軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編【はじめてのおつかい】2

エイダンの「おつかい」は、当然却下されるものと思っていた。

それが意外にもあっさりと許可が下りた。

エイダンはシンシアとライアスの寝室に入って行き、タンはドアの前で待機していた。意気消沈して出て来るエイダンをどう宥めようかと考えていたのに、エイダンは満面の笑みで、むしろ意気揚々と部屋を出てきた。

その後にライアスが続く。

「——え……本当に?」

エイダンが今から用意する!と言うから、タンは思わず背後のライアスにそう尋ねた。

「頼んだぞ、タン」

「えっ……あ、はい」

その言い方では、ライアスは来ないのだろうか。エイダンだけを街へ送り出すのが信じられなくてタンはライアスを見上げた。

「私はシンシアの側を離れられない」

当然のように言い放って部屋に入って行ってしまった。

それでも、エイダンは大事な公爵家の後継者だ。一体どれほどの護衛を引き連れて街へ繰り出すのかと思ったら、護衛は副団長のゲオルグといつものオレンシアだけだという。

タンは驚いてしまった。とはいえ、主人の命にどうこう言える立場でもない。そもそもエイダンの遊び相手は良くしているが、まだ侍従になったわけでもないし、頼まれても何をどうしたらいいのかわからなかった。そしてタンは口下手だ。

ダリアと共にせっせと荷物の準備をするエイダンの後ろに、不安な顔で付き添うしかなかった。

子供部屋で、ダリアはエイダンの鞄にお財布と、銀貨数枚を入れた。水筒と飴も入れる。

「タンのいう事を、よく聞いてくださいね」

「うん!」

「あの……僕、葡萄亭は行ったことがないんですが」

ダリアはふっと笑った。

「大丈夫よ、今回はあくまでもエイダン様のお使いだから。基本的に、貴方も騎士もエイダン様について行くだけでいいのよ」

「それは……どういう」

タンはよく意味が分からなかった。とりあえず自分の知る限り、貴族の子息が一人で買い物に行くという状況は、ない。

「はじめてのおつかい、なんですって」

「はじめての……?」

「奥様が行ってらっしゃいと言うのだもの」

その一言だけで、ああ、と納得するしかなかった。

シンシアは時々、突拍子もない事をする。

エイダンが小さい頃から食卓を一緒に囲み、泥遊びも水遊びも一緒になって楽しんだり。王族も貴族も基本的には子供の相手をこれほどずっとするという事はないはずなのに、それをして、しかもそれが心底楽しそうにしている。エイダンを見つめるシンシアの瞳は優しさと愛情に満ち溢れ、冗談抜きで女神と呼ばれているくらいだった。

そのシンシアが、エイダンが一人で街に行くのを許可したのだというのなら、ライアスもその意図を汲んで調整しているのだろう。

護衛が最少人数なのはいらぬトラブルに巻き込まれないのに必要で、本当の護衛はきっと影に隠れてたくさんついてきているはずだ。

「お金もお財布も、奥様のご指示なの。とにかく、エイダン様が困った、助けてというまでは手出し無用ですって」

「はあ……」

むしろ庶民がするような、実用的なおつかいを思い浮かべればいいのかもしれない。シンシアがなぜそれを知っているのかは謎だが。

準備を終えたエイダンが軽い足取りで外へ向かっている。

タンはその小さな背中を黙って追いかけた。

屋敷から数分、街の入り口で馬車は止まった。

タンが先に降りてからエイダンを抱き下ろそうとすると、エイダンはむっと唇を一文字に結んだ。

「タン。ぼくね、おりえるよ!」

降りれる、と言えていない時点で少し心配だ。そう思ったが、もちろんタンは口にも顔にも出さなかった。

「手を持つのは——?」

そう言って手を差し出すと、その手をぎゅっと握ったので、一歩ずつ降りるのを支える。

確かにエイダンは3歳にしては運動神経が良く、この馬車くらいならぴょんと飛び降りてしまいそうだったが。

一応、少し緊張はしているらしい。タンの手をぎゅっと握ったまま歩き出したから。

そうしてしばらく街並みを歩く。エイダンの足取りに迷いはないから、街の入り口から葡萄亭までの道はしっかりと覚えられているらしい。

途中パン屋の前を通り過ぎると、バターと小麦のいい匂いがしてくる。

エイダンの顔がすすす、とパン屋の方へ向かって、足取りものろのろと止まりそうになった。エイダンの手が放される。

——手出し無用。

ダリアがそう言ったから、タンはエイダンをじっと後方から見守った。

よだれが出そうなほど口をぽかんと開けている。

カランカラン、と音がしてパン屋のドアが開く。そうすると一層パンのいい香りがして、エイダンの足はついに止まった。

「あれ?タンじゃねえか」

家が近いので、ここはよくタンも利用する。店主とも顔見知りだった。タンはぺこりと頭を下げる。

「ちょうど焼きあがったぞ、お前の母ちゃんの好きな胡桃のパン」

「いえ、仕事中なんで」

タンの視線の先には、エイダンがいる。

すうっと空気を吸い込んでるのが分かり、パン屋の店主は笑いながらエイダンの前にしゃがんだ。

「よう、坊ちゃん。パン買っていきますかい?」

一応店主なりに丁寧な言葉使いをしている。タンが貴族に仕えていることも、背後の護衛騎士が赤いペンシルニアの騎士服だという事も気が付いたからだろう。あくまでも、店主なりの、ではあるが。普段ガサツな店主の事を思えば、相当気を遣っているようだ。

エイダンは話しかけられたのにびっくりしたように目を丸めていた。

「ぼ、ぼく……」

普段から大人に囲まれているからか、いつもそれほど人見知りはしない。それでも今日は一人だし、少し尻込みしているようだった。

「味見していかねえかい?うちのパンは美味しいぞお」

店主の体が大きいから、エイダンが余計小さく見える。エイダンはごくりと唾を飲み込んだ。

「パン……」

「どんなパンが好きだ?甘いクリームの入ったやつかい?チョコレートをザクザクと入れてるのとか、シンプルなさっくさくのクロワッサンもあるぞ」

店主が説明するたびに、エイダンは目を輝かせた。

ペンシルニアのシェフも大変腕が良くパンもいつも美味しいが、やはりこの焼き立ての香りは別格だ。

実際ここのパンは美味しい。

「ママが……」

「ん?」

「マ——ははうえが、たべられる、パン、ある?」

「母上が食べられるパン……?」

店主は首を傾げた。

「奥様はどんなパンがお好きなんで?」

「んっとね……」

エイダンが考えるように視線を上に上げる。

シンシアはいつも、どんなパンも美味しいねって言いながら食べるけれど。

「ふわふわの。バター、パンよりたくさん、のせるの」

真似しちゃだめよ、などと言いながら、シンシアは大量にバターを食べるのだった。

「うちはバターは売ってねえんだが」

エイダンの顔がショックに固まった。

そもそもシンシアは寝込んでいるのに、そんなにバターを食べたらだめだろう、とタンは思った。

「バターがないパンはダメか?何か他に好きなパンはねえかな。うまいんだぞ、うちのパン。バターがなくたって、美味しいって言ってくれるはずだ」

「あとは……えっと、くさいパン」

エイダンは苦手な香りのパンだった。確か名前は……。

「しょも……?しゃもパン」

「シャモ……?なんだそれ?」

「しゃも、ちがう。しゃも」

同じ発音に聞こえるが、エイダンの中では違うらしい。子供が5人いる店主にはそれが分かったから、聞き返すのはしなかった。

「くさい……しゃも。じゃがいも?」

「ううん。すぱいす」

「っああ、スパイス……シナモンか!あー、さっき売切れちまったな」

エイダンの顔は更に衝撃に固まる。口を開けたまま、眉が八の字になっていた。

「ママが……げんきになるのが、いいの」

「奥様は——」

寝込んでるのか、と言いかけて店主ははたと口をつぐんだ。

ちらりと騎士らの顔色を窺う。幸い、今日の騎士等は知らぬ顔をしていた。

本来高貴な方のことは口にするのも許されない。

店主はさっと立ち上がって店に入って行ったかと思うと、小さな紙袋を持って帰って来た。

「——ほい、まだあったかいから、気を付けて持ってくださいよ」

中には丸いパンが3つ入っていた。

「パン……?」

「元気になるパンです。食べにくかったら、スープや牛乳に浸してもいいように、シンプルな奴にしました。こういうのが、一番パン屋の腕にかかってる、自信作でね」

「おかね……」

エイダンは鞄から銀貨を取り出した。店主はそれを押しとどめる。

「これは、味見用なんで、お代はいりません。美味しかったら、また来てください」

「ありがとう……!」

「妙薬の魔女程じゃねえけど、これだって食べたら元気になりますからね」

「みょう……まじょ?」

「おい」

余計なことを言うな、と流石にこれはゲオルグが止めた。

庶民の間では、高価な風邪薬を買うよりは、民間で薬草を煎じている者を頼ることが多い。それが妙薬の魔女だ。

「——あ、い、いや。何でもねえです。坊ちゃん、どちらまで、行くんで?」

慌てて店主はそう言いつくろった。

「えっとね、ぶろろてい。きょうは、ぼく、おつかいなの!」

「おつかい!」

店主は驚いたが、貴族の事は良く知らないし、最近ではそういうお遊びも流行っているのかと思いなおした。

「頑張って下せえ。応援してますんで」

「うん」

エイダンは嬉しそうにパンの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、にっこりと笑った。

「いいにおい!ままがね、さっきね。ぎゅうってしてくれたの、だからぼく、がんばる!」

こんなにいい香りのするパンだもの。きっと食べて、すぐ元気になると、エイダンは思った。