軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編【赤ちゃんこんにちは】5

妊娠中は壊れ物のように扱われ続けたシンシアだったが、中でも最もライアスが過保護の度を越したのは、もう後一月もすれば生まれるだろうという頃になった時だった。

いつもの治癒師と産婆の診察を終えた時、深刻な顔をされた。さっと緊張が走るライアスとシンシアに、治癒師が重々しく行った。

「逆子、でございます……」

「逆子って……」

「はい。お子様の足が、下にございます」

「それは、その……具体的に何が」

診察日には必ず仕事を休むライアスが、今日もシンシアの傍らに座っている。ソファには背もたれがあるのだから必要ないのだが、シンシアの背中を支えながら身を乗り出した。

逆子という聞きなれない言葉に、わからないながらも治癒師と同じように深刻な顔をしている。彼らは丁寧に説明をしてくれた。

「本来、赤子は頭から生まれるものですから。足が先に出ては、引っかかってしまいます。

「なっ……」

「生まれないというわけではありませんが、危険が伴います」

「なっ……!」

ライアスは取り乱して、声もろくに出ていなかった。

「そう言えば、最近よく下の方が動くと思っていたのよね」

とりあえず落ち着けようと思って、シンシアはわざと呑気に言って、下腹部をさすった。ここに足があるのかな、と。するとライアスもはっと思いついたように言った。

「牛や馬は脚から出て来るが」

は?

シンシアは驚いてライアスを見た。

誰が牛や馬の出産だ——と言おうかと思ったが、動揺しすぎておかしなことを口走っているようだから、取り敢えず黙っていることにした。

「公爵様……。人は馬とは違います」

ほんとそれ。産婆も、呆れたように言っている。

「馬であっても、上肢の次には頭が出ますから」

かと思ったら治癒師の説明に、シンシアは片手を上げた。

「——ねえ、ちょっと馬からは離れましょう」

わかっている、馬は身近な存在だって。

でも馬でしょ?四本足の動物と比べないでほしい。体のつくりがまるで違うんだから。

「あ、失礼いたしました。——その、逆子ですと、最後に頭が引っかかります。赤ん坊が自由に動けず、そもそもお産も長引きますし、へその緒が絡まったり、赤ん坊にも危険が」

ライアスの顔がみるみる真っ青になっていく。

「ど、ど……どう……」

「まだ、一月ありますから。様子を見ましょう。様々な方法はありますが、それらのリスクも考えた上で、最終的に戻らなければ、その時にまた考えましょう」

「方法って?」

「赤ん坊は水に囲まれていますので、その水をゆっくりと動かす方法もありますが……へその緒が絡まらないか、という危険性もあります」

なるほど。魔法があるだけに、そんな方法が。羊水を回すのか。

「透視の魔道具を使いながら回せばどうだ」

透視……ちょっと恥ずかしいけど。レントゲンと思えばありか。

「見えたところで、熟練の水の遣い手でなければ。水の動きと赤子の動き両方を考えて魔力を流しますので動きが読みづらいのです。それに、赤ん坊は繊細です。その子のすぐそばに魔力を注ぐという事が、安全かどうかも……」

「そんな……」

ライアスは愕然としたまま固まってしまった。

「——まあ、戻るかもしれないでしょう?」

「あ、はい。まだ一月ありますから。回転する余裕もあると思います」

「ね、ライアス。まだまだこれからですよ」

なぜ夫の方を励まさないといけないのかと思ったが、自分よりも不安そうな顔で固まってしまっているから仕方なく。

励まされても心ここにあらずな様子のライアスだった。

そしてこの時から、いつも以上にシンシアの手となり足となり、必死にできるだけのことをしようと奮闘しているようだった。

その後数日、ライアスはずっと情報収集を続けている。

逆子が直って出産した経験がある、という人がいれば飛んで行って体験を聞き、治療したことがあるという治癒師の元へ馬を飛ばし。

「素晴らしいですよ。論文を書いていただきたいくらいです」

治癒師がライアスのまとめたノートを見てそう言ったくらい、緻密な調査と情報量だった。

体操くらいはシンシアも熱心に付き合ったが、中には怪しいものも多かった。絶対に関係ないだろうと思う食べ物を食べさせられたり、歌を歌わされたり。正直付き合うのにうんざりするものもあったが、それでライアスの不安がまぎれるならと思って、一応付き合った。

半分くらいはやっているふりをしていた。

「ははうぇ、ねてる?」

エイダンの声にはっとする。

シンシアは子供部屋でクッションにもたれていた。お行儀は悪いが、足も開いてドーンと床に座るのが最近は楽で。誰かが入ってきたら、急いで足を閉じる。

今日も診察で見てもらったが、逆子は直っていなかった。肩を落として、仕事を片付けてきます……と言ったライアスと別れたのが少し前。

「あかちゃん、うごいてる?」

胎動で動いている時に話しかけて、反応した!とエイダンが大喜びする、と言うのがいつもの流れだった。エイダンはお腹を優しく撫でてくれる。

「うーん、今は寝てるかな」

エイダンの小さな手がぽんぽんとお腹を叩いた。

「おーい、にいちゃ、だよぉ」

真剣におなかに向かって話しかけるエイダンが、可愛くて愛おしくて、シンシアは自然と笑みがこぼれた。

「おーきーてー」

おなかに口をつけながら言うから、くすぐったい。

「ふふ……は、はは……」

シンシアが笑うとエイダンも嬉しくなって、そのままおなかにブーブーと口をつけて慣らしている。

「ちょっと……はは、赤ちゃんびっくりしちゃう」

「びっくりして、くるりんなると、いいねえ」

エイダンもここ最近のライアスの奇行を目にしているから、心配しているのかもしれない。

「ありがとう」

赤いふわふわの髪の毛を撫でてやると、そのまま気持ちよさそうに目を閉じた。

しばらくするとドアがノックされる。

「はい」

姿勢を正して返事をすれば、ライアスが入って来た。

「戻りました」

「あ、ちちう——」

エイダンが立ち上がろうとして、シンシアのドレスを踏み、つるっと滑った。

「あっ——」

重たい頭から倒れそうになって、思わず手を差し出すが——シンシアの反応はそこまで早くない。

「はうああああっ——!!」

ものすごい悲鳴が屋敷中に響き渡った。大地を揺るがす程……いや、実際に屋敷が揺れている。ライアスである。

エイダンの頭はシンシアのお腹で受け止められて、幸いエイダンは無傷だ。おなかの上でびっくりしたまま、仰向けに倒れて天井を見ていた。

ライアスのあんな叫び声は初めて聞いた。断末魔の叫びって、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。魔力が漏れ出て地震を起こすなどというのも、初めて見た。

叫び声を聞いて騎士等が駆け付けたほどだった。

まあ、過保護に拍車がかかって、階段も抱き上げるような状態だったのに、よりによってお腹にエイダンが落下したのだから無理もないだろう。

「ライアス、大丈夫ですよこれくらい」

全然痛くなかったし、これくらいの衝撃は大丈夫だろう。

そう思ったが、ライアスは顔面蒼白のままごくりと息を呑んだ。

「治癒師を……急げ!いや、私が呼んで……っは、いや、シンシア、横に——」

ライアスが混乱しているので、シンシアはよいしょと立ち上がり、エイダンと手を繋いでゆっくりと治療室まで歩いて向かった。

「——直っております」

「え?」

ライアスを安心させるために訪れた治療師の元で言われたのは、思わぬ朗報だった。

「逆子が直っております!」

「まあ。すごいわエイダン!」

ぶつかったときに、一瞬感じた痛みと圧迫感だろうか。分からないが、エイダンのお陰という事にしておこう。

エイダンは褒められて抱き締められ、えへへ、と笑っている。

「ははうえ、よかった?」

「ええ、とっても良かったわ」

ライアスが目立って取り乱していたので表には出さなかったが、シンシアだってかなり不安だった。

けがの功名と言うかなんというか、これで安心して出産に臨むことができる。

そして。

予定よりも5日早く、拍子抜けするほどのスピード安産で、シンシアは可愛らしい女の子を出産した。

エイダン出産時の事を覚悟していた産婆と治癒師らは、あまりの静かでスムーズなお産に驚いて何とも言えない顔になったほどだった。

「奥様。素晴らしいお産でございました」

と、妙な労いをもらったほどだった。

部屋に入って来たライアスは、赤ん坊を抱くシンシアを見て数歩離れた所で止まった。

まだ起きてはいけないと言われているため、シンシアは顔だけをそちらに向ける。

「ライアス?」

「………………」

返事がない。

「ライアス、手を」

そう言って伸ばすと、ようやくライアスは近づいてきて、シンシアの手を握った。

夏だというのにその手は冷たく震えていて、いつものようにシンシアの手を強く掴むことはできないようだった。

「ライアス」

うつむいたままのライアスに声を掛ける。

産むのはシンシアで、痛いのも苦しいのも、頑張るのもシンシアだけど。

代われないもどかしさと、いろんな不安とずっと戦って、それを押し殺して世話を焼いてくれていた。

エイダンの時にはこうして見守ることもなかったから、今回が初めての出産の付き添いで。それにも、過去の自分にとか、きっと色々と思う事があるんだろうし。

そんなぐちゃぐちゃな感情を表には出さず頑張ってくれたライアスを、ちゃんと労っておきたかった。

「ご苦労様、可愛い娘ですよ」

「わたしでは……」

ライアスのか細い声がした。

「頑張ったのは、貴方です」

そう言って、ぽた、と雫が落ちた。

「あら、ライアス……貴方、泣いてるの?」

ライアスは答えなかった。今まで見たこともないほどに顔が涙で濡れていた。

「す、すみませ……とま、らず」

「ライアス」

シンシアはライアスの手を引っ張った。

「もっとこっちへ来て。貴方の涙を拭かせてください」

ライアスは力なくベッドの横に膝をついた。

寝ながら赤ん坊を抱いている手を繋いでいるから、もう片方の手で探すと、気をきかせた産婆がハンカチを持たせてくれた。それでライアスの涙をぬぐう。

ようやく涙が引いてきたところで、ライアスの手を離した。

「さあ、抱いてやってください」

「えっ」

ライアスは本当に驚いたように赤ん坊を見つめた。

おそるおそる、そっと頭を撫でる。ライアスの手が大きいから頭はすっぽりと隠れてしまいそうだ。

うっすらと開いたところを見れば、シンシアと同じ金の瞳だ。髪は、一見するとないように見えるが、銀色なのだろう。産毛がうっすら、よく見ればある。

「小さい——」

「あっ……んぶ」

生まれたての赤ん坊の、泣き声とも言えない声にライアスは弾かれた様に手を引っ込めてしまった。

「壊してしまいそうです」

抱くどころか触るのも怖いというので、シンシアは困ったように笑った。

赤ん坊の抱き方を乳母に習って練習していたのに、実物を前にするとどうしていいかわからないようだ。

今日の所は無理強いしなくてもいいかと思い、シンシアは赤ん坊を抱き締め、眩しそうにしている顔をそっと撫でた。小さくて、薄くて白い肌だ。鼻は小さくて小指の先ほどしかなく、尖った唇が何かを吸うようにもぞもぞと動いている。頬をつつくと、その指を探すように唇が動いた。

そうやって赤ん坊を愛おしむシンシアの髪を、ライアスがいつものように撫でた。胸ポケットからハンカチを取り出して、シンシアの汗ばんだ額をゆっくりと拭ってくれる。

「シンシア、本当にありがとうございます。つらいところはありませんか?私にできることは」

「大丈夫よライアス。言ったでしょう?上手に産んで見せるって」

確かにシンシアにはそれほど疲労の色もなく、余裕すら見えた。見守っている治癒師も、もう問題ないというように穏やかに後片付けをしていた。

「はい。本当に……あなたは素晴らしい人です」

ありがとうございますといおうとしたら、シンシアがぐっとライアスの手を強く握った。

「貴方のお陰よ。貴方が私を信じてくれるから、力が出たの。私を信じてくれてありがとう、ライアス」

貴方だから——そう言ってもらえている気がして。

ライアスはまた泣きそうになって、返事ができなかった。