軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10.

マクシミリアンが眠ったので別の乳母に預けて、イエナとシンシアはアレックスの部屋を訪れた。

二人は部屋の異様な雰囲気に固まった。

アルロがアレックスを抱いたまま事情を説明する。

当のヤーレは他の乳母と交代してどこかへ行っているらしい。交代を言いつけられた若い乳母が、青い顔で控えていた。

口を塞いでいたのが石だと聞いて、イエナは言葉を失った。

覚えている。確かに自分は、口を布で覆うと言われて、分かったと答えた。頭を殴られたような衝撃と後悔に苛まれる。

頭は真っ白なまま、アルロからアレックスを受け取った。アルロのベストは涙やらでぐっしょりと濡れている。

「ごめんなさい、アレックス。お母様が、ちゃんと気づいていたら・・・」

その声は震えていた。

その様子を見ていたアルロは、あの行為がイエナの預かり知らぬ事だと分かって密かに安堵した。平民の自分が知らないだけで、ペンシルニアの外ではそんな事が普通に行われているのかと一瞬、考えた。

「——アルロも、ありがとう・・・」

「いいえ、私は何も」

「服が濡れてしまったわね。着替えを」

「すぐに乾きますので」

「——鞭うたないだけマシでしょうとでも言うようだったわ」

「まあ・・・」

マリーヴェルの言葉にシンシアも驚いて部屋を見渡した。随分と暴れたのだろう、絨毯も寄っているし、玩具も散乱している。

若い乳母を見れば、まずいと思いながらもヤーレに従っていたのだろう。萎縮して身体を小さくしていた。

シンシアは表情の固くなっているソフィアを抱き上げた。

「ソフィー、びっくりしたわね」

「うん。アレク、かわいそう」

ソフィアの表情は暗かったから、シンシアはぎゅっと強く抱きしめた。

アレックスはまだ、自分が何をされたとか、これが嫌だったといったことが話せない。

イエナはとにかく忙しい。マクシミリアンにも王妃としての仕事にも。その上、アレックスはもともと少し難しい気性でもあった。そうしてすれ違い、伝えられず。

フラストレーションも溜まり、悪循環だったのだろう。

「アルロが止めてくれたの」

「いいえ、僕では」

平民のアルロの言葉では、ヤーレは納得しなかっただろう。マリーヴェルが前に出たから引いて出ていったのだ。

「姫様が正論を話されたので」

「私?・・・何言ったかしら。何だか腹が立って、覚えてないわ」

「君主論を説かれていました」

マリーヴェルの言葉ではあったが、暴力で人を支配するくだりのその一部は確かに君主論の一節、それも序論の根源的な部分だった。

「まあ」

授業は遅れているから、帝王学ははなから習ってもないのに。アルロがそれを知っているのも驚いたが、子供達だけでアレックスを守ったことに、行為はひどくともシンシアは頼もしく思った。

「試行錯誤しながらのつもりが・・・いつの間にか、任せすぎてしまっていたんだわ」

イエナがアレクを抱きしめたまま話した。その口調は、重く沈んでいる。忙しかっただなんて、なんの言い訳にもならない。

「イエナ様・・・」

ヤーレのことはシンシアも知っている、ベテランの乳母だ。それだけに信頼して任せたイエナの気持ちもわかる。

「少し思い詰めていたようではあったの。ほら、王家の威信が・・・」

威信——ワイバーン襲撃の件がマクシミリアン誕生からくる凶兆ではないかという件だろうか。そんなよからぬ噂がある中で、次期国王たるアレックスが癇癪を起こすようでは——そう思い、乳母として実直に、何とかしようと躍起になっていたのかもしれない。

忠実に役割を果たしたつもりなのだろうが、しかし。

「——イエナ様の前ではやらなかったという所が、少し、引っかかるわね」

どこかでまずいことだとヤーレも自覚していたのだろう。だとしたら悪質だ。物言わぬ子供相手にエスカレートしたのだとしたら。

イエナが更に思い詰めたようにアレックスを抱く手に力を込めた。

それから残った乳母に、王妃としての顔を向けた。

「ヤーレをここへ——」

「イエナ様」

シンシアがそっと手を重ねた。

「今は」

そう言うだけで、イエナはシンシアの言わんとすることを察したようにはっとした顔をした。

即刻処罰を下したい気持ちは分かる。そうする必要もあるだろう。しかしそのつもりならば、もう二度とアレックスには会わせない方がいい。

「そういうのは他の人に任せて、今は」

アレックスの表情は見えないが、今は落ち着いているように思う。

ついこの間ワイバーンの襲撃もあって、弟も生まれて。そんな中自分を守るはずの大人は拘束し抑圧してくる。——アレックスが感じた恐怖と、不安を思えば、癇癪も噛み癖も、それこそ自然な反応のように思えた。

アレックスはイエナが抱き上げていると、何も言わず、ただしがみつくようにイエナに抱きついていた。時折すりすりとその胸元に顔を寄せている。

その様子を見ていると、思う存分甘えて満足したら、また落ち着いていくんじゃないだろうかと思った。

「はあ・・・私は本当に、だめね」

「そんな事言わないで。アレクにとっては、大好きな、一番のお母様じゃない」

「そうですね、私がしっかりしないと・・・それなのに。うぅ・・・」

イエナはついに泣き出してしまった。

シンシアももらい泣きしそうになって、天井を仰いだ。最近ちょっと涙もろいかもしれない。

部屋はすっかり沈んだ空気になって、誰も長い間話さなかった。

「——今日のところは、失礼しますね」

しばらくしてから、シンシアが声を掛けた。

「あ・・・こんな事になって・・・」

見送りをしようとしたところを、シンシアが制した。お互い子供を抱いたままだ。

「とにかく、アレックスとゆっくりしたらどうかしら。ほら、アレクはお母様が大好きなのね」

アレックスの後頭部しか見えなかったが、かすかに頷いたようにも思う。

「マキシムはティティに任せて、ね」

「はい・・・そうですね。そうします」

イエナは涙ぐんだままの声でそういった。

自分を責めるのだろうけれど・・・それでも、これを機会にアレックスとの時間がもっと持てたら良いと思う。

シンシアらはそのまま騎士団の方へ向かった。

マリーヴェルは興味がないといってアルロと共に祖父であるユートスの別宮へ行ったので、シンシアはソフィアと共に騎士団の訓練所に向かった。後ろからはペンシルニアの護衛が二人ついてきてくれている。

「エイダンはどこかしら・・・」

「聞いて、探してまいりましょうか」

「うーん・・・でも、エイダン、嫌がらないかしら。私が見に来て・・・陰からそっと、ちょっとだけ見るだけでいいんだけど」

「奥様が直々にいらしてくだされば、お喜びになるのでは」

いつも真面目に護衛をしてくれる騎士達だったが、こればっかりはちょっと信用できなかった。

エイダンはお年頃である。新しく職場に入って、まだ一カ月程度。そんな中で親が職場見学っていうのも・・・。

気になってライアスに、毎晩のようにエイダンはどうかと尋ねるものの、ライアスはあっさりと、問題ありません、と答えるだけだった。

友達はできたのかしら、と聞くのも、遊びに来てるわけではないからおかしいし。馴染めているのかどうかと聞いても、あっさり、はいと答えられる。

もっといろいろなエピソードが聞きたいのに、と思ってしまう。

「——あ、兄さま」

ソフィアが遠くを指さした。

「えっ、うそ、どこどこ?」

「あそこ。赤いあたま」

ソフィアの指した方角を見れば、遠くの広場の片隅に、座って水を飲んでいるエイダンを見つけた。かなり遠いが、これ以上近づいたら見つかりそうなほど周囲には何もない。シンシアはそっと柱の陰に隠れた。

「兄さまのとこ、いかないの?」

「お兄様は、お仕事中だからね」

そう言いつつもじっと目を凝らして見てしまう。

オペラグラスを持ってくればよかった・・・いや、それこそ、そんなところを見つかったらエイダンに嫌がられてしまう。

「——まあ、エイダンったら、紫の騎士服も良く似合うわね」

ペンシルニアは赤なのに対し、王国騎士団は黒と紫の騎士服になる。従騎士だからマントはまだ短い。訓練服ではなく騎士服だから、職務の途中なのだろうか。

また違った姿に、ちょっと感動した。すっかり大人になったように見えてしまう。

——今度絵師を呼んで描いてもらおう。エイダンは嫌がるかもしれないから、何かエイダンの喜びそうなもので釣って・・・。

そんなことを考えていたら、エイダンに数人の同僚らしき騎士等が話しかけていた。見覚えのない若手の騎士達だ。隣に座って、何かを話して笑い合っている。

「まあ・・・エイダンが、楽しそうにしているわ」

「ねえお母さま、ソフィーひまー」

「あっ、ちょ・・・小突きあった。え、そんな気安い感じなのね」

というのも、エイダンが誰かとじゃれ合うのをアルロ以外で見るのは初めてだったからだ。学園の友人らとは一定の距離を置いていたし、家に呼んだことのある同年のトーマやレグナートともあまり触れあっているのを見たことがない。ペンシルニアの騎士等は大人ばかりだし。じゃれ合うというよりは格闘みたいで。

家を離れたことで、同年代の騎士仲間とこんな風に仲良くなったなんて―—。

「ひーまー。ねえ、あとなんびょう?」

感動していると、ソフィアが不満そうにシンシアのドレスの裾を引っ張った。

「奥様、お嬢様は先に団長室へお連れしましょうか」

護衛騎士が気遣って言ってくれた。

いつまでも見ていてはいけないだろうから、シンシアは首を振った。

「ごめんね、ありがとう。これくらいで退散するわ。——お父さまのところに行って帰りましょうか」

「はーい」

ソフィアは道を覚えているので、それを聞いて駆け出した。