軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

29 脱出

全身が地面に押しつけられて、息をするのも苦しい。手足は重く、指先ひとつ動かすにも気力が必要なほど。

(これが……結界の“圧”……)

さっき、侍女に忠告していた女性。

彼女も相当な魔法使いなのだと推測できる。

(それに、あの声。ううん、今はここから出ることを考えましょう)

女性について考えるのをやめ、なんとか身体を起こす。圧に慣れてきたのか、鍛練の成果か分からないが座る姿勢になる事ができた。

手元にあるのは銅のポット。さっきまで紅茶を淹れようとしていたものだ。

(ただのポットだけど、重さもあるし、投げられる)

私は、息を詰めて体勢を調整し――

右手で、ポットを結界の縁らしきところめがけて、えいやっと投げつけた。

ガンッ!

音が響いた瞬間、空気がビリッと震えた。まるで目に見えない壁にぶつかったみたいだった。

そして――

キィィィン……。

耳鳴りのような、不思議な音が辺りに響き渡った。

物理的に衝撃を与えたことで、何かが反応した。これまでの魔力を封じる静けさとは、明らかに違う。

(魔力は封じられてる。でも、“物理攻撃”は通るってこと……?)

元々空気魔法は攻撃魔法ではないから使えなくても問題はない。なにかもっと強い衝撃を与えれば、物理的にやれるかもしれない。

「……そうだ」

私はポケットの奥に手を伸ばした。

そこにあった、ふわふわぷにぷにの奇妙な球体――エリオット殿下にもらった魔道具だ。

「ぶつけたら相手が浮く、だったかしら……?」

あのときは、冗談みたいに言っていた。

『でもね、勢いよく投げたらすっごいことになるかもよ~?』

エリオット殿下のその言葉を思い出して、ゴクリと唾を飲む。いやでも、護身用だし、さすがに……?

(でも今は、これしかないわ)

私は球体を握りしめ、結界の同じ場所を狙って――全力で投げつけた。

バシュッ!

球体が壁にぶつかって弾けるような音がした直後。

ドオオオンッ!!!

凄まじい爆風のような風圧が起こり、空間がきしみ、視界が白く弾けた。

「きゃっ……!?」

私はその場から吹き飛ばされ、草の上に転がった。

目を見開いたまま、しばらく呆然と天を仰ぐ。

身体は軽くなった。圧を感じないから、結界は壊れたのだろう。

(……エリオット殿下……!? なんなのあの魔道具、威力が洒落になってないわ……!)

吹き飛んだ結界の残骸は、もはや空気の揺らぎすら感じさせなかった。

おそらく、“浮かせる”というより、“吹っ飛ばす”が正解だったのだろう。

エリオット殿下とアイリスの最高傑作と聞いた時点でなんだかすごい予感がしていたのだが、思った以上にすさまじかった。

人に使ったらいけないのではないかしら。

「……ふふっ」

私はゆっくりと起き上がりながら、頬を押さえて笑った。

「助かったことに変わりはないわね」

風が吹き抜ける。

そこにはもう誰もいなかったが、やけに清々しい気持ちになった。

私は草の上に座り込んだまま、大きく息を吐く。

結界は崩壊し、周囲の空気がゆるやかに流れていく。魔力の感覚も徐々に戻ってきていた。

けれど、まだ体は少し震えていた。汗と土と、少しだけ擦り傷の痛み。

(でも……大丈夫だわ)

そう思った瞬間。

――ザッと草を踏む音と、風を切るような気配が近づいてきた。

「リリアナ!!」

怒鳴るような声が響いた。セドリック殿下。

振り返る間もなく、その大きな影が私の目の前に現れ、次の瞬間には両腕がふわりと私の身体を包んでいた。

「……っ!」

びくりと身体が跳ねた。でも、それよりも先に、胸に広がったのは安心だった。

温かくて、力強い。その腕の中で、私はようやく、張り詰めていたものがほどけていくのを感じた。

「殿下、あの……」

言いかけた瞬間。

「何をしてるんだ、君は!!」

その声は低く、震えていた。

怒っている。でもそれは、明らかに“怖かった”という感情からくるものだった。

セドリック殿下は私をきつく抱いたまま、顔を私の肩に埋めていた。

「連絡もなしに、魔力の気配も消えて……気づいたときには、もう不可思議な魔力反応しかなかった……!」

「も、申し訳ありません」

私は小さく呟いた。

それでも、殿下の腕は緩まなかった。

少し遅れて、もうひとつの足音が近づいてくる。レオン兄様だった。

兄様は私が抱き上げられている姿を見て、一瞬、口を開きかけて――やがてそっと目を伏せた。

「……あ。うん、まあ……いいか」

「?」

お兄様はそれ以上近づいて来ようとはしない。

それを不思議に思いながら顔をあげると、パチリとセドリック殿下と目が合った。

その目は、いつもよりずっと厳しい。

「勝手に動くな。君は、君の命は、君の存在は――そんなに軽いものじゃない」

「…………」

「“助かったからいい”じゃない。今回がたまたま運よく済んだからといって、次もそうとは限らない」

「……はい」

私は素直にうなずいた。

「だが、君が考えなしにいなくなる人だとも思っていない。何があった?」

「お湯をもらいに行こうと思ったら、以前私をエドワード様に引き合わせた侍女を見かけて追いかけてしまいました。軽率でした」

「例の侍女が……? レオン、先程不審な侍女を拘束したな」

セドリック殿下の問いに、兄様はピシリと姿勢を正す。

「はっ! 他の騎士に頼んで詳しい話を聞く予定です」

「まずいな。レオン、君が直接行ってくれ。また有耶無耶にされてはかなわん」

「承知しました! あの」

「――リリアナのことは俺に任せてくれ」

「……………………………………はい」

ちょっとした沈黙のあと、敬礼をしたレオン兄様は駆け足でこの場を離れて行く。

そのバタバタとした後ろ姿を眺めながら、ぼんやりしていると、セドリック殿下に「リリアナ」と声をかけられた。

「……あまり、無理はしないで欲しいのだが」

「だって、わたしを護衛にすると言ってくれたのは、殿下です。わたし、応えたかったんです。ちゃんと、できるって証明したかった……」

セドリック殿下は一瞬、言葉を失ったように私を見つめた。

自分勝手で結局こうして迷惑をかけてしまっている。それでも、ちょっとだけ真相に辿りつけそうな気がするのだ。

「セドリック殿下。先ほどの侍女はやっぱりカミラともつながりがありました! それに、私を結界に閉じ込めた人の声は――」

得た情報をはやくセドリック殿下に伝えたくて気がせいてしまう。

こうしている間も、彼女たちが悪巧みをしているかと思うと――

「落ち着きなさい、リリアナ」

そう呟いたかと思うと、彼はそっと私の頭に、唇を寄せた……ような気がする、多分、きっと。

「!!!!???」

その仕草はあまりに自然で、でも、あまりに優しくて。頭の中はさらなる混乱に襲われているのですが!?

「治療の後でちゃんと聞く。でも、よく頑張った。……本当に、無事でよかった」

「……はい」

私は胸の奥が熱くなるのを感じながら、彼の腕の中で、そっと口を閉じる。

そこでふとあることに思い至った。

「……殿下、あの」

私は少しだけ身じろぎして、彼の腕の中からそっと声をかけた。

「今日はもう、空気魔法が使えません。だから……その、かなり目立ってしまうので、降ろしていただけませんか?」

なんとか理性的にお願いしたつもりだった。ちゃんと理由も添えて、控えめに。

けれど――

「いやだ」

「……え?」

一瞬、聞き間違いかと思った。

けれど、セドリック殿下はひとつも表情を変えず、まっすぐ前を向いたまま、さらりとそう言い切った。

「いやだ。降ろさない」

「……で、ですが! すごく、注目されますし!」

「構わない」

「目立ちます!」

「堂々としていればいい」

「えっ、でも……!」

「王子が護衛を抱えて歩いて、何が悪い?」

「それは……そもそも護衛は守る側です!」

「今はその守る側が、守られるべき状態なんだ」

そんな当然のことを言うように、彼は一切ブレずに歩き出す。

ますます熱くなる顔を手で覆いたくなるのを我慢しながら、私は必死に抗議を続けた。

「せめて! せめて、あと五歩だけでいいので……!」

「無理をするなと言っただろう。君が何を言っても、今は俺の判断が優先だ」

「~~~~っ!」

完敗だった。完全に、論破されていた。いや、そもそも会話として成立していない気すらする。

もがくように主張する私を、彼はまったく気にする様子もない。

「無理をすると、また倒れる。俺が困る」

「……っ、はい」

反論しようとして、言葉がつまった。

そう言われてしまうと、無鉄砲な行動をとった

私は、殿下の腕の中に身を任せることしかできない。

(まさか二回も運んでいただくことになるなんて……)

せめて、あまり人に見られませんように!!