作品タイトル不明
17.ねこちゃん
ある日の午後、アルロは自分の部屋で課題に取り組んでいた。最近ではマリーヴェルの授業補助をすることが減って、自分の勉強時間が増えている。
そこに、急いだ様子でノックが鳴った。
「はい」
「アルロ、大変!」
やってきたのはソフィアだった。この「アルロ、大変」は度々ある。大体は可愛いお願いだ。
呼ばれるたびにアルロは急いでソフィアについて行くことにしている。ソフィアはアルロの手を引っ張って、屋敷の庭園の一角に連れて来た。
庭園の中でも表の花が咲き誇る庭園ではなく、少し裏手にある林のような場所である。
「ソフィア様?一体・・・」
「お部屋から見えたの」
ソフィアはアルロの手を引いて、きょろきょろと木の上を探していた。
「——あ、あそこ!」
ソフィアが指さしたところには、かなり高く伸びた木の枝がある。そこに小さな影がしがみついているところだった。
「見える?」
「はい・・・」
アルロは目を凝らして見上げた。影は黒い毛の、小さな猫のようだった。
「猫ですね。降りられなくなっているのでしょうか」
「そうみたい」
木は三階くらいの高さまで、足場になりそうな枝もない針葉樹だ。夏だから上の方は葉っぱが生い茂って、木陰になって涼しい。
「大きな梯子を持ってきましょうか・・・」
庭師に聞いてみれば届くものがあるかもしれない。なかったとしても、剪定作業に慣れた庭師であれば、あそこに辿り着く術を知っているだろう。
「だめだよ。そんなことしたら、ねこちゃん、びっくりしておちちゃう」
「でも・・・」
「それに、じかんがないよ。ほら、上みて」
見れば、カラスか、鳶か。羽音がして、バサバサと猫に近づいて行っている。今はまだ人間を警戒して遠くから眺めているようだったが、襲うのは一瞬だ。いつ 攫(さら) われて行ってもおかしくない。
「おそわれてたの。それで、ちょっとおちたの」
「一体どうすれば・・・」
「ねこちゃんに、飛び降りてもらって、受け止めたらいいと思うの」
ソフィアはスカートの裾を広げた。
「そっちのはしをもって、アルロ」
「でも、猫が跳んでくれるでしょうか」
「アルロがやるの」
「え」
それは、どういう意味なのだろうか。
「ソフィア様、それって」
「アルロの、まりょくでやるの」
当然の事のように言われて、アルロは少し慌てた。アルロの魔力が闇の魔力で、人や動物を操作できるという事を、ソフィアは知っているようだった。
「あの、でも・・・僕、力は」
「だれも見てないよ?」
確かにこの庭園には誰も来そうにないし、屋敷の窓からも死角になって人目もないようだが。
「ないしょにできるよ」
「だれかが、言ってましたか?僕の力の事・・・」
アルロの魔力の事は、かなり厳しく情報を規制している。最高機密レベルの扱いだと聞いている。
騎士団で言えば騎士団長副団長、家内で言えば執事長とメイド長だけに伝えられている。あとは、アルロを見守るために影の数名に知らせているとは聞いていた。
その中の誰かがソフィアに告げたのだろうか。
「えと、だれだったかなあ。お母さまか、お兄さまか、だったような・・・」
ソフィアの耳に入る程に広まっている、というわけではないようだ。内緒という事もわかっているらしい。
闇の魔力が外に知られたとしてもペンシルニアは変わらずアルロを受け入れてくれるだろうけれど。大騒ぎになって迷惑をかけるのは間違いない。アルロは少しほっとした。
「おとなたちはね。ソフィーがわからないとおもって、むずかしいことばで、いろいろはなすの」
にこ、とソフィアは笑った。少し大人びた顔だった。
「ソフィーもしらんぷりしてあげるの。それが、えっと、たしみな?」
「嗜み、ですか?」
「うん!きいてないふりー、みてないふりー」
ゆらゆらと首を揺らして可愛らしく話す。
ばさばさ、と葉の激しく揺れる音がして、二人ではっと上を見上げた。子猫が泣いた。ぎゃ、とか細い声だった。それでも動くことができず、母猫に助けを求めているようだった。
「アルロ、ほら、いそいで」
「わかりました。——でも、裾を持ちあげるのはちょっと、よろしくないので、僕が受け止めますね」
身長からしても、ソフィアのドレスの裾をアルロが引っ張って子猫を受け止めるというのは無理がある。
アルロは子猫を見上げた。鳥も、肉眼では姿を捉えられなかったが、魔力を使えば対象物を特定できる。もうすっかり体に馴染んだ魔力で、標的を定め、鳥を遠くへ飛ばせた。
子猫も慎重に、自分に向かって飛び降りるように操作する。
子猫は軽快な足取りでとん、と枝を蹴ってアルロの腕に飛び込んできた。アルロは腕を伸ばしてそっとそれを受け止める。
子猫はすっぽりと両手に収まるほどの大きさだった。耳は片方がちぎれているが、もう血は固まって止まっている。毛むくじゃらで、目がぎょろっとしている。ものすごく小さくて、少し冷たい。
操作を解いても逃げる様子はなかった。体は強張っているが、温かいアルロの手に身を委ねている。
アルロはソフィアにそっと子猫を手渡した。
「——怪我をしていますね」
「うん、いこ」
ソフィアの事だから、シンシアに見せに行くのかと思ったら、違った。
「父さま、かえってるかなあ」
「先ほど馬車がついていました。公爵様でよろしいのですか?」
「うん」
ソフィアは子猫を揺らさないようにそっと歩きだした。アルロもその後ろに続く。
「父さまはなんでもソフィーのいうこと、きいてくれるもーん」
そう言ってとことこと軽い足取りで、ソフィアはライアスのいるであろう執務室へ向かった。
「とうさまー!おかえりなさい」
執務室にたどり着くと、たまたま入れ違いに騎士が出て行って、扉が開けられた。ソフィアはそこから中に滑り込む。
「ソフィア。ただいま」
ライアスはまだ登城した格好のまま、執務室に立っていた。書類を置いて膝をつき、ソフィアを両手で待ち構えた。
ソフィアは片手で猫を抱いたままライアスに抱きつく。すぐにライアスが子猫に気づいた。
「これは・・・」
「とりに、おそわれてたの。アルロとたすけたの。この子、ソフィーがおせわするね?」
「屋敷で・・・?それは、どうかな」
「どうって?」
「飼うとなると、色々大変だろう・・・その子には、お母さんがいるんじゃないか」
「いなかったよ。ソフィーずっと見てたけど、きにのぼるときも、おそわれてるときも」
「・・・・・・」
「いや、飼うのは——」
ライアスは、元の場所にかえしてきなさい、と言いそうな顔をしている。何と言って説得しようか考えている顔だった。
「ねこちゃん、かわいそう・・・」
ライアスの言わんとしていることを察して、ソフィアは俯いた。表情が見えないが、肩が震えている。
「そ、ソフィー・・・」
「う、うぅ・・・パパ、ひどいよ・・・ソフィー、せっかく、たすけて、あげられたのに。ねこちゃん、ソフィーのだっこで、やっとあんしん、して・・・うえぇぇ」
アルロは驚いて目を見開いた。
盛大に転んでも全然泣かないソフィアである。
怒号飛び交う騎士団の訓練を、うるさいなあと言ってのけ、訓練とはいえ殴り合いを見ても動じない。外では貴族の大人に囲まれてもにっこり応対し、すぐ横で子供たちが喧嘩を始めても慌てず仲裁することもある、物怖じしないソフィアである。
そのソフィアが、猫を飼うかどうかというだけで、大声を上げて泣いている。しかも、いつのまにかパパに戻っている。
慰めるのも忘れて、アルロはソフィアの背後で、信じられない思いでいた。アルロが知らなかっただけで、実はソフィアはかなりの動物好きだったのだろうか。退行するほど?そんな様子はなかったが・・・。
もっと慌てたのはライアスだった。
「ソ、ソフィー、飼ったらだめとは、言ってないだろう」
「だって・・・パパがぁ」
「パパだって、可哀想な子猫は見捨ててはおけない」
「ほんと!?」
あ。
嘘泣きだった。
「ありがとうお父さま!」
ソフィアは満面の笑みでくるりと反転して、部屋を出て行った。振り返りもしない。アルロも置いて行かれた。
「あ、ソフィ——」
「ねこちゃんけがしてるから!母さまのとこ、いってくる!」
ライアスがしゃがんだまま、呆気にとられたままでその姿を見送る。
「シンシアに・・・」
ライアスが困ったような顔をしている。
勝手に許可を出してと、非難されるだろうか。
ううん、と頭を抱えて思い悩むライアスをそっと残し、アルロはお辞儀をして、執務室を出て行った。