作品タイトル不明
9 もう終わったこと
――三年ぶりに、カミーユと再会した。
私を探していたの?
なぜ?
もう離婚したのに。
他人になったはずなのに。
目の前に立つ彼は、まるで何かに取り憑かれたような顔をしていた。
……怖い。
思わず私は、夫のルノーの腕にしがみついた。
すると夫は、私をそっと抱き寄せる。
「大丈夫だよ」
低く穏やかな声。張り詰めていた心が少しほどけた。
ルノーはカミーユを真っ直ぐ見据える。
「私の妻に何か御用ですか?」
「妻だと? う、嘘だ……あり得ない」
「先日、結婚したのです。ベルは傷つき精神を病んでいました。ここで治療して、やっと回復したんです。まだ時々、不安になる時があります。だから、妻を怖がらせないで下さい」
ルノーは、いつだって私を安心させてくれる。
ここには、私を責める人がいない。
耐えろとも、支えろとも言われない。
ただ穏やかで、自由な毎日がある。
──三年前。
駅前の食堂で、混乱して泣きそうになっていた私を、救ってくれたのがルノーだった。
今では、私の弱さを理解してくれる夫。
甘えてもいいのだと、教えてくれた人。
カミーユは必死に言葉を並べ続ける。
「メイベル、どんな償いもする。許して欲しい。私はレリアーナに復讐したいだけだった。気付いたんだ、愛しているのは君だけだと──」
長い言い訳。
……カミーユ。
結局、レリアーナとは再婚しなかったのね。
あの子の父親にもならなかった。
肩から力が抜けた。
私ったら、本当に馬鹿みたい。
あの声に、怯える必要は無かったんだ。
カミーユの言葉が途切れたところで、私は冷静に口を開いた。
「私は貴方のことを脆い人だと思っていました。でも私自身は、貴方以上に脆い人間だった」
「いや、君は強い人だ。いつだって笑って、私を支えてくれた」
──いいえ。
「貴方を支えるなんて、無理だったのよ」
喉の奥に溜まっていたものが、堰を切ったように溢れ出す。
「侯爵夫人として、周りから期待されて……私は少しずつ弱ってゆき、貴方は回復していった。気付いた時には、とっくに限界だったんだわ……」
カミーユは黙って耳を傾けている。私は、もう止まれなかった。
「愛しているから、主従関係でもいいって思ってた。貴方が望むなら、それでいいって。でも、レリアーナを受け入れた時点で、全部終わったの」
胸は痛まない。今ならはっきりと言える。
「黙って出て行ったのは、引き留められるって分かっていたからよ。都合のいいお飾り妻として、これ以上利用されるのは耐えられなかった」
「だったら私に、そう言ってくれればよかったじゃないか」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
「ふっ……貴方は、私が話しかけるといつも不機嫌になったでしょう? 使用人に過ぎない私が、主人である貴方に話しかけるなんて、おこがましいものね」
「そんなつもりでは、なかった。メイベル、何を言っても許して貰えないのか」
「黙っていなくなったことも、探してくださっていたことも……本当に申し訳なく思っています。でも、私はもう、ここで幸せなんです。だからどうか……貴方も幸せになって下さい」
そう告げると、カミーユは俯いたまま、呟いた。
「あの時、また間違えた。報告を受けて、直ぐにここに来るべきだったんだ」
「お帰りいただけますか。ベルは、私が幸せにします。どうか、そっとしておいてください」
ルノーの穏やかな声。
カミーユの肩が、力なく落ちる。
「……分かった。メイベル、何か困ったことがあれば、頼って欲しい」
それだけを残して、彼は背を向けた。
遠ざかっていくその後ろ姿が、あまりにも寂しそうで。
胸が、少しだけ痛んだ。
――また、カミーユは心を壊してしまわないかしら。
そんな不安がよぎる。
けれど私は、首を振った。
「昔のカミーユがレリアーナに向けていた愛情……あれ以上の想いなんて、きっと存在しない。私への愛なんて、無に等しい。だから、彼の心の傷は深くないはずよ」
「そうだろうか。三年も君を探し続けたんだ。彼は、本気だったように見えた」
「だとしても……もう終わったことですから」
私は背伸びをする。
「愛するのは、貴方だけよ」
そう言って頬に口づけると、ルノーはそっと私を腕の中へ閉じ込めた。
初夏の風が吹き抜ける。
眩しい陽射し。
遠くで揺れる木々の葉音。
胸の奥が、温かく満たされていく。
――幸せ。
そう思っていると。
「先生~! 患者さんが待っています~!」
後ろから看護師さんの明るい声が飛んできた。
「今行くよ」
「私も洗濯物を干さないと」
二人の笑みがこぼれた。
特別じゃない。
けれど、穏やかで優しい日常。
カミーユの訪問なんて最初からなかったみたいに、いつもの時間が戻ってきた。
◇
その後、何度かセシリーから手紙が届いた。
カミーユは落ち込んではいるものの、『元気』らしい。
私は、実家から絶縁されたようだ。手紙すら無かった。
何度か季節が巡るうちに、セシリーの手紙も途絶えた。
今、カミーユがどこで何をしているのか、私は知らない。
……知ろうとも思わなかった。
もう終わったこと。
この小さな町で、私たち夫婦は幸せに生きていく。