作品タイトル不明
19.
一方アルロはいつも通り目覚め、朝の訓練に参加していた。
マリーヴェルはアルロの14歳の誕生日の朝、訓練前の朝一番にわざわざ部屋を訪れてくれた。誰よりも早くおめでとうを言いたかった、と眩しい笑顔で祝ってくれた。
あれは嬉しかった。——とはいえ、自分が同じことをするわけにはいかない。
用事もないのに主人の部屋を訪ねるわけにはいかないだろう。
夏なのでもうすっかり明るくなっている訓練場で、アルロが一番乗りかと思ったらエイダンが既に素振りをしている。
エイダンはすぐにアルロに気づいて動きを止めた。
「おはよう」
「おはようございます」
アルロもその横で準備体操を始める。
いつもならここでエイダンがふざけて乗っかってきたり、一緒に走ったり、昨日あった出来事なんかを話したりするのだが。
今日はエイダンはただ、アルロのそばまで来たものの、しゃがんで柔軟体操をじっと見ていた。
「どうかしましたか」
調子でも悪いのかと心配したら、違った。
「あれいつ渡すの?」
「あれ、ですか・・・?」
「マリーの、プレゼント」
「ああ・・・」
アルロは考えるようにして、再び体を曲げた。
「まだ、決めてません。どこかお会いするタイミングで、お渡しできればいいんですが」
「待ってるんじゃない?」
「はは、まさか」
アルロがそう言うと、エイダンは同情するような微妙な眼差しを向けてきた。
「——僕、口うるさく言ってたのが、悪かったなって気にさえなるよ」
「・・・・・?」
エイダンが何を言いたいのか分からず、アルロは動きを止めた。
「偶然に会うって、意外とないでしょ。同じ屋敷内でも」
アルロの生活スペースは一階、マリーヴェルは基本的に二階である。
「そうですね。休みの日はお会いしない事もあります」
「僕は夜のディナーで渡すけど。やっぱりプレゼントは誕生日に渡すもんじゃない?」
「ですが、姫様は今日はお忙しいと思うんです。たくさんの方が姫様をお祝いに来られるでしょうから。なのでそのお邪魔にならない時にとは思うのですが」
「邪魔とかないでしょ。来てくれたら嬉しいでしょ」
そうだろうか。そう思いながら、アルロは準備体操を終えて立ち上がった。
エイダンも同じく立って視線を合わせる。
「アルロ、去年の誕生日、いろんな人に祝われて嬉しかったでしょ?こいつからはいらなかったな、とかないでしょ?」
「それはもちろんです」
「じゃあ行きなよ」
きっぱりと言われて、アルロは少し考えた。
エイダンと話すまでは、まだ少し迷いがあった。
自分がお祝いを言わなくてもたくさんの人から言ってもらっているだろうし、むしろ忙しいのに時間を割いてもらうのは申し訳ないような気もした。
だが、マリーヴェルはそんな人じゃない。アルロが行ったら、きっとものすごく喜んでくれる。
そう思うと、ちゃんとお祝いを言いに行こうと思った。
「ありがとうございます、エイダン様。行ってきます」
「うん。——じゃあ、そうと決まれば、一汗流しておこうよ」
エイダンはそう言ってアルロに木剣を渡した。
なぜそうと決まれば、となるのかは分からないが、基本的に理由なんてない。
一段落したら手合わせ、気分転換に手合せ、そういうものだ、いつも。
アルロはエイダンと朝の稽古を開始した。
そうやって打ち合っていると他の騎士らも出勤してきて。それぞれに言葉を交わしながら手合わせをしたり、片付けたりしていたら、いつものように朝食の時間になっていた。
アルロは片付けて食堂へ急いだ。
朝食が終わったら、マリーヴェルにお祝いを言いに行こうと考えた。
朝食後、アルロが食器を片付けようとすると入口の方に人だかりができていた。
何だろうと思って覗くと、執事長がタンに抱えられて椅子に座ろうとしている所だった。
「——た、あいたた・・・タン、もっとゆっくり」
執事長は苦悶の表情を浮かべて、歯を食いしばっていた。
「執事長・・・どうされたんですか」
アルロが駆け寄り、横にいたメイドに尋ねると、メイドは困った顔で教えてくれた。
「椅子に座り損なって、尻もちついたみたいだよ。ほら、ついこの間、ぎっくり腰をやった所だろう?」
「え・・・」
執事長は座るのも難しいようで、ゆっくり、慎重に腰を下ろしていた。
「ああ、タン。そこじゃない、そっち持ってくれ」
「・・・部位を言ってくれないか」
そこ、のどこを支えて欲しいのかタンにはよくわからない。どこを触っても痛いと言われる。
「だから部屋に——」
「だめだ、今日は大切な日だというのに・・・ああっ、いた、痛い」
「お手伝いしましょうか」
アルロが見かねて手を出した。両脇から支えて、二人がかりでゆっくりと腰を下ろしてもらう。
「——ううう、もうここから動けないぞ」
「執事長・・・」
執事長の額には汗が浮かんでいる。
「奥様に——」
「さっきからそう言ってるのに、嫌なんだって」
先ほどのメイドが説明してくれる。
「矜持が邪魔するんだよねえ。しかも今日はお嬢様のお誕生日だし」
「そんな・・・奥様はそんな事より、執事長が苦しむのを見過ごせないお方だと思います」
「アルロ君・・・」
執事長が沈んだ声を上げた。その沈んだ声に、アルロは、あ、と思い直した。
「そうですよね。僕が同じように腰を痛めても奥様にお願いするのは、心苦しいと思います・・・」
仕えるべき自分が逆に主人の世話になるというのは、耐え難い。アルロでもそうなのだから、この熟練の執事長はもっとそう思うだろう。
これほど痛くても、やっぱりできる限り何とかしたいと思うだろう。
「執事長。僕、今日予定がないので、僕に出来ることがあれば言ってください」
それで少しでも執事長が安静にできれば、と思った。
今日は夕方のディナーに向けて、皆忙しくそれぞれ働いている。暇なのはきっとアルロだけだ。
「アルロ君・・・」
執事長は感動したように言った。
「君は本当に・・・優しいですね」
そう言って執事長は懐から紙を取り出した。
「準備はほとんど終わっているんです。後は他の執事へ割り振るんですが・・・街へおつかいに行ってきてくれるかな。私が直接取りに行くと言っていたものだから・・・」
「親父、アルロは休みだから」
「大丈夫ですよ」
タンが間に入ってくれたが、アルロも力になりたいと思っていた。
「今日はすることがないって思ってたんです。仕事をください」
アルロがにこりと笑うと、執事長はぐっと力強く頷いた。本当は手を握ったり抱擁したいところだが、腰も痛いし、アルロが人との触れ合いが得意ではないと察していたので、自制した。
「アルロ君・・・。ちゃんと特別手当を出します。今日の分の休日も取ってもらいますね。——それで、ここなんだが」
執事長のおつかいは、街の店舗三軒を回るものだった。
「わかります。大丈夫です」
貴族街の店舗ではあるが、エイダンと出かけていて知っている店だ。
アルロはすぐに出発した。
走って街を回ったけれど、買い物が終わったのは昼前だった。執事長は一階の奥にある治療室のベッドに横になっていた。買った物を届けると、ベッドの上からあれこれと指示を出していた。安静にすると随分良くなったようで、あと二日程度横になっていれば動けそう、という事だった。
定期的に治癒師の治療を受けつつ、とにかく横になったままじっとしているのが一番いいらしい。
「痛みは、どうですか?」
「まだ動けませんが、じっとしている分には随分と良くなったんですよ」
ベッドの周囲に飲み物や食べ物が並んでいた。
「情けないですね。もう年なんでしょうか」
大事な日にこんなことになって、と落ち込んでいる様子だ。
「年だなんて。食堂の椅子、前から少しがたついてたじゃないですか。もっと大けがにならなくて良かったです」
「そう、ですね」
「ご自宅には」
執事長は屋敷のすぐ近くに家がある。今はそこで妻と二人暮らしだ。知らせがまだならアルロが訪ねようかと思った。
「ちょうど、妻は不在にしているんです」
「何か必要なものはないですか?」
「ありがとう」
もともと泊まりでの仕事の時もあるから、着替え等は屋敷にもある。あとはタンが、そっけないものの一応ちゃんとしてくれるはずだ。
執事長はアルロの買ってきた物の中身を確認し、それぞれにメモをつけた。
「助かりました。これをそれぞれの場所に届けていただけますか?それが終われば、私の方はもう大丈夫です。アルロ君も昼食を摂ってくださいね」
「はい」
時計を見れば、ちょうど昼食時間だ。
アルロはまた来ます、と言い置いて治療室を後にした。