軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

26. 幽霊

温室は明かりもないため、燭台を用意して向かった。途中温室の入り口で約束通りアルロが待っている。

「アルロ!中で待っていたら良かったのに。寒かったでしょ」

「いえ」

駆け寄ったマリーヴェルにそう言ったアルロの声は鼻声だった。

色が白いから寒いとますます青白く見える。鼻のあたりは赤くなっていた。

「上着持ってないの?」

そう言うエイダンも薄いシャツだけの軽装だ。

「あ、あります」

着る物は支給される他、使用人仲間が何かとお下がりをくれる。それを着てこなかったのは、ただ単に習慣になかっただけだ。

「お兄様だって上着着ないじゃない」

「寒くないからね。——筋肉が足りないんだよ。筋肉増やしたらあったかいよ」

確かにエイダンは寒くなさそうだし、いつも手が温かい。アルロのいつも冷たい手とは対照的だった。

しかし並んでみると同い年とは思えない体格の差だった。エイダンと、華奢で頼りない印象のアルロ——。

マリーヴェルはなんだかもやっとした気がして、アルロの手を引いた。

「筋肉はいいから早く入りましょ」

2人が先に温室へ入る。エイダンもソフィアの手を繋いでそれに続いた。

温室に入るとふわりと温かい空気に包まれる。

花の香りもどこからか漂ってきた。

「——それで、どんな幽霊が出るって?」

エイダンはソフィアを見下ろした。

ソフィアは首を傾げた。

「さあ」

「ここに幽霊なんて、聞いたことないけど。誰に聞いたの?」

「なまえ、しらない。メイドのひと」

「あんたね。お世話してくれてる人の名前くらいちゃんと覚えなさいよ」

マリーヴェルはいい加減なようで、シンシアの言いつけを守ってメイドも名前で呼んで大切にしている。

シンシアが、感謝を感じたらお礼を言う事だとか、人と人としての付き合い方をきちんとするように、という方針だから。ペンシルニア公爵家は高位貴族であるのに、使用人を末端まで大切にする。貴族と使用人との間に必要以上の区別をしない。

使用人も皆立場を弁えているし、何より細部にまで意識を向けるのは、防犯上も悪いことではないとエイダンも思う。

それを、記憶が苦手なマリーヴェルがきちんと言う通りにしているところが、兄としても微笑ましく思うのだった。

マリーヴェルは構われたがりでもともと使用人らとよく話すというのもあるだろうが。

「ソフィアはまだ覚えきれないんだよ。——それで、どんなこと言ってたの」

「ダリアがね、おはなをかざりたいから、とってきなさいって。そしたら、こんなじかんに、ゆうれいがでるから、いやですって。けんかしてたの」

なるほど、若い下働きのメイドが言っていたのだろう。

「なにそれ?私はそんなこと、聞いたことないけど?」

知ってる?と聞かれて、エイダンも首を傾げた。

「さあ、僕も・・・13年暮らしてるけど聞いたことないよ」

「アルロは、使用人仲間から何か聞いた?」

「あ、その・・・」

マリーヴェルが驚いて向き直る。

「やだ、聞いてるの?」

「あ、でも、温室ではないです。用具倉庫で・・・」

用具倉庫は庭師の使う道具を入れている、ここから少し離れたところにある小屋である。

みんなの視線が集中して、アルロは遠慮がちに言った。

「刃物を研ぐ音が、夜中に聞こえると。それを聞いてしまうとその刃物で殺されるから、0時を過ぎたら用具倉庫には近づくな、って言われました」

「誰に?」

「やめてよ、そういう言い方」

詰問するようなエイダンの口調にマリーヴェルが間に入る。

「やめてって・・・聞いただけだろ」

「言い方がきついわ。お兄様の騎士じゃないんだからね」

「その言い方だと、僕が騎士たちにきつい言い方してるみたいじゃないか」

「してるじゃない、偉そうに」

「偉そうってどこが——」

「あ、あの!」

アルロが消えそうな声で叫ぶ。それでも静かな夜なので、2人の言い合いは止まった。

「誰かは、覚えていないです。申し訳ありません・・・」

「別に責めてないよ」

悪者にされて、エイダンは肩を竦めながら言った。

「あの・・・この手の話は、いくらでもあるんです。使用人の間では。なので・・・」

娯楽が少ない使用人たちの、ちょっとした楽しみなのだろう。

新人に対してちょっと怖い話をするのも、その反応を見て楽しむのも、よくある話だ。そういう話題は得てして主人の耳には入りにくいものだ。

「まあ、この屋敷って建ってからもう百年以上経ってるから。そういう話があってもおかしくないよね」

「それならヒュートランの屋敷の方が、出るって言っても納得だわ」

造りも歴史も、あっちの方が古い。

「他にはどんなのがあるの?」

「音楽室の楽器が鳴るとか、その時楽器に触れたら手を怪我したとか。えっと・・・志半ばで死んだ騎士が、訓練所で鍛錬をするので、刃物の音が鳴り響いたり」

「それはただ単にお兄様が訓練所で剣を振り回してる音じゃないの」

「いや夜中に振り回したりしないから」

夜は寝るように厳しく言われている。

よくわからないが夜10時には絶対にベッドに入る事、というのがシンシアの厳命だった。

ぐい、と手を引かれて見れば、しびれを切らしてソフィアが見上げてくる。

「ねえ、いこ」

温室は普通に歩けば15分くらいの広さだ。背の高い木もあるので、ぐるりと回って歩かないと見えないところも多い。南国のフルーツの木や、一年中巨大な葉をつける木、虫を食べる木など、ちょっとした植物園のようになっている。

先々代当主の趣味だったらしい。

「じゃ、ぐるっと回ってみようか」

エイダンが言うとソフィアが頷く。マリーヴェルもアルロと手を繋いで歩き始めた。

「——マリーはこっち」

エイダンがその手を取って自分の腕に組ませた。

「アルロはソフィアを頼む」

「はい」

マリーヴェルは不満を漏らそうとしたが、エイダンの無言の圧に押された。

普段それなりに好きなようにしているだけに、ここで押し切るのも、という気もして、エイダンに従うことにした。

エイダンの前でも無理を通せば、そのうち侍従を外せとか両親に言いつけそうな気がするから。ここはエイダンが日頃から言う「適切な距離」を保つのがよさそうだ。

アルロがそっとソフィアに手を差し出した。

「ソフィア様、手を繋いでもよろしいですか」

「いいよ」

足元を照らしながら、先を行くエイダンとマリーヴェルを追いかけるように続いた。

小さなソフィアは転んでしまわないか心配だ。あまり小さな子供と手を繋いだことなないアルロは、この小さな手が壊れてしまいそうで妙に緊張するのだった。

「アルロ、て、つめたいね」

「あ、申し訳ありません」

「おこってないよ?アルロのて、いつもつめたいなって」

「はい」

これでも随分改善した方だ。ここに来る前は食べることもろくにできなかったから、冬は特に末梢が冷え切ってしまって。真っ赤になってなかなか動かなくて、いつも大変だった。

今は寒くても、手足が動きづらいという事がない。

「にいさまのてはね、あついの。パパも。ママのはあったかいの」

「そうですか」

「アルロ、だっこ」

ソフィアが手を伸ばし、アルロはソフィアを抱き上げた。すぐさまこてん、とソフィアの頭が肩にもたれ掛かる。

「ソフィア様、眠いのですか?」

「んー、がんばるぅ」

そうは言うが、ソフィアの体はぽかぽかと温かかった。だいぶ眠いのだろう。

少し前を歩く2人を呼び止めようかとも思ったが、一周するだけならすぐだ。アルロは右手でソフィアを支え、左手で灯りを持って歩いた。

「——ねえ、面白い話してあげようか」

エイダンの提案にマリーヴェルは冷めた目を向けた。

「そうやって前置きすると、大体面白くないのよ」

「じゃあ、怖い話」

ひそひそとエイダンが小声で言うのは、ソフィアに聞こえないようにだ。

「この前野営で聞いた話。すごく怖くて」

「ああ、1人でお手洗いにも行けなくなったってやつ?」

マリーヴェルは興味もなさそうに通りすがりの花の香りを嗅いだ。

「あ、これお母様の香水の香り」

「ちょ、誰がそんなこと・・・」

「オレンシア卿よ」

「あいつ・・・」

「ほんとだったんだ。え、ついてきてもらったの?」

「いやいや。ちょっと、明るくなるまで我慢しただけだよ」

エイダンがコホン、と咳ばらいをしてごまかすようにした。

「夜の森って、独特な雰囲気があるんだよ。焚火の周りは余計闇が濃く感じるし、獣の泣き声まで不気味でさ」

「へえ。——あ、この花昨日部屋に飾ってあったわ」

「ある時、つい遅くなって帰り道を急いでいた商人がいてさ」

「・・・お兄様?私は聞くなんて言ってないけど」

「一つだけ聞いてみない?」

「話したいのね」

「うん。話したい」

この怖さを一緒に分かち合いたい。

「——その商人は御付きの者と2人、何かに追われるように馬を走らせていたんだ。背後から何かに追われるような気がして、少しずつ速度を上げて・・・。やっと遠くに街の明かりが見えて、商人はほっとして御付きの者を振り返ると——なんと、その人にはもう首がついてなかったんだ」

「へえ」

予想していたのと全く違う反応だった。

「怖くない?」

野営の最中、夜の森で聞けばもう少し怖かったかもしれないが。ここは見慣れた温室である。今日の昼にもここで散歩をしたばかりだった。

「——僕の話し方が下手なのかな」

「お兄様って、なんていうか、真面目に人の話を聞きすぎるんじゃない?話半分で聞けばいいのよ」

確かに、情景をしっかり思い浮かべながら聞いていたけれど。

話半分というのがどうやればいいのか、エイダンにはよくわからない。

「そもそも、そんなに日ごろから鍛えてるのに何が怖いの?」

「鍛えた力が及ぶものかどうかわからないじゃないか」

「だから、一々そうやって考え———」

マリーヴェルが呆れたように言って、途中で止まった。

あまりにも不自然に止まったから、エイダンが立ち止まってマリーヴェルを見た。

「マリー?」

マリーヴェルは耳を澄ませるようにして辺りを窺っていた。

自分で話しておきながらエイダンの方が少し怖くなって、マリーヴェルの手を握る。

「マリー、怖いから急に黙らないで」

「何か聞こえなかった?」

「いや、何も」

マリーヴェルがアルロを振り返る。

「アルロ、何か聞こえた?」

「そうですね、泣き声のような・・・」

「ええっ」

エイダンは情けない声を上げた。