作品タイトル不明
21.四色布
ワイバーン襲撃から一夜明け、王家は速やかに被害状況を確認した。
倒壊した建物の数は数十軒、重傷者多数ながら、負傷者にほとんど一般人はおらず、現在の所死者はゼロ。奇跡的な数字だ。
ライアスが事態を収拾し屋敷に帰って来たのは二日経った夜遅くの事だった。
仮で設置したペンシルニアの救護所も閉めて王宮へと引き継ぎ、ペンシルニアの屋敷には早くも日常の空気が漂い始めていた。
ライアスが帰ってくるという知らせに、シンシアは屋敷の門まで走って出迎えた。
無事だと言うのは聞いていたけれど、それでも顔を見るまではどうしても安心できなかった。
ライアスがいつもと同じ様子で帰宅した時には、涙があふれてしまったし、ライアスがただいまと言ってくれた時には、恥ずかしいことに力が抜けて立っていられなかった。
ライアスの方も、無事は聞いていたが顔を見るまではと思っていただけに、顔を見た途端膝から崩れ落ちたシンシアに血相を変えた。
抱きかかえたまま寝室まで運び込み、治癒師を集めようとしてシンシアにすんでのところで止められる、という一悶着も二悶着もあり。
なんとか、今、ベッドの上で一通りシンシアに怪我がなさそうなのをその目で確かめてからようやく落ち着きを取り戻した。
「————はあ」
久しぶりのシンシアを抱きしめた感触を確かめながら、ライアスは深く息を吐いた。
「やっと、息をしたような気分です」
「本当に。お疲れさまでした」
ベッドに腰かけたライアスの体に上半身を預けると、逞しい腕にすっぽりと包まれる。シンシアも心の底からほっとした。
「王城は落ち着きましたか?」
「はい。あとは内政の方に引き継ぎました」
王城に非常で設置された諸々ももう撤去された。
ここからはオルティメティと宰相らがしばらく激務になるだろう。
「子供たちはどうしていますか」
「今はもう寝てますけどね。エイダンはもう訓練に復帰してます」
我が子ながら、本当にタフだ。
エイダンが帰ってきた時にも同じようにほっとして泣きそうになったが何とか我慢した。全身を確認したがかすり傷程度でほとんど無傷で、いつも通り食べてお風呂に入って寝て、翌日からけろりと訓練に参加していた。
「マリーヴェルはずっとアルロの部屋に入り浸っています。心配で離れられないようですが、いい話し相手になって気が紛れていいんじゃないでしょうか。ソフィアもいつも通りです」
「——アルロは、どうですか」
一連の事は報告は受けているが、シンシアから見たアルロの様子はどうだろうかと思い尋ねる。
「とにかく今は休むように言ってます。あれだけの魔力を使い続けて、疲れ果てたように眠り続けていましたから」
二日経った今でも、アルロはまだベッドの上だった。目覚めてはいるが体に力が入らないという事で療養中である。魔力を使いすぎた場合に見られる症状だと言う。
隣の部屋がタンなので見守ってもらっている。今の所、瘴気はもう出ていないようだ。
「死者が出なくて、本当に良かったです」
結局、討伐したワイバーンは25体だったらしい。シンシアはその姿を見に行ったが、その巨体と鋭い爪に戦慄した。
目の前のライアスの手を取って自分の掌と重ねてみる。
二回りくらい大きくて、ごつごつしていて、古傷もある手だ。
シンシアはワイバーンの首を思い出した。硬い鱗に覆われていて、馬よりもっと太い巨大な首を、ライアスは一太刀で骨まで切り落としたという。本当に信じられない、怪物はこの人なんじゃないかと思った。
触っているとぎゅっと握り返されたる。
「ワイバーンというのを初めて見たわ。あんなものが本当に、存在するんですね」
「・・・普通の獣とはまるで違う生き物でした。ああいうのを魔獣というのなら納得です。ただ何かを破壊するためだけにいるような存在でした」
ただ、いつもは人のいるところにはいない。伝承のようなあやふやな目撃談は無数にあるから、魔獣の類はそうやって人とは交わらずいつも存在しているのかもしれない。
「瘴気に引き寄せられる性質なのでしょう。その瘴気も城では薄まったので、城の結界が効くようでした。おそらくですが、普段は人が発する魔力で遠ざけられるものなのではと思います」
瘴気も結局は魔力の類だから、結界が有効なのだと分かった。そういう意味でも、今回の収穫は非常に多い。
「エイダンらが見たという魔物の方は、形も残りませんでしたが」
そちらはライアスも見ていないから、よくわからない存在だ。前例もない。4人にそれぞれ絵をかいてもらったが、子供の落書きのようで要領を得なかった。とにかく有形無形の区別なく曖昧な物という印象だ。
シンシアは記憶を辿った。
「瘴気によって生み出された存在でしょうか」
小説の中で、魔王麾下のうち知性のある者はいなかった。魔王ただ一人だけが剣も持ちまるで人のように描写されていた。
「その瘴気ですが。——どうですか、その後」
「アルロからは生み出されていないみたい」
「街の方は、アイラが引き続き休み休み浄化をしてくれています」
広範囲だったから、薄まったとはいえすぐには全てできなかったらしい。
「葡萄亭の方も忙しいでしょうに・・・」
ペンシルニアの方で何らかの名目で雇う等支援したいと申し出たのだが、アイラはあっさりと断った。
これが自分の役目だから気にしないで、とのことだ。
葡萄亭は倒壊を免れていたが、それでも非常時を経て忙しいことに変わりなはいはずなのに。
——息をするのと一緒です。眠くなったら寝て、お腹がすいたらご飯を食べるでしょう?そういう事をしているだけなので。
そう言って笑ったらしい。
アイラは自分が国を救ったという意識もないようだった。引き続き護衛は陰ながらつけて、エイダンも積極的に交流を再開している。
あれから毎日通って、アイラの浄化にも付き合っている。
「アルロには、まだ何も・・・貴方が帰ってきてからと思って」
ちゃんと考えるから、心配せずに今は休みなさいと伝えている。とりあえず疲れ果てた様子で会話も難しいほどだったから、そのままそっとして、現在に至る。
「明日、一緒に行きましょう」
「ええ」
何から話すのか、何をどうするのか何も決まっていないけれど。とりあえずペンシルニアから追い出すようなことはしない。それはちゃんと伝えておきたかった。
とにかく何も分からない。分からないけれど、シンシアは危険だからと閉じこめるようなことはしたくなかった。
「——ハギノル湖の時は、アルロがちょうど父親との面会を再開した時だったかと」
ライアスの手が放しながらシンシアの頬を撫でた。
「今回は、自分が例の犯人だったと知ったのがきっかけだと」
「そうですね」
「制御できるかはともかく、きっかけはあるのだと思います。やりようはいくらでもあります」
大きな手で撫でられるから、よほど悩ましい表情をしていたのかもしれない。
励ますように言われてシンシアはライアスの手に顔をすり寄せた。
「ありがとうございます」
この人は、有言実行の人だから。
ワイバーンの襲撃ですら想定内だと言い放って、慰めかと思ったらその言葉通りだった。対空中戦をいつの間に訓練していたのか、何人かの騎士が風魔力を駆使して空中で戦ったと聞いた。
今回の戦いでも、瘴気を実際に目にしたことで対処法を考え出しているのだろう。
「貴方は本当にすごいですね。私ももっと、先を見て動けるようにならないと」
「シンシア」
「——わっ」
ライアスがぐいっとシンシアの体を持ち上げた。
軽々と抱き上げられてびっくりする。そのまま対面に向かい合う形で膝に乗せられた。
子供になったようで少し気恥しくて、思わず口元を押さえる。
目の前にライアスの濃茶の瞳が近づいてきて、こつんと額を当てられた。
「今回死者が出なかったのは、貴方のおかげだという事に気づいていなかったのですか」
「え——いえいえ、私は何も」
運ばれてきた重傷者を三人治癒しただけだ。確かに瀕死だったが、三人だけだ。おかげで実は、今日までほとんど寝て過ごしていた。屋敷の仕事も放り出していた。
負傷者の数は百人を超えているのを聞いているし、重傷者は数十人いるがそちらは治癒師に委ねている。
そもそも、今回は様々な対応が円滑だった。日頃からの訓練の成果も大きく、街の住民の迅速な避難、救護者の搬送、それらの使用する道の動線をあらかじめ決めていた通りにできた事。何より、軍部の迅速な召集と編成、国による救援物資の素早い対応。
確かにこの結果に貢献したであろう要因は多数あったが——だが実は、中でも決定的に死者をゼロとしたのは、シンシアの功績によるところが大きかった。
「四色布です、貴方が取り入れた」
ライアスがふっと笑った。
シンシアが数年前に発揮人となり、王国騎士団とペンシルニア騎士団で普及していた制度だった。
いわゆる、前世で言う所のトリアージだ。
この世界は治癒師の数が少ない。貴重な職業だし、知識も魔力も必要になる。当然、魔力に依るところが大きいせいで治癒の能力も得意分野にもかなりの差がある。
平常時であれば、王国が運営する治療院で治療が受けられるが、戦時下になれば貴族はたちまち治癒師を抱え込もうとする。
シンシアはイエナに相談して、戦時下における治癒師の動員を国が主体で行う法律を制定した。そのおかげで今回、救護施設は王都内に五カ所も設置できた。
事前に登録があったから、どの救護所が何の治療を得意としているかもわかっている。あとはどこにどの負傷者を運び込むかだった。
そこでシンシアが考えたのが、大規模災害時に前世で行われていたトリアージだった。
軽症の緑、治療は必要だが緊急性は低い黄色、直ちに処置を必要とする赤、治療不可能な黒。
それぞれ救護所の質に応じて色の受け入れを決めていた。王宮は赤、ペンシルニアは赤と黒。
救護の体勢さえ整えられたら、魔術がある分救命率は格段に上がると予測した通り、死者なしとなったのはシンシアにとって非常に嬉しい知らせだった。
シンシアはまだ自覚していないようだったが、既に四色布の話は瞬く間にひろがり、ペンシルニア公爵夫人の功績として語られている。
今までの戦闘では、負傷者はとにかく近くの救護所に運び、運ばれた順番に治癒師が対応していた。後半に負傷した兵士はどうしても治療が遅れるし、運次第でタイミングによっては手遅れになるケースもあった。
一人の死者も出すことがなかったのはまさしく最大の奇跡と言える。
光の君と言われていたシンシアにちなんで、すでにこの布は『 光君(こうくん) の布』と言われて各領地に瞬く間に広がっている。
「貴方はやはり特別な方です」
ライアスがそう言って、本当に尊いものにするように手の甲に口づけた。
シンシアはライアスの方が英雄じゃないかと思ったが、当のライアスが幸せそうにしているからその口付けを黙って受け取った。
——この光君の布が、ファンドラグ王国のみならず諸国にも広がり、歴史的にも語り継がれるようになるのは、まだ少し先の話だ。