軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

花開く その思い 10

日々の習慣は侮れないもので、たとえ窓がない部屋の中だろうと、ジゼルはいつものように、夜が明ける少し前に目を覚まし、身を起こした。

母と妹たちが、それぞれ場所を決めて身を横たえる傍をそっとすり抜け、持ち込んであった水を少し使って朝の身支度を終わらせる。

朝、いつもならば娘達より早く目を覚ますはずの母は、やはりお腹に子供がいる影響か、いつもより眠りが深いようで、ジゼルは母を起こさないようにオデットをまず起こした。

オデットが身支度をする間にソフィを起こし、朝食の用意をするために、頑丈な鍵を外して扉を開け、そっと外に顔を出した。

いつもならば、そこには見張りの兵が立っていて、頼めば移動の間ついてきてくれるのだが、今日はそこには誰も立っていなかった。

ただそこには、床に座り、仄かな明かりの元で山積みにした何かの書類をじっと睨み付けているシリルと、それに付き従うように取り囲む猫達の姿があった。

「……シリル様、おはようございます」

呆然としたジゼルに声をかけられ、ようやく扉が開いた事に気が付いたらしいシリルは、はっと顔を上げ、そしてにっこりと微笑んだ。

「おはよう」

「何をしてらっしゃるんですか?」

シリルが手に握っている書類に眼を落としたジゼルは、その中の一枚が海図であることに気が付いたが、何のためにシリルがそれを見ているのかがわからなかった。

「ああ……何というか……勉強?」

しばしの逡巡の後、シリルはぼそりとそう呟く。

「……シリル様、今、何のお勉強が必要なんですか?」

「魔術を追い求める者というのは、いついかなる時も、常に新しい知識を求めているんだよ」

そう言い放ったシリルの表情を、ジゼルはじっと見つめていた。

「……それで本当の理由は何ですか?」

「……ジゼル」

困惑した表情のシリルに、ジゼルは苦笑しながら説明した。

「シリル様。気が付いてらっしゃらないかもしれないのですけど……。教えたくなかったりごまかしたりしたい時、視線が右にずれてます」

「えっ」

「ついでにリスが顔を洗ってます」

シリルが、すぐ横にいたリスに顔を向けると、リスはまさに顔を洗う姿勢で、愕然とした表情で固まっていた。

「リスは、シリル様以上に、嘘がつけませんよ?」

ジゼルにくすくすと笑いながらそう告げられ、気まずそうな表情でシリルは猫と見つめ合う。

それを、リスとは逆の足元で、シリルの見ていた海図をのぞき込んでいたノルが、首を傾げて見つめていた。

「……『眼』の正直なところは、誰に似たのかな。えと。海図を読めるようになりたいなと」

「シリル様は海のお仕事をするわけではないですし、急に読めと言われて簡単に読めるようなものでもないですよね」

「……それ以上の説明は、簡単にできそうにないし、あとでゆっくりするよ」

それ以上ごまかすのはやめたとばかり、苦笑したシリルがそう告げると、ジゼルはこくりと頷きながらも、心配そうにシリルを見つめた。

「どうか、ご無理なさらないでくださいね。せっかくお休みでここまで来てくださったのに、やっかいごとに巻き込んでしまって心苦しいのですけど……。せめて今くらい、お仕事の事は考えず、ゆっくりしてください」

この砦が警戒態勢に入るのは、初めてというわけではない。これは、砦の部隊が出るたびに起こる事であり、いつもの事なのだ。

油断は確かにしてはいけないが、客人であるシリルまで、巻き込んでいいものではない。

ジゼルの言葉を受け、しばらく呆然としたシリルは、なぜかすぐに満面の笑みを浮かべ、ジゼルの頬に手を伸ばした。

嬉しそうに微笑むシリルに困惑したジゼルは、その手にされるがままに、髪を梳かれ、頬を撫でられた。

「……はじめて、そんな心配してもらったよ。嬉しいものだね」

「え?」

「仕事しろと言われた事はあっても、考えるなと言われたのは初めてだ」

「そんな事は……」

「あっちにいる間は、生きている限り、忘れるなんてありえないから。でも、そうか。今この間、仕事はしなくてもいいんだ。不思議だなあ……」

シリルの指が、自然と耳に触れ、その外れるはずのない飾りがある場所にそっと触れた。

その姿は、なぜか今にも見えない糸が切れて崩れ落ちそうに見える。

その、心細く感じる姿に、先程までとは逆に、ジゼルがシリルの頬に手を添え、そっと撫でていた。

その手の感触に、驚いたような表情でシリルが顔を上げると、ジゼルは自分が伸ばしていた手を慌てて引っ込めて、必死の面持ちでわたわたと手を後ろに隠すと、真っ赤になりながら、うつむいた。

「あ、あの、食事を作りに行きたいのですけど……」

「ああ……」

シリルは納得したように、ちらりと自分と同じ、闇に浮かぶ白銀の姿に視線を送ると、心得たようにリスはジゼルの傍に歩み寄り、身軽にその肩に飛び乗った。

「ジゼル」

「は、はい」

「そろそろ私も寝たいんだけど、その部屋の隅を借りても良いかな」

指を背後の会議室に向けられて、ジゼルは一瞬、え、と振り返った。

「シリル様はお客様ですから、せめて隣にある仮眠室で休んでください。そちらなら、寝台もありますから。あの、兵士のみんなが使うものですから、そんな上等なものではないんですけど」

「いや、防御の魔法の中心を、この部屋に据えているんだ。意識がある間は問題ないけれど、寝ている時、中心からずれていると、その結界がぶれる可能性があるから」

「でも、この部屋に寝台はありませんよ。床で寝る事になりますけど……」

シリルは、困惑したジゼルに、肩をすくめて見せた。

「倉庫で寝られるんだから、どこででも大丈夫だと、わかってもらえてると思ってたんだけど」

くすくす笑うシリルに、それでも納得しないジゼルは、母や妹たちの姿を見ながら、返事に詰まっていた。

その様子を見て、シリルは何かを思いついたように、口を開いた。

「一緒の部屋に居ても、お母さんの赤ちゃんには魔力の影響は出ないようにするから、大丈夫だよ」

「え、いえ、そんな心配をしているわけでは……」

ジゼルはただ端に、母や妹たちのような、人が居る場でシリルが寝られるのかを心配しただけだったのだが、シリルは違っていたようで、優しく諭すように、ジゼルに説明した。

「君のお母さんも、君と同じ目をしているから、魔力の影響は、若干だけど防げるみたいだ」

「そうなのですか?」

「うん。力の色自体は別の色をしているけれど、その目だけでも、かなりの影響はあるみたいだね。だから、私が寝るのは、お母さんが起きている間にするよ。その目があれば、体の内にまで魔力は影響しないだろうから。お母さんが起きたあと、許可をもらったら、そこで寝てもいいかな」

小首を傾げて遠慮がちに尋ねる姿に、ジゼルもさすがにそれ以上何も言えず、こくりと頷いた。

調理場で、砦の兵士達の食事を作り終え、それを起きてきた兵士達に託すと、姉妹は、自分達用に取り分けたものを三人で協力して会議室に運ぶ。

会議室では、母はすでに起きており、その横で、シリルはノルを構いながら、先程の書類を丁寧に片付けていた。

「母さんおはよう。シリルさんも、朝食をどうぞ」

オデットがかけた言葉に、シリルは静かに首を振った。

「寝る前は、食べないんだ。気持ちだけいただくよ、ありがとう。起きたら食べるから、よかったらそのまま置いててもらえるとありがたいんだけど」

「冷めますよ?」

「大丈夫。魔法で勝手に温めるから」

シリルは苦笑すると、移動の間、再びジゼルの肩に乗っていたリスに手を伸ばす。

「リス」

呼ばれて、ひょいとジゼルの肩から飛び降りたリスは、そのままシリルに駆け寄ると、その目の前でぴたりと足を止め、シリルとその翡翠の瞳をあわせる。

「……しばらく頼む」

シリルの指先が、リスの額から耳の間、そして後頭部にかけ、何かを書き込むように滑ると、その瞬間、シリルの体は、背後にふらりと倒れ込む。

「シリル様!?」

慌てて駆け寄ったジゼルが、体を支え、その顔をのぞき込むと、シリルはすでにいつもと同じように、息をしているのが不思議なほどの状態で、眠りに落ちていた。

「……もう、寝ちゃったの?」

「ええ、熟睡してらっしゃるわ」

唖然としたソフィの言葉に、ジゼルは苦笑しながら頷くと、支えていたシリルの体をそっとその場に横たえる。

その様子に、思わずといった様子でソフィは溜息をひとつこぼした。

「まるで糸が切れた人形みたい」

興味津々といった様子でソフィがシリル顔をのぞき込んだ時だった。

そのすぐ傍にいたノルが、シリルの体の上に飛び乗り、ソフィに向かって勢いよく威嚇の声を上げる。

その急激な変化に、ソフィは、慌てて身を引いた。

「どうしたんだろう。さっきまで良い子だったのに」

不思議そうなソフィを、ジゼルは手を引いてその体をシリルから遠ざけた。

「寝ている無防備な間に、近寄っちゃ駄目って事よ。ノルは、シリル様のおやすみを守っているの。邪魔しちゃ駄目よ」

「はあい」

首を傾げながらも側から離れたソフィに、ノルは再び落ち着いたようで、シリルの顔の傍に、寄り添うように丸くなった。

ジゼルは、そんなシリルに、近くにあった自分の掛け布を被せ、ノルに話しかけた。

「ノル、上に乗らないの?」

「なあぅ」

「シリル様は、あなたが上にいても、怒ったりしないわよ?」

ジゼルが告げると、ノルはしばらくシリルの顔を見て、そしてそっとシリルの体によじ登り、胸のあたりで丸くなった。

「……ノルも、お姉ちゃんには特別なんだね」

少し拗ねたようなソフィの言葉に、ジゼルは苦笑しながら、そっとその場から離れたのだった。

その日、昼になる寸前、砦に、狼煙によって本隊から知らせが届く。

掃討完了を示す、黄色と緑の煙がたちのぼる姿を見て、残っていた兵達はすぐさま、会議室に籠もり手分けをしながらせっせと花嫁衣装を作る隊長一家に知らせに走ったのだった。