作品タイトル不明
23.
ファンドラグ王国は少し、慌ただしくしていた。
数年ぶりに隣国ヴェリントから、王族が訪れた。それも、国王夫妻とその娘、王族そろっての来訪である。
もともと国交を深めるために定期的な行き来はあったが、ここ数年は少し疎遠になっていた。
貿易も盛んな友好国ではあるものの、シャーン国との戦争時にも特に支援はなかった、つかず離れずの仲と言えるだろうか。
オルティメティとイエナは連日その応対に追われ、忙しくしている。
同じくペンシルニアでも、ライアスは騎士団長として警備に、シンシアは式典の取り仕切りに城の滞在時間が増えた。
忙しかったので、少し前から一家揃って城に滞在している。
本城の貴賓室はヴェリント一行のために全て使用するため、ペンシルニア一家はユートスもいる別宮に宿泊した。
その別宮の四階がペンシルニアが使用している階である。
その階に、朝、ものすごい悲鳴が響き渡った。
「き、きやぁあああああぁぁぁぁぁ!!」
ライアスとエイダンはもう出勤して不在だった。悲鳴を聞きつけて、シンシアが駆けつける。
悲鳴のした部屋はソフィアの部屋だ。
駆け付けたら、騎士等は部屋の外で戸惑った様子を見せていた。
「——どうしたの・・・?」
騎士が中に入っていないという事は危険はないのだろう。困惑顔の騎士等を見て、ドレスの裾を持ちあげながら、小走りで部屋を覗いた。
「今の声は、ダリ・・・——っな、・・・!」
シンシアも、悲鳴は上げなかったがその光景を見て固まる。あまりの衝撃に、シンシアにしては珍しく、固まったまま動けなくなっていた。
ソフィアの手にはハサミが握られていた。
鏡の前に立っていたソフィアの金の髪は、バッサリと切られていた。ちょっとどころじゃない。もはや、ベリーショートだ。
その横でダリアが顔面蒼白で腰を抜かしていた。
「——ねえ、何の騒ぎ・・・?」
遅れてやって来たマリーヴェルが騎士の間から入って来て、あんぐりと口を開けた。
「ソフィア・・・あんた、何その頭!」
マリーヴェルの隣でアルロも目を見張っている。
この騒ぎの元凶であるソフィアは騒ぎをものともせず、ハサミをカチャリと台の上に戻すと、くるりと体をダリアに向けた。
「ねえダリア。切ったかみがチクチクするから、シャワーしてもいい?」
誰も反応できなかった。
あまりの事に、部屋は静寂に包まれた。
その空気を分かっているはずなのに、ソフィアはいつものようにまた言った。
「ねえ、ダリア。聞いてる?」
ファンドラグでは、貴族の女性は全員髪を伸ばすのが普通だ。子供のころから徐々に伸ばし、7歳くらいになると腰の辺りまであるのが通常だ。
そこより短くすることはあまりない。肩まで切っている人もいるが、短いという印象だ。ショートの女性は平民ではそれなりにいるが、貴族にはいない。髪を伸ばすのは手間がかかるし、手入れも必要だ。いわば豊かさの象徴でもある。
シンシアは頭がくらくらとした。
今日はヴェリントの使者を迎える日程の中でも、唯一子供たちも参加する晩餐会のある日だ。
朝からその準備に追われ、朝食を摂る暇もないほど忙しい。
——その、今。
「誰か夢だと言って・・・」
シンシアの嘆きに答える者はいなかった。
とりあえず何とか立ち上がったダリアが、ソフィアをシャワーに連れて行った。
使用人を数名呼んで、散らかった部屋を片付けてもらう。
シンシアはそのままソファに倒れるように座った。
座ったものの、ただ呆然としていた。何も考えられない。
「——公爵様へご連絡しますか?」
アルロが心配そうに、労わる様な声でそっと尋ねた。
マリーヴェルが、もう一つのソファに座った。
「ええ。・・・あ、いえ、どうかしら。忙しいだろうし・・・」
「お知らせはしておくだけでしたら、よろしいのでは」
「そうね・・・」
シンシアが考えがまとまらないのを見て、アルロが行ってきます、と言って立ち上がった。
「何かしら・・・え?切ってみただけ?いやいやいや。切る?しかも、今日?今日晩餐会ってわかってるわよね」
アルロが出て行くのを視線で追っていたマリーヴェルがシンシアの横に座りなおす。
「お母様、しっかり」
「マリー、何か聞いてた?」
マリーヴェルは首を振った。
「考えても仕方ないわよ。ソフィアは変人じゃない、元々」
「そう?そうかしら・・・?あ、駄目だわ。何も考えられない」
マリーヴェルが肩をすくめた。
足元に黒猫がやってきて、それを膝に乗せる。
みゃ、とネロは小さく鳴いた。
「はい、これでも撫でて」
マリーヴェルがシンシアの膝に猫を置いた。マリーヴェルは別に猫が苦手ではないが、好きでも嫌いでもない。
「ああ、あったかくてふわふわ・・・」
触っていると落ち着いてきた。
「そうね。聞かないと分からないわね」
「いいじゃない、ソフィアは部屋に閉じ込めとけば」
「そんなわけには・・・あ、理髪師を呼ばなきゃ」
「——お任せください」
シンシアの言葉に、控えていたメイドが頭を下げて出て行った。お城のお抱えの者を連れてくるのだろう。
どれほど腕のいい理髪師でも、男の子のような髪型にする以外方法はないだろう。
「お兄様より短かったわね」
「・・・・・」
シンシアはまた頭を抱えた。
きちんとプロによって切り揃えられ、シャワーを浴びてさっぱりしたソフィアはシンシアの向かいの椅子に座り、首をしきりに触っていた。すっかり露出したそこが気になる様子だ。しかし、その顔は満足げだ。
「ぷっ・・・」
マリーヴェルが耐え兼ねて噴き出す。
「なあに」
「だって、その髪型でドレスなんて着ていたら・・・あんた、男の子がドレス着てるみたいよ」
笑われてもソフィアは何も言わなかった。そうでしょうねと言わんばかりだ。
こほん、とシンシアは咳払いをする。冷静にならないと。
「——それで、ソフィア。どうして髪を切ったの?」
「お母さま、わたしね」
ソフィアはじっとシンシアを見つめた。
「アレクのお兄さんになってあげようと思うの」
「・・・あー・・・うん?アレクの、何ですって?」
「お兄さんよ」
シンシアは混乱していた。だからだろう。
「お姉さんじゃ駄目なの?」
そんな馬鹿な質問をしていた。
数日前、ソフィアは子猫のネロと共にアレックスのもとを訪れ、二人でネロを遊ばせながらゆっくりと過ごしていた。
「アレク、お母さまといっしょにいれて、よかったね」
「うん。ソフィー、ありがとう」
最近はいつ来てもイエナが一緒にいる。今はたまたま席を外しているが、普段はイエナはアレックスの部屋で過ごしている。
アレックスは目に見えて落ち着いていた。ただし、やや甘えん坊がひどくなった様子はある。
元々気が弱い引っ込み思案な性格だったが、今まで以上にイエナやソフィアの影に隠れるようになった。
乳母という怖い大人に接していた後だから無理もないだろうと、今は誰もそれを咎めたりはしないで、あたたかく見守っているところだ。
「もうちょっとしたら、おしょくじ会だよ。知ってた?」
晩餐会は子供達も参加する。
他にも高位貴族との交流の歓迎のパーティーも開催されているが、それはエイダンも含めて子供は皆不参加だ。
ヴェリントも子供を連れて訪れているから、同じように動く。
「ぼく・・・やだな」
「何が?おしょくじが?」
「うん。あいさつ、するの。おぼえられないの」
「へえ。王子さまだからかあ」
ソフィアには何も言われていない。ダリアからは、マリーヴェルの横でお行儀よくお食事をしているだけでいいですよ、と言われている。
「おうじさま、やだ」
「仕方ないじゃない。ティティおじさまが、国王へいかなんだから」
「そのひは、おねつがでるかも、しれないよ」
アレックスはぶつぶつと言っている。
「かわにおちちゃうかも」
アレックスは昔川に落ちたことがある。すぐに助け出されて問題はなかったが、その日から数日は医師が来たりベッドで安静にしたり、それなりに大事になっていた。
このままではわざと川に落ちてしまいそうだ。
「だめだよ、母さまが心配するでしょ」
「だって、やなんだもん。マキシムはでなくていいのに」
「マキシムは赤ちゃんだもん。たべられないでしょ。——嫌だって、母さまに言えばいいじゃない」
「だって、かあさま、こまったかお」
まだ四歳だから、できなくてもいいのだ。でも、できれば名前くらいは言ってほしい。できなくても仕方ないが、少しでも、王国の王子としての姿を見せてほしい。
そんな大人の思いを、アレックスは敏感に察知していた。
嫌だけど、やらなきゃと思っているのだ。四歳なりに。
「ソフィー、いいな。にいさまがいるから」
こういうのは長男が前に出るものだから。
「うーん・・・べつにソフィはしゃべってもかまわないわよ?」
「いいなあ・・・」
アレックスははあ、と盛大なため息をついて、ネロに顔を埋めた。
そのまま長い間そうしていた。