作品タイトル不明
番外編【はじめてのおつかい】3
パンを持ったエイダンはさらに足取り軽く歩き始めた。
時々誘惑にかられるいい香りの店が並んでいるが、何とか止まらずに歩き続ける。
バターの溶けた香りがするケーキ屋さん、エイダンの好きなエビの香ばしい匂いのする海鮮焼き屋さん、きらきらと目を引く玩具屋さんまで。
いつもなら、シンシアと一緒にじっくり回って、あれこれ買ったりして楽しい場所だ。
今は一人で、少し寂しいけど。
エイダンはぎゅっと鞄を握りしめて、葡萄亭の前に立った。
「公子様!」
いつものように店の前で掃除をしていたアイラが、手を振ってくれた。まるでエイダンが来ることを知っていたかのようだった。
何度か訪れて、年が近いからと遊ぶようになって。年の近い貴族の友人は、こんな風に手を握ったり、頬をつんつんして来たり、わははって、大きな口を開けて笑ったりしない。そのどれも、アイラが自由で輝いて見えた。
「おかあさーん、お客さまー!」
アイラが店の中に向かって声をかけてくれた。まだ看板は倒されている。昼の営業前だった。
「まあ、公子様」
アイラの母は店の中に一行を招き入れてくれた。
そのままエイダンの前にしゃがんだ。
「今日はご両親とご一緒ではないのですね。もうお一人でお出かけをされているのですか」
「うん。ぼくね、おつかいにきたの」
「まあ……」
アイラの母は、客層に貴族も多いから、パン屋の店主よりは貴族の事情も知っている。おつかい、という事を普通貴族の子息がしないことも知っているから、余計驚いた。それでも、普段からアイラと交流を持ってくれたり、気さくな公爵夫人の人柄を知っているからこそ、まだ納得できるような気もする。
「あのね。ぎんかがあるの。ぼくとおんなじだけだから……3つ」
最近できるようになった指三本立てをしてから、エイダンは鞄から財布を取りだした。
「なるほど……銀貨3枚をお持ちなのですね」
「これで、マ……ははうえの、すきなのをかって、かえりたいの」
「お持ち帰りですね。奥様がいつもご注文くださっているといえば……シチューでしょうか」
しっかり炒めた玉ねぎと牛肉を、たっぷりのワインで煮込んだシチューを気に入って食べてくれている。看板メニューでもある。
「母さん」
黙って聞いていたアイラが首を振った。
「消化に良いのがいいよ。くたくたの、とうめいのスープの。わたしがかぜの時の」
「あれは……あんたのは、残り野菜とコンソメだからねえ」
コンソメ自体は、一晩かけて作るかなり手間のかかるスープではあるが。店に出すのにはそれに鶏肉や新鮮な野菜を入れている。風邪の娘に作るときは、店で余った野菜の端切れを何時間も煮込んだものだった。
「あれがいいよ」
アイラの母は困ったような顔をした。
こうやって確信めいた言い方をする時は、アイラの言う事は大体当たる。きっとそうした方がシンシアにとってはいいのだろう。夏の風邪は胃腸に来やすいし、もしかしたらシンシアはそれで体調を崩しているのかもしれない。
しかし、あれは公爵夫人の口に入るにはあまりにも、質素だ。
「でもねえ……あんなお粗末なもの」
「おかね、たりない……?」
エイダンが銀貨をぎゅっと握り締めた。アイラと母の会話がよくわからないものの、アイラの母が渋っているのはわかった。
エイダンにとってはじめての、お金を払って何かを買う、という事だから。屋敷を出た時からずっと、この銀貨3枚で本当に望む物を買って帰れるのか——それだけが心配だった。だから真っ先に、だめだったのかと思う。
「ひとつでいいの。ままのぶんだけで」
おなかも空いて、もうすぐ開店の店内にはいい香りが漂っている。エイダンのお腹からぐう、と音が鳴った。
「まあ、公子様、おなかが空いてらっしゃるのですか」
「ううん!」
エイダンは慌てて首を振った。
「ぼくね、おなかがすいたときの。ちゃんとあるの。だから、だいじょぶなの」
そう言ってごそごそと鞄から飴を取り出した。手が小さくて銀貨も飴もは持てない。ちょっとその辺りに置いておくという器用さもないから、いちいちお財布に銀貨を仕舞って——とても時間がかかっているが、その場にいる皆がつい見守ってしまう。
がさ、と包みを開いて飴を口に入れた。丸いほっぺがさらに丸くなって、ついほっこりしていると、エイダンは再びよいしょ、よいしょと銀貨を取り出した。
「スープ、かえない?このおかねでかえるぶんだけでいいよ」
小さい頭で必死に考えているようだった。
アイラの母はふっと笑った。
「大丈夫ですよ。そういえば、公子様はとっても買い物上手でいらっしゃったって、奥様からお聞きしています。そんなに上手に交渉されたら、お出ししないわけにはいきませんね」
「じょうず?ぼくが……?」
「ええ。おもちゃを一つ、と言われたら、欲しいものをすべてまとめて一つにして、公爵様に買っていただいたのだと。——胃腸に優しい、とっておきのスープをお作りしますよ。荷物はそちらの方に持っていただくのかしら」
それなら大鍋でも——と思ったら、エイダンはぶんぶんと首を振った。
「きょうは、ぼくのおつかいなの。ぼくがもつんだよ」
「まあ……でも、重うございますよ?」
「へいき。ぼく、ちからもち」
「そうですか……」
ちら、と背後のタンを見れば、黙って頷いている。
確かにエイダンは3歳にしてはがっしりとした体つきだ。もしかしたら、娘のアイラよりも力は強いのかもしれない。そう思ったが、それでも、1人前にした方がいいだろう。
「では、準備いたしますから。アイラとお待ちいただけますか?」
「うん!」
「公子様、あっちであそぼ!」
アイラならスープが出来上がるまでどのくらいかかるのかわかるだろう。目的の物も買えそうでほっとして、エイダンは満面の笑みを浮かべた。
さっきまでアイラが掃除をしていた店の前で、エイダンとアイラは石畳に座った。
「なにする?宝石さがしする?」
石畳の間から、綺麗な石を見つけた方が勝ちの単純な遊びだ。よくやる遊びである。
「うん……」
ぞろぞろと店の前に立っていては迷惑になりそうなので、今はゲオルグだけが少し離れた所に立っている。
笑ってついて来たものの元気がないエイダンに、アイラはぎゅっと手を繋いだ。
「お母さんが、心配?」
「ママにね、ぎゅってしたんだけど……」
エイダンは小声で言った。
「ママがちいさくなっちゃったんだ」
「え、奥さまが?」
「おはだも、かさかさしてたの。げんき、なかったんだ……」
抱き締めてくれた腕がいつもより頼りなくて。いつもと違う薬の匂いと、ずっと寝ていて乱れた髪の毛。そんなシンシアを見慣れなくて、実はちょっと怖い。でも、会いたい。
屋敷の誰にも言えないのに、アイラにはすらすらと言える。
ダリアもタンも、こういっても大丈夫だと言うだろうし、エイダンが元気がないとあれこれ世話を焼いてくれる。子供心に、何となくそれも負担だった。
「ママ、げんきになるかなあ……」
「なるよ」
「もとに、もどるかなあ……」
「戻るよ!」
アイラが断言した。
エイダンは膝を抱えて、顔を埋めた。
少し、沈黙が流れる。
「——よし、じゃあさ、魔女のくすり、買いに行く?」
「え……」
「魔女のくすり。すごくよく効くの。私この前もその薬飲んで、あっという間に風邪が治ったんだもん」
妙薬の魔女。そう言えば、パン屋の店主もそんなことを言っていた。
「いく……いきたい!」
アイラはにっこりと笑って、エイダンの頭をよしよしと撫でた。
「じゃあ、いい?いまから15数えたら、よーいどん、で走るよ?」
「じゅ……じゅうご……」
エイダンはまだ、4までしか数えられない。
慌てるエイダンにアイラが辺りを窺って、ひそひそと言った。
「——あと4を2回ね」
「えっと、いち、に、さん……」
数え始めると、アイラは力強く頷いた。それに勇気をもらって、エイダンは2回目の4を数えた。
その瞬間、通りの向こうで何か騒ぎがあったようで、人のざわめきのような者が聞こえる。ゲオルグの視線がそっちに向くのと同時に、5人位の集団が葡萄亭に押し掛けた。開店時間だ。
アイラがぐいっとエイダンの腕を引く。二人は人ごみに紛れて駆け出した。