軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

281 消えた聖女(6)

コツコツと足音を響かせながら、何者かがかび臭い地下牢へと降りてくる。

キィとドアを軋ませて入ってきたのは、狐を思わせる目の細い男――ロッツ・ファミリーの若頭、レッドだ。

もっとも、ロッツ・ファミリーは新進気鋭のクランとして王都で台頭したマッド・ドッグと、その後ろ盾として密かに暗躍した鶴竜会のジンの手腕により著しくその勢力を落とし、さらに黒幕からの資金供給がぷっつりと途絶えた事で今はもう勢力としてほぼ瓦解している。

レッドの頬がこけ、その目は据わっているのは、これまで好き放題に裏社会の秩序を破壊してきたツケに加え、王国騎士団にもマークされ逃亡者としての生活を余儀なくされているからだ。

「くっくっく。……解せませんねぇ、理解不能です。こんな小汚い孤児のガキのために……」

「ひゃっひゃっひゃっ、だから言ったのです。あなたは、恋する乙女の心というものが分かっていないと」

レッドの後ろから現れたトーモラが下卑た笑い声をあげながら自信満々にそう言った。

こちらも目をギョロつかせ、何かに怯えるように忙しなく首を振りながら話すその姿は、どう見ても正常な精神状態ではない。

「……私達を解放なさい。今ならまだ、命までは取りません」

牢内で両手を錠に拘束されているジュエが泰然とした口調でそう言うと、二人は目を見合わせてから笑った。

「くっくっく。この状況で本当に剛毅なお嬢様ですねぇ。ですが、言葉には気を使ったほうがいい。上にいる運び屋の一人は五十リアル出すからあの金髪の女をぐちゃぐちゃにさせてくれと悶えていましたよ?」

「ひゃっひゃっひゃっ! あの一月も風呂に入ってなさそうな男がそんな事を! いやぁ、彼はしつこそうだ」

ジュエはふっと笑った。

「五十リアルとは、また随分質の悪い運び屋を使っていますね。……どうぞご自由に。あなた方の依頼主がそれを許すとは思えませんが」

レッドとトーモラがピタリと笑い声を止める。

「……私達が、誰かに依頼されて動いているとでも?」

ジュエは二人の反応をそれとなく見ながら続けた。

「あら、依頼主ではなかったのですね。では協力者ですか。いずれにしても、『貞節のチョーカー』は使用はおろか、所持すら厳禁とされている裏魔道具。まともな運び屋も雇えない方々に入手できる代物ではありません。……借り受けたのでしょう、その協力者から。利用されるだけ利用されて、惨めに切り捨てられるとも知らずに」

その分かりやすい挑発を聞いたトーモラが、嘘くさい温和な顔を貼り付け、牢の鉄格子の扉へと手を伸ばす。

「おい……」

「大丈夫ですよ、私に怪我を負わせたり、逃げようとしたりすれば『誓い』に抵触する可能性がある。念のため外から鍵を」

ジュエが立てた誓いを簡単に説明すると、目的地に誰にも知られる事なく移動するために協力し最善を尽くす、というものだ。

レッドが外から鍵を締めた事を確認したトーモラは、手のひらでジュエの頬をそっと撫でた。

「ひゃっひゃっ、まるでシルクのようだ。……流石にあの学園でAクラスに所属するだけあって、頭の切れるお嬢さんですねぇ。すでに大体の構図が見えているようだ。大体はあなたの予想通りですが、結婚の儀式まで処女を守っていれば問題ないのでしょう? 別に操を奪わずとも、大人の世界には楽しみかたは色々とありますよ?」

トーモラがくぐもった声で耳元でそう囁くと、ジュエはまたクスリと笑った。

「あらそれは楽しそうですね? 教えてもらったら到着までの間、いかにあなた方に楽しませてもらったか、あの嫉妬に狂った豚に詳細に説明致しましょう」

ぴたりとトーモラの手が止まる。

「その話が万が一漏れたら、醜聞にうるさいあの国での私の価値は暴落するでしょう。あなた方は口封じのためにその場で始末、なんて事にならなければいいのですが……」

ジュエがそう付け加えると、トーモラはゆっくりとジュエから離れて両手を上げた。

「ひゃっひゃっ。本当に……嫌になる程あの男に似ていますね。……その私達を……ゴミのように見下した目がなぁ!」

そう言って血走った目を見開いたトーモラは、牢内の端で怯えていたリーナを思い切り蹴り上げた。

リーナが悲鳴を上げて、鮮血が飛び散る。

「止めなさいっ!」

ジュエが慌てて制止の声を掛けるが、トーモラは止まらない。

「お前も! あいつも! いつか! こいつみたいにぐちゃぐちゃにしてやる! 私を舐めるな! 私を舐めるなぁ!」

ジュエは拘束された右手で強引にトーモラをリーナから引き離し、そのまま後ろへと転がした。

そしてリーナの応急手当をしてから、立ち上がったトーモラの首を掴んで喉輪の要領で鉄格子へと押しつけた。

鉄の格子が音を立てて軋む。

「……もう一度だけ警告します。あの子に手を出すのは金輪際止めなさい」

その堪えきれない怒りの滲んだ顔に、声に、トーモラは機嫌を直し、実に嬉しそうに笑った。

「……ひゃっひゃ。怒った顔は……美しいですねぇ。ですが、まだ分からないのですか……? 貴女は命令できる立場には無いという事が……」

「……誓いを破ります」

ジュエは真っ直ぐにトーモラの目を見て、抑揚のない声でぼそりとそう言った。

「はっ?」

理解の追いつかないトーモラが聞き返すと、ジュエは今度ははっきりと告げた。

「次にあの子に手をあげたら、私は誓いを破って自らこの命を断ちます」

「……自分が何を言っているのか、分かっているのですか?」

「……どうやら『貞節のチョーカー』の別名を知らないようですね? 私は恵まれたのです。……『死ぬ権利』を――」

「……あんな汚い孤児の娘のために、世界中から我が物にしたいと請われている貴女が? ……そんな見え透いた脅しが通用するとでも?」

ジュエは右手で掴んでいたトーモラの首を離した。

「試してみますか?」

抑揚のない声でそう言って、咳き込んで崩れ落ちるトーモラを、凄みのある表情で見下ろす。

トーモラがやや怯みながらも再度怒りの表情を浮かべたところで、レッドが止めに入った。

「そこまでだ。私達の狙いはマッドドッグだろう。奴を確実に始末するためにはその娘を確実にあそこへ届けて、あの人に協力してもらわなければならない。ここでその娘とじゃれている場合じゃないよ?」

レッドに止められても尚もしばらくジュエを睨みあげていたトーモラだが、やがて憤然とした顔で立ち上がり、牢の外へと出ながら捨て台詞を吐いた。

「……ふん。今のうちに精々、意気がっていろ小娘。どうせあそこへ着いたらその『死の権利』とやらも剥奪されて、死んだ方がましと思えるほどの生き地獄が待っている」

ジュエはリーナの頭を優しく撫でながら、ふっと笑った。

「……あなたたちは、誰に喧嘩を売ったのかをまるで理解していないのですね。あなたたちとあの惨めな嫉妬豚ごときが考えた筋書き通りに事が運ぶと、正気で思っているのですか? 哀れを通り越して、もはや滑稽です」

ぴたりとトーモラの足が止まる。

「挑発だ。乗るなトーモラ」

「……分かっているよ。小娘、一つだけ教えておいてやろう。どんな人間にも弱点はある。あのマッドドッグにもね。私達はあいつのその弱点をよく知っている。そこを突いて、罠にかけ、嵌め殺す。ズタズタに引き裂かれたあいつの死体をお前の足元に転がした時――」

キィとドアを軋ませ、まずレッドが外に出て、トーモラがその後ろに続く。

「……お前がどんな顔をするのか……今から楽しみにしているよ。ひゃ。ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ!」

そう言い残して、二人はコツコツと足音を響かせながら階段を上がっていった。