作品タイトル不明
160.一度は乗ってみたいです
「さむっ。朝はまだまだ冷え込むわね」
言葉と共に吐息が、白く大気へと溶けていった。
呼吸するたび、白いもやが生まれては消えていく。
目の前の離宮の前庭も、一面が白く雪化粧が施されていた。
私の首にはマフラー、両手にはもこもことしたミトン型の手袋。
防寒はばっちりでも、それでも頬や鼻先などから、じんわりと寒さが伝わってきた。
「お嬢様、追加の防寒具を持ってきましょうか?」
こちらも外套を着こなした従者のルシアンが尋ねてくる。
吐く息が白い以外、まるで寒さを感じていない、上品できっちりとした立ち姿だった。
「これくらいなら大丈夫よ。だいぶ寒さも緩んできたもの」
冬の真ん中は抜け、積雪も徐々に減ってきている。
ヴォルフヴァルト王国で過ごす初めての冬。
故郷のエルトリア王国に比べ、この国の冬は寒く雪が多かった。
前世と合わせても、これほどの雪を見たのは初めての気がする。
「東北、あるいは北海道よりもっと、気候的には北になるのかしら……?」
「ホッカイドウ……?」
ルシアンが小さく呟いている。
彼が引っかかるのも当然だ。
この世界には北海道どころか、日本すら存在していないものね。
「ホッカイドウとは、どのあたりにあるのでしょうか?」
「今のこの大陸にはない場所よ。私も行ったことはないわ」
正確には、転生したこの体では、だけどね。
イクラやカニなど、前世の旅先で食べた海鮮が美味しかったのは覚えている。
「そうでしたか。そのホッカイドウについても、書物で得られた知識なのですか?」
「えぇ。だいたいそんな所よ」
誤解を訂正せず、そのまま乗っかっておく。
はっきりと前世を思い出す前も時折、私は前世の知識の欠片を口にしていた。
あの頃は私自身、どこかで書物で読んだ事柄かな、程度に考えていたのだ。
一番年の近い兄弟、クロードお兄様の影響で、私も幼い頃からよく本を読んでいた。
ここ数年はお妃教育も本格的になり忙しかったので、自分の持つ知識がどこから得たものか、いちいち確認する余裕も無かったのである。
あの頃に比べたら、今はとても自由でのんびりとしている。
スローライフのありがたみを噛みしめていると、軽い足音が近づいてきた。
「にゃっ!」
首元にマフラーをまいた、庭師猫のいっちゃんだった。
二本足で立ち、とことことこちらに近づいてくる。
普段は猫と同じ四足歩行だけど、前足を雪につけるのは冷たくて嫌なようだ。
後ろ脚のみで歩くと、こちらの足元へぴっとりと寄り添ってくる。
「うにゃにゃにゃにゃ……」
冬の間は、肉球が冷えてたまらないです。
とでも言いたげに、盛んに肉球をこすり合わせるいっちゃん。
マフラーと自前の毛皮があっても、肉球は守備範囲外のようだった。
「いっちゃん、やっぱり手袋があった方がいいんじゃない?」
「にゃにゃなっ」
首を振り、ノー手袋を貫くいっちゃん。
爪の出し入れがスムーズにできなくなるため、手袋はいらない派らしい。
代わりにいっちゃんが、くいくいとドレスの裾を引っ張る。
きちんと爪は引っ込めていてくれるため、生地がほつれることはなさそうだった。
「抱っこね。よっこいしょ、っと」
腰をかがめ、いっちゃんを抱き上げてやった。
両手で抱え、苦しくないようしっかり支えてやる。
いっちゃんは少しもぞもぞすると、ベストポジションを見つけたようだ。
私の胸へと体を預け、もふもふすりすりとと頭を頬へとすり寄せてくる。
「ふふ、くすぐったいわね」
腕にかかる重みと、頬を撫でる柔らかな感触。
冬はいいね。
他の季節の三割増しで、いっちゃんがこちらへとくっついてきてくれる。
部屋の中では湯たんぽ代わりになるし、ぐんにゃりしとした重みが愛おしかった。
グレーの縞模様の毛についた雪の欠片を落としてやっていると、いっちゃんがぴくりと耳を動かす。
首を動かし、離宮と外部をつなぐ門の方を見ている。
「あら、誰かお客様? それとも今日は狼達があっちから来るの?」
私が庭に出ていたのは、狼達を待つためだった。
毎日の散歩がてら、離宮へと立ち寄ってくれる狼達は癒しだ。
今日もそろそろやってくる時間だけど、いつもは庭の横手にある森から顔を出していた。
「わふわふっ!」
「がううっ!」
来訪者は、やはり狼のようだ。
門の方か狼達の鳴き声と一緒に、しゃぁしゃあと耳慣れない音が近づいてくる。
「レティーシア様、こんにちはっ!」
「エドガー! その乗り物は⁉」
びっくりとしつつ、私は手を振り返した。
犬ぞりならぬ狼ぞり
数頭の狼達に引っ張られたそりに、エドガーが掴まり立っている。
危なげなく狼達に指示を出し減速していき、私たちの前で止まった。
「狼達、そんなこともできるのね!」
軽く興奮しつつ、しげしげと狼達を見つめる。
ハーネスで繋がれた狼達は、列を乱すこともなくきちんと立っている。
はっはっと白い息を吐き出す姿は、心なしか誇らしげな気がする。
白い雪の上に堂々と立つ姿は、凛としてとても絵になっていた。
いっちゃんも興味を惹かれたのか、私の腕から降り狼とそりを近くで観察している。
「犬ぞりは知っていたけど、狼が引っ張るのは初めて見たわ」
「たぶん、この国でも、僕たち狼番しかやってないと思います。僕もこの冬いっぱい練習して、やっと動かせるようになりました」
「すごいわ。かっこいいわね!」
ここの狼達は人慣れしているけど、それでも犬と比べると気難しく、プライドの高い子が多いと聞いている。
そんな狼達を統率しそりを滑走させるエドガーは、狼番に相応しい才能の持ち主のようだ。
「か、かかかかっこいいなんて僕にそんな……!」
顔を赤くし、三角の獣耳をぱたぱたとするエドガー。
狼達をまとめる手並みは見事だけど、性格は気弱で恥ずかしがりだ。
「エドガーはもっと自信を持っていいと思うわ。きちんと狼達の面倒を見てしつけたからこそ、こうして狼達も従ってくれるんだものね?」
「あおんっ!」
答えるように、狼の一匹が吠え声を上げた。
狼達は賢い。
私の言葉も、なんとなく意味をわかっているのかもしれない。
「おーよしよし、よしよし。賢いわいい子ね~~」
「わふふっ!」
もふもふ、わしゃわしゃ。
狼を褒め、頭から首元を撫でていった。
手袋越しでもわかる、圧倒的でボリューミーなもふもふ。
やっぱり冬はいい。
寒さに備え、狼達は冬毛でもこもこになっている。
銀褐色の毛並みの下からのぞく、ほわほわとした白い柔らかい毛の塊。
ダブルコートと呼ばれる二層構造の毛皮は防寒性が高く、とてももふもふとしていた。
あぁ至福。
冬の恵みに感謝だ。
うっとりと撫でまわしていると、他の狼達も鼻を鳴らし近づいてくる。
きりりとそりを引く姿と、人懐っこい様子のギャップが愛らしかった。
一頭目、二頭目、三頭目……。
そりを引いていない狼もいて、全部でニ十頭ほどだ。
なでなでが一巡すると、私はそりを観察した。
骨組みは木かな?
しっかりと組まれており、持ち手や底面には革のようなものが巻かれている。
骨組みを保護し、摩擦を少なくするためかもしれない。
「……このそり、ゆっくりなら私も乗れるかしら?」
「レティーシア様がですか?」
「難しいかしら? このあたりの雪は柔らかいし、深さもそれなりにあるから、転んでも大きな怪我はしないと思うわ」
犬ぞり、憧れなんだよね。
前世で映画や漫画で見てから、一度乗ってみたいと思っていた。
走らせるのは無理でも、人間が歩くくらいの速さで、乗せてもらえないかなぁ。
「雪、それに狼達も……これなら……」
エドガーが私とそり、そして狼達を順番に見つめた。
何やら考え込み、ぶつぶつと呟いている。
「……でもちょっと待て、それだと……」
「やっぱり難しいかしら?」
無理を言ってしまったかもしれない。
素人に無茶ぶりされても困るよね……。
謝るとエドガーがぶんぶんと、白い耳を揺らし頭を横へ振った。
「そ、そんなことないです乗れますっ‼ レティーシア様ならいけるはずです!」
「乗っていいの?」
「はいっ! 狼達はよくレティーシア様を信頼しています。急に暴れたりはしないはずですし、このあたりならそりから落ちても、大きな怪我はしないと思いますが……。その、ただ、そのですね……」
やけに歯切れの悪いエドガー。
ちらちらとこちらを見て、顔を赤くしている。
「私に何かあるのかしら?」
「えっとですね、その……。最初から、一人でそりに乗るのは難しいです。僕が一緒に乗らないと駄目なんですが……」
「お願いしたいわ。エドガーなら信頼できるもの」
初心者にコーチは必須だ。
乗馬を学んだ時も、何度も教師役の人と二人乗りをしている。
エドガーは狼の扱いが上手く、少し気弱だが性格も安心だ。
男女二人とはいえ双方もこもこと厚着をしているので、そちら方面の心配も不要だったけど……。
エドガーの顔は赤くなり、あからさまに体が硬くなっている。
そりの乗り方を教えるのが初めてで、緊張しているのかもしれなかった。
「ごめんなさい。そりに乗るのはやめ――――」
「いえやめないでください! 恐れ多いけどもったいないですっ!」
食い気味に叫ぶエドガー。
「……もったいない?」
私が首をかしげていると、
「本音が隠せてませんね。貴重な役得の機会は逃せませんか」
なにやらルシアンが、小声だが妙に辛辣な口調で、ぼそりと呟いたのだった。