

47.『戦いの聖女』と彗星⑧

「こちらの部屋もベッドが二つあるのですね」

「……ああ」

敬語を使ったのに突っ込まれなかった。

トラヴィスの部屋は私の部屋の隣。ベッドが適度な隙間を空けて二台並んでいて、簡素な書き物机とクローゼットがあるだけ。さっきまでいた部屋と同じ造りなのに、居心地が悪くてつい観察してしまう。

「セレスティアの荷物、ここに置くね」

「ありがとうございます」

「……」

また敬語を使ったのに突っ込まれなかった。リルはレイの枕元で眠るというので、正真正銘私たちの二人きり。この部屋を埋め尽くす沈黙で息ができない死にそうです。

「えーと、トラヴィスはどちらのベッドを使う……?」

これは遠征任務時、宿に到着してペア間で行われる最初の会話として至極一般的なものだ。というか、今理解したけれどベッドは二つある。普通にある。だから別に意識することなんてないしいつも通り振る舞えばいいのだ。何よりも任務中だし、ええ。

けれど、トラヴィスはそんな私の気遣いをわかってはくれなかった。

「……出てくる」

「えっ……ちょっと待って!」

私は、返事をせずに外出を宣言した彼の腕をがしっと掴む。

「何? 手、放してくれない?」

「だって、どこで休むの? いざというときのために体調は万全にしておかないと」

「……そんなこと言ったって」

こんな風にトラヴィスが動揺しているのは珍しい。

けれど、私だって自分のことを好きだと言ってくれるトラヴィスに『どうして?』と聞くほど馬鹿ではない(と思う)。

でもいつの間にか外は暗くなっていて、すっかり夜だ。普段なら宿屋の一階ではレストランが営業しているものだけれど、今は緊急事態。

サシェの町の宿屋はどれも国か神殿で貸し切られ、寝るためだけの場所を提供している。当然、レストランだってやっていない。この部屋を出たら、座って身体を休められる場所なんてないのだ。

「えーと、じゃあこのベッドの前に防御魔法で結界みたいなものを張る……?」

「よしいいねそうしよう」

「いや冗談なのだけれど」

「……」

はー、と息を吐いたトラヴィスは観念したように入り口側のベッドに腰を下ろした。いつの間にかベッドの割り振りは決まったらしい。

「セレスティアがそこまで言うならこの部屋にいるけど、俺はたぶん眠れない。いま言っとく、ごめん。でも気配は消すからほっといてね?」

その言い方に素が滲んでいる感じがして、思わず笑ってしまう。

「ふふっ」

「何?」

「トラヴィスにもこういうところがあるんだなぁ、って」

いつもの彼には、私にわかりやすい好意を向けながらこちらの反応を楽しむ余裕が感じられる。でも今日は全くそうではなくて。私も緊張はしているけれど、そのギャップに心がほぐれる。

こちらを一瞥したトラヴィスは、髪をぐしゃぐしゃっとした後、諦めたみたいに言った。

「あーもういい、わかった。じゃあ話でもする?」

「話」

「大丈夫だよ。いつもみたいに不用意に近くには行かないから」

「……そんなに警戒?しなくても」

あ、この場合警戒されているのは私の方かな?

「だってうっかり近づいてしまって歯止めが効かな」

「ああああいいですそれ以上言わないでもらえますか!!!」

「口にするのも駄目なの? だって、好きなんだから仕方がないと思わない?」

「そ、それもやめて!」

さっき自重してくれそうだった人どこ行った。

とりあえずこの部屋にいるのは、顔を真っ赤にした私と、同じぐらい真っ赤になったうえで髪も乱れたトラヴィスだった。

ちなみに、このトラヴィスを見たらバージルが目を輝かせそう。むしろここにいて揶揄ってほしいのにどうしていないのか。

何か話題を、と思った私の脳裏に浮かんだのは、赤い顔をしてあの屋敷でひとり佇むレイの姿だった。

「……れ、レイってかわいいと思いませんか?」

「敬語」

「……かわいいと思わない?」

敬語に突っ込んでくるあたり、トラヴィスは冷静になりつつあるようだ。私が言葉遣いを逆に改めると、満足げな笑みを向けてくる。

「ああ。何よりも、あんな状況にいたのに擦れてなくて素直ですごいよな」

「ええ。私……多分、彼ぐらいのときに自分の状況を受け止めて、誰かから差し伸べられた手を取るなんてできなかったと思う。きちんと判断ができる賢い子」

「セレスティアも、父親に怒りが向かないところが信じられないよ。俺にとっては」

「……もうそういう次元じゃないの」

だって、ループ5回目だから。自分に言い聞かせるように、私はその言葉を噛みしめる。

話しているうちに少しだけ視界が滲む。けれど、自分の境遇や家族からの仕打ちを思い出したわけでは……ない。

私はレイに『あなたを助ける力がある』と宣言した。助ける、なんて言ったら傲慢だけれど一度乗り掛かった舟だ。とことん力になりたい。本当に、その気持ちだけ。

お父様は私への継母や異母妹の待遇を知っていた。面倒だからと知らないふりをするのはこれまでの言動を考えれば、とっくに予想できていた。

これは強がりじゃない。お父様への落胆なんて、今さらするはずがないのだ。

「セレスティア…?」

トラヴィスの気遣うような声に、ハッとする。頬が冷たい。

自分がいつの間にか泣いていたことに気がついた私は、あわててベッドに腰かけたまま頭からシーツを被り、目を擦った。

早く感情を落ち着けなければと思うのに涙が止まらない。

「……しばらく向こうを向いていてください」

「敬語」

「あ、あっちを向いていて」

こんなときにまでそのルールを適用するって厳しすぎない? そんなことを考えていたら、私が被っているシーツの上からさらに何かが被せられた。たぶんこれもシーツ。

視界が真っ白……いや、完全に布で遮られてしまってむしろ真っ暗。何も見えない。

「み……見えない、トラヴィス」

「触るよ。敬語ルールを破りすぎ」

トラヴィスの言葉とともに、私が座っているベッドの隣が間を空けて少し沈んだ。はー、と長いため息が聞こえたさらに数秒後、ぽんぽんと頭が撫でられる。

「大丈夫だと思い込んで強がっていても、意外とそうじゃないことってあるよ」

それ以上、トラヴィスは何も言わなかった。今は何を言っても見透かされる気がして私も口を噤む。お互い黙ったまま時間だけが過ぎる。

「……」

この無言の優しさとレイへの気遣いの向こうに、トラヴィスが送ってきたという人質生活がなんとなく見える気がする。

彼は人質生活のことを名ばかりのものだと言っていた。実際には留学生のような扱いで快適に暮らしていたと。表向きは彼が言う通りだったのだろうと思う。

けれど、誰かに抱きしめてもらうことはあったのかな。辛いときに話を聞いてもらって、無条件で認めてもらって、優しく頭を撫でてもらえたことはあったのかな。こんな風に、今私を落ち着けてくれている感情を、誰かから受けたことはあったの。

シーツでぐるぐる巻きになった私の涙はすっかり乾いていた。けれど、また鼻の奥がつんとしてくる。いろいろなものに抗えなくて、私は目をぎゅっと閉じる。

――彗星の到来は、明後日の明け方に迫っていた。