作品タイトル不明
12.
「宣戦布告!——ヴェリントの宣戦布告、出ました!」
小屋の外から伝令の声が聞こえる。
おお、というどよめきが小屋の中にも伝わってくる。どうやらこの小屋の周辺に、思ったより多くの兵士が集まっているらしい。声は大気を揺らすほどに感じた。
シャーン国の残党だろうか。
モイセスが興奮を隠しきれない顔で唇の端を持ち上げた。
「いいね、絶妙のタイミングだ」
闇から生じさせた魔物と、シャーン国の残党兵と。そしてヴェリントの軍隊。そういう算段か。
「さて、ここでもう少し大人しくしておいてもらおうかな。ファンドラグの被害が大きければ多いほど、ブラントネル王国への恨みも大きくなる。——ああ、公子には魔物に食われてもらうつもりだから。魔物が出て来るまでは生かしといてやるよ。しっかりお別れをしておくといい」
エイダンの真っ赤に染まった背中を見て、抵抗できないとでも思ったのだろうか。目を潰すのはやめたらしい。
「そう簡単に・・・王都は落ちないよ」
「そうかな?ヴェリントは国を挙げての軍隊だ。国境の一領地で抑えられるものではない。すぐに王都に到達するだろう。一方、王都には魔物がいるから、出陣できないだろう?混乱の最中だ」
マリーヴェルがモイセスを睨みつけた。
「正々堂々勝負しなさいよ、卑怯者」
「私達にはどうにも魔力が少なくてね。どうしてファンドラグにばかり魔力の多いものが生まれるんだろうな。ずっと不公平だったんだ、少しは策をめぐらさないと」
「健全な精神に宿るんだよ、魔力は」
「欲望に忠実なんだから、私は至って健全だと思うが」
モイセスは鼻歌でも歌いそうな軽い足取りで窓を開けた。大きく開け広げたせいで、景色が開けて見える。
「さあ、ここからヴェリントの軍が来るのを待つとしよう。東の方も見えるだろ?あの街道の向こうに黒い影が浮かぶのは、二日後か、三日後かな・・・ふふ、ふ・・・」
不気味な笑いをこぼしながら、モイセスはドアの前に胡座をかいて座った。
大軍勢の影が見えたのはその日の昼過ぎだった。
しかしそれは東の街道ではなく、西の地平線だった。
騎馬隊を中心とした軍隊なのだろう、見る見るうちに影は大きくなって、王都に流れ込んでいった。
「なんだ、あれは・・・どこの軍だ!」
モイセスは小屋の窓からそれを発見し、外の見張りに怒鳴りながら尋ねる。
「旗は・・・え?」
まさか、と窓のすぐ側にいた見張りの兵士が呟く。
「ブラントネル・・・あの旗は、ブラントネル王国旗です」
「は?どういうことだ?」
不気味な静寂が流れる。
「あいつ、本当にファンドラグを攻めに来たのか」
モイセスは扉を開けて外に出た。黒い集団が一直線に王都へ向かっているのを目を凝らして見ている。
あいつ——そんな言い方をするということは、まさか。エイダンとマリーヴェルは硬い表情で、お互いを支えるようにしながらそっと外に出てそれを眺めた。
黒い集団が王都に雪崩れ込んでいるように見える。城壁でもほとんど止まる様子なく、あれほどなめらかに進んでいくのは、城門が開かれているのだろうか。
「なんだ?なぜあんなに簡単に・・・っは、そうか。王都はもう魔物に溢れ、大混乱か?——よし、移動だ。移動するぞ!」
モイセスは自分の台詞に勝手に勇気付けられているようだった。追い詰められた人間というのは、時々こうやって極端に視野が狭くなるのだろう。
興奮した声でモイセスは兵らに指示をする。ざっと見ただけでも、五十人近くの兵士がいる。エイダンとマリーヴェルをそのうちの数人が囲んだ。
「公子は魔物の前に捨ててこい。公女は私が助け匿っているとする、丁重に扱え。行くぞ!」
エイダンはマリーヴェルを掴む手に力を込めた。ここで引き離されたら、大変な事になる。
「——っや、ちょっと、触らないで!」
マリーヴェルの腕をモイセスが掴み、力任せに連れて行こうとした。
「よせ、触るな!——っく」
エイダンがそちらに手を伸ばす。が、動くと背中に激痛が走り、思うように動けない。拘束具のせいもあって動きが鈍く、すぐに数人の兵士に体を押さえられる。
「——っく・・・」
「っあ、ちょっと!お兄様に乱暴しないで!」
「だったらついてこい」
「っや——」
無理やり引っ張られて、マリーヴェルは思いっきり抵抗した。エイダンにしがみつくが、片腕をぐいぐい引っ張られて、腕が痛い。それでもここで力を抜いたら、エイダンと引き離されてしまう。
エイダンが苦痛に顔を歪めている。離してあげたいけど、お互いに、絶対にこの手を離してはだめだと分かっているから、必死だ。
絶対に嫌だ。マリーヴェルは全力で抵抗した。ずるずると土を削りながら引きずられる。
マリーヴェルが引き止めようとするせいで、エイダンの顔が苦痛に歪んでいる。背中の傷が開いたのだろうか。
どうしよう、その一瞬の迷いのせいだろうか、無理矢理兵士によって引き離される。マリーヴェルは全力で体をモイセスと逆の方に倒した。引っ張られて、腕が抜けそうだった。
エイダンが離れていく。
「痛っ・・・いや、やだ。助けて・・・」
どうしよう。
「ア、アルロ——っ!」
シュッ——瞬間、耳慣れない音がした。
痛くてたまらないほど引っ張られていた手が、嘘のように解放された。突然の解放に、後方にバランスを崩したマリーヴェルの体を、その声の主が受け止める。
ふわりと、優しく抱き留められる。
マリーヴェルはこの腕を知っている。
「姫様」
すっぽりと腕の中に収まって、その声にまさか、と驚いて見上げると、そこには見慣れた黒い髪と瞳のアルロが、マリーヴェルをしっかりと抱きしめてくれていた。
「あ・・・あ・・・」
あまりにも突然で、マリーヴェルは呆気に取られて固まってしまった。
優しいアルロの顔が、マリーヴェルを見下ろしている。また背が伸びたんだろうか。なんだか身体も、以前よりがっしりしている気がして、自分が小さくなったように思う。
少しだけ髪が伸びたアルロは、別れた数カ月前より大人びた表情で静かにマリーヴェルを見つめていた。
「——姫様、遅くなってすみません」
「あ、アルロ・・・?本当に?」
「はい」
そう言ってアルロはマリーヴェルの腕をそっと掴んだ。自然とマリーヴェルもその腕に視線を移す。
「あ、見ない方がいいですよ」
そう言われたのに、見てしまった。マリーヴェルの腕に、モイセスの手が掴まれたままだった。手だけが。
「っひ、ひゃあああ——!!」
アルロが素早くその手を離して放り投げた。その手の主は無様にも腰を抜かし、暴れまわった末にアルロが連れてきた手の者にあっさりと拘束されていた。
離れたところでずっと叫んでいる。
「すみません。斬った方が早いかと。ご不快なものをお見せして」
アルロが優しく抱きしめてくれていなかったら、とうに気を失っていたかもしれない。
少し離れた所でエイダンがベンによって支えられているのを見たら、ほっとしたせいか気が緩む。
「ううぅぅぅ・・・」
あまりの気持ち悪さに、吐くかと思った。思っていたら、アルロが更にぎゅっと抱きしめてくれた。
その温かい体温にほっとして、マリーヴェルはもうアルロしか見えなくなった。
アルロはマリーヴェルの手をそっと取って、手錠に力を込めた。ばき、と音がして手錠が外れる。同じように目の前に跪いて足枷を取ってくれた。
「アルロ。帰って来てくれたの?」
アルロはふわりと笑って見上げた。いつもの、優しい笑顔だ。
跪いたまま、マリーヴェルの両手を取って、それを自分の額にそっと寄せた。
「遅くなって申し訳ありません。ただ今、戻りました」
温かい手。大きくて、かさついた手。前と一緒だ。マリーヴェルはあふれそうになる涙をぐっとこらえた。自分を見上げる、記憶よりも少し大人びたアルロの顔をもっとしっかり見ていたくて。見る限り、綺麗な顔もたくましい腕も、怪我はないようだった。マリーヴェルはアルロの全身をくまなく観察した。
それでもやっぱりたまらなくなって、マリーヴェルはアルロに抱きついた。黒い鎧の硬い感触がする。
「怪我はしてない?」
「はい。かすり傷でも負ったら一旦帰ってくると、エイダン様とお約束していたので」
そう言ってエイダンを見れば、そちらは既にベンによって拘束が外されていた。
自分で自分の背中の傷を治癒しながら、エイダンは何とも言えない顔でアルロを見ていた。何かをこらえるような顔だった。歩み寄って、マリーヴェルの全身をさっと淡い光で包み込む。負っていたかすり傷は綺麗になった。それでようやく、エイダンがほっとした顔になる。
「——お帰り、アルロ」
「ただいま戻りました、エイダン様」
「あのさ。感動の再会に水を差したくないんだけど・・・いつまで抱き合ってるの」
「嫌よ。離れない!一生離れない!」
「馬鹿言うなよ!」
エイダンはそう叫んだかと思うと、抱き合う二人を外側から抱きしめた。
「僕だって抱き合いたい!アルロ!会いたかった!!」
二人で取り合いのようにアルロを抱きしめて、アルロは間に挟まれて右に左にと揺らされた。
「はっ、ははっ・・・!」
乱戦が起きている小高い丘の上。戦場には似つかわしくないアルロの笑い声が響いた。