作品タイトル不明
37.
結局四つくらいの店舗を見て回り、ネロには羊毛と肌触りの良いウールの布を買った。出来上がった寝床を買うより、上質なもので手作りした方がいいだろうという事になったのだ。
余裕ができた残りのお金で、アレックスには同じく羊毛で作られた猫のぬいぐるみを買っていた。
「——アレク、ネロの事いつもうらやましがってるから。これをネロと思ってもらうの」
「いいね。きっと喜ぶよ」
エイダンに頭を撫でられて、ソフィアも嬉しそうだ。
荷物は配達を頼み、エイダンは再びソフィアの手を握った。
「さて、買いたいものは買えたし、お昼ご飯食べて帰ろっか」
「賛成!もうおなかペコペコ」
そう言うマリーヴェルは、四つの店舗全てで色んなものを買っていた。とっくに予算は超えていると思うが、ペンシルニア邸にこれを届けて代金を受け取って頂戴の一言で済ませていた。
ちゃっかりしている。
シンシアの小言が今から予想されるが、マリーヴェルはきっと何とも思っていないのだろう。
「——葡萄亭でも行く?」
それくらいしかマリーヴェルは知った店がなかったが、ここから何となく近いのはわかる。
「いやー、この時間は忙しいだろうから。何食べたい?」
「サンドイッチ」
「グラタン」
ソフィアとマリーヴェルが同時に答える。この二人の食の好みが合った事はないが、幸いそのどちらも一つの店で済ませられそうだった。
「わかった。おいしいカフェがあるんだ。ね、アルロ」
「あ、あそこですか。ちょっと狭いですけど・・・」
エイダンとアルロは何度か行ったことのある、気安い店だ。ドレスを着た貴族を店で見かけたことはないから、気楽な店なのだろうが・・・。
マリーヴェルとソフィアを連れて行っていいものなのか、少し心配になる。
「大丈夫だよ、あそこの店主、僕がペンシルニアって知ってるから」
「では、すぐそこなので、行きましょう」
そう言って、エイダンとアルロの案内するカフェに向かった。
カフェは大通りから少し外れたところにあって、二階は宿屋になっている。
一見するとやや薄汚れた佇まいなのだが、ちょっと古いだけで決して不衛生なわけではない。
数人が一部屋に泊まると聞いて、マリーヴェルもソフィアも目を丸くしていた。旅行者としてはごく普通のことなのだが、王族御用達の宿にしか泊まったことのない二人には信じられないことかもしれない。
そんな反応も面白くてアルロは笑いを噛み殺しつつ、ドアを開けた。
店主は初めはきらびやかな四人に驚いていたが、すぐににこやかに招き入れてくれる。
「お坊ちゃま方。今日はお連れ様もいらっしゃるんなら、貸し切りにしましょうかい?」
「いいよ。今だってそんなもんじゃないか」
「ひっどいなあ」
この辺りは王都の中でも比較的裕福な者が多い界隈なので、少し古く寂れた雰囲気のあるこの店はあまり客足が良くないのだ。味はいいのに残念だし、潰れてほしくないからエイダンも定期的に通っている。
店主も今くらいがちょうどいい、と言ってのんびり夫婦で経営している。騎士仲間が良く利用するからお行儀の良い客が多く、エイダンらがきても肩肘を張らない接客で、ありがたい居場所だった。
「いいんですよ。食堂の客がすくなくったって、宿の方が盛況なんでね」
ファンドラグは今、経済が潤ってきている。そのため他国からの旅行者や商人が多く、宿泊業界は今なかなか羽振りがいいらしい。
他に客がいないのもあって、注文するとすぐにいい香りと共に料理が運ばれてきた。
「はい、お嬢様はパングラタン。こちらのお坊ちゃんが——あれ?貴方は女の子ですかな」
「そうよ」
ソフィアはにっこりと笑った。
どう見ても男の子にしか見えない格好のソフィアを見抜くとは、宿屋の店主をしているだけあってみる目があるようだ。
「へえ。こりゃ失礼いたしました。貴族様でもそんな恰好をする方がいるんですね」
「いいでしょう?」
「ええ、素敵ですね。ほれぼれしちまう」
「ふふ」
店主が体をくねらせて明るく振る舞うから、ソフィアはおなかを抱えて笑った。人のいい店主だ。
楽しく食事を食べながら、今日買った物、明日は何をする、なんていう話をしていたらあっという間に時間も過ぎ、食事も食べ終わった。エイダンもアルロも二人前をペロリと食べていた。二人の食べっぷりを見て、段々と似たようになってきたなとマリーヴェルは思った。
こういう所に二人で来ているのね、と辺りを見渡す。
その時。とん、とん、とゆっくりと階段を下りてくる足音が響く。自然と皆の視線がそちらに向いた。
「——おや、にぎやかだなあと思ったら」
二階の宿から降りてきたのは、しばらく見なくなっていた、ヘルムトだった。
今日は帽子は被っていない。それでも寝起きですというような寝癖交じりの髪を無造作に束ねて、清潔感とは少し遠い身なりをしている。あくびをしたせいで涙交じりの灰色の目を擦っている。
「・・・まだファンドラグにいたんだ」
「いや、一回帰ったよ。昨日着いたんで、疲れて今まで寝てたんだ。馬を走らせれば、四日もあれば行って帰ってこれるんだ。意外と近いだろう?」
「・・・・・」
エイダンとアルロが顔を見合わせる。
ライアスの判断で、この男の事は以前の監視にとどめ、放置している、と聞いている。ヘルムト単身であれば恐れることはないだろうと言われた。動向は探っているものの、アルロの護衛を解くのと同時に、接触を制限したりもしない、と。
それでもこの四人でいる時に現れるとやや警戒する。
気配を探るが、どうやら今回もヘルムト一人のようだった。
一方ヘルムトは心の底から嬉しそうにして、隣の席に座った。
「こんなに早く再会するなんて。これはもう、やっぱり天啓なんじゃないだろうか」
「寝言言ってるよ」
エイダンが吐き捨てた。
エイダンとアルロが時折利用するという事を調べてあったのだろう。どの貴族がどの店を贔屓にしているかということは、少し調べれば結構わかる。そうして待ち構えていただけの話だ。
「——帰ろっか」
まだ少し飲み物は残っているが。そう思いエイダンが立ち上がる。
「知り合い?」
「アルロをシャーン国に連れて行こうとしてる、自称親戚のおじさんだよ」
「はあー!?」
エイダンの回答にマリーヴェルが即座に反応して、一気に戦闘モードになった。敵と認定したらしい。
「何その胡散臭いの。おじさんの顔、アルロに似ても似つかないけど!?」
「ひどいな・・・」
エイダンにもマリーヴェルにも嫌われて、ヘルムトはぼりぼりと頭をかいた。
「どうもペンシルニアのお子様たちには、嫌われるようになってるのかな私は」
「ソフィーは別に、嫌いじゃないわよ?」
思わぬ助っ人にヘルムトは嬉しそうにした。
「さすが!ほら、小さい子には分かるんだよ、いい大人が」
「いい人かどうかは分からないけど」
ソフィアが首を傾げた。
「——ソフィー、このおじさん、この前ネロを操ってたらしいよ」
「何ですって」
エイダンの告げ口にソフィアの態度は一変した。じろりと睨みつけられ、ヘルムトが慌てる。
「ちょ・・・ちょっとだけ、一瞬だよ。そんな・・・ちょっと抱っこさせてもらっただけだよ」
「やっぱり、好きじゃないかも」
ソフィアはぷい、と興味を失ったように視線を逸らした。
そのまま、とにかく放っておこうと思ったタイミングで、店主がヘルムトに水を持ってきた。それをコン、と木の机の上に置く。
「——お客さん、この方々に失礼するようなら、出てってもらうからな」
「はいはい、わかってますよ。大丈夫ですよ」
ヘルムトが人の良さそうな笑顔で何度も頭を下げた。
それからもらった水を飲んで、ふう、と大げさに息を吐く。サンドイッチを注文したから、店主は不審げな目を向けたまま後ろ歩きで厨房の方へ下がっていった。視線は引き続き感じる。子供達に保護者がついてきていない分、何としても自分が守ってやらねばと言う気持ちでいるのだろう。
ヘルムトは気を取り直してコホン、と咳ばらいした。
「温かいね、ここの人たちは。——この国に来ると、嫌でも思い知らされるよ。我が国の貧困を・・・」
独り言か、何なのか。アルロとエイダンは目を見合わせた。
本格的に演説が始まる前に帰ろうか、と子供達が立ち上がるのを制するように、ヘルムトの声量が上がった。
「貧困は人の心も擦り減らすから・・・思いやりだとか、そういったものが今はもう、本当に難しくて。この間は、このたった一杯の綺麗な水を得るために、娘を売った母親に会ったよ。——でも、責められないだろう?その母親には小さな赤ん坊がいたんだ。泣きながら、母乳が出ないってその水を飲んでいたよ。悪いのはその母親か?そうじゃない、そんな世の中にした政府だ。私はそれを許さない、絶対に!」
次第に熱弁になりそうなところにエイダンが釘を刺す。
「おじさん。取りあう価値もないから放置しているってわかってるよね?あまり調子に乗るようなら、ペンシルニアの排除対象になるよ」
「それは困る」
「——どういう事?なんでアルロを連れて行きたいのに、魅力のない国の話ばかりしてるの?誘う気あるのあの人」
マリーヴェルは心底不思議そうだった。
「あんな話されて、誰が行ってみようかってなるの?関係ない私でも寄り付かなくなるわよ」
「情に訴えたいんじゃない?」
「アルロが優しいのをいいことに?まあ。憎たらしい男ね!」
ドン、とマリーヴェルが机を叩いた。
「いや、でもねお嬢様。アルロ君ならそれができるんだよ。国が救えるんだ。だから私は——」
「黙りなさいこの詐欺師」
「さ・・・っ」
「国のいいところでも言ったらどう?貴方が本当に国を救いたいのなら、正式に必要な準備を整えてペンシルニアやファンドラグ国王に支援を要請したらどう?そんなこともせずに、言う事を聞かせられるかもしれないってアルロに標的を定めるなんて。子供だから?優しいから?本当になんて悪——、ああ、なんだっけ」
「悪人?悪魔——あ、悪辣、ですか」
「そう、それ!悪辣よ!」
最近難しい言葉を使いたくて色々と調べているのだ。アルロもそれを知っていたから少し難しい言葉を出してみたが、合っていてよかった。マリーヴェルは言えてちょっとすっきりした顔をしていた。
「国のいいところ・・・」
ヘルムトは両手で水の入ったグラスを握りしめていた。
いいところを言えと言われたら、思い浮かぶのは子供の頃の景色ばかり。今は、別世界のようなこの豊かな隣国で、たった一人戦列を離れている。自分一人がぬくぬくとしているようで、何を食べても味なんてしない。
「いい国だったんだよ。本当に、いい国なんだ。一面の雪景色と、美しい山々。海岸線に行き交う漁師の船と交易船——私はそれを、取り戻したいだけなんだ。魅力をと言うのなら、もちろん、いくらでも語れる。——過去の姿だけど、きっと・・・」
「ちょっと。急に被害者ぶらないでくれる」
同情しそうになるから厄介だ。苦々しくマリーヴェルが言った。
店の中に、微妙な空気が流れた。