作品タイトル不明
17.
ワイバーンがまた現れたと聞いてから、エイダンにはあまり食欲はなかった。それでもどんな時でも食事は取らないと体が動かないから、食べるのも仕事みたいなものだ。
味わう余裕はなかったが、お腹には入れられた。
食べ終わった頃、オルティメティが思い出したように言った。
「あ、姉上から手紙が来ていたよ。ライアスが帰ってきたら渡してって」
ちょうどその時、事務官がドアが開けた。その隙間から小さな頭がひょっこりと覗く。
「ソフィー!?」
エイダンが驚いて立ち上がる。
「——ああ、少し前から城で預かってるんだ。こっちでまとめてみたほうがいいだろうし」
オルティメティが手招きしたから、ソフィアが嬉しそうに入ってくる。その後にマリーヴェルも続いた。
その表情が暗いな、とエイダンが目に留める。ソフィアの方はそのままライアスに突進した。
「父さま、おつかれさま!!兄さまも」
「ああ」
シンシアの手紙は、手紙というより走り書きだった。
ライアスが片手でソフィアを抱きながらそれを読む。珍しく動揺しているようで、短いであろうその手紙をしばらく眺めていた。
その様子が気になりつつも、エイダンはマリーヴェルを心配そうに覗き込んだ。
マリーヴェルの表情がずっと固い。
「マリー?どうしたの?」
「お兄様、あの・・・」
喋ると涙が出そうで、マリーヴェルはその先が続かなかった。
助けて、と言いたい。でも、ライアスもエイダンも、想像していたよりずっと疲れているようだった。
怪我はないようだけど、血生臭い獣のような匂いと、焦げるような匂い。緊迫した雰囲気。どれもいつもと違う。
「どうしたのマリー。怖かった?大丈夫だよ、お城にいれば」
エイダンがポンポンと頭を優しく叩いた。
マリーヴェルは首を振るしかできない。
やっぱり、言えそうもなかった。
そう思うと余計に苦しくなる。アルロを探す手段が、もう、思い浮かばなくて。
「マリー」
ライアスの低い声が部屋に響いた。マリーヴェルがびくりと肩を揺らす。
「お父さま、こわいこえ!おこらないで?」
ソフィアがライアスの顔を掴んでぐい、と自分の方に向けた。
「マリーね、ずっとがまんしてたんだよ。いっつもわがままなのに、きょうは、だめだめって。おじいさまにたのむのもしないって。ソフィーがね、こっちにこようって言ったの」
「・・・怒ってない」
余裕がなかったのかもしれない。思ったより厳しい声音になっていたのだろう。ライアスはソフィアの頬にキスをしてから、オルティメティに視線をやった。
「——あ、僕、遠慮した方がいいかな」
ライアスは少し迷ったが頷いた。
国王に気を遣わせるなんてどうかと思うが、4人が出て行くよりオルティメティ一人が出て行く方が早い。幸い気にする様子もなく、オルティメティは食器を下げさせてから、部屋を出てくれた。
ライアスは手で口元を押さえ、しばらく考えているようだった。
エイダンがライアスの手紙を覗き見た。
『アルロが闇の魔力持ち、7年前の事件を知って行方知れず』
「え・・・」
思わず声が漏れた。
アルロに魔力があった。それも、今までずっと探していた闇の魔力が。
本当に思いもよらない事だった。よぎるのはアルロの漆黒の瞳だった。魔力持ちの中には見たことがない、どんな闇より深い、純粋な黒。
ライアスがソフィアを椅子に降ろし、マリーヴェルの前まで来た。強張った顔のマリーヴェルのまえに膝をついて目線を合わせる。
恐ろしい騎士団長の顔ではなく、父親の顔だった。
「マリー。アルロがいなくなったんだな」
マリーヴェルは小さく頷いた。
「大事なことだから、ちゃんと教えてほしい」
努めて、きつい物言いにならないようにした。
マリーヴェルは拳を握りしめた。
ぽつり、ぽつりと話し始める。
「——ハギノル湖で・・・狼に襲われそうになった時、アルロが、狼を止めてくれたの。あの倒れた時・・・闇の魔力持ちだから、人や獣を操れるって。7年前に力を使いすぎて、なくなってたけど、私を助けようとして、また使えるようになったって」
「そうか」
「私、咄嗟に、黙っててって言ったの。そのせいで、きっとアルロ・・・みんなに嘘をつくことになったから。私が言ったせいなのに。だから、嘘ついてましたって手紙を残して、いな・・・いなくなってしまったの」
みるみるうちに、マリーヴェルの大きな瞳いっぱいに涙が溜まっていく。
「アルロは嘘なんてつきたくなかったはずなのに。私のせいで・・・」
ポタ、ポタとマリーヴェルの目から大粒の涙が床に落ちた。
「どうしよう、お父様。私のせいでアルロ、いなくなっちゃった・・・こんな時に」
もう悪いことばかりが頭に浮かぶ。たった一人でアルロは今、何を考えているだろうか。
「ごめんなさい。私が悪いの。アルロは悪くないの・・・」
「何故黙っているように言ったんだ?」
「うちでは・・・闇魔力の能力者を探していたでしょう?ずっと・・・犯人だって。だから、みつかったら、アルロはここにいられなくなると思って——ううん、私ね、アルロが、もう、耐えられないと思ったの」
アルロの悲しみのグラスには水が溢れ返っていた。ようやく少し減らせただけ、そう思っていたから。ひび割れたグラスはまだ全然直っていない。
「もし、アルロが昔私を誘拐した犯人だなんて知ってしまったら、きっともう、アルロは、自分を責めて・・・二度と戻ってきてくれないと思ったの」
アルロのことをみんなに知られるより、アルロ自身が知る事の方を恐れていた。
そうだ、わかっていたのに。ただ黙っている、それがどれほど危うい事か。
「私が黙っててって言ったの。そうすれば守れると思ったの。私が、わがままだったの。自分が、側にいてほしいから、アルロに・・・黙っててって・・・私が、わるいの、う、うぅぅ・・・」
マリーヴェルは耐えきれなくなって、嗚咽を漏らした。ライアスがそれを抱き寄せる。
しばらくそうして、マリーヴェルが泣き止むまで、ライアスは何も言えなかった。今の状況で任せろとも言えず。
「——マリー、アルロが闇の能力者なら、ワイバーンは脅威にはならないだろう」
アルロに退ける意思があればの話だが。そんな慰めを口にするしかできなかった。
意味のない慰めだとわかっていたが、マリーヴェルは黙って頷いた。今、ライアスの負担になってはいけないと分かっているから。
「——マリー。アルロは他に何か言ってなかったか?闇の魔力について、獣を操れる以外にどんな能力があるとか」
「・・・周りの人を不幸にする、って」
「そうか」
アルロ自身も闇の魔力についてはあまり知らなかったのだろうか。あの父親ならそれもあり得る。
「周りを不幸に・・・」
どうも引っかかる。
この、周囲を不幸にするからと厭われる要因がどこにあるのか。
この瘴気と、アルロは繋がっているのか。
記憶を辿る。ハギノル湖に行った時、あの時のアルロは、どんな様子だっただろうか。
——いや、今はできることをするしかない。
ライアスはそう思い、マリーヴェルの頭を撫でながら離れた。
「——マリー、ワイバーンがまたたくさん集まっているんだ」
軍隊の総指揮はライアスが取らねばならない。タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。
マリーヴェルの涙を見れば、父親としてなんとかしてやりたいといたたまれない気持ちになる。
マリーヴェルも十分理解しているからこそ、一言も発することはできないで、唇を噛んでいる。
そのまま頷くのを見て、ライアスはエイダンに目を向けた。
「エイダン。アイラが二日前に王都に帰って来て、今は葡萄亭近くの地下水路にいる」
「え・・・なんで知ってるんですか父上」
ハギノル湖の一件以降、常に動向は把握していた。が、そこまでの説明は省く。
「ゲオルグらとそちらへ向かい、瘴気の浄化について聞いてみるんだ」
「分かりました」
別行動と聞いて、エイダンが気を引き締める。
エイダンもこの瘴気を感じた時からアイラのことを考えていた。
「中隊を編成して——」
「小隊でいいです」
エイダンがはっきりと答えた。
「街中ですから。ゲオルグとタンと僕だけで大丈夫です。身軽に行った方が早いです」
その分、ワイバーンの討伐に当てて欲しい、と言う。
ライアスは少し考えたが、その言葉を信じることにした。一太刀でワイバーンの首を切り落とせた時点で、エイダンにも任せられると判断した。
経験不足はゲオルグが補えばいい。
ただ、自分が過酷な戦場へ赴く分、エイダンには万全を期しておきたかった。
エイダンが生き残れば、ペンシルニアは安泰——。
まるでそれを見越したようにエイダンは重ねて言った。
「判断に困ったらすぐにご相談に行きますね」
念を押すように言われ、ライアスは思わず笑った。
自分は知らぬうちに、簡単に覚悟を決める癖がついていたようだ。それをエイダンに悟られて釘を刺されたような気がした。
「マリー、ソフィア」
ライアスは二人を抱き寄せた。しっかりと抱き締めて、その柔らかな感触を確かめている。
守りたいもの、帰りたい場所を思い出す。
二人も目を閉じて、じっと身を委ねていた。
「速やかに終わらせて、アルロを探すから」
マリーヴェルは何度も頷いた。
ライアスが深く息を吸って吐いて、二人を離した。
「ご武運を、お祈りしています」
かねてより教えられていた通りにマリーヴェルは言った。
もう、それしか言えない。
その声は震えていたが、ソフィアも真似をした。
「ごぶん、おいのりします・・・?」
「ああ」
ライアスは2人の頭を撫でた。
「——準備があるから、先に行っている」
そう言い置いて、ライアスは出て行ってしまった。
なんとかライアスを見送って、マリーヴェルは崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
「マリー?どしたの?」
ソフィアが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
ちょっと前から、マリーと呼んでもいつものようにお姉様って言いなさいと言わないし。どこかおかしい。
ソフィアなりに心配していたが、今度は本当に具合が悪そうだ。
「マリー、おかおまっ白」
真っ白というよりは青ざめていた。
マリーヴェルは、もうどうしていいかわからなかった。
これまで学んできた何もかも、役には立たないように思えた。
足元から全てが崩れていくようだ。
父も母も、側にはいてくれない。
みんな危険な場所に行ってしまう——。
「マリー!」
パン、と音がして、マリーヴェルは頬の痛みにハッとした。
エイダンの顔が間近にある。マリーヴェルの顔を両手で挟んでいた。
「心配いらないから」
はっきりとそう言われて、マリーヴェルは自分と同じ金の瞳の兄を見つめた。
ごつごつした、温かい手の感触が頬から伝わってくる。
この兄は、記憶の中でいつも自分の手を引いてくれた。
「お兄、さま・・・」
くしゃりとマリーヴェルの顔が歪んだ。
だって、どうにもできないのに。どうしたらいいのかわからない。
「心配いらないって。大丈夫だっていっつも言ってるだろ?」
エイダンは昔から変わらない兄の顔で、にっと白い歯を見せた。
「兄ちゃんにまかせろ」